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72.溢れ出る記憶

 聖域と呼ばれるにふさわしい情景だった。

 木漏れ日は暖かく周りを照らし、吹き抜ける風は柔らかく頬を撫でた。

 周囲を生い茂る木々は、エルフェイたちの住んでいた聖域とは異なり、若々しさを保ち、艶やかな緑色を呈していた。


 そしてその森の中心に、それはあった。しかしそれは、『聖域』という場所には、些か不釣り合いだった。

 巨大な切り株である。だが、それは表面が焼け爛れ、煤だらけであった。

 まるでそこだけ大火に焼かれたようだ。


「これ……は……?」

「覚えてない、のですね」

「……」


 カルマンダが、ウェルテの手を引きながら問いかける。しかし彼女から返答はなかった。

 口の猿轡(さるぐつわ)は外されていた。そのため言葉を話すことはできるのだが、彼女はその質問には答えられなかった。

 その切り株に近づくたび、少しずつ、彼女の頭の中に記憶が蘇ってきていたが、正確にはそれは、彼女(ウェルテ)の記憶ではなかった。


「まあ、いいわ」

 そういうとカルマンダは、彼女の手につながれた蔦を引いた。ウェルテの手には、真っ黒な手枷がつけられていた。


「うっ!」

 強く引っ張られ前のめりになるも、なんとかバランスを取って転倒は免れた。

 今のウェルテには、カルマンダに対抗する術がなかった。黒塗りの手枷は、魔力(マナ)を吸収し霧散する力を持っていたのだ。

 金属より軽く、しかし、木材より明らかに頑丈なその物質は、身につけた人物の魔力を拡散させてしまう。

 何度か呪文を発せようとしたが、そのたび、手枷が熱くなり呪文は立ち消えた。いくら呪文を正確に紡ぎ発声しても、効果を発揮できなかった。


 この手枷が付いている限り、完全に魔法を封じられているような状態だ。


「さ、こちらに、『世界樹』様」


 カルマンダは仰々しく、しかし、半分は揶揄したような振る舞いで、ウェルテを巨大な切り株に促した。されるがまま、ウェルテはその焼けた切り株に近づき、そして、その木に触れた。


「あ……っ!」

 刹那、脳内にあふれる記憶。

 ウェルテの脳内に、失われていた記憶が更に溢れ出た。

 それらの記憶は確かに『ウェルテ』のもの。

 けど、それは明らかに『ウェルテ(わたし)』のでは無い。


(わたしが、わたしじゃ……なくなるみたい……っ!)


