1 ヒトもどき-②
重い衝撃音が三発。
静かで暗い部屋での轟音と発火による光。
「………………?」
戸惑い、それはネルアから。
警官として引き金を絞った。両手に確かな反動が三回。
アリゾレッド製の馴染みのある三十八口径の銃。支給された特注非売品の銀の弾丸が発射口から飛び、青年へと勢いよく向かった。それは刃物で脅すほど極めて近い距離で首を捉えた発砲。銃の故障はしていない。速度は申し分ない360m/sを出して向かった。
向かったんだ。
「な、んだ?」
不可思議な事態にネルアは困惑を口からこぼす。
(何が起こった、この一瞬の近距離でいったい何が……)
──────────いいや、なんで何も起こっていない??
そして気づく。
目が合ってる。青年と。
ネルアの見開いた黒い眼と青年の十字の瞳。ネルアにとってその瞳はとても印象的だった。白眼の眼球を綺麗に中心で横断する十字の瞳孔。人間でいう白目の部分はくすみを帯びた桃色で充血を表す眼球がそこにはあった。
(…………銃弾は何処へ行った?)
ネルアはキョロキョロと足元を見回す。
弾丸の在処はどこにもない。
「……どんな魔術だ?」
脳内では更なる疑問が狂気的に舞う。何故銃弾が消えた、何故青年は退いて体制を立て直さない、何故無口で笑っている、銃弾は何処へ行った、自分だったらもっと、何故なんでなぜなんでどうして。
(……っ、落ち着け)
見つからない銃弾への状況分析を諦め、ネルアは渋々顔を上げた。
そこにあったのは微笑み。青年が浮かべている表情である。
何食わぬ顔で焦るネルアを印象的な瞳が見つめている。
それはとても整った顔から|醸し出される穏やかな笑みだった。
ネルアがどんなに思考を巡らせようと答えの出ない奇想天外な状況であることに変わりはない。
気が狂いそうな事態。それによってネルアの身体には変に力が加わる。空回る脳で全てを疑ってしまう。彼が今、こちらに向けている表情にさえも。
焦る脳は導き出されない答えばかりが埋め尽くしていく。
青年が浮かべている笑みすらも『空虚に歪んだ表情のなにか』と思ってしまった。死体が変わらずヒトのように動き、表情や感情を完璧に管理しているようである。
ただの平穏的な表情に答えと意味を求めるほど、ネルアの脳は無駄な回転に満ちていた。
「お前も飲むか?」
取り澄ました顔で青年はネルアへ問いかける。ビクリとネルアの手が震えた。それは驚きから。
違う、と。頭で当然のように否定をした。
『これは苛立ちだ。だからピクリと動いた。今すぐにでも撃ち殺してしまいたかった動きだ』そうだ、そうに違いない。
ネルアは自己的な解釈で青年をまた睨み始めた。
「に、二○時以降のカフェイン摂取はお断りしています」
怒りという見栄。
ネルアの口角は不自然に上がっており、目は一切笑っていない。
「そう。客人が急に来るもんだからアルコールは出番待ちさせてたんだけどな」
とは言いつつも青年の手元に酒の姿はない。
ネルアは先程の台詞である『昨日で空にした』という言葉を思い出し、意味を理解する。
青年は冷蔵庫前から机へと移動をすると氷をレモンミルクティーへと落とした。
ネルアは深呼吸をする。何度目か分からないほどの落ち着きを取り戻すための深い呼吸。
「酒? ハッ、晩酌など何故奇形がこちらと同様の生活を送れると思っている?」
青年は椅子を引き、席へと腰を下ろす。カップを片手に持つと、混ぜるためにゆっくりと零れない程度に回した。
氷が解けて温度はぬるく、少し分離したレモンミルクティーを完成させていく。
「自由は手持ちで最大の主義でなァ。どうにもアルコールの味が好きで辞める気がねェ」
「ふん、笑わせるな! 貴様はこれから軍へと世話になると言うのに」
『アリゾレッド連邦』はもとより軍事国家。あらゆる武器の特化や、それを制作するための表立てにできないような実験も沢山。
この国の文明はもはや軍のために存在しており、警官よりも上層に位置する機関しか知らないような情報も数多い。
噂として特殊な武器を扱う政府公認の独立機関もあるという。少数精鋭だがとても強い特権を有した治安維持に務める部署である。
