3 ハッピーバースデー-④
「元は俺だけだったよ」
「……レヴィさんの人格はどんな感情で二つに別れてしまったんですか?」
「感情じゃない。時間だ」
「時間?」
ネルアの眉毛がピクリと動く。
新たな情報に脳はさらに加速して働いた。
「今が俺で過去が僕でなァ」
「どういうことです?」
「記憶が過去に延長した。そう考えろ」
レヴィは確かに誕生から『レヴィ』として生きていた。
しかし、二十六の時だ。
レヴィは意識の中に既視感のある記憶が脳に流れ始めた。『レヴィ』としては体験してないが『自分自身』としては見覚えのある記憶である。
それはレヴィの出生より前の記憶だった。
最初に死の追憶が思い出された。
やがて記憶はどんどん過去へと延長された。
「記憶が前へ延長…………待ってください、なんでレヴィさんはその過去の記憶を受け入れなかったんですか?」
(そもそも過去の記憶を自分として飲み込んでいれば人格は過去と現在で分かれていないはずだ)
ネルアは記憶を飲み込み、同化させれば病とならずに解決したのではと考える。
「ああ。拒んださ」
レヴィは過去、前の自分の記憶を確かに拒んだ。
過去は認識しなければ存在しないものと考えて意識は過去の記憶に背を向けたのだ。
初めはその記憶が単なる悪い夢かと思ったからだ。
しかし夢ではなかった。
過去の記憶は失われることも忘れられることもなく脳で佇んだ。
行き場を失ったが姿を現してしまった過去の記憶。何処にも行けないそれはやがて人格となる。
そして僕が現れた。
当然、僕が確立してからは肉体所有権の争いが起きた。
はじめにジディからの乗っ取りが起こった時、レヴィは自分が俺という意識は全くなかった。完全なる僕として意思は動いていた。
しかし、途中でハッと目が覚めるように自分は俺であることを思い出す。
その時、レヴィは自分自身を疑った。
これまで自分は僕であるという夢を見ていたのか、それとも本当の自分の姿は僕であり、今は俺という夢を見ているのか。
そんな胡蝶の夢な考えにレヴィの自己は統一性を失った。
それでもレヴィは自分がどんな姿になろうと今の自分は自分であると飲み込んだ。
自分という本質を大事にしたのだ。
とはいえその人格争いも十年前の話である。
今はレヴィによる許容により争いはない。しかし今も尚、統合はせず別れたままだ。
(……レヴィさん自身で結合双生人格障害と名乗ってるくらいだもんな。相当過去を受け付けなかったのだろう)
結合双生児は確かに元は双子のことだ。そして双子は似ているが別人である。
レヴィは過去を自分自身とはいえ他人のように思い切り拒絶したのだ。
ネルアが腕を組み、考える。
(今この瞬間に知らない記憶が脳に流れ込み、それは自分だと断定されてもオレは困るだろう)
自分は自分である。
前の記憶が自分だろうと実感が持てず反発してしまえばそれは他人のように感じるのも頷けた。
ネルアの中でストンと納得が落ちる音が鳴る。
「つまり結局、人格は過去と現在で僕さんとレヴィさんの二つに分かれてしまった。けれどどちらも自分自身のため二人とも主人格となる、ということで合ってます?」
「合ってるよ」
ネルアは自身の腰に手を添える。
そして満足げに『えっへん!』と鼻息を撒き散らした。
ネルアの気になっていた疑問が解消された。今日のネルアはぐっすり眠れるだろう。
けれどピースを並べるために最後の質問をする。
「二十六歳のとき何か変わったことでも合ったんですか?」
「何にも」
ネルアの眉が少しだけ八の字になる。
思っていた答えじゃなかったからだ。
若干だが口も下に窄んでしまった。
「そう垂れるな。異能の代償が降りかかっただけだ」
「異能の代償……?」
「そう。異能の使用には必ず何かしらの代償があるから」
異能の代償。それは使用限度を超えた時や発動する際の条件があったり。何かしらの代償となって使用者の体内に降りかかるものである。
ネルアは奇形患者のナイフのことを思い出した。
ナイフは刃を体から出しすぎると接着面から血液が流れることが日常だった。
さらにナイフのレントゲンを一度見せてもらったことがある。
そこにはいくつかの臓器が刃物に変形しており使い物にならない物もあった。
(ナイフさんのそれらは異能の代償だったのか……)
ネルアがレヴィを見上げた。
「レヴィさんはどんな代償で人格が二人に?」
空間転移という異能が使えるレヴィにも確実に代償は存在する。
レヴィは穏やかに微笑んだ。
「業病だよ」
ネルアは素直だった。だからレヴィの言葉をそのまま信じる。
それは己の中の直感が『正しい』と頷いたから。
「ああ、それと俺から一つ」
レヴィがある物を遠隔で転移させる。
ネルアがレヴィの手元に目線が行く。
気づくとレヴィの左手には紙袋の取っ手が握られていた。
長方形の何の変哲もない綺麗な黒色の紙袋。
レヴィがその紙袋をネルアの前に出す。
「誕生日おめでとう、ネルア」
今日は1月1日。ネルアの二十六歳の誕生日である。
ネルアの目は泳ぎ出した。
すぐに手は震え出し、汗も滲んでいる。
「えっ、と……あ、ありがとうございます」
いつもより自信のない手でプレゼントを受け取る。
ネルアには誕生日を祝われた過去がない。一度も。
親にすら誕生日といえば年齢を数えられるだけのただの一日だった。
しかし、誕生日という特別さを望まなかったことはない。祝われている他人が普通にいることは知っていた。羨ましい……と思う反面、望んではいけないと欲望の扉を閉めた。
だからネルアは祝われたことも祝ったことも一度もない。
(こ、これはどうする作法が正解なのだろうか……開けたい、けど……)
ネルアはうずうずしている。
貰えただけでも喜ばしいのに中身が楽しみで仕方がない。
ネルアは高揚感で紙袋の取手をギュッと両手で持つ。
「開けたいなら開けていいんだぞ」
その言葉でネルアの開けたい欲望がカンストした。
「あ、開けさせていただきます!!」
「どうぞ」
ネルアは紙袋からラッピングの施された重さのある箱を取り出す。
紙袋をそっと床に置いた。
ネルアは箱に十字に縛られているリボンを解く。次に巻かれている包装紙を破けないように綺麗に外した。
包装紙を畳み、リボンと共に紙袋の中に仕舞う。
ネルアの頬は熱くなっていた。
包装紙の中の箱は頑丈なケースだった。すぐにケースの留め具を外し開く。
ネルアはプレゼントと対面した。
「えっ!? これ……」
ネルアが勢いよくレヴィを向く。
レヴィは不敵に微笑んだ。
「必要だろ?」
それは見たことがない型式のものだった。