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第14話:スライムのコーティングと、文明の玉座

 森の湿地帯から、大量のウツボカズラモドキの捕虫袋を抱えて帰還した俺たちは、村人たちの奇異な視線を集めていた。

 大人の胴体ほどもある奇妙な形の植物を背負ったゴウダの姿は、確かに異様だ。


『レン兄ちゃん、これ……ほんまに大丈夫なんか? 背中がジリジリする気がするんやけど』


 ゴウダが不安そうに背中の荷物を揺する。

 捕虫袋の中には、まだタップリと消化液が残っている。蓋はしてあるが、もし漏れ出せば、ゴウダの自慢の背筋がただれてしまうだろう。


「大丈夫だ。漏れないように処置はしてある。……だが、そのままじゃ使えないのは確かだ」


 俺たちは村の広場の一角、川から引いた水路の近くに作業場を設けた。

 ここからが正念場だ。

 このウツボカズラを「便器」として実用化するには、二つの大きな壁がある。

 一つは、中に残る強力な酸性の消化液。

 もう一つは、植物特有の腐敗のリスクだ。


 まずは、中の液体を処理しなければならない。

 俺は村外れの岩場に穴を掘り、そこに消化液を廃棄した。ジュワジュワと岩が溶ける音がして、白い煙が上がる。


『ひぃぃっ! 岩が溶けとる! こんなんにお尻乗せたら、一瞬で骨になるで!』


 ゴウダが顔面蒼白になって尻を押さえる。

 セレーネも青ざめている。


「『……こ、これは深淵の毒沼……。触れれば魂ごと蝕まれるぞ。レンよ、正気か? こんな危険物を玉座にするなど』」

(意訳:怖い怖い怖い! 無理よ! 絶対お尻溶けるわよ!)


「だからこそ、コーティングが必要なんだ。酸を中和し、表面を保護する完璧な素材が」


 俺は道具袋から、以前「岩塩洞窟」で手に入れた小瓶を取り出した。

 中には、透明でトロリとした液体が入っている。

 スライムたちを洗ってあげたお礼にもらった「ピュア・ミネラルエキス(高純度スライム粘液)」だ。


「スライムの体液は、強いアルカリ性だ。しかも、乾燥すると弾力のある皮膜を作る性質がある。これで内側をコーティングすれば、酸を中和しつつ、撥水・抗菌加工ができる」


『アルカリ……? コーティング……? ま、また難しい言葉やな。要するに『毒消し』みたいなもんか?』


「そうだ。毒を消して、さらにツルツルにする魔法の水だ」


 俺たちは作業を開始した。

 ウツボカズラの内壁を川の水で洗浄した後、刷毛を使ってスライムエキスを丁寧に塗り込んでいく。

 エキスが酸性の残留物と触れると、シュワシュワと微細な泡が立ち、中和反応が起きる。

 数分後。泡が消えると、内壁はガラスのように滑らかで、真珠のような光沢を放つようになった。


「よし、完璧だ。これで酸の心配はないし、汚れもつるりと落ちる」


 触ってみると、硬質な植物の感触の上に、シリコンのような弾力が加わっている。座り心地も格段に向上しているはずだ。


『すげぇ……! ピカピカや! これなら安心できるわ!』


 次は設置工事だ。

 俺はオークの工作班を指揮し、居住区の近くに溝を掘らせた。

 裏山の温泉から引いた水路を分岐させ、竹で作ったパイプを通す。

 そして、加工したウツボカズラ便器を設置し、排水口を下流の浄化槽(巨大な壺に土とスライムを入れたバイオトイレ仕様)へと繋ぐ。


 さらに、プライバシーを守るための個室作りだ。

 丈夫な木材で枠を作り、編み込んだツタと大きな葉で壁を作る。通気性は確保しつつ、中は見えない。

 入り口には「使用中」の札を掛けられる木のフックも取り付けた。

 足元には平らな石を敷き詰め、泥で汚れないように配慮する。


 夕暮れ時。

 ついに、村の第一号となる「公衆水洗トイレ」が完成した。

 見た目は南国のリゾート小屋のようだ。中には、真珠色に輝くウツボカズラの便器が鎮座している。

 手元のレバー(木の棒)を倒すと、竹パイプから水が流れ込み、汚物を押し流す仕組みもバッチリ稼働する。


『で、できた……! これが……文明の利器か……!』


 ゴウダが感涙にむせんでいる。

 周囲には、噂を聞きつけた村人たちが集まり、黒山の人だかりができていた。


『すごい! 臭くない!』

『水が流れとる! 魔法や!』

『あの便器、座ってみたいわぁ……』


 さあ、試運転だ。

 栄えある第一号の利用者は、もちろん発案者の一人であるゴウダだ。


『い、行ってくるで……! 男・ゴウダ、未体験ゾーンへ突入や!』


 悲壮な決意と共に、ゴウダが個室へと消えた。

 固唾を飲んで見守る村人たち。

 数分後。

 ジャーーッ、という水流の音が響いた。

 そして、扉が開く。


 そこには、憑き物が落ちたような、清々しい笑顔のゴウダが立っていた。


『……最高や』


 彼の一言に、静まり返っていた群衆がどよめいた。


『座った瞬間のフィット感……! ウツボカズラの曲線が、ワシの尻を優しく包み込んでくれる! スライムコーティングのおかげで冷たくないし、ツルッとしてて肌触りがたまらん! そして何より……』


 ゴウダは拳を握りしめた。


『誰にも見られず、落ち着いて用を足せる安心感! これはただの排泄やない! 自分と向き合う『瞑想の時間』や!』


 ワァァァァァッ!!

 歓声が上がる。

 続いて、セレーネがおずおずと進み出た。


「フン……。そこまで言うなら、この『黄昏の断罪者』が査定してやろう。高貴なるエルフの基準を満たせるか、見ものだな」


 彼女は鼻を鳴らして個室に入った。

 ……10分後。

 彼女はなかなか出てこなかった。

 心配になった俺が声をかけようとした時、扉がゆっくりと開いた。

 セレーネは、頬をほんのりと染め、どこか夢見心地な表情で出てきた。


「……『深淵の安らぎ(ディープ・リラックス)』を感じたぞ……」


 彼女は小声で呟いた。


「この個室の遮音性……そして流れる水の音……。外界の雑音を遮断し、己の内面と対話するのにこれほど適した場所はない。……あと、紙の代わりに置いてあった『ふわふわの葉っぱ』、あれ最高ね。持ち帰りたいくらいだわ」

(意訳:めっちゃ快適! 落ち着く! ここに住みたい! お尻拭く葉っぱも柔らかくて最高!)


 エルフのお墨付きが出たことで、トイレへの不信感は完全に払拭された。

 その後は長蛇の列ができ、村人たちは「用もないのに水を流して感動する」という謎の行動を繰り返したが、それも数日で落ち着いた。


 トイレ革命の効果は絶大だった。

 村から悪臭が消え、ハエが減り、何より村人たち(特に女性陣)のストレスが激減した。

 夫婦喧嘩が減り、村の空気が明るくなった。

 清潔な環境は、心にも余裕を生むのだ。


 夜。

 俺は完成したトイレの横で、月を見上げていた。

 ゴウダがやってきて、俺に酒を差し出した。


『レン兄ちゃん。ほんまにありがとうな。最初は「便器を作る」なんて正気かと思ったけど、あんたは正しかったわ』


「ああ。衣食住の質を上げることは、生きる力を上げることだ。これからも、もっと快適にしていこう」


『せやな! 次はなんや? 風呂か? ベッドか? あんたとなら、どんなもんでも作れる気がするわ!』


 俺たちは笑い合い、杯を交わした。

 文明の光が、また一つこの村に灯った夜だった。

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