 その記憶は、ウェルテの脳の許容範囲をこえるのに、十分な情報量だった。

 彼女はうめき声をあげながら膝をついた。頭が割れるような激しい頭痛が彼女を襲う。


「う……うああああああああっっ!!!」

「なるほど。私はマナの流れは読めませんが……あなたに『世界樹』本来の記憶が戻ってきたということ、でしょうか」


 ウェルテの状態を、他人事として観察するカルマンダ。

 彼女は苦しむウェルテに寄り添うようなことはせず、ただ淡々と現状を観察していただけだった。


「う……あ……い……!」

 そしてウェルテの頭には情報が溢れる。しかし当のウェルテは経験した覚えはない、世界樹の種、としての記憶──。



 …………


 ……



 燃える森。

 炎は高く立ち上がり、かつては新緑が萌える豊かな大地を、赤く染めていた。

 そんな灼熱地獄の中に、その樹木は立っていた。

 かつて、世界樹と呼ばれていた樹だ。

 周囲の草木が燃え、発する熱によって、世界樹も例外なく表皮が焼け焦げ、葉はすべて燃えていた。


 いわゆる、立ち枯れに近い状態だった。


『……』


 そして、その樹を目の前に立つ、一人の人間。

 ……いや、その時代には彼は、こう呼ばれていた。


『魔王』


 彼の手には、黒い刀身の武器が握られていた。

 黒光りする刃は見た目にも鋭利さが醸し出されてていた。


 魔王はその刀身を、世界樹に向けて横に振り抜いた。『ヒュっ』と、刃は風を切る音とともに大木に向かう。


 そして、私は斬られた。


 焼けた葉が散り、枝が砕け折れ、轟音とともに、世界樹は倒木した。ついぞ見ていた切り株と同じモノが、そこに出来上がっていた。


『……』


 世界樹(わたし)の意識は少しずつ、少しずつ薄れていく。


 魔王によって一度は、断たれた命。

 しかし、それは潰えていなかった。


 枯れた枝葉に炎が移り、あっという間に体中を巡った。

 炎は幾日も燃え続け、辺りの大地は灰にまみれ、煤で汚れた。

 しかし、すべてを焼き尽くさんとした業火の中、一つだけ残ったものがあった。

 世界樹が最後に残った力(マナ)を込め、自らの分身と言える一粒の希望を残していた。


 それが、世界樹の種(ウェルテ)だ。


 切り株の上に鎮座した、ゴルフボール大の大きさの種は、煤だらけになりながらも、表皮が焼けた程度で中身は無傷だ。

 焼けた切り株は、今しがたウェルテが聖域(シェルター)で見たものと寸分違わなかった。しかし周囲の木々は完全に焼け落ち、灰色の煙が燻っていた。

 今現在の聖域(シェルター)の風貌とは、似ても似つかない。


『……開花宣言、咲き誇れ』


 刹那、大地が鳴いた。ギシギシ、メリメリ、ミシミシと、聞き慣れない音が焼け野原に響いた。

 それは、地中深くにまだ残っていた、植物たちの根や種。焼けることを避け、生き残っていた自然たちだ。彼らは、今一度息を吹き返そうとした。

 まだ休眠状態だった植物たちが、突然伸び始めた。本来の植物の生育速度とは乖離した早さで、それらは大地を割り、養分を蓄え、緑々しい自然を体現させた。


 焼けた森の姿などはすでに過去のものとなった。荒々しい自然が、一瞬にして復活した。その見た目は、今の聖域(シェルター)と寸分違わない姿と変貌した。


『……』


 しかし、変わらなかったものが一つある。

 世界樹の種(わたし)だ。

 種(わたし)は芽吹くことなく、切り株の上に佇んでいた……いや、芽吹くことができなかった。


 そうだった。

 森を復活させるために、周りに力を分け与えていたんだった。


 それからすぐ、私は深い眠りについたんだ。

 流石に、体が焼け落ち、真っ二つに伐採されたあとに、さらに、大森林を再生させたのだもの。

 世界樹といえどもマナ枯渇を起こしてしまう。


 だから、自分の再生ができるまでゆっくり休もう。周りの木々が私を守ってくれる。回復するのに……そうね、100年か、200年か。それくらいはゆっくり体を休めないとね……。


 けど、それは叶わなかった。

 なぜなら、「奴ら」が、まだ生き残っていたから……。



 そう。

 いま目の前にいる、大自然(わたしたち)の天敵……。




 ……



 …………




「力を……分けていた……んじゃないっ! 吸われて……っ!」

「……」


 倒された世界樹のかわりに発芽せんと、長い年月をかけて、種はその体内に大量の魔力(マナ)を蓄えていた。しかしその魔力は、発芽に使われることはなかった。

 切り倒された元世界樹の切り株の上に祀られ、ここに訪れる多くのエルフェイたちに……。


「あなた……たち……に……奪われて……いた……っ!」

「はい。そのとおりです。私たちエルフェイが生き延びるため、世界樹の種から力を吸っていました。──種(あなた)が逃げ出したおかげで、聖域(シェルター)は萎れ、多くの同胞が枯れ果てましたが」


 ウェルテは、今一度思い出した──エルフェイは、傲慢で、我儘で、強欲で、そして自己中心的で、他を見下し、自らを高貴な種族であると謳う生き物だということを。


「余計なことまで思い出したのかしら? といっても、それは『あなた』の記憶ではないでしょ?」

「……ぐっ……」


 そう。これは彼女(ウェルテ)の記憶ではない。自分とは異なる人格。おそらく、ウェルテの人格を作り出した、世界樹のものだ。


「さあ、さっさと発芽して消えなさい。まったく、ムダに人格なんて持つから、そんな苦しくなるのよ」

「……な……に……」


 苦痛にゆがむウェルテの顔を覗き込みながら、カルマンダは肩をすくめて語った。


「だってあなたは植物でしょ? シトリス様はいつも仰(おっしゃ)ってますわよ? 『植物は語るも語れない、知性も感情も欠如したもの。そんなものに意思などあり得ない』と」

「そん……なっ!」


 カルマンダ曰く、植物自体には意思がないのだという。しかしそれは間違いであることは、ウェルテに流れ込んだ記憶から明らかである。エルフェイによる愚行に対して、怒りや憎しみ、悲しみといった感情──。


(この溢れる気持ちは……世界樹がエルフェイに向けて思い描いているもの……! こんな辛いことが、嘘偽(うそいつわり)なわけがない!)


