2 ハーオス病院-③
目の前には暗闇が広がっている。
ネルアは位置確認をしようと手を伸ばすが何も掴めない。
カチリと音が鳴る。眩しさはすぐに出現した。
彼が室内の電気を点けたのである。
相変わらず病院とは思えない黒い天井、壁、床が広がっている。
しかし、目の前には白と透明の機械があった。
硬い寝具のような機器が置かれている。横になるための敷布団は柔らかいマットレスとは程遠い透明な板。ネルアはなんとも背中を痛めそうな寝具だと思った。
目を凝らせば、その透明な寝具の下には更なる機械がある。
正方形の機械。上部にはX線を飛ばすための黒いパネルが備え付けられていた。
頭上には太い管に繋がれた四角いカメラのような機械が一つ。内部を検出し、可視化するための撮影機のよう。
ネルアはそれらを見て、放射線を照射して撮影するレントゲン装置だと理解した。
検査装置が急に目の前に現れたことに驚きつつ、辺りをキョロキョロと見渡す。
そして気づく。現れたのではない。
空間そのものを移動したのである。
(本当に一瞬だ……)
先ほどまであった複数のモニターも、彼が座っていた座り心地の良さそうな椅子も、机上のアルコール缶も自明ながらない。
「お、転移酔いしないとは。さては車も船も酔わんだろ」
「はい。乗り物での移動時には論文とか読みます」
ネルアは三半規管が強く、バランス感覚を取ることなど容易いと意見する。
「なら、昨夜は相当滅入っていたか?」
「どういうことです?」
「酔いってのはめまいと同じ症状なんだが……昨夜の混乱状態を見るにめまいが引き起こされていただろう? ってことは随分と自律神経をやられたなァと」
「……確かに」
ネルアは記憶が曖昧になるほどのストレスが襲いかかっていたことを遅れて知覚した。
「じゃあそこに仰向けになれ」
指示されるまま身体を硬い機械の上に腰掛ける。スリッパを脱ぎ、すぐさま横になった。
レヴィは隣の部屋へと向かう。隣室からはガラス張りの窓があり、こちらの状況を確認できる部屋だった。
検査は数秒で完了した。
痛みもなく、ただ天井を見つめているだけで撮影は完璧に行われる。
「お疲れ様」
レヴィは隣室と繋がる扉を開き、撮影室へ戻ってきた。
彼は歩きつつ、左耳に付いている銀色のイヤーワープに手を添えている。エルフ型のそれは小型の携帯機器のようで、慣れた手つきで操作していた。
すると彼の目の前に透過ディスプレイが現れる。
レヴィは手を翳すように右へとスライドさせた。浮遊するディスプレイは動き、起き上がるネルアへと最短距離で移動する。
ディスプレイはネルアの前でピタリと止まった。
その角度と距離はネルアが見やすいと予測される位置での停止だった。
画面には画像化が完了しているレントゲン写真が一枚。
写っているのは身体の上半身。肉眼では見えない臓器、骨、器官、それらの形が透けて確認ができた。
綺麗な左右対称で描かれたかの肋骨。その中にあるのは心臓。
しかし、心臓付近には一際目立つ何かが写っていた。
レヴィはネルアの隣に腰掛ける。写真を指差し、説明を始めた。
「この装置が力を引き出す元凶だ」
脈打つ心臓を天球儀のような装置が囲っている。その中には三発分の銃弾がセットされているようにも見えた。
明らかに自然に生きてる中で備わらない物体。そのよく分かりえない物が確かにネルアの内臓へ組み込まれていた。
「……マジですか」
ネルアはゴクリと唾と仮想のような現実を飲み込む。
しかし、証拠を見せられたとて、彼への疑いはまだ脳内に残っていた。
「愚論を述べます。この装置、あなたが取り付けたんじゃないでしょうね?」
ネルアは困り眉で質問する。
ここ数日、現実的ではない夢のような現実を体験をしてきた。
警戒を捨てきれない心とここまでしておいて信じきれない申し訳なさがネルアの顔には表れていた。
「そりゃあ愚問だ。俺が取り付けたとしたら何故目的の話を持ちかける?」
レヴィはあっさりと明答した。その声は上から押し付けるような暴言でもなく、心を惹き付ける優しい甘言でもない。
淡々と落ち着いて意見を述べているだけの言葉。
しかし、ネルアにとって彼の話し方には無駄な感情が関与せず、聞いていて疲れないという印象を持った。
「そしてもし、俺が装置の制作者だった場合、どうして一昨日の最悪初対面がある」
彼の言葉のもと、出会いから今日までの流れを思い返す。
(言われてみればそうだ。製作者だろうとなかろうと、もっと実験対象として見るはず。こんな一から説明し、同意を得るかのようにコミュニケーションを取っているのは何故?)
