痛み
森へと入り、木々に隠れる。
「ハァ……ハァ……」
呼吸を整える。
できるだけ息を殺して。
(死にたくない……)
自分が死ぬ理由がどこにある? と考える。
すると傷の男の声がした。
「必ず見つけろ。これはケシェニカさんからの命だ」
(……ケシェニカさん?)
元上司の名が聞こえた。
(ケシェニカさんが命令した?)
だとしたらなんで。
(オレを捨てたのはあなたじゃないか)
捨てても尚始末しようとしているのだろうか。
(……オレが死ぬのが『正しい』?)
──────────嫌だ
そんな正しさは拒絶してやる。
(ご都合すぎる)
ナイフの頭部がまた思い出される。離された脳と肉体はどうなったのだろう。
(お前らはすぐ、事も無げに排除してくる)
「オレはそれが許せない」
そして一つの大きな疑問が浮かぶ。
ナイフが死んでお前らが生きている理由が分からない。
(もし仮に、オレが死ぬべき人ならばお前らも死ぬべき人のはずだ)
パァァン!! と音が前から鳴った。
先には回り込んで来た一人の警察官がいた。
こちらへ銃を向け撃ってくる。
(許せない)
ネルアの心は怒りに満ちていた。
視野が狭くなり、目に怒りが宿る。
ネルアは目を大きく開く。
そして一歩を出す。前へ、その警察官へ走った。
警察官は向かってきたことに驚いた。
その警察官は一歩下がってしまう。ネルアの目を見て恐怖を感じたからだ。
ネルアは閃光が走ったような眼差しを向けていた。目は憎悪で赤く充血している。
唇は白くなるまでぎゅっと噛みしめていた。
その表情はまるで悪魔に付き纏われているようなものだった。
ネルアは走りながら銃を構える。
「殺してやる」
怒りで手は震えていた。腕の筋肉が強張っている。
ネルアは顎が痛くなるほど歯を食いしばっていた。しかし肉体的な痛みは無視してただ走る。
ネルアの血流は極限まで増加していた。心臓はドクンドクンと強く脈打ち、鼓動が耳まで届いている。
ネルアが引き金を引く。
無音で弾が発射された。
銃弾は警察官の顔を目掛けて……頬を掠った。
照準はズレた。ネルアの手はカタカタと震えている。
目の前の警察官は恐怖で腰を抜かしてしまう。
ネルアは震えた息を吐いた。
「なんで……」
ネルアの脳は憎悪に塗れた。
警察官への怒りを超えて、自分を憎む。
眉を顰めた。眉間にくっきりと皺が出る。
「なんで殺せないっ!」
心の中の葛藤が声に出てしまう。今のネルアにはその葛藤にしか意識が向かなくなっていた。
ネルアは頭を抑えた。爪で抉れそうなほど強く抑える。
腰を抜かした警察官は震え出す。しかし、震えた手で銃をぎゅっと握った。
警察官は座ったままネルアへ銃を向けた。
ネルアが悪魔を宿らせた目で見下ろす。
警察官は一瞬だけ動きが止まる。
その一瞬、ネルアは警察官の右手を撃った。ブレることなく、一発で。
「うあぁあああああぁああああああっ!」
警察官が叫ぶ。
警察官の右手は使い物にならなくなる。銃弾は手首の骨を折った。
その右手はぐたりと曲がらない方へ倒れている。手と腕は皮一枚で繋がっており、今にもちぎれそうだった。
撃たれた皮膚表面は黒かった。焦げていた。それは弾の混入と共に未燃焼火薬が皮膚へ貫入したからだ。
手首は衝突面から輪を作るように広がって貫通した。
警察官の手首からはドボドボと血が流れていた。それも大量に。
けれど警察官は既に気絶していた。
ネルアにとっては警察官の痛みなどどうでもよく、先へと動いた。
(顎が、頭が痛い)
遅れて歯軋りの痛みを感じた。
(胸が、心が痛い)
母の幻聴に縛られ、自分では何もできないのかと苦悶する。どことなく弱さを自覚してしまう。
『あなたは人の子だもの』
「……うるさい」
『あなたは私のために《космос》になるの』
「オレの意思はそこにはないじゃないか──────────」
パァァァァアアアアアアアアンッ! と銃声が。後ろから。
ネルアは急いで振り返る。
傷の男が立っていた。母の声に支配され、男の存在に気づけなかった。
ネルアはすぐに銃を向けた。
感情に任せて弾をを放った。
「…………下手だな」
ネルアの銃弾の起動はズレ、横の木に当たる。
「クソっ、なんで」
ネルアが何度も人差し指を動かす。
カチャカチャと銃から音が鳴る。
弾切れだ。
「動くな」
ネルアの頬から汗が流れる。
囲まれた。
「銃を捨てろ」
傷の男が指示をする。
ネルアは銃をぎゅっと握る。同時に歯を強く噛みしめた。
諦めのつかない顔で銃を落とした。
「……コーネルアス・ズィークフリド、お前の席には俺が就いた」
傷の男が銃を向けたまま話す。
彼はネルアの空いた席に座り、ケシェニカの直属の部下となったという。
「ケシェニカさんがお前の心臓を確保しろと言ったんだ。俺はそれに従う」
(心臓……?)
何故それをケシェニカが狙っているのだろうか。
(【因果支配権】を取り付けた者と繋がっている……?)
だとしたら《космос》が───────分からない。分からないことだらけだ。
「し、心臓がいるのなら……生け捕りにするべきでは?」
ネルアは自分が生き残りたいために発言する。
「心臓が無事なら脳が弾けても構わんらしい」
傷の男はネルアに近づく。
生きていたいという願いは難なく拒否された。
ネルアはゆっくり下がる。
(嫌だ)
下がれるところまで下がったネルアの背は木にぶつかった。
「じゃあな」
傷の男が笑顔を歪ませそう言った。
ネルアは向けられている銃口を見て歯を食いしばった。
(死にたくない)
咄嗟に両腕を前に顔を遮る。
(死にたくない)
ネルアは反射で腰を落とした。
(死にたくない)
何もできない中、想いだけが先走る。
ネルアはぎゅっと目を瞑った。
パァァァァァァァアアアンッ! と軽い衝撃音が鳴る。
(…………?)
ネルアが目を開ける。
急いで振り返った。
銃声は確かに鳴った。
しかし音は木を隔て、はるか後ろの方で聞こえた。
そして目の前には傷の男も他の警察官もいない。
目の前から消えた。いや、移動した。
ネルアが地に手をつき、木の後ろを見た。
そこには傷の男が銃を構え、その前には一人の警察官が撃たれて倒れていた。
「なにが起こって……」
ネルアの目の前が影で覆われ暗くなる。
「何も起こってないさ。お前自身には」
突然聞こえた声にネルアは驚く。
前を向く。
そして見上げる。
「レヴィ、さん」
そこには佇むレヴィがいた。




