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■9 お前しか見えてねえ

決闘の熱狂が冷めた頃には、もう日が暮れていた。

村中が祭りみたいに騒いでいる。


「レンが勇者を倒した!」

「うちの村から英雄だ!」

「今夜は飲め!」


好き勝手に盛り上がる声が、外からずっと聞こえてくる。

だが俺は、そのどれにも参加していなかった。


****


宿屋の一室。

椅子に座らされ、腕や肩に包帯を巻かれている。


「……痛みますか?」


目の前には、カオル。

真剣な顔で治癒の光を灯しながら、俺の傷へ手をかざしていた。


銀髪が肩からさらりと落ちる。

まつ毛が伏せられる。

近い。近すぎる。


「……レン?」

「いや、なんでもねえ」


「顔が赤いです」

「風呂上がりだ」


「まだ入っていません」

「細けえな」


くす、と笑う。

その笑顔を見て、ようやく胸の奥の緊張が少しほどけた。


****


「……無茶、しました」


包帯を結びながら、カオルが小さく呟く。


「そうか?」

「そうです」


「勝っただろ」

「そういう問題ではありません」


珍しく、少しだけ怒っていた。

頬を膨らませるでもなく、静かに眉を寄せて。


「……レンが傷つくの、嫌なんです」


その言葉に、心臓が変な音を立てた。


「……そっか」

「そっか、ではありません」


「じゃあなんて返せばいい」

「……困ります」


困ってるのはこっちだ。

こんな近距離で、そんな顔で心配されて平常心でいられる男がいるか。


治癒の光が消える。

カオルは少しだけ俯いた。


「……レン」

「ん?」


「私、今日……嬉しかったです」

「勝ったから?」


「それもあります」


それから、震える声で続けた。


「でも、一番嬉しかったのは……私のために怒ってくれたことです」


胸が詰まった。


「……あれは、普通だろ」

「普通ではありません」


カオルは首を振る。


「皆、見ていました。でも誰も口にしなかった」

「……」


「レンだけでした」


そんなふうに言われると、俺の方が救われる。


しばらく沈黙が落ちる。

外ではまだ歓声が続いている。


でも、この部屋だけは妙に静かだった。

カオルが、自分の膝の上で手を握りしめる。


「……でも」

「ん?」


「それでも、怖いんです」

「何が」


「私には……価値が、ないのではと」


息を呑んだ。

カオルは笑っていなかった。


泣きそうでもなく、ただ諦めた顔だった。


「勇者様にも、必要ないと言われました」

「タクトの言うことなんか――」


「違うんです」


初めて、俺の言葉を遮った。

細い肩が震えている。


「召喚された時、司祭様から聞かされました」

「……何を」


カオルは唇を噛み、絞り出すように言った。


「真の覚醒条件、です」

「覚醒?」


「はい。この世界のヒーラーは……勇者と結ばれることで、真の力が開花すると」


……は? なんだそれ。


頭が真っ白になった。

勇者と結ばれる、だと!?