ネルアは否が応でも現実を受け入れ始める。
「まぁ、俺への印象はどうでもいい。お前の好きにしろ」
彼は理性的にネルアへ言葉を投げかける。ネルアは何故だかその言葉に安堵した。
「レヴィさん、それで装置の仕組みは?」
「装置を異能力として出力できる。加えて動かすエネルギーを担っているのが心臓だ」
心臓と装置は一体化しており、どちらにも血液が巡っているという説明を受けた。
ネルアは自身の胸に手を当ててみる。
ドクンドクンと鼓動を感じられた。やや早い心音が触覚を伝い、無限に続いていることが確認できる。
しかし、異物が付着していることを外界からの触覚では感じ取れない。
「……正直、実感が湧きません。幼少から超能力的なのには何度も憧れて手を構えたり、凄まじく息を吐いたりしても何のパワーもなければファイヤーとかも出ません」
ネルアは至って真面目に幼少期を暴露した。小さな疑念を晴らすために真実を探ろうと必死になっている。
「そんな古典的なやつじゃねェよ。もっと高い次元の話」
「オレにどんな力があるんです。原理は何ですか? 教えてください」
ネルアは分かりやすく期待の眼差しをずっと彼へと向けている。
レヴィはその眼球にいくつものハイライトが宿っている幻覚を見た。キラキラと輝くネルアの瞳は少女漫画の主人公のごとく、早く早くと期待を寄せている。
「望みの現実化。どんな願望だろうと支配権はお前の力が有している。そういったものだ」
レヴィは端的に『なんでも願いが叶う力』と答えた。
「潜在意識だろうと顕在意識だろうと脳心有機体であるお前の力が正しく発動すれば、発動者の認識に基づき、欲望が具現化する。因果の再解釈が可能というわけだ」
「……じゃあオレが国家権力者になりたいって言えば世界はそうなると?」
ネルアは夢物語のような力を自分の心臓が有していることに確認を求める。同時にそれはネルアの『偉大になりたい』という漠然とした願望でもあった。
「ああ、なれるぞ。成功すればな。とはいえ、現状は発動条件が分かっていない」
ネルアはしゅんと残念そうに眉毛を垂らす。
(そりゃあ世界の因果律を書き換えるようなものを簡単に扱えるはずがないか……)
ネルアは再び顎に手を添えて考え始めた。
「レヴィさん、何処でこれらの情報を得たんです?」
「んー? 装置の実験材料からだよ。核となっている原料が本来の場所になかったもので」
レヴィはネルアの目を見て話を続けた。
その核は異能の動力源となるもので、製作者はそれを科学と融合させることによって発動を目論んだと説明する。
「知り合いの協力のもと、ディアウト共和国からアリゾレッド連邦への通信内容を聞いたんだ。そこから装置を人体へ装着するための研究物資を密輸をしていることが分かってなァ」
レヴィはこの国で密かに行われている実験内容を被害者であるネルアに軽々打ち明けた。
支配権発動のためには動力体となる心臓がいること。成功個体を『脳心有機体』と呼び、アリゾレッド各地で様々な人を同意なしに受検者としていたことなど。
ネルアは途端に母国を疑い出した。
「しかし、話の内容からするに製作者本人も発動条件が分かっていないんですよね? 何故です?」
「知らねェ」
「はい?」
「そこら辺は深く考えんでいいだろ。さしずめ欠陥に気づき『どうして』やら『理論上は可能なはずだ』と喚いているだけだ」
つまるところ、この装置の科学者はマッドだとネルアは認識した。
再度、心臓あたりに手を添える。
少しだけ取り出してみようと服を引っ張る動作を見せた。
「外したいか?」
「当たり前です。特別な力を持っているとはいえ、得体の知れない物を内臓に取り付けられてるなんて……気味が悪いです」
「そうか。ただ外すだけなら可能だが──────────」
「えっ、可能なんですか!? じゃあ」
ネルアはレヴィの話を遮り、期待を目に宿した。
「聞け。その場合お前は生きてるか分からん」
期待の目はすぐに濁る。この数分の間にネルアはジェットコースターのような情緒を見せていた。
「……死ぬかもしれないってのはどういうことです?」
「そりゃあ心臓に埋め込まれてるんだ。見たところ機械は這うように培養されている。つまりは装置も含めて一つの心臓となっているというわけ」
レヴィはディスプレイに手を翳し、ズームするように指を動かした。その際、ネルアはレヴィの右腕に目がいった。
(……包帯?)