 ウェルテ自体が感じたことのない、身に覚えのない感情。

 多くが、エルフェイへの恨み、辛み、悲しみ、怒り。

 勝手に力を奪われ、使われるだけ使われ、体(てい)よく搾り取られるだけの存在。


 祀られている、なんて形だけ。

 世界樹の種は、酷く粗末に扱われていた。


「う……ああ……」


 ウェルテは、歯を食いしばりながらカルマンダを見た。あふれる第三者の記憶に脳が押しつぶされそうになる。そしてその負の感情──溜まりに溜まった鬱憤が、エルフェイへの怒りの眼差しを向けさせた。


「なによ、まったく。種の時はそんな目はしなかったわよ──ま、目はなかったけど……ねっ!」

「きゃあっ!!」


 そのウェルテの目付きが気に入らなかったのだろう。カルマンダは、ウェルテの髪を無造作につかみ、片手で軽々と持ち上げた。

 そして、まるで穀物袋を放り投げるかのように、切り株の上に投げつけた。


「──ぐっ!!」

 ウェルテの身体は、幹に叩けつけられることとなった。

 肺からすべての空気が抜け、しかし、強く打ち付けられた身体で空気を吸うと激痛が伴った。


「くっ、かはっ!」

 痛い。

 苦しい。


(……けど……これは偽りなの? こんなに苦しんでいるのに、私の存在は何なの?)


 エルフェイたちは、ウェルテの人格を『作られたもの』といっていた。ウェルテも、世界樹の切り株に近づくにつれて、ウェルテでない第三者──世界樹の種の記憶が流れ込み、そのことを改めて自覚することになった。


(じゃあ……わたしは、なんなのっ!)


 何度も自問するも答えは出てこない。ウェルテの目に涙があふれる。これは肉体的苦痛が発端ではない。真実に近づくにつれて自分自身の存在が希薄になっていく恐怖と、事実であることの虚無からであった。


 こんなにも体が痛いのに。

 こんなにも悔しい思いをしているのに。

 これがすべて、嘘偽りだという事実が、ただただ辛かった。


「世界樹のあとをついていけば、アル=パタルーに出会える。シトリス様は確信していました。ただ、どういうことか一度見失い、結果、半年は見つけられませんでしたが……ねっ!」


 カルマンダが、ウェルテの脇腹に蹴りを入れた。ウェルテが思い通りに動いてくれなかったことに対する八つ当たりだろうか。それとも、半年という時間を無駄にしてしまったことへの腹いせか。


「が! ごふっ! うげっ!」


 ウェルテの口から逆流する胃液は、饐えた臭いと鉄の味がした。


「はあ……はあ……」

「ちっ……さっさと、元に在った場所に戻りなさいよ! 聖樹『ウェルズトーレ』! また痛い目にあいたい!? あんたは素直に、私たち(エルフェイ)に力を与えていれば、こんなに苦しい思いはしなかったのにねっ!」


 再度、カルマンダが手を上げた。今度は、鞘に収まった長剣を振りかぶり、ウェルテにたたきつけた。

 ごんっ! と、脳天に強い衝撃を受け、ウェルテの意識が一瞬飛んだ。


「ああもう! 面倒くさい。あんたを失神させて、そのまま切り株に乗せたほうが手っ取り早いわ」

「……あ……」


 頭に強い衝撃を受けたウェルテは、脳震盪を起こしていた。思うように体が動かない。

 カルマンダはウェルテの首根っこをつかみ、引きずり、世界樹の切り株に乗せようとした。


「……だ、だめ……」

「あ? なによ、まだ口が利けるの? しぶといわね。まるで雑草みたい」

「……ここに……戻っては行けない……ここに収まれば、わたし(ウェルテ)が、消えて……しまう……」

「不要よ。すべての植物は、私たちエルフェイの養分になるの。あなたは、私たちのために成長してマナを蓄えてちょうだい」


 エルフェイは、自己中心的で身勝手な生き物。植物などどうなろうと関係ない。自分たちが生きていればよいのだ。

 そんな利己的な生き物の考えに、ウェルテは怒りすら覚えていた。しかし、体が動かない。このまま、カルマンダのいう『世界樹』となってしまい、人格が消失するのを指をくわえて待っているしかないのだろうか。


(悔しい……)


 三度(みたび)、ウェルテの目に涙があふれた。自分が無力なこともそうだし、エルフェイに好き勝手に扱われてしまうことへの悔しさもあり。そして何より。


(もう一度……ランジェ様に……)


 もう一度、彼に会いたかった。

 奴隷としての記憶しかないところから、差し伸べられた手。

 コスプレ遊びや、雇われメイドとしての仕事、呪文の勉強、品種改良植物の手入れなど……。

 ランジェと過ごした日々は、とても楽しかった。


(せめて、最後にランジェ様に御礼を……)


 カルマンダに拿捕され、それは叶わない。

 手枷は、魔法を吸収する素材。いくら呪文を唱えても、雲散霧消してしまう。ましてや今は意識が薄れたこの状況。


(わたし……は……)


 そうして、ウェルテの意識は落ちていった。

 失意の念に駆られながら、ゆっくりゆっくりと、深く、深く……。


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