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太陽を抱く君へ  作者: 雛子
第4章 兄

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妹のこと

* * * * *


 テーベから遠く離れた上エジプト、ナイル東岸に位置する都市ムノ。テーベの都と比べればさすがに劣るが、母なる大河からも近いため穀物に恵まれた大都市で、人口も多く、近隣の町からも人々が行きかう賑やかな場所だ。


 その都市の中心地に、どこよりも大きく立派な屋敷があった。城壁のような高い壁に囲まれ、いくつもの部屋と広い中庭を持ち、多くの侍女や使用人が仕え、高価な馬が数頭飼われている。その都市に住む誰もがそこに誰が住んでいるかを知っている。明らかに周りとは一線を引いた、貴人が住んでいると一目で分かる邸宅。その持ち主こそが王からムノの統治を任じられた我が父、軍事司令官イウヤだった。父の血筋は誉れ高くはっきりしていて、王族と同等の長い歴史を持っていた。

 そしてその妻チュウヤの間に待望の娘が生まれた。──それが自分の妹だった。


 妹ティイが生まれたのは、ナイルの氾濫のすぐあとのことだった。

 朝起きたら侍女から母が夜に産気づいたと知らされ、無事生まれたと知らせが来てから数時間が経った昼頃に、侍女につれられて、4歳の自分は10歳の兄アネンと一緒に生まれたばかりの妹なるものを見に行った。

 天気の良い、まだ昼前の涼やかな風が流れてくる時間帯だった。


「坊ちゃま方、妹君ですよ。ああ、なんて可愛らしいんでしょう」


 母の出産に立ち会ったメティトに守られるようにある小さな篭に、赤ん坊がいた。


「うわあ、小さくて可愛いなあ」


 兄は嬉しそうに頬を高揚させて赤ん坊を覗き込んでいたが、自分は顔を顰めていた気がする。決して妹の誕生を喜ぶ兄の顔でなかったのは確かだ。

 赤ん坊とは常に泣いている存在だという想像に反して、その妹なる赤ん坊はまるで人形のように線対称の顔で穏やかに寝息を立てていた。

 そもそも本当に人から人が生まれるのだと、自分もこうして生まれてきたのかと少し驚いたことも覚えている。

 赤ん坊は確かに小さいが、人間から生まれてくるには大きすぎやしないかとすら考えた。


 そんな妹は、数か月経つとよく笑うようになった。

 ころころと転がっているだけだったが、やがて四つん這いで進めるようになり、歩き始めると、ふくふくしていた顔が少ししゅっとして、生まれた時には全くなかったはずの髪が伸びた。

 母の生まれ故郷──北方の血筋のためか、この国の人間にしては肌が白く、髪は黒に近い茶色で波打っている。瞳は、家族の誰とも異なる淡褐色を湛えていた。母はその目を「おばあさまの目だ」と嬉しそうによく言っていた。


 その波打つ茶色がかった髪を揺らし、ふくりとした頬を桃色に染め、長い睫毛に包まれた淡褐色の明るい瞳を細めてきゃっきゃっと声をたてて笑う。

 そのころから何にでも好奇心旺盛で、近づいてくるものすべてに触れようとして、歩き出すのも早く、手を離せばどこへででも駆けていきそうな子だった。

 そんな末の妹は両親に心底大事にされ、使用人や侍女たちにも可愛がられて育てられた。



 妹は、成長するにつれて多くのことに興味を持つようになった。

 他の貴族の女たちのように、何もせずお飾りのようであればいいものを、それをよしとせず、兄である自分たちが父から教えを受けていると、羨ましそうにこちらを覗いていて、しばらくすれば母かメティトがやってきて妹を連れて行くのが常だった。


 妹がそうなったのは、同じ身分の者同士で交流せよと考える父の考えによるものだったと思う。

 ムノでは我が一族が頂点であり、ティイに並び立てる身分の令嬢が近くにおらず、身近な存在が自分たち兄だった。そうなると必然的にティイの身近にあるものは、兄たちの勉学や武術になる。

 母と共にいるよりかは、父や父が不在の時は家庭教師に教えを請う兄たちについていく方が妹は楽しかったようだ。男子の世界に、ティイは興味津々だった。


 兄たちが父から勉学や武術を教わっていると、それを覗いてくることが何日も続いたある日、それを見かねた父が「少しだけなら」と妹に声をかけてまず神学を教え始めた。

 父から初めて勉学を教わる妹は、こちらが驚くほどに顔を輝かせていた。

 それがすべての発端だったように今では思う。

 妹は、剣も弓も馬を乗りこなす技術もあっという間に物にして父を驚かせた。兄二人が同じ年の頃はそこまでできなかったから尚更だ。

 馬に跨る姿は女でありながら凜々しさがあり、明らかに兄二人よりもその才に溢れていた。水を得た魚とはまさにこのことだ。


 しかし、女では意味がない。

 妹の出来の良さに当初父は喜んでいたが、その無意味さに気付いたように、途中からすべてを妹から遠ざけるようになった。勿論普通の令嬢たちが嗜むものは喜んで買い与え、衣服や装飾品などもよく贈っていたが、それらはティイが心から喜ぶものではなかった。

 ティイは自分の馬や剣、勉学のための粘土板やパピルス、そして知識が何より欲しかったのだ。




 ティイは、穏やかで誰にでも人当たりが良い一番上の兄にはとても懐いているが、年が近い自分とはよくいがみ合っていて、仲が良いとはとても言えない。顔が似ていながら、考えは正反対。家のことを顧みず、自分の好きなように動く妹が、俺は正直嫌いだった。


 何度も問題を起こす。ムノの都市で一番の屋敷に住む令嬢でありながら伴も連れないで外へ抜け出したり、文字が読めたり、勉強をしたがったり、他の国の言語に興味を持ったり、神聖な文字をそこらの子供に教えようとしたり、剣を振り回したり、弓も操れたり、馬にも乗れたり──何より、禁じられていても自分のやりたいことを貫く強い意志があった。

 これらはすべて男子がやるべきものであり、女には必要がないとされるものだ。

 男として生まれていたのならそこまで問題にならないことも、名家の娘となれば噂の標的になった。妹はムノから出たのは幼い頃の一度だけだ。それなのに妹の姿を見たことない者たちまでが噂を口走る。


 「軍事司令官イウヤの変わり者の娘」──それはティイの代名詞でもあった。


 噂がありながらもティイがそこまで蔑まれなかったのは、軍事司令官イウヤの娘という肩書きがあったのと、王家と同等の歴史ある血筋の生まれだったからだ。


 妹は、父が惜しみながら教えることをやめた理由を分かっていない。

 それが何より腹立たしかった。

 娘のため、娘の幸せのためだと本人が分かっていないことが忌々しかった。



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