第四三話 約束ですわ!
マギーラの魔術によって秘密の部屋の所在が確認された、その次の日の昼下がり。
その日の業務を八割ほど終わらせたオディールは、ヘルツの部屋にお邪魔していた。
昼食を取ってしばらくした時間であり小腹も空いていることから、ちょっとしたお茶菓子を持参している。
茶を持ってきていないのは、ヘルツが用意してくれると知っており、相手に対してもてなしの余地を残すためである。
「ふふふ、オディールさんとお話しできてうれしいわ」
「ちょっとヘルツ。『さん』付けはやめてって言ったでしょう? 私達は友人でしょう」
「ああ、ごめんなさいね。つい、まだ慣れなくて」
慈しみに溢れた両親や侍従に育てられた経験から自然と出てしまった言葉遣いに、ヘルツが恥じ入る。
過去には友人がいたこともあるが、それも親が宛がった情操教育の一環であり、対等とは言えなかった。
けれど、今は違う。
「ふふ」
「どうしたのよいきなり笑いだしたりなんかして。不気味ですわよ」
「いえ、その。何て言うのかしら、友達っていいものね」
生まれも育ちも全然違うけれど、どこか似たものを感じる相手に巡り合えた。
囚われの小鳥も同然の生活を送っていた彼女にとって、その相手はどれだけ有難い事か。
娯楽も勉学も、あらゆる機会と言う機会が奪われた彼女が心安らぐ時間が、オディールとの会話の時間であった。
「それにしても、今日は随分早いのねぇ。あんまり早いものだから、お茶を淹れるのが遅くなってしまったわ」
「そんなの構いませんわよ。私だって、事前に連絡していなかったのだもの、いきなり現れた客人に万全のもてなしを用意しろ、等とは言いませんわ」
「こちらこそいいのよ。取り決めも何もなかったんだもの。来てくれるだけでうれしいわ」
両者共に微笑み、陶器を傾けて中の茶を口にする。
ヘルツが手に入れている茶はブルーネン城主に献上される茶葉の一部を流されたものである。
仕入れ先が帝国の外部である以上茶葉は全体的に相場が高くなるものだが、その中でも鍛えられた人材を最適な土地に投入した品種はより高くなり、二人が口にしているのもその類だ。
地方領主の出であるヘルツは兎も角、オディールにとっては週に数回は喉を通す飲料の一つに過ぎないものだったが、友人と飲む茶は品種を問わず美味いものである。
「さて……」
陶器の中身を一割ほど嚥下したオディールは、机の皿の上に置いて話を切り出す。
割れ物同士をぶつけ合わせても全く音を立てないという所作の高貴さにヘルツが目を見張る。
その視線に気付いたオディールは、一つ咳払いをして注意を引いた。
「ヘルツ、少しいいかしら」
「あら? 何かしら、あなたからお話ししてくれるなんて!」
「後輩として、先達の貴女に聞きたいことがあるんですの。秘密の部屋、というのは知っておられて?」
その単語を耳にした瞬間、にこやかに微笑んでいたヘルツの表情に一滴の曇が宿る。
人を見る目がある方のオディールですら、その変化には気付けないほどの、僅かな曇が差す。
「……えぇ、知っているわ」
「! そうなんですのね! その部屋について、入り方、中に何があるか……他に情報はありますか!?」
「あるわ。入り方は知らないけれど、中で起きていることなら知ってる」
最も欲しかったのは部屋への入り方だったが、それでも内部の事情を知られるのなら悪くない。
身を乗り出したオディールを前にして、ヘルツは再び陶器に口をつける。
逸る相手を落ち着かせるために、彼女は至って平静なまま、慎重に切り出した。
「ねぇオディール。こちらからさかしまに聞いてもいいかしら」
「え? えぇ」
「あなたは、その部屋のことを聞いて、どうするつもりなの?」
「どう、と言いましても。探索したいだけですわ。私、隠し事があるのがどうにも苦手なんですの」
オディールは決して嘘は言っていない。
美しくないものを嫌う彼女にとって、清廉は美徳、隠匿は悪徳であり、仮にも自らが二番目の権限を持つ建物の隠し部屋は暴かねば気が済まない。
城主が秘密の部屋を嗅ぎ回る彼女に対してよい顔をしていないことから、何やら後ろ暗い出来事が起きていると考えられる。
そう来れば、オディールがより一層躍起になるのも道理であった。
「やっぱりあなたは、とっても素直で素敵なひとね。いいわ、わたしが知っていることはすべて教えましょう」
「感謝いたしま──」
「ただし、その代わりに約束して。何があっても哀れまないで。あなたはまだこの屋敷に来て少しだわ、あんまり入れ込むとあなたの心が擦り減ってしまう……」
ただ情報提供を求めたはずが、ヘルツの真剣な面持ちからオディールは事の重大さを知る。
交換条件として提示された、憐憫の禁止。
それはヘルツがオディールを案じるが故に行った、友人としての忠告であるということくらいは、オディールにも分かった。
その心配りに応えるために、オディールは一つ頷いて胸に手を当てる。
「はい。分かりました。私は何があろうと、その話に出てくる誰に対しても哀れみの心を抱かないと誓いましょう」
「ふふ。じゃあ話すわね。少し長いお話になるわ、お茶とお菓子を楽しみながらお話しましょ」