シャツの袖からチラリと包帯が見えた。巻いている理由は分からない。
しかし今は装置に関することへ執着し、その包帯を無視した。
拡大された画像を見る。心臓と機械の接着部分が見えている。
ネルアは再度レヴィの目を見て話を聞く。
「仮に空間転移で綺麗に外したとしてもそれはもう心臓を真っ二つに切るようなもの。想像してみろ。機械と繋がれる部分をブツリと外し、数秒もしないうちに千切れた毛細血管が悲鳴をあげてありとあらゆる身体の細胞が崩れていく様を」
ネルアの奥底から冷や汗が発生し、鳥肌も立ち始めた。
言葉を真正面に受け取ったネルアはゴクリと大量の唾を飲み込んでしまう。
「どうだ? やろうか? 安心しろ、解剖には自信がある。お前は霊安室行き切符を持って深い眠りにでもついていれば安楽───」
「やっ、やめます!! 正しい外し方を模索しましょう!! そうです、きっとそれがいいです!!」
ネルアは言葉を遮断するように耳を塞ぐ。勢いに任せたままの提案を大声で下した。
その後、深呼吸をして汗を拭い、ネルアは状況整理を行う。
「コホンっ! 確認です。あなたの目的はこの心臓に取り付けられている装置の発動条件の解明。それから実践ということですよね?」
「おう」
「発動条件が分かれば、解除方法も分かると思うんです」
「そうだな」
ネルアは手を腰に当てフンッと鼻息を吐く。
実質上の利害の一致をしたところで大きく息をついた。
「とはいえ、俺の目的はお前次第だ。お前が死ぬなら話は別。もう一度聞くがお前はどうしたい? コンティニューするか、それともリタイアか」
ネルアの曖昧な記憶の部分がぼんやりと思い出されていく。首を吊り、浮遊感と動揺の中で自分がどうしたいかの欲を聞かれたことを。その際に死ぬか生きるかの選択を。
断片的な記憶が映像として繋がっていく中、ネルアの答えは決まっていた。
「死にたくありません」
「何故?」
「オレはまだオレの人生を生きていないからです」
ネルアは迷いなく答えた。
「オレは誰かに繋がれた過去しかありません。だからオレ自身で歩みたいんです。さらには自我を確立させたいです」
ネルアは恥じることなくはっきりと話した。
「ほう。ならサポートはしよう」
「サポート? 具体的にはどんな?」
「何でもいいぞ。金銭面に精神面、肉体面でも何でも」
ネルアは沈黙する。これまで味方という味方が自分にいたことがないのため答え方が分からなかった。
真っ先に浮かんだのは『金』だった。
今のネルアにとって未来への金銭面は絶望的。しかし、感情、本能に従って動くとすれば、金とは違う別の答えが一つ浮かぶ。
ネルアは口を開いた。
「じゃあ、─────────────」
十字の眼を真剣に見つめて答えた言葉。
想いを宿らせたネルアの黒い目を逸らすことなく、レヴィは難なく返答する。
「了解。⬛︎は嫌か?」
「行動する上でその心配が及ぶと合理性に欠けるので」
レヴィはネルアの回答に苦笑した。
会話がひと段落をしたところで彼は右手を軽く伸ばす。
レヴィの手にはストローのついたアルコール缶が握られていた。
同時に空間は暗くなっており、複数のモニターが現れる。
(……やっぱり慣れない)
空間は元いたモニター室へと転移していた。彼は座り心地の良さそうな椅子に座り、酒を吸い上げ、ゴクリと摂取する。
ネルアは彼の左側に置かれた椅子にテレポートさせられいた。
「レヴィさん、あとひとつ聞いてもよろしいですか?」
「何だ」
ネルアは困り顔をしたまま少し視線を落とす。
「せ、性別はどっちですか?」
質問は渋々告げられた。ネルアにとっては珍しい自信のない声である。
ネルアは一昨日の会話で確証が持てなかった自分を恥じていた。
巫山戯た逆の事情聴取であやふやにされた問いが気になってしょうがなかったのである。ネルアは気になる衝動を抑えられないがために仕方なく発言した。
「男。レヴィは男性。ほらメモれ」
レヴィはただただ答えた。ネルアの態度を笑ったり軽んじたりしないのは他者に興味がないためである。
ネルアは瞬時にデスクに置いてあった紙とペンを取る。彼の発言を高速でメモした。
メモが完了するとネルアは自身の真面目さに対してドヤ顔を見せた。その様子を見て分かりやすい人物像だなァとレヴィは思った。