2 ハーオス病院-⑤ 《космос》場面
静かな廊下が続いている。
整備された塵一つないシンプルな廊下。足音は反響し、コツコツと鳴り響く。
ネルアの上司であったケシェニカは高層ビルの屋上階を歩いていた。
足は部屋の前でピタリと止まる。ケシェニカはノックもなしに扉を強く掴んだ。
壊れかけるほどの力を込めて思い切りスライドさせる。扉は勢いよく開かれ、レールの終点でガンッ! と音を鳴らせた。
部屋の中には男が一人。扉からの大きな音が鳴ろうとも机に手を組んだまま微動だにしない。
その男もケシェニカと同様に《космос》の一人だった。
男は特徴的なソフトハットを深く被っていた。加えて暖かそうな紫色と黒が入り交じったバイカラーコートを着用している。
服装だけで見ればかなり個性的。それらを着飾り、静かに席へと着いていた。
「相変わらず暑そうな格好で見てらんねぇ」
ケシェニカの格好は帽子の男と対称的である。ケシェニカは自身の羽毛と筋肉を服としていた。冬であるにも関わらず、それらでも暑いと感じ、普段は上裸で過ごしている。
男はケシェニカの言葉を分かりやすく無視をする。
男の無視という受け流しがケシェニカの短気のスイッチへと簡単に触れた。
ケシェニカは本能的なまま腕を振り上げる。
ドンッ、と机は大きく叩かれた。
次第に机にはミシリと音が鳴る。力の加わった中心部から確かな亀裂が入った。
ケシェニカは反動で自身のモサモサの羽毛をその場に撒き散らす。
「ソゾン、さっさと要件を吐け」
ソゾンは変わらずに顔をソフトハットで隠したまま静かである。
しかし、組んでいる手には力を入れ、見えない唇を噛みしめていた。
「わたしは怒っているのだよ。あの個体を勝手に放ったことに」
淡々と怒りのこもった言葉が紡がれる。
「あの個体? なんのことだ」
ケシェニカは見下しながら疑問を浮かべた。
ソゾンは腕を動かし、床に置かれた荷物の中から大型封筒を取り出す。
先程の衝撃により、傷のついた机。その上にバサリと投げ捨てるように封筒は置かれた。
ソゾンは顎で指し示すように『見ろ』と合図する。
「チッ」
ケシェニカは舌打ちをした。分かりやすく、大きな侮蔑を込めて。
嫌々そうに、強く握り、シワをつけつつも封筒の中身を確認する。
一つの動作を行う度にケシェニカの羽毛はその場に撒き散らされた。
「………………ネルア?」
書類の中にはネルアの顔写真が一枚。加えてありとあらゆる資料が同封されている。
「ソレを勝手に野放しにしたことに、わたしは怒っているのだよ」
ソゾンは冷静に激怒を語る。
「あぁ? 意味が分かんねぇ」
「ケシェニカよ。何故あの個体を手放した」
「いらねぇって判断したからだ。おれの判断でな。言っとくがあいつは独断行動ばかりで仲間の心配などせず、病院送りにもしているバカだぞ? だからクビにした」
ソゾンは帽子のツバを握り、顔をさらに隠す。その動作は呆れを表す行為と変わりなかった。
「それだけか? アレの心臓装置に触れたのではないのか」
ソゾンの声量はどんどん大きくなっている。表情を見せない代わりなのか声色で機嫌がわかりやすい人外であった。
「それだけだ。装置? なんだそりゃあ」
ケシェニカは本心を述べる。ソゾンからの何かの疑いを晴らそうと弁明を続けた。
「確かにネルアを提供したのはおれだ。言っとくが意味なんかねぇ。テメェから提供を余儀なく頼まれたから与えた捨て駒の一人だ」
ソゾンはアリゾレッド連邦のために何でもいい固体をケシェニカに頼んだ。それについてケシェニカは説明を続ける。
「使える人材がそこにあったからな。それ以外は知らねぇ。これ以上テメェに指摘される意味も権利もねぇ──────────」
ドォォオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーンッ! と、かなりの音が響き渡った。
ケシェニカとソゾンは瞬時に扉の方を向く。
扉はスライドされる。猛烈な速度で。
動かされた扉は二度目の大きな反動に耐えられなかった。
傷ついた扉は衝撃によりガタンッとレールから簡単に外れてしまう。
そして空中を落下していく。
一枚の扉が地に着く瞬間、そこからはかなりの音が響き渡った。
ソゾンは片手で帽子の上から頭を抱えた。そして多大なため息を吐く。
同時にケシェニカも頭を抱えた。そして多大なため息を吐く。
二人の口元には歯がしっかり見えるほど怒りと呆れが示されていた。
「ヤぁヤぁヤぁ!! 見つけました、エェ、見つけましたよお二人サーマ! ふふっっ、ワタクシの布教演説を楽しみにしていた顔ですねぇ……そうでしょう Everyone? ハーイ!」
一人の男の乱入。その人間はニタリと口の端を吊り上がらせた笑みを浮かべている。
「呼んでねぇ、帰れよ」
「ならばご一緒に帰りましょう! ケシェニカさァん? ワタクシと有意義なお喋りを致しましょうネぇ!」
「テメェと話すことなんざねぇよ!!」
ケシェニカは冷静にツッコミを入れた。それでも男はニヘニヘとマイペースに笑うことをやめない。
ケシェニカは二度目の大きな舌打ちを鳴らした。
