エルデ、収穫祭の日に王城後宮へ向かう
その日の夜半……
まだ、アーガス修道士様、リックデシオン司祭様や聖女補の皆様が小聖堂に居られる時に、新しく整えられた裏門の護衛聖堂騎士様が静かに聖堂にみえられたの。
凛として、ハッキリとした口調で、私に問いかけられたのよ。
「第三位修道女エル様。 本日、探索者協会からのお荷物が届く予定は御座いましたか? 夜半に、至急便であると、そう口上されておられるのですが?」
「探索者協会の方ですか? いいえ…… 此方から緊急にお願いしたモノは御座いませんが…… あちらが、なにか急遽必要な薬剤が発生したのかもしれませんね。 玄門の外に?」
「はい。 お通しして良いものか、判断が尽きませんでしたので、伺いました」
「至急便…… ですものね。 急病人か、大怪我をされた方が居るのやもしれません。 お通ししてください」
「御意に」
かなり変則的な訪問ね。 こんな夜分に、探索者協会の方が至急便を仕立てるなんて…… なにか、良からぬ事が起こったのかしら? 聖堂騎士様が玄門に引き返されて、固く閉ざされた門を開けられた。 小さな馬車が玄門をすり抜け、小聖堂の前に走り組んで来るのが、聖堂から見えたの。
その速度は、邸内での基準速度をかなり超過しているわ。 よほど、慌てておられるのでしょうね。 リックデシオン司祭様もアーガス修道士様も、常ならぬ訪問に、眉間に皺を寄せられていたのよ。
小聖堂の横手の薬師処入口に到着する小型の馬車。 御者台から飛び降り、薬師処の扉前に立ち、口上を述べる一人の男性。
「第三位修道女エル様! 大事ありませんかッ! 探索者協会、王都治癒所組合、王都錬金術士協会の重職の方々より、エル様の御体調を伺う書状をお預かりしてまいりました。 小聖堂、守護修道士アーガス様に、わたくし ブンターゼン商会 ルカ=アルタマイト が、皆様の書状を携え罷り越しました事、お伝え申し上げますッ!」
まぁ、ルカ。 ルカなの? こんな夜半に、取り急ぎと…… 駆けつけて下さったの? と云う事は、私が成した事、そして、成された暴挙に関しては、貴族学習院内で広がっていると見ても間違いないのね。 それは…… ちょっと、早すぎません?
「あの坊主か。 影よりエルを助けるとは云ってはいたな。 庶民階級の者が王族のサロンに入れるわけも無し。 まぁ、限界があるからな。 エル、お前は聖堂に留まれ 俺が対処する」
「はい。 でも…… ……御意に」
小聖堂の入口を抜け、ルカに声を掛けるのはアーガス修道士様。 この小聖堂の『 守り人 』 なのだから、そうなるわよね。 リックデシオン司祭様は渋い顔をしながらも、ルカの出現にはある程度の納得をされて居たの。 眉を片方挙げて、二人して薬師処前に来る姿を見ているのは、ちょっとどうかと思うんだけど…… 雰囲気が…… 雰囲気が…… 怖いのよ。 聖堂を出て、ルカの前に立ちふさがるお二人。 不測の事態の回避の為か、私の傍に修道女アリョーシャ様、修道女ミーティア様が、影の様にピタリと沿われるのよ。
「こ、これは、皆様…… 夜分に失礼いたします」
「いや、いい。 それで?」
「はい、此方に、各ギルドの重職様方の書状が御座います。 既に、大まかな事情は学習院に通う者達から通知されております。 現在、貴族家や有力な市井の家の者達の間で、困惑が広がっております。 エル様に於かれましては、” 屈強なる騎士見習い ” に暴行を受けたとの由。 各重職の方々より、必要な薬剤、錬金素材、癒しの手が必要ならば、直ぐにでもご協力を との、思召しで御座います」
「成程。 そうか。 エルが癒しの手と奉仕の慈しみは、王都内の者達にも浸透していると。 まぁ、そうだろうな。 案ずるな、ルカ。 エルだぞ? あの、あのエルだぞ、魔獣にも立ち向かう在野最強の修道女が、そう易々と打倒される訳が無かろうに」
「ではありますが、あの場では、修道女様では無く、侯爵家の御令嬢としてと伺いました。 ですので、常の各種防御魔法陣など、張られてはおりますまい。 まして、王家のサロン。 魔法の使用は、極限まで制限されております。 か弱い女性に対して行われた暴挙。 これ、案ずる事は必然かと?」
「うむ…… まぁ、そうか。 エル、声を聴かせてやれ。 どうも、ルカの心は千々に乱れているようだしな」
「はい。 ルカ…… 大事在りませんよ。 ちょっと、頬を叩かれただけですもの」
「エル!!」
聖堂を出て行こうとするも、二人の修道女様方に制止される。 ” 御姿は御見せに成る必要は御座いません。 今は、大事の時。 心易き者の中にこそ、刺客は潜むモノ ” と、声なき言葉で告げられるのよ。 ホントに、過保護よね。
「まぁ、今夜は警備を厳重にしている。 判るな」
「…………御意に。 ですがッ!」