勇者がカオルに放った侮辱の言葉が甦る。

抱くとか抱かないとか、男とか女とか。


そういう事かよ。


「だから私は、必要とされるために……勇者様に選ばれなければいけなかった」

「そんなの……」


「でも、男だと知った瞬間、拒絶されました」


声がかすれる。


「なら私は、もう役目を果たせません」


ぽろ、と雫が落ちた。


「魔王も倒せない。誰にも必要とされない。……私、この世界に召喚された意味がないんです」


その涙を見た瞬間、腹の底から怒りが湧いた。


勇者にも。

そんなくだらない制度にも。

そして、一人で抱え込んでいたこいつにも。


「カオル」


俺は立ち上がり、その細い身体を抱き寄せた。


「……れ、レン?」

「馬鹿かお前」


「……っ」

「なんで一人で背負ってんだよ」


腕の中で、カオルが震える。


「だって……言えませんでした……」

「言えよ」


「嫌われるのが、怖くて……」


胸が痛んだ。

こいつはずっと、そんなことを思っていたのか。


「……レン」


胸元から、かすれた声がする。


「もし……もし、あなたが勇者なら……」


震える指が、俺の服を掴む。


「私を、抱くことができましたか……」


息が止まった。

カオルは慌てて続ける。


「ち、違……その、覚醒しないと魔王が……だから、その……!」


必死な言い訳。


顔は真っ赤。

耳まで赤い。

可愛すぎて状況が混乱する。


「……もちろんだ」


考えるより先に、口が動いていた。

カオルが目を見開く。


俺はカオルの頬を両手で挟み、まっすぐ見た。


「……でも、そんな風に自分を安く売るようなこと、たやすく口にするな」

「……っ」


「覚醒のためとか、必要とされるためとか、そんな理由でお前を抱く男がいたら、俺が殴る」


カオルの瞳が揺れる。

次の瞬間、ぼろぼろと涙が溢れた。


「……レン……っ」


「泣くなよ」

「む、無理です……」


泣きながら笑う。


もう駄目だ。

愛しすぎる。


「……本当は」


カオルが、震える声で言った。


「本当は、ずっと……レンに抱かれたかったんです。ヒーラーとか、覚醒とか関係なく……一人の男として」


時間が止まった。


「……は?」


「レンに触れられるたび、嬉しくて……」

「……」


「キスしてもらった夜から、ずっと……」

「……」


「私、レンを……愛しています」


頭の中で何かが弾けた。

理性とか、常識とか、そのへん全部。


「……遅えよ」


やっと出た言葉は、それだった。

カオルが涙目で瞬く。


「俺も、とっくにそうだ」

「……っ」


「好きどころじゃねえ。お前しか見えてねえよ」


その瞬間、カオルが声を上げて泣いた。

そのまま俺へしがみつく。


「レン……レン……!」

「おう」


「好き、です……っ」

「知ってる」


「愛してます……!」

「俺もだ」


****


もう我慢は無理だった。

俺はそのまま唇を重ねる。


涙の味がした。

何度も、何度も、求め続ける。

やっと手に入れたみたいに。

逃がさないように。


カオルは震えながら、俺の背へ腕を回した。

小さく、甘い声で囁く。


「……レン」

「ん?」


「今夜、離さないでください……」


反則だろ。

そんな顔で、そんな声で。

俺が断れるわけがない。


****


そっと抱き上げ、ベッドへ導く。

壊れものを扱うみたいに慎重に。


けれど、胸の奥ではどうしようもないほど熱が溢れていた。


カオルは頬を染めたまま、俺だけを見ている。

その視線が、たまらなく愛しい。


「……怖くないか」

「少しだけ」


「なら、やめてもいい」


首を横に振る。


「レンだから……大丈夫です」


その一言で、もう何も敵わなかった。


額へ。

まぶたへ。

頬へ。


ひとつずつ確かめるように口づける。

カオルの肩が小さく震える。


「……ぁん……」


漏れた声は細く、甘かった。


「……そんな声、出すな」

「だって……レンが、優しいから……」


胸が締めつけられる。

欲しいのに、愛しい。


触れたいのに、泣きそうになる。

こんな感情、知らなかった。


指を絡める。

カオルも応えるように握り返してくる。


離れないように。

もう二度と、孤独にさせないように。


「……レン」

「ん?」


「好き……です」

「知ってる」


「何度でも言いたいんです……」


その言葉ごと抱きしめた。


****


夜は静かに更けていく。


同性同士だってなんら問題はない。

二つが一つになり、同じ方向へと向かう。

吐息が重なり、鼓動が重なり、寂しさまで溶けていく。


互いを感じ合う尊い思い。

それは、決して止まる事はなく、熱を帯び体の芯を何度も突き抜ける。


その度にカオルは俺の名を呼んだ。


「レン……っ」

「ここにいる」


「レン……好き……」

「俺もだ」


繰り返す営みの中で、もっともっと深い所で心が結ばれていく。

そんな気がした。


****


やがて、二人の呼吸が落ち着いた頃。

カオルは俺の胸へ頬を寄せ、幸せそうに目を閉じた。


「……あたたかい」

「お前もな」


「……これで、やっと一つになれました」


照れくさそうに笑う。


「知らなかったのか?」

「……?」


俺はカオルの髪を撫で、額へ口づけた。


「最初から、ずっとそうだったよ」



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