第四四話 衣装合わせですわ!
時は経ち、舞踏会の当日。
オディールは副城主に着任する交換条件として呑んだ舞踏会への出席に向け、着々と準備を進めていた。
その日は朝から任せられていた仕事を早々に切り上げ、豪奢な衣装の着付けに時間をかけていた。
飾りや紐など、夕方から始まる会に間に合わせるには昼過ぎから始めなければ間に合わないのである。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
「セバスですわね。構いませんわ」
主の許可を得た燕尾服の青年が、ゆっくりと取っ手を回して扉を押し開ける。
そこに待ち受けていたのは、恐ろしいほど気品に溢れながら、珍しく物憂げな表情を窓越しに夕陽へと向ける淑女然とした令嬢の姿。
普段の化粧が彼女本来の魅力をそのまま伝えるものだとすれば、今のソレは魅力を引き立て、更に女性らしい美しさを際立たせるもの。
例えば、屋内かつ照明の下という状況で肌の血色がよりよく見えるように、若干の赤みと透明感を強調した下地を採用している。
「ちょっと、扉を開けたまま突っ立ってるんじゃありませんわよ」
「失礼しました」
思わず呆けていたセバスは、令嬢の言葉で我に返って歩を進める。
否、正確には言葉だけではなく、表情すらも普段のオディールと何ら変わりないと悟り、外見だけに惑わされている己を恥じたからだ。
これはいかん、と首を振って頭を冷やそうとするセバスだが、それでもどうしても、憧れの人の着飾った姿には見惚れざるを得ない。
人としての在り方を説く理性ではなく、人間性を始めとする相手の全てを好ましく感じる魂に結びつくその感情は、未熟な彼には振りほどけそうにない。
「よく来てくれましたわね」
「無論です。呼ばれて馳せ参じるのは当然ですから」
衣装や化粧が演出する大人らしさとは対照的に、表情の溌溂さは普段と変わりなく、その落差に心臓を射止められかけたセバスは手短に返答する。
あまり直視しないように顔を若干背けたセバスに、オディールは続ける。
「マギーラのことは残念ですわね……会場の外で応援してくれていると信じていますが」
「ですね。もはや彼女に心配をかけるのは間違いでしょう」
「えぇ──まったく、何時の間にか頼りになる顔になってましたわね」
セバスがちらりと覗いたオディールの表情は優しいもので、母性とも取れるような側面が垣間見えている。
事前に伺いを立てたところ、貴族の屋敷にて執事として従事していたセバスはまだしも、まともな礼節の教育を受けていないマギーラが列席するのは許可が下りなかった。
それでも当のマギーラ本人はあっけらかんとした顔で、自分には自分の出来ることをやる、舞踏会の間に仕事を割り振られる立ち位置にはいないので、魔術の勉強や遠いところからの支援をする、と言い切っていた。
地下の薄暗く湿った牢屋の如き部屋にて令嬢が出会った時の、余裕のない切羽詰まった表情は、もうそこにはなかった。
「さて、改めて本日の目標について確認ですが。舞踏会の最大目標は最も目立つこと、ですわ」
「皇族の方から祝福を得る為、でしたね」
オディールが頷くと、耳たぶに提げられた宝石がちらりと揺れる。
これから行われる舞踏会はキルオ同盟という商人ギルドが事実上の主催となっており、その際には帝国首都から皇族に連なる者を呼び寄せる。
そしてその者が、舞踏会の中で最も目立った参加者に、次の舞踏会まで続く祝福を授けるのだ。
祝福というのは魔術とも異なる不可思議な力で、皇族にしか扱えない高貴なる力でもある。
マギーラとしては持ち前の好奇心から祝福について識ろうとしているようだが、舞踏会にも出席できない者が皇族に接触できる可能性は流石に皆無に近い。
「私にかかれば舞踏会で最も目立つなど朝ご飯前ですが、それでも懸念はありますわ」
「一番はやはり、ピエール様ですか」
「ですわ。あまりあの優男を褒めたくはないのですが、外見だけは一丁前ですから」
苦々しい表情だが、それでも嘘は言えない彼女の言葉は真実である。
財力で言えばゴドレーシはルーフェにそう劣らないのだから、気合を入れた服装で来るだろうことは想像に難くない。
エルフの美貌をある程度継いだ彼女に、最も目立つという目標への到達を阻害する可能性がある、とまで思わせる程度の容姿は持っているのだ。
「ですから、貴方には私が皇族の方の視界に常に入るように立ち回ってほしいんですの」
「なるほど、視線誘導というわけですか」
「その通りですわ。私には貴方一人しかいませんけれど、頼りにしてますわよ」
貴族や名のある商人が列席する舞踏会に於いては、誰と踊るかやどういった衣装に身を包むかなど、様々な思惑が絡み合う。
目的を達成するためには運否天賦に頼らず何らかの手段を取るのが大人のやり方であり、その最たる例が従者を活用する方法である。