「……あいつを呼び出したのかよ。ソゾン、テメェクソだな」
「わたしは彼を呼んでなどいない。パステルザーク、直ちに帰りたまえ」
パステルザークという五月蝿い人間。その人間は倒れた扉の上へと立った。勿論、カッカッと足音を鳴らせて。
彼はその薄い高さの段を自身のステージだと思い込んでいる。
右手を胸に置き、満面の笑みでソゾンを見た。
「我が主であり推し、フロール・フェリック様の会話の香りがしましてねぇ。あぁ、します。しますよォオオ!! しますよネ? えっスルヨネ!? このままどんどん濃くしましょう!」
ケシェニカが拳を握った。その拳はパステルザークが五月蝿く、本気で目障りなために掲げられたものである。
「さぁさぁ! まずはMr.ネルアとは何処ぞの誰だね。教えなされ、お二人さ──────」
ケシェニカがバステルザークの胸ぐらに左手をかけた。
短気な彼にとってパステルザークは一番嫌いなヒトである。
ケシェニカはぎゅっと右手を強く握った。その腕は助走をつけるように後ろ側へ引かれ、筋肉の線が分かるほどの力が込められている。
「ひでぇ打撲で奇形にでもしてやるよ」
殴るための右拳が向かう。パステルザークの顔面へと勢いよく向かった。
「はっはっはっはぁ!! 痛いのヤダ! ダイスキ! 嘘大嫌イィ!! た、たぁーすけって! 助けてっ、ハイ♪ 試作品No・07ぢゃぁん!」
パステルザークが早口で唱える。およそ三秒ほどで発せられた言葉はとても大声であった。
そのかん高い耳障りな言葉がケシェニカの更なる苛立ちを引き起こさせる。
しかし、パステルザークの唱えた言葉から微かな違和感を感じ取った。
違和感は的中する。
微かな歪な足音。一つではない、大量の足音である。
ドドドドドッと迫る音が扉の方から聞こえ出し、その足音は段々とこちらに向かってきていた。
「やめたまえぇっ!!」
ソゾンの否定が大きく、フロア中を反響する。吐く息の量によって一時的に帽子が上がる程の大声だった。
ケシェニカとパステルザークは初めてソゾンの口を見た。
普段顔を隠し、帽子と布の影で表情さえ見えないソゾンが表情を見せた。
ケシェニカは驚いた後、渋々手を止める。加えて、パステルザークが唱えて発生した足音もピタリと止まった。
ソゾンは蔓延させるほどのため息をこれでもかと吐き散らす。
「話の続きだが……ケシェニカ、あの個体をどこへやった。アレは成功体だぞ」
「知らねぇよ。なんだその成功体ってのは」
「アレ=ネルアさぁん? 誰それー」
パステルザークが口を大きく開いて発言する。彼は高速的な瞬きをしつつ疑問を述べていた。
動きまで五月蝿い彼をケシェニカとソゾンはアホと決めつけた。
珍しいことに、二人はパステルザークのことになれば気が合っている。
しかし、人外の二人はそのことにも苛立ちを覚えつつ、マイペースすぎる彼を無視して話を続ける。
「アレは国家機密機器の成功体だ。アレが手元になければ我々が存在する理由もない」
「はぁ? 意味わかんねぇ。そんな大それた話聞いたこたぁないね。パスだ、おれぁ帰る」
ケシェニカはソゾンに背を向けて足を扉へと向けた。
「待て。だからこれらのことは貴様の責任でもあり、わたしの責任でもある」
「なに?」
ケシェニカは足を止め、仕方なくソゾンを振り返る。
「アレには我々が所持する武器同様の装置が組み込まれている。詳細に言えば彼だけではない。アリゾレッド各地の人々に組み込まれている」
「んなもん、初めから言っとけっての」
「こちらとしても色々ある。いいから聞け。この計画は元々、私とフロールとの間で進めていた─────」
「ふっ、フロール様ぁァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァアアアアっ!」
ケシェニカとソゾンの聴覚にキーンと煩わしい声が響く。二人は分かりやすく聴覚を抑えた。
「……るせぇな。このアホのようにおれは知らねぇが……フロールつー奴はあれだろ、第三次のときの部下の信用も得られず落ちぶれたろくでなし。そいつがなんだ、オカルトかよ、ソゾンまでイマジナリーでも見てんのか」
「彼はろくでなしではないっ!!」
バンッと机が叩かれる。
ソゾンが瞬く間に大きな口を見せつつ、机を殴った。
その行為にパステルザークはパァーっと元気を顔から放つ。次第に彼は腕を組み、直ちに深い相槌を何度も行った。『うんうん、そうだ、そうですぞ、フロール様ぁ、オホホ』と言わんばかりにの相槌を打っていた。
ゴホン、とソゾンが咳払いをする。
「パステルザークのように崇拝対象ではないが……彼はよくやっている。今も尚な。アレはフロールの最高傑作なのだから」
「待て待て待て。そいつが当然のようにいる前提で話すな。死人だろ? 現実見ろって」
「ふ、フフフフッ、フロォォオオル様ぁぁあ! 彼はワタクシの中で未来永劫生き続けており──────────アうッ!」
ケシェニカは手刀をキメた。パステルザークの首の後ろに。
あくまで軽い威力の手刀である。が、貧弱なパステルザークにとっては多大なダメージであることに変わりはなかった。
パステルザークは笑顔のまま倒れ、扉の上で伸びた。