その部署まで上り詰めることがネルアの夢であり、母からの義務だった。
部署の存在理由=国の目的は階級の低いネルアにとって知る由もない。ただ目的達成のための必要武器の実験台として、奇形はもってこいのよう。
差別されて当然の人種、何もしなくても早死、珍しい臓器、何より誰も悲しまない。被験体としてはこの上ない肥料である。
「貴様を捕らえ、オレは《космос》の一人となる。それが生きる上での正しさだからだ」
「ほう、お前の野望がかかっているのか。陰ながら応援しているよ」
ピキリとネルアの表情に怒りが沸き立つ。必死に抑え込む呼吸からもその怒りはこの空間に広がり出していた。
「警官様はこの国が好きなことで」
「好き嫌いではない! この行いが正しい世界というだけだ。正しさは愛の具現化だ」
ネルアの脳裏に走る。高い声をした女性に撫でられ言われた言葉。
『完璧を処すネルアは自慢の子』
銃をより強く握り、警官としての務めを目に宿す。
「それ、本当に母国愛か?」
ネルアに純なる意見を放つ青年。
その意見が浮かぶことの意味をネルアは分からなかった。
正しい行いをすれば愛される。それが行動に現れ、人格さえも形成される。
それ故、正しき行いが人々に認められることで愛が生まれる。
つまり正しさは愛。
(それが仕来りで常識なはずだ)
愛とはそういうもの。好き嫌いという自分の欲は存在として要らぬもので、世の正しさこそが全て。だから世界は皆、愛を欲しており、国民は愛によって守られている。
これがネルアにとっての愛の認識だった。
「まぁ、もう夜だ。朝に考えよう。定時はとっくに過ぎているだろうに」
「貴様を生け捕って帰還し、情報を纏めるといった責務が果たされていない。オレは仕事を完璧に遂行する」
続行を願うネルア。青年はギザギザの歯が見える乾いた笑みで、やれやれと半ば無意識で溜息を吐く。彼はネルアの願いに対し、答えを示した。
「なら事情聴取でもやろうか」
──────────は?
ネルアではなく青年から提案された言葉。彼からの言葉にどんな意図があるかを考え悩んでしまう。ネルアは焦ったまま返答する間もなく、されるがままで謎めいた聴取が進んでしまった。
「情報を掴んでいるようだが……さて、まずは俺の名前をどうぞ」
ネルアの戸惑いは先程からプラスされ境地に達し、もはや脱水のレベルとなる。
青年の言葉に反応するようにネルアは思考を始めた。その間、青年はぬるくなったはレモンミルクティーを飲みながら答えを待っている。
「き、奇形に名前など必要ないっ!!」
「酷ェなー。俺の大切な固有名詞だというのに」
ネルアの口は竦んでしまう。 本心では今すぐにでもこの生物を捕え、署に戻り、報告書を作成して仕事を完遂したいのである。が、それができる算段はどうにも思いつかない。
青年に対する鬱憤と困惑でネルアの本心である差別告白は進みをやめない。思考を整理する順序すらも追いつかず、ネルアは自身の想いのみを述べていく。
「出身は?」
「そんな情報はどうでもいい」
「年齢は?」
「容姿から判別できる問いなど必要ない」
「性別は?」
「…………………………性別は男だろ?」
変な質問に思わず気抜けした顔をネルアは浮かべた。その表情を見て青年は口元を緩ませる。
「さぁ?」
青年の放った言葉にネルアは真剣な眼差しで必死に悩み始めた。
(女性……? そんなわけがない。声色も肉付きの構造も男性のそれだろう。奇形の性別は判断しにくいがコイツは……いや、奇形にはこちらが知りえない他なる性別でも存在しているのか?)
その様を見て青年は隠さず、どうにも濁った笑いを浮かべてしまう。
「流石は警官。真面目だ」
「な、何がしたいっ! 貴様のプロフィールなど捕らえてしまえばどうでもいいのだ!」
「そうかァ。ならば『情報が上がっている』という何の役割も得ない嘘はそこらに捨てましょう」
簡単な聴取、ネルアが悩み錯乱するだけの時間となった会話。対談が済んだ頃、ぬるい温度のレモンミルクティーはとっくに空になっていた。