第七七話 潜伏ですわ!
ロトに過去を打ち明けた長い夜の、次の朝。
自分の夜更かしを呪いながら、眠気に揺られる頭を何とか持ち上げるエルデ。
「うっ……あぁ……」
寝台から落ちかけていた毛布を引っ張り上げて軽く畳んで置き、首の後ろを掻きつつ階段に向かう。
手すりを掴んで落ちないようにしながら、眠い目を擦って一階に降りると、居間の丸机に向かって座っていた妹の姿を見つけた。
妹のバウムもまた兄の姿を認めたらしく、口に含んでいた水を飲みこんでから声をかける。
「あれ、遅かったねえ。眠れなかった?」
「ああ。どうやらおで、相当疲れたみてえでな……変に興奮したみてえで、全然寝付けなくて……窓から月見てた」
嫌な粘り気のある口に水を流してゆすぎ、エルデは朝食の席に着いた。
窓と月という組み合わせがどういうことを示しているか、バウムには手に取るように分かった。
でも、それが単なる後悔や郷愁故ではなく、過去との決別の為の最後の夜だということも、手に取るように分かっていた。
小麦を練って焼いた黒い簡素な主食をちぎって口に運び、昨晩の残りに継ぎ足した汁物を掬って飲むエルデが、ロトの不在に気付いた。
「ん? ロトの奴は?」
「あたしより早く起きたみたいで、支度済ませて散歩に出てったよ……まだ三日目なのによく勝手がわかったもんさね」
ふぅん、と生返事をしつつ、エルデが咀嚼した朝食を嚥下する。
食事が早いのが彼の特徴で、早速食器を重ねて洗い場に置いておく。
元気なら何でもいいかと思いつつ、やはり里の皆に拒絶されていたら、と考えると心配になるエルデ。
見るからにそわそわしている兄の背中を、バウムが笑いながら叩いた。
「っはは、そんなに心配なら様子見に行ったらどうさね? どうせ今日の見回りは午後からだろう?」
「──ああ、じゃあ、ちょっと行ってくる。食器とか頼んだ」
すっかり見透かされているな、と心の中で零しながら、エルデは手早く着替えを済ませる。
脱いだ寝巻を洗濯場に放り、靴をつっかけてエルデは家を飛び出した。
「さて、つってもどこにいるのか……」
まだ日が昇り切らない、比較的涼しい里を見回りながら、エルデが駆ける。
心配し過ぎと言われればその通りだが、昨晩ロトを何としてでも送り返すと決めたばかり。
里の誰かに危害を加えられていたらと思うと気が気でないエルデは、仕方ないと胸の内で呟いて、呪いを目覚めさせる。
「さあ探せ……宿主サマのご命令だ」
目覚めた呪いが、『宿主と関係が近いバウム以外の人物』に災いを齎さんと疼き出す。
方角や位置までも敏感に察知する呪いを飼い慣らし、エルデがロトの居場所を割り出した。
その察知能力を活かしつつも、再び呪いを鎮静化させたエルデが走り……ふと浮かんだ疑問を口にする。
「──何で動いてねえんだ……?」
<***>
里の境目から森に入って、一分が経った頃。
エルデは木の幹に寄りかかりながら向こうを窺うロトを見つけた。
「……ロト? おまえ何して──」
「! ちょっ、しゃがんで!」
語り掛けられたロトがエルデに気付き、肩を抑えて屈ませる。
その様子にただならぬものを感じて、エルデも意識を切り替える。
緊迫した表情と声色で、声量を落とす。
「なあロト、何してんだ?」
「しっ! 見つかるわけにはいかないのですわ、見つかったら……!」
いまいち要領を得ない説明に疑問を膨らませたエルデが次の質問をぶつける前に、ロトが身をひるがえしてその場にしゃがみ込んだ。
草を擦らせる音すら立てずに座り込んだロトを見て、エルデは唾を飲みながら幹の向こうを覗いた。
そこに居たのは未だ年端も行かない子供、高く見積もって十歳かそこらの少年が、周囲を見回しながら森を徘徊していた。
「あれは……縄職人とこの……」
里に住んでそれなりになるエルデは、少年の正体が分かっていた。
縄職人として、農具や猟具を用意している夫婦の家に住んでいる少年で、時折エルデの下にも品物を届けに来てくれることがある。
その少年が何故ロトを追っているのかは分からないが……このまま見過ごしておくわけにもいかないと、エルデが立ち上がる。
「あっ、ちょっ、何して」
「おい、坊主! おまえ、ロトを探してるんだろ?」
「この馬鹿ー……!」
ぐいぐいと、ロトがエルデの服の裾を引っ張る。
小声で怒りを放つロトではなく、困惑した表情の少年に視線を向けながら、エルデは言った。
「ん、え? エルデ兄?」
「坊主がなんでロトを探してるか知らねえが……ロトに何かしようってんなら、おでに筋を通してからに──」
「あー! ロト姉見っけ!」
エルデを引き戻すために身を乗り出し過ぎていたロトの姿を見つけた少年が、綺麗な金髪を指さした。
名指しで呼ばれたロトが溜息を吐きながら立ち上がり、険しい表情のエルデを後ろから引っ叩く。
「あ痛!?」
「もう、何してるんですのエルデ! 貴方のせいで見つかってしまいましたわッ!」
「えっ、あっ、ええ?」
痛みと衝撃で動揺し、状況を呑み込めないエルデにロトが続ける。
「か・く・れ・ん・ぼ! してたんですの!」
<***>
里の広場、森への入り口がある子供たちの憩いの場に、五人程度の子供たちが集まっていた。
その中央に、大の大人の男が足を折り畳んで座らされていた。
東洋で言う、『正座』である。
「その……今回は、おでのせいでかくれんぼ台無しにして、すまん……」
「もー。何してんのさ」
「はい、はい……」
縄職人の子が、腰に手を当てて呆れながらエルデを上から見る。
いい体格のエルデだが、正座の姿勢を取っているから、という理由以上に縮こまって見えた。
そんなエルデと子供たちを遮るように、金髪を靡かせながらロトが立ちはだかった。
「まあまあみんな、その辺りで勘弁してやってくださらない? もう私が引っ叩いたのですわ、罰はそれで十分でしょう?」
「んー、ロト姉がそう言うなら仕方ないわね。許してあげましょ」
「しょーがねーなー、今回だけだぜエルデ兄」
ロトの説得を受けて、子供たちは渋々ながら、遊びを邪魔した罪人を釈放した。
感謝の視線を背中に受けるロトだが、かくれんぼを台無しにしたとはいえ引っ叩いてしまったのは悪かった、という罪の意識から生じた行動故に、まともにエルデの顔を見ることができなかった。
そんな内情はつゆ知らず、立ち上がったエルデが周りの子供たちを見回しながら呟く。
「にしても、随分仲良くなってんだな」
「へへ、ロト姉、めっちゃおもしれーんだもん」
「何おう! この品行方正、清廉潔白な淑女を捕まえてそんなことを言う口はこれですのー!」
「うわわわ! やめてよロト姉!」
揶揄われたロトが、生意気を言った子供の頭を掴んでわさわさと揺さぶる。
その様子を微笑ましく見守るエルデ。
「確かに、愉快な奴ではあるな」
更に詳しく聞くと、朝食を済ませて遊びの相談をしていたところに、今朝散歩に出ていたロトが差し掛かり、遊びに入れるよう提案したのだとか。
親たちが怪訝な目で見ていた女を遊び仲間にすることを忌避していた子供たちだが、暇だからと言い張るロトに根負けして入れてあげたらしい。
「……おまえ……昨日あんだけ心配かけといて……」
「一晩寝たらすっかり元気が回復しましたの──痛い! なんでほっぺた引っ張るんですの!」
人騒がせな、と懲らしめようと思ったエルデだが、自分の心配性な面が悪く作用したことも理解しており、頬をつねる程度で済ませてやることにした。
そんなロトを入れて、はないちもんめや縄跳びなどで遊んでいると、子供たちとすっかり打ち解け、これほど懐かれるようになった、という訳らしかった。
なるほど、と事情を理解したエルデは一つ頷き、子供たちに提案した。
「うし、そんならおでも入れてくれ」
「エルデ兄も? 珍し、いつも遊んでくんないのに」
呪いの経験から、里の仲間であっても距離感を詰めることを恐れていたエルデだが、子供と触れ合うロトに刺激されて、何時の間にかこんな提案をしていた。
しかし子供たちにとっては同じ里に住む仲間であり、大人たちによる政治的な対立など興味もない。
すぐに受け入れて、どんな遊びをするべきか会議が始まった。
「うーん、じゃあ何にする?」
「ロト姉はぽんこつだからかくれんぼとか縄跳びでも楽しかったけど、エルデ兄は強えーからなー」
「ちょっと? 誰がぽんこつですのッ!」
「あ、じゃあこういうのは?」
子どもの中に放り込まれた明確な大人をどう扱うかで悩む一同のうち、一人の女の子が手を挙げ、皆の視線が集まる。
「エルデ兄が鬼で、増やし鬼!」
「増やし鬼、ってーと、だんだん鬼が増えてくアレか」
「そ! 増やし鬼なら、エルデ兄もきっと楽しいよ!」
一理ある、とエルデが頷いた。
増やし鬼はそもそも一回が短いから、エルデが鬼になった所でそれがやや早まるだけ。
ただの鬼ごっこなら『エルデからは誰も逃げられず、エルデを誰も捕まえられない』という好ましくない状況が生まれかねない可能性を考えると、増やし鬼の提案はかなり魅力的だった。
「よし、じゃあそれで行こう。今から三十秒数えるから、みんなは今のうちに逃げろー!」
「うわー!」
「行け行けー!」
目を覆ってエルデが宣言すると、子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
当然ロトもそこに続き、足音が徐々に遠ざかっていくのを感じたエルデが付け加える。
「あんまり遠くに行きすぎんなよ! 縄の外行っちまうと魔物もいるからなー!」