取り巻きが多ければ多いほど、自然と視線を集めるものであるし、狙う相手と主との間にのみ視線を通すように位置取れば組を成立させやすくもなる。
セバス一人では出来ることも限られるが、オディールは言葉通り彼に揺るぎない信頼を寄せていた。
「……?」
そこでオディールは、セバスが普段よりも幾分口数が少ない事実に気が付いた。
セバスの入室後すぐに窓の外を眺めていたため、彼が若干目線を逸らしていたことにも、今気付いた。
やや挙動不審な青年の様子を訝しんだオディールだったが、直ぐさま持ち前の自己肯定感と悪戯心を発揮して、挑発的な笑みを浮かべる。
「──もしかして、ですけれど。惚れ直しましたの?」
手を後ろに繋ぎ上半身を傾けたオディールの髪が、ふわりと揺れる。
匂い袋で纏わせた香りがひらりと舞い、理性と情念の天秤からセバスの手が離れた。
「……はい」
「まったく素直じゃないんですから! 私の美貌に見惚れたならそう言えと」
相手の返答を予想して、組み上げていた揶揄いの言葉を口にするオディールだが、ふと気付く。
相変わらず目線は彼女に向いていないが、彼の口から出て来た台詞は、彼女の動揺を誘うには十二分に過ぎた。
自分が攻める側だと思い込んでいた者の守りは、何時だって脆いものである。
「えっ、なっ」
「……何ですか、文句でもあるんですか」
互いに顔を赤らめている絵面は何とも間抜けなものがある。
オディールもまたまともにセバスの顔を見られず、掌で顔を隠し身をよじっている。
状況としては迷境探索直前の更衣室での一幕に近いが、今回はオディールの挑発が原因の為、『そういう状況』という共通理解が発生してしまっていた。
「……」
「──」
何方も何も言えなくなって、沈黙が続く。
セバスは、自分が主に対して魅力を感じている、と自白してしまった上、理性の堤防が決壊した今、気を抜いたら何を言ってしまうか分からず、押し黙っている。
オディールは、冗談のつもりで投げた一言の返答が想像と全く異なっていた事実に動揺し、その動揺を隠そうとして閉口を貫いている。
数秒にも数分にも、数時間にすら感じられる時が過ぎ、ある瞬間、その均衡を屋敷の外からの音が破壊した。
「! き、来ましたわね!」
皇室御用達の浮遊する馬車のような乗り物が、ブルーネンの中央通りを滑り、屋敷の手前でゆっくりと地に降りた。
窓から覗いていたオディールが首を長くして待っていた、皇族の乗り物特有の腹に来る重低音。
屋敷の内側の彼女らには聞こえない、真空空間が解放される際の音がして、乗り物の扉が開かれた。
「……あれは」
「お嬢様?」
<***>
会場には、既に多くの貴族や名うての商人が詰めかけており、誰もが酒の入った杯を片手にしている。
中には数日前から屋敷の客人部屋に宿泊している者もいる。
多くの客人を抱えられるだけの空間、彼等をもてなしうる財力等々、誇示できるところで様々な要素を誇示するのが、ブルーネン城主の戦略の一つである。
「……本日はお日柄もよく、お集まりいただいた皆様には感謝の言葉を……」
大広間の壁沿いに拵えられた台の上、立ち振る舞いに細心の注意を払いながら、オディールが来賓への挨拶を述べている。
「……机に並べておりますのは、帝国の方々より取り寄せた珠玉の……」
今回の舞踏会にどれほどの力を込めているかを、彼女は淡々と述べていく。
つい先ほど渡された原稿を、よくも暗唱できるものだ、と台の一段下に傅くセバスは感心する。
東方の拳法の師から聞かされた『腐っても鯛』とはこのことだろうか、と彼はとりとめもないことを考える。
そうでもしないと、先程の衣装合わせでの一件が想起されてしまう。
「……最後になりましたが、私は体調の優れぬ城主様より副城主の任を賜りましたオディールと申します。以後お見知りおきの程をお願いいたします」
着衣の裾を軽く摘まみ、麗しい令嬢が恭しく一礼すると、会場全体から大きな拍手が沸き起こる。
数秒間その波を一身に受け止めたオディールが、頃合いを見計らって顔を上げる。
「私からは以上とさせて頂きます。それでは続いて、第二皇子のメーア・S・シュトルネン様、お願いいたします」
来賓としてやってきた、皇室に連なる者が口を開ける。
その一挙手一投足は確かに奇跡の一端であり、誰もが目を奪われる。
「──こんばんは。みんな、よろしくね」
柔和な笑みを浮かべる彼の瞳は透き通り、素肌の肌理は芸術のように細かく、天使の羽を思わせるほどの白さが煌めく。
翡翠色の髪は非常に艶やかで、本物の宝石と見紛う程美しいだけでなく、玉座の背もたれから床まで辿り着かんとするほどである。
その玉座もまた、握る部分と車輪が付きつつ、洗練され決して派手ではなく美しい出来となっていた。
あまーーーい!




