32話 勝つための手段
ラビリスを迷宮の外に逃したあと。
俺はこちらに迫ってくる巨大スライムと1人で対峙した。
「それじゃあ、始めようか――魔王アルティメルト」
俺のそんな声に応えたのか。
巨大スライムの体の上から、うねうねと人間の上半身らしきものが生えてきた。
それは――ラビリスを思わせる少女の形をしていた。
『……ねぇ、私達を愛して?』『……ねぇ、私達と一緒にいて?』『……ねぇ、私達と一緒に遊んで?』
スライムの体のあちらこちらから、赤子の声をつぎはぎしたような“音”が聞こえてくる。
人間を喰ったことで、人間性を獲得したのだろう。
『ねぇ、一緒に遊ぼ?』『私達と一緒になって』『私達になって』『遊ぼうよ?』『ねぇ、遊びましょう?』『――永遠に』
魔王アルティメルトの全身から、うじょうじょと無数の人間の腕が生えてきた。
触れただけで全てを溶かす腕たちが、まるで母親を求める赤子のように。
ゆっくりと、ねっとりと、ぐちゅぐちゅ……と。
水色の粘液を泡立たせながら、俺を喰らおうと伸びてくる。
「悪いけど……俺には帰らなきゃいけない場所があるんだ」
俺は剣の柄に手をかけ――鞘から抜き放った。
ひゅん――ッ! と剣閃がほとばしるとともに。
俺に迫っていた水色の腕たちが、ぼとぼとと床に落ちて痙攣する。
「そのために――お前はここで終わらせてもらう」
俺は溶けた剣を時間を戻して修復し、魔王アルティメルトへと突きつけた。
『……あれぇ?』『おかしいね?』『不思議だね?』『どうして拒むの?』『なんでぇ?』『そんなに弱いのに?』『無駄なのにねー?』『ねー?』
魔王アルティメルトが斬られた腕を見て、きょとんとするが。
腕はすぐにうじょうじょと再生する。
いや、再生しただけではない。
その腕の数は――先ほどの何倍にも増えていた。
『ねぇ、私達を受け入れて?』『怖くないよ?』『寂しくないよ?』『すぐにみんなも、私達になる』『あなたの家族も』『あなたのお友達も』『あなたの故郷も』『――この世界も』『みんな、みんな……私達にしてあげる――っ!』
その言葉とともに、スライムの腕が刺突槍のような勢いで伸びてきた。
「――“時間加速・Ⅴ倍速”!」
とっさに口に仕込んでいた魔石を噛み砕き、倍速で腕の群れを回避していく。
ずどどどどどどどどどどどどど――ッ!
と、さっきまで背後にあった迷宮の制御盤や壁に、無数の腕が突き刺さる。
腕が突き刺さった場所から、全てがどろどろと溶けていく。
『あはははっ!』『私達、知ってるよ!』『鬼ごっこって言うんだよね?』『きゃっきゃっ!』『おもしろーい!』
ずががががががが――ッ! と。
迷宮の床や壁を突き破って、水色の腕が生えてくる。
壁がめちゃくちゃに溶解し、すさまじい勢いで迷宮の崩落が進んでいく。
ばらばらと降りそそぐ瓦礫の雨――。
それを一瞬で溶かしながら、魔王アルティメルトの腕が全方向から迫る。
(やっぱり、こいつは……最悪の魔王だ)
子供のようにしゃべるからと油断してはいけない。
全てを溶かし喰らい、無限に成長していく生命体。
まだ未成熟の状態で、本気も出してないのにこれなのだ。
(もし、ここで俺が呑み込まれたら……)
この魔王は宣言通り、子供のような残酷な無邪気さで、世界を滅ぼそうとするだろう。
迷宮を喰らい、ラビリスを喰らい、エルを喰らい、アルマナの町を喰らい――いくつもの国が呑み込まれていく。
この時代に、この魔王を倒せる者はいない。
数十年後にやっと封印されるまで、この魔王は世界を溶かし続ける。
それが本来の正しい未来、あるべき未来の形――だとしても。
「――そんな未来は、俺が否定する」
俺は立ち止まり、魔王と距離を取って対峙した。
『あれれぇ?』『もう終わりぃ?』『ざぁこ、ざぁこ』『つまんなーい』
魔王アルティメルトが、きゃっきゃっと赤子のように笑う。
たしかに、今の俺では、この魔王には勝てない。
相性が悪すぎるのだ。
魔王アルティメルトには、物理攻撃でダメージを与えられない。
不老不死だから、時間を進めて老衰死させるのも難しい。
周囲にある魔力を喰らうせいで、俺が使える体外魔力もほとんどない。
さらに、この魔王を対象に時魔術を使えば――時魔術を獲得されてしまう。
この魔王が時魔術まで使うようになったら、悪夢だ。
それでも、勝たなくてはならない。
守りたい人たちがいる。守りたい時間がある。
だから――手段は選ばない。
「魔王アルティメルト……たしかに、お前は“最悪”の魔王だ。だけど、けっして“最強”の魔王ではない。もっと強い魔王がいることを、俺は知っている」
俺はマントの懐からそれを取り出す。
さっき魔術士から奪った“魔王細胞”の入った注射器。
俺はそれを迷わず、自分の首筋に――突き刺した。
「――見せてやるよ、“最強”を」
その瞬間――。
俺の全身から、膨大な雷が爆発するように膨れ上がった。
『……っ!?』『ダメ!』『させないっ!』
魔王アルティメルトがそこで初めて――声に警戒の色をにじませた。
無数のスライムの腕が波のように迫りくる。
しかし、俺から放たれた雷にたやすく蹴散らされていく。
世界がまたたく間に、雷光で染め上げられ、そして――。
「…………ッ! う、ぐぅ……ッ!」
この身を破裂させんばかりに流れ込む“力”。
俺はその全てを――支配する。
俺が魔王細胞のありかを聞きたかったのは、回収して処分するためだけではない。
力を得るためにあらゆる禁忌を犯してきた俺が、これに手をつけていないわけがないのだ。
だけど……本来、俺には魔王細胞に適合できるような素質はなかった。
この時代の俺が魔王細胞を取り込んだところで、一瞬で破裂して終わりだっただろう。
だから、1周目の俺は“時間をかける”ことにした。
一雫ずつ、魔王細胞を体に取り込んでいったのだ。
たったそれだけの量でも、適合していない俺の肉体には猛毒となった。
最初の10年間は、地獄だった。
全身がばらばらになりそうな激痛が絶え間なく襲ってきた。
いつも血を吐いていたし、痛みで涙を流していた。
激痛でまともに眠ることなどできなかった。
ようやく気絶するように眠れたとしても、毎晩悪夢にさいなまれる。
その状態でも執念で時魔術の研究をし、より強くなるために戦場を駆け抜けた。
そして、10年かけて、1滴分の魔王細胞を制御できるようになった。
次の10年は、さらに2滴の魔王細胞を取り込んだ。
その次の10年は、さらに――。
そうして、俺は少しずつ魔王細胞を取り込み、その力を完全に制御できるようになっていった。
いつしか、俺の肉体の成長は止まっていた。
髪の毛は白くなり、肌には黒い亀裂のような痣ができ、瞳には時計盤のような模様が現れていた。
そして気づけば、俺は“時間”に手で触れることができるようになっていた。
“時間”というものを完全に理解できるようになっていた。
全てを守れる力が手に入っていた。
しかし……時間がかかりすぎた。
その頃にはもう、守りたかったものはなにも残っていなかったのだ。
全てを救いたかったのに、なにも救うことができず。
みんなを守るために手に入れた力も、みんなから怯えられるだけで。
俺はただの人類の敵――“化け物”になりはてていた。
――これが、俺の100年間だ。
俺は子供の頃に夢に見ていた英雄にはなれなかった。
でも、それでいい。
地位も、名誉も、富も、なにもいらない。
大切な人たちを守るためなら、ここから全てを救うためなら……。
どんな化け物にだって身を堕とそう。
さて、それじゃあ誕生しようか。
俺の名は――。
第3の魔王――時空王クロノゲート
それは、けっして英雄の名ではなく。
未来でもっとも恐れられた“大災厄”の名前だった――。