「お前の並々ならぬ気持ちは、十分に理解する。 暴挙が行われて、まだ幾許も時間は経っていない。 にもかかわらずだ、市中の有力者たちの協力と同意、それに援助を取り付けこの場に遣って来た。 それだけでも十二分に驚嘆に値する。 が、一つ疑問がある。 何故にそれ程修道女エルに心を砕く? 例え、お主の出自が リッチェル領、領都アルタマイトであり、アルタマイト神殿の孤児院の孤児だったとしてもだ。 暴挙を行いし者が、リッチェルに連なる者。 ならば、なにか裏が有ると考えるのも、妥当ではなかろうか。 理由が知りたい」
アーガス修道士様の疑問は聖堂教会関係者ならば、理解はできる。 リッチェル領アルタマイト出身の独立商人ならば、当然の様にリッチェル家と深い関りが有っても不思議では無い。 リッチェル家の周辺の者達としては、今回の出来事に関して、少しでも私の心証を良くして、リッチェル侯爵家が御三男 オルランド=バララント=トリ=リッチェル従子爵への制裁に手心を求めたくも判る。 そして、白羽の矢が立ったのがルカだったのかもしれない。 そう考えるのが、聖堂教会としては、まぁ妥当だと思うの。
私としては…… 別な考え方なんだけどね。
ルカは独立商人。 アルタマイトで師事していたのは、独立不羈を座右の銘とされる、ブンターゼン商会の前会頭であるエルネスト=アルファード老。 あの方が、単一の侯爵家に与する事を良しとする筈もなく、そして、この国に根差す者としての『 矜持 』 を、ルカに植え付けていた事は、私も知っているわ。
でも、私も知りたい。 此処までルカが私に心を砕いてくれている 『 理由 』を、知りたいの。
だから、黙っていたわ。
「アーガス修道士様。 それに、リックデシオン司祭様。 何ゆえにと、お尋ねになりますか。 私をして、リッチェルが家の意向を携えて罷り越したと、お思い故でしょうか?」
「有体に云えば、その通りだ。 状況が状況だけにエルの護りを鑑みれば、有識者による守護者以外は排除すべきと考えても居る。 その中にお前が入るかどうか、それが故に尋ねた」
「理解しました。 …………少々、長くはなります。 背景情報を説明せねばなりませんし…… しかし、全ては報恩から。 私だけでなく、私に連なる者、祖霊、苦しみに喘ぐ者達からの…… 圧倒的謝意とその慈しみに対する報恩の念からの行動。 それが理由になります。 彼女が何を成したか。 リッチェル領がどの様な有様であったのか…… アルタマイトでの多くの者達は口を塞がれておりますが、しかし、それでも心の中では、エルの事を…… いいえ、リッチェル侯爵令嬢 エルデ様の事を心より慕っているのです。 それ故に、わたくしは此処に存在します。 手足となり、耳目となり、エル様が征く道に光を灯さんが為」
「ほう…… 成程。 確たる『定め』と云うか。 神聖精霊誓約に匹敵する己が約定と云うか。 交易の守護者たる精霊様へ誓いを建てたと?」
「元より。 創造神様へも、誓いを建てております。 ……理由の一端は、わたくしの出自にも関係致します。 わたくしが、何を見、何を聴き、何を思い、誰を恨み、誰に感謝したのか。 それを御話いたします。 自身の誓約も又、その話の内側に在します。 お聞きくださいますか?」
「聴聞神官の資格は得ている。 他言はせぬよ。 語られよ、若き独立商人 ルカ=アルタマイトよ」
「はい。 ではまず、わたくしの出自から………………」
月の光が降り注ぐ小聖堂の前庭。 すっくと立ち、二人の高位の神職の前に何も臆することなく言葉を紡ぎ始めるルカ。 その言葉の連なりは一片の叙事詩を聴くが如く。 朗々と清清と流れる讃美歌の様に。
ルカは…… リッチェル領を拠点とする商隊の一家に生まれたそう。 商隊とは、旅路の中で商品を仕入れ、それを販売する集団。 その中でも、比較的大きな商隊だったそうね。 それが彼の本当の出自。 本来ならば、その商隊の一員として成長を遂げる筈であった彼。 でも、理不尽と暴虐が彼からそんな未来を奪い取った。
―――
ルカの話を聴くまでも無く、その頃のリッチェル領は、明らかに荒れていた事を私は知っている。 ある意味当事者でも有るのだから。
領主であるリッチェル卿の代替わり。 それが起点と成っている。 先代様の思いもかけない死去に伴い、万事準備周到なるリッチェル侯爵家に於いても、それは異常な事柄。 ご領地に於いて、何年も研鑽を続け、その果てに襲爵するべき者が、後を継がれたのよ。 現当主様は、先の当主様の突然の病死と云う異常事態で、御領地の政務を司る事も無く、御領地の政務に就かれる事も無く、侯爵への襲爵が執り行われたの。
他の貴族家ならばそれでも良い。 しかし、リッチェルは特殊な家門でもあった。 王宮に於いて、各種の官僚達の配分と取り纏め。 有能なる者達の教育と推挙。 更に、理念を政策に落とし込む為に成される、ありとあらゆる手練手管を弄する事。 その全てが、若き当主の双肩に掛かった。
本来ならば、リッチェル領にて