70.世界樹の種
「……どういうこと、だ?」
「そのままの意味ですわ。その女は、自我を持ち、我々の聖域から逃げ出した、世界樹の種です」
再度お茶を飲みながら、シトリスが答えた。
「意味が、分からない」
「わたしもです、ランジェ様」
俺とウェルテは、全く同じ答えだった。
「さらに説明が必要でしょうね」
シトリスがカップを置き、俺たちを見据えた。
「魔王の手から逃れ、我々と共に残された世界樹の種。それは長い間、周囲の自然の力をゆっくりと蓄え続け、それはそれは、美しいマナの輝きを放っておりました……そしてマナを凝縮された世界樹の種は、いまにも発芽しようとしてました。しかし、そのキッカケが無かったのです」
「キッカケというのが、アル=パタルーか」
「ええ。なぜか、世界樹の種は発芽しなかったのです。いくら我々が手を施そうとも、芽を出す気配すらありませんでした。そんな折、我々は花を咲かす力──『開花宣言』の力を、草の便りに耳にしました」
ここでいう草の便りってのはおそらく、シトリスが草木の言葉を理解し、耳にする力のことだろう。
シトリスが話を進める。
「『アル=パタルー』。アルは夜明け、パタルーは救済者を意味します……世界樹を咲かせ、我々を導く救世主。我々はその力を欲しました。すぐにでも、手に入れるよう仕掛けるつもりでした。ですが……」
「ですが?」
「種が、消えたのです。忽然と。驚いたことに種は、自らのマナを用いて、エルフェイの身体を生成し、その体に自らを植え付け、意思を作り、記憶を捏造し、足を動かし、聖域の外に出ていったのです……我々の預かり知らぬところで」
「体を生成……記憶を捏造って……そんなこと!」
「できたのですよ。世界樹には、それができてしまう。周囲の草木が一部始終を見ていました。それほど、種は力を蓄えていたのです」
そして、真相(まだ不明だが)を聞かされて動揺するウェルテ。声が裏返るほどの驚き方だった。
「えっ、えっ! わたし! 何もしらない!! 意味がわかりません! 種って! どういうことですかっ!!」
「あなたは、種によって作られた人格なの。だから、記憶など元から無かったの。エルフェイの姿なのは、種がここ300年近く、エルフェイとしか接していなかったからでしょうね」
「そ……んな……」
「それに薄々、気づいているはずよ。アル=パタルーに近づくたびに、彼と親身になろうと体を求めたりしたでしょう。それは種の発芽に必要な、彼の力を直接体内に溜め込もうとする本能によるものよ」
「ち、ちがう! ちがいますっ! それは、ランジェ様を本当にお慕いして……好きだからで……っ!」
「それも『作られた想い』としたら……?」
「……!」
「あなた、この聖域入ってから、なにか感じているんでは? そうね。我々が、あなたを奉っていた祭壇とか、それを護っていた私達のこととか……」
「……あ……ああ……」
「! ウェルテ!」
椅子から倒れこみそうになったので、俺は咄嗟に彼女を抱きしめた。
彼女の顔は青ざめ、唇は真っ青になってガタガタと震えていた。
「ウェルテ! おいウェルテ!」
「わたし……わたし……ランジェ様わたし……覚え……てる」
俺の腕で彼女は震えていた。目は大きく見開くも焦点はブレて、歯をガタガタと鳴らしていた。
「覚えてる……って、聖域をか!?」
「わたしずっと、この森の奥の結界に、閉じ込められて……ずっと……ずっと……エルフェイに……シトリスに力を分け続けて……いた……!」
「おいウェルテ! しっかりしろ!」
「思い出してくれましたか」
いつの間にかシトリスが、俺達の目の前に移動していた。
彼女は、俺とウェルテの顔を覗き込み、法悦な表情を浮かべていた。
「てめぇっ!」
「真実を述べているまでです。信じる信じないは貴方がたの自由ですが──彼女の反応が、全てですわね」
シトリスからは、悪気など微塵も感じられなかった。
さも、当たり前のことを言ったまで。そして、全て自分の思い通りに事が進んでいることを、喜んでいたようだ。
「さあ、これで、アル=パタルーの願いは叶えられたのではないですか?」
「なん、だと……!」
「その女の、真実が知りたいという願いです。我々の協力あって、願いが叶えられたということで……次は我々の願いを叶えてもらう番ですわ」
「ふ、ふざけるんじゃねえ!」
「あら? 情報でも何でも、価値に見合った対価を返すのが、人間の流儀と伺っておりますが」
俺の怒りの抗議を、シトリスはきょとんとした表情で受け流した。
しかし彼女のいっていることは、不本意ながら一理ある。
「そう……だけど……そうじゃねぇだろ……」
ウェルテは作られた人格で、本体は、植物の種──。
シトリスの言動や、ウェルテの今の現状を鑑みれば、これらは真実なのだろう。残酷な、俺もウェルテも望んでいなかった真実。
でもこんな真実、ウェルテの心情を思うと、全く喜ばしいことではない。
「アル=パタルー、もちろんあなたには、彼女の発芽をお願いしますわよ。カルマンダたちが、祭壇の準備をしているところです」
そんな俺達の心情など気にもかけずに、シトリスは話を進めてきていた。
「わたし……わたし……!」
「ウェルテ……」
俺は、彼女を抱きしめた。もともと小柄な体型だったが、今はより小さく感じる。
そして、いまにも壊れそうなくらい、弱々しさを感じた。普段の溌剌な彼女とは、正反対だった。
「……なあ、シトリス、ひとついいか?」
「なんなりと、アル=パタルー」
「発芽したら……ウェルテは、どうなるんだ?」
「……? 種から芽が生え、成長し、樹になります。当たり前じゃないですか」
「ウェルテの、『記憶』や『意識』についてだよ」
人間の言葉を理解し、喋り、二本の足で地面に立ち、歩いて、走って、踊って、食べて、メイドの仕事を覚え、呪文の暗唱に四苦八苦しながらも、楽しく笑うウェルテは、紛うことなく人なのだ。
だが、ウェルテが種に……植物になってしまったのなら、中の人という存在がどうなってしまうのか……。
いくつか予想は立てられたが、シトリスからは一番最悪なパターンの回答が返って来た。
「そんなもの……失われるでしょうね。元は単なる『植物のタネ』なのです。作られた記憶や行動原理は消失し、ただ、何も考えない、元の植物に戻るだけ」
「……」
淡々とした口調のまま、シトリスは答えた。俺はその答えで、その後の行動を決定づけた。
大切な人の発芽なんぞ、させてたまるか。
「──開花宣言! 咲き誇れっ!!」




