第五〇話 到達ですわ!
走るオディールらの耳に、遠くの大広間から音色が届く。
彼女は一刻も早く目的地に到着するため、走りにくい踵の高い靴をとうに脱ぎ捨てていて、足音らしい足音は立っていない。
ただの令嬢ならば運動不足が祟り息が切れそうな疾走も、生まれつきの頑丈さと有り余る体力で、彼女は肩で息をすることもなく駆け抜けた。
「ここですわね?」
「あぁ。こっからなんかすれば、道が空くと思うんだけどなぁ」
何でもない廊下の片隅、秘密の部屋があると目される位置からはさほど近くない場所に、オディールとマギーラの二人は立っていた。
マギーラによれば、見えはしないが此処に扉があり、通路の先に秘密の部屋がある、とのことだ。
ちらりと周囲を見回すオディールだが、特段掃除の不行き届きで埃が溜まっている、などと言った様子は見受けられない。
何か扉が開く条件があるとすれば、通常行われない何かが必要なのだろう、と副城主たるオディールは当たりをつけた。
「マギーラ、貴女は何か考えがありまして?」
「うぅ~ん……確かぁ、前に先生が教えてくれたのはぁ」
顎に手を当て瞳を閉じ、マギーラは老爺から授けられた知恵の海に潜る。
魔術的な扉を開くには幾つかの手法が確立されているが、そのうち最も難易度の高いものは血縁を利用した方法である。
予め登録した血液を基に、一定範囲内で『同じ』と判断される血液が周辺に存在する場合のみ、扉が開くという仕様だ。
(でもなぁ、これはもう無理だしなぁ)
仮にこの手法が採用されていた場合、最早扉を正攻法で開く方法は無いと判断し、マギーラはこの可能性を捨てる。
それに、この仕組みは限りなく隠蔽に向いているが、扉が使える期間が著しく限られるという制限もある。
登録者本人とその一親等程度ならばともかく、二親等になると扉が開けなくなってしまうため、歴史ある屋敷にこの仕組みが施されているとは考えにくい。
(じゃ、別の方法……)
続いて思い浮かぶのは、扉の周辺に触るべき箇所がある場合だった。
ただ、これは考慮するまでもなくあり得ないと考えられる。
屋敷の中に扉がある都合上、誰かが間違って扉を開いてしまうと拙い。
貴族の屋敷にある秘密の部屋の用途は夜の遊戯や極秘書物の保存、更には要人の緊急避難先であり、一つ目ならばまだしも残り二つの使用方法であった場合、絶対に他者に悟られてはいけない。
だから、自然と残る代表的な方法は一つに絞られる。
「──オディール様ぁ、声に魔力を乗せて喋れるかぁ?」
「声に、魔力を? そんなこと出来るんですの?」
「うぅん、適当な詠唱でいいんだけどさぁ」
決してマギーラを急かさず待っていたオディールの顔を、マギーラが覗き込む。
秘密の扉を開ける鍵として残る代表的な手法は、指定された言葉を扉の前で唱える、という至って単純なもの。
古今東西あらゆる場所で用いられる手法であり、最も施工が簡単である。
加えて書物や説話にして残せば半永久的に利用が可能であるが、その代わりに合言葉の流出が発生する危険も存在する。
とはいえそもそも警備が厳重な城主の屋敷の、そのまた奥の何の変哲もない廊下にて、合言葉を口にする、という発想を持てるのはごく少数だろう。
「声に魔力を……」
「こう、魔術使うときみたいに、喋れないかぁ?」
「それならできますけれど、私に出来る魔術なんて、せいぜいちょっと光らせるくらいのもので」
「だいじょうぶ。あたしが支えるからぁ、やってみてくれぇ」
劣等感を覚える魔術に関して声が小さくなるオディールの手を取り、真っ直ぐにマギーラが頼み込む。
従者のその意気を見せられて断れる器をしていないオディールは、随分久方振りに自分の魔力回路へと意識を巡らせる。
「──輝きなさい!」
「≪拡張術式≫起動。≪詳述回路≫──≪光輝≫」
オディールが魔術を発動させると同時に、その手を掴んだマギーラもまた呟いた。
それは老爺より教わった、他人の魔術の効果を増幅させるための詠唱。
冒険者や在野の魔術師が習得するのは攻撃や防御などの自信の身を護る手段を確保した後になるのだが、仕える主を持つマギーラには特別に、と老爺は早い段階での習得を命じたのだ。
素養に溢れるマギーラの補助詠唱の効果は凄まじく、蛍の光よりも淡い光しか出せないオディールの魔術を、大広間の照明と同等まで押し上げている。
「マギーラ、これでいいんですの!?」
「もうちょい、魔力を込めてくれぇ……!」
マギーラは瞼を下ろし、魔力を捉える視界に意識を集中していた。
