第64話 最適解
カナトは荒い呼吸を繰り返していた。
右眼が痛む。
頭の奥が焼けるように熱い。
それでも立っていた。
「……まだ切らないでください」
ギルフォードの視線が向く。
「理由は」
短い問い。
カナトは息を整える。
滲む視界を無理やり固定した。
「助ける方法があります」
患者も二人を見る。
絶望と希望が入り混じった目だった。
「本当……なのか……」
震える声。
カナトは頷く。
「やってみせます」
確実に成功する保証はない。
だが。
見えた。
魔眼が示した。
ならば諦める理由はない。
ギルフォードは数秒だけ考えた。
空洞の中に沈黙が落ちる。
やがて。
「説明しろ」
カナトは魔眼が見せた内容を説明した。
「岩で長時間圧迫されたことで蓄積した有害な成分が、一気に全身へ流れ込むことで、心臓に極度の負担が掛かり、心停止を起こします」
そこでプレハイドレーション、大量の輸液による毒素の希釈、そして循環の調整。
さらにイオンバランス操作、血液中の心停止を引き起こす成分を拡散させないようにする。
手持ちの医療道具で足りない部分は血流制御、循環維持、毒素拡散抑制。
これらを組み合わせた治癒魔法で対応する。
だが、これには大きな不安要素があった。
通常は別々に使う治癒魔法。
同時運用はアルビオンの報告書には載っていない。
まさに未知の領域。
ーーそれでも。
説明を終えたのち、ギルフォードは口を開く。
「成功率は」
「…切断より低いかもしれません」
正直に答える。
患者の肩が震える。
「でも」
カナトは続けた。
「成功したら脚も残せます」
空洞の中へ静寂が落ちる。
患者が目を閉じた。
しばらく動かない。
やがて。
小さく呟く。
「……歩きたい」
誰に向けた言葉でもなかった。
ただ漏れた本音。
「まだ……家にも帰りたいんだ」
震える声。
「母さんにも会いたい」
カナトは拳を握る。
助けたい。
その命も。
その未来も。
「隊長」
カナトが顔を上げ、ギルフォードを見る。
「お願いします」
沈黙。
数秒ではあったが、カナトには長い時間に感じられた。
やがてギルフォードが頷く。
「任せる」
その一言が重かった。
患者の命。
隊長としての責任。
全て預けた言葉だった。
カナトは患者の側へ膝をつく。
補給班が持たせてくれた鞄から複数の薬剤を取り出す。
血液を希釈させるためには輸液剤の作成が必要になる。
必要な成分は魔眼が教えてくれる。
カナトは痛む右眼に耐えながら調剤を行った。
ーー焦るな、手順は身体が覚えている。
そして輸液剤を完成させ、投与を開始する。
すぐさま両手を患者に重ねるようにして置いた。
魔力を流す。
淡い光が生まれた。
限界を越えて酷使した魔眼は痛みと同時に全てを見せてくれる。
圧迫された脚。
壊死しかけた組織。
全てが悲鳴をあげていた。
少しでも治癒魔法の制御を誤れば終わる。
額から汗が流れ落ちる。
右眼から血が零れる。
それでも止めない。
術式を重ねる。
一つ。
二つ。
三つ。
通常なら同時運用しない治癒術が重なっていく。
頭が割れそうだった。
視界の端が白く飛ぶ。
耳鳴りが響く。
吐き気が込み上げる。
それでも手を離さない。
助ける。
絶対に。
「隊長」
声が掠れる。
「今です、岩をどけてください」
ギルフォードが動いた。
巨大な岩へ手を掛ける。
筋肉が軋む。
鈍い音。
岩が浮く。
空洞全体が震えた。
土砂が落ちる。
患者が悲鳴を上げた。
脚が解放される。
その瞬間だった。
魔眼が警鐘を鳴らす。
来る。
血流が動き出す。
止まっていた流れが一気に血管を通って心臓へ戻ろうとする。
カナトは術式を維持する。
毒素を押さえ込み、少しずつ拡散していく。
血液成分を希釈し、循環を上げ、毒素の排出を促進させる。
視界がグルグル回っている。
患部以外はどこが上でどこが下なのか、もう分からなくなっている。
カナトの助けたいという精神力だけが、まだ意識を繋いでいた。
あと少し。
あと少しだけ。
患者の脈を追う。
速い。
不安定。
揺れる。
落ちるな。
止まるな。
生きろ。
数秒。
だが永遠のようだった。
やがて。
脈が落ち着く。
血流も安定する。
魔眼が告げる。
峠を越えた。
カナトは息を吐いた。
全身から力が抜ける。
「……大丈夫です」
患者が呆然とカナトを見る。
「助かった……のか……?」
信じられないという顔だった。
カナトは疲れ切った笑みを浮かべた。
「はい」
「助かりました」
患者の目から涙が溢れた。
肩を震わせながら泣いていた。
生きている。
その事実を噛み締めるように。
ギルフォードも小さく息を吐く。
「搬送する」
ギルフォードが組み立てた背負子に患者を固定する。
カナトも患部の脚を添え木で固定すると、ふらつきながらも立ち上がった。
まだ、ここで意識を失うわけにはいかない。
狭い通路を戻る。
再び魔眼で地層の確認を行い、患者を抱えたギルフォードを先導する。
長かった。
本当に長かった。
だが。
光が見える。
出口だ。
外へ出た瞬間。
曇り空が眩しく見えた。
◇
「生存者救出!」
歓声が上がる。
張り詰めていた空気が一気に緩む。
ガルドが拳を握る。
「よっしゃ……!」
アイリスも安堵したように息を吐く。
レオンは笑みを浮かべながら肩の力を抜いた。
「やったな」
現場全体に安堵が広がっていく。
誰もが助かった命を喜んでいた。
だが。
その輪の外に一人だけ立っていた。
リゼアだった。
歓声を上げる隊員たちを見る。
担架で運ばれる患者を見る。
外に出ると共に気を失ったカナトを見る。
誰も死んでいない。
助かった。
本当に良かった。
なら喜ばなければならない。
そう思う。
なのに。
胸が苦しい。
呼吸が上手くできない。
あの時。
自分も助けたかった。
誰よりも早く。
誰よりも強く。
そのために蒼炎を求めた。
そして届いた。
それなのに。
救えなかった。
カナトは救った。
命も。
未来も。
全部。
リゼアの視界が揺れる。
頭の中で何かが崩れていく。
努力。
誇り。
憧れ。
全部、音を立てて崩れていく。
唇が震えた。
そして。
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……私じゃなかった」