そうして自分から陶器に口を付けたヘルツは、オディールが席に腰を再び下ろしたのを見て、秘密の部屋に対して持つ知識の程を語り出した。
長い話になる、というヘルツの宣言通り、二人の前の陶器の中身は底を突いていた。
それどころか、オディールは一度注ぎ直して尚、空になっている。
美味な茶で腹を満たしたのならさぞかし表情もまた満たされているだろうと思われるが、彼女の表情は何処までも暗いものだった。
「──というお話です。信じるか信じないかは、オディール、あなたに任せるわ」
「……」
「そんな顔しないで。わたし、あなたに暗い顔してほしいわけじゃないのよ」
「それは、分かっていますが……」
友人に励まされても、彼女が顔に彩度を取り戻すには至らない、というか至れない。
薄気味悪いものを見る、といえば聞こえはいいが、伝え聞く限りそんな言葉では飽き足らない。
事前の忠告も頷ける。
「えぇ、大丈夫ですわ。話してくれて感謝いたします」
「いいのいいの。わたしに出来ることなんて、このくらいだもの」
一連の話を聞いた後だと、オディールにとって、ヘルツの穏やかな微笑みの持つ重みが変わってくる。
秘密の部屋を取り巻く異常さを分かったうえでこの笑みを浮かべているのは、稀有な程に胆が太いか、全てを諦めているかの何方か以外にあり得ない。
そしてヘルツの気性の穏やかさで言えば、恐らくは──
「ねぇ、ヘルツ」
「何かしら」
あることに気付いたオディールが思考を中断して、眼前の相手に問う。
貼り付けているわけではない、心からの微笑みを浮かべたまま小首を傾げるヘルツ。
「貴女、怖くはないのですか?」
「う~ん……」
陶器を皿に置き、ヘルツは少し考える。
けれど思案の時間はそう長くならず、彼女は用意していたかのような結論をオディールに向けた。
「怖い、という気持ちは確かにあるわ。けれど、そう思ったからと言ってわたしに何が出来るというの?」
「こんなところ、逃げ出してしまえば」
「そうよね、優しいあなたなら、きっとそう言うと思っていたわ。けれど、出来ないのよ。わたしの力では、頭では、出ていくなんて到底」
そう言って、ヘルツは腕を軽くさする。
ちょっとした動作に気付いてしまったオディールは、怒りを覚えると同時にそれまで気付けなかった自らの目の節穴具合を恥じた。
厚手で裾の長い衣服を着用していたことから隠されていたのだが、ヘルツの身体には至る所に痣が出来ている。
期間にして一年程度の深窓の令嬢としての生活だが、その間に彼女は何度も脱走を試みていた。
無駄だと知りながら、無謀だと悟りながら、仮に脱出できたとて何を目指し何を食い扶持にしていくかすら未定のまま。
「──もう、折られてしまいました」
「……ッ!」
その度に、彼女は隠せる範囲に傷を負わされた。
執拗に、必要以上に、身体ではなく精神を痛めつけるように振るわれる暴力は、彼女から気力を奪い去るには十分すぎた。
怒りを抱きかけたオディールは、歯を食い縛った口を開く前に思いとどまる。
その怒りが出てくるのは、自分がヘルツを憐れんでいるから、ではないかと。
しかし、その逡巡はすぐさま打ち捨てられた。
「ヘルツ! いつかきっと、一緒に此処を出ますわよ!」
「──オディール……言ったでしょう、秘密を知っても、決して」
「覚えています! これは憐憫なんかじゃありません!」
身を引こうとするヘルツの手を、オディールが包む。
久方ぶりに感じた他人の温もりに、ヘルツの心臓が大きく跳ねる。
「あのクソチビデブハゲへの怒りです! 人を何だと思って……!」
「く、クソチビデブハゲ?」
「それだけじゃないですわ! 一番はヘルツ、貴女への心配です!」
「……!」
臆面もなく自らの心意気を相手に伝えられるのは、オディールの美徳である。
ただしその言葉をぶつけられたヘルツは、らしくもなく頬を上気させてしまう。
「こんなところで燻ぶっているのは許せませんわ! 仮にも皇女になろうという私と同じくらい美しい貴女が、こんなところで囚われているなんて……!」
「──」
「だから! 出ますわよ! 私が城主になったら! みんなで!」
オディールの瞳の奥に宿る熱は本物で、ヘルツもそれを分かっているから、首を横には振れなかった。
何時の間にか驚きと照れに覆われていた顔に微笑みが戻り、ヘルツは優しく呟いた。
「えぇ。よろしくね、わたしの──」
「さぁ、そうと決まれば明日の舞踏会に気合を入れなければいけませんわね! 衣装の刺繡も宝石も選び直しですわ! 熱くなってまいりましたわよ! ごめんなさいヘルツ、私もう行きますわ! ではまた! 約束ですわよ!」
嵐のように言葉をぶつけるだけぶつけて、オディールはヘルツの部屋を出ていった。
セバスを呼ばなければ、マギーラにも助けてもらって、等と呟きつつ、オディールは廊下を走る。
一人残されたヘルツは数秒の後に我に返り、お茶会の後片付けを始めた。
「……ふふ」
オディールが口をつけていた陶器を、愛おしむように撫でるのであった。
真相は舞踏会の後に……