光を強く意識したオディールの口から魔力が流れ出し、うっすらとした流れは壁のとある一点に吸い込まれている。
「そこかぁ!」
扉を開けるための『穴』を見破ったマギーラが、補助詠唱を中断してその『穴』に全霊の魔力を流し込む。
すると壁の『穴』は次第に歪み始め、中心から外縁へと拡張し、広がった『穴』から重厚な鉄の扉が見えてきた。
「むむむむむむむー……」
「凄いわマギーラ、扉が見えてきましたわよ!」
秘密の扉を合言葉で開く、という手法は施工が最も容易であるという長所と引き換えに、幾つかの欠点を抱えている。
一つはやはり、合言葉が流出してしまう危険。
加えて、魔術に造詣が深い者からすれば、容易に扉を開けられる、という短所が存在する。
合言葉を受け入れる都合上、扉の前には合言葉の形や調子で発されているか否かを判別する仕組みが備わっている。
判別の為には当然周辺の『魔力を纏った声』を無差別に吸収する必要があり、魔力を視る鍛錬を積んだ者からすれば何処に穴があるか容易に見抜けてしまうのである。
「むむぅ……オディール様、そろそろ開きそうかぁ?」
「もう少し──あ、取っ手が見えましたわ!」
穴の位置さえ見抜ければ後は簡単、圧倒的な魔力や物質を歪ませる魔術をその穴に向かってぶつければ、次第に穴は歪んで隠された扉が姿を現す、という寸法だ。
誰でも出来る芸当ではなく、それこそ老爺級の使い手か、その魔術師に薫陶を受けた者でもなければ取れない選択ではある。
城主にとっての不運は、そのうち後者に当たる人物を屋敷の内に招き入れてしまっていたことだった。
「さぁ行きましょうマギーラ、急ぎますわよ!」
「──ちょっと待ってくれぇ」
「? どうしましたの」
「……よし! 行けるぞぉ!」
開いた扉の取っ手を押し、オディールとマギーラの二人は秘密の部屋へと繋がる通路へ飛び込んだ。
照明もない廊下を、壁に手をついて転ばないよう気をつけながら進む。
身の安全は第一に、それでいて一刻も早く秘密の部屋へ向かうために足早に。
後ろに続くマギーラが照らす淡い光を頼りに、彼女らは歩みを進めるのだった。
<***>
彼女ら二人が歩んでいくと、次第に床の材質が変わっていくことに気が付いた。
靴を脱いでいるオディールが、足の裏の感触の異変を察知したのだ。
「あら?
これは、水?」
「水ぅ?
なんだろ、念のため調べてみていいかぁ?」
「えぇ、お願いしますわ」
主の身に襲い来る危険は事前に排除しなければ、と意気込むマギーラは、屈んで足元の様子を探る。
同行出来ないセバスから頼まれている護衛の仕事をやり遂げようと、彼女は何時になく息を巻いていた。
指先で軽く床を撫でたマギーラもまた、主と同様に湿り気とざらざらした石の手触りを感じ取った。
「石、それにこの水」
指先を軽く舐めるマギーラ。
彼女にとってその味は慣れ親しんだものだった。
「知ってる、あたし、これ知ってる」
「マギーラ?」
「この石、あたしが住んでたところと同じだぁ。それに、この味も知ってる──」
マギーラがかつて暮らしていた地下街は、碌に治安維持が為されていない半分無法地帯。
その床に横たわり、そこでの湧水を啜って生きてきたマギーラが、この二つを間違える筈がない。
とはいえ、それは理に反している。
「でも、それは変ですわよ。貴女が居たのは地下ですけれど、秘密の部屋の反応は大広間の天井の上にあったでしょう?」
「うぅん、でもなぁ」
「それに、私達は真っ直ぐ進んできたでしょう?
偶々地下にある材質と同じものを使っていて、偶々同じ水が流れてきてるだけですわよ」
「まー、そーかもなぁ。あたしも、なんであそこと同じなのかまではわかんないしなぁ」
感じ取った異変を危険に結びつけられず不完全燃焼なマギーラだったが、先を急ごうとするオディールを止めるほど、違和感を確信へと変えられなかった。
思考能力に優れ事象の連想に秀でた彼女でさえ、未だ前提知識の欠乏に悩まされている。
先生ならば或いは、と今考えても仕方ないことを頭に浮かべ、マギーラは立ち上がってオディールに着いて行った。
それから、令嬢が重厚な扉を発見するまでにそう時間はかからなかった。
「これは──」
「ん~……この向こう、凄い数の人の魔力がある……」
「ですわよね、魔力は感じ取れませんが、私もただならぬ雰囲気を感じますわ──心して行きましょう」
蝶番に錆が入りつつある扉を押し、オディールは久方ぶりにまともな照明の光を目にする。
最初に目に飛び込んだのは部屋の凄惨な様子であり、耳に入ってきたのは城主の声だった。
「──これは驚いた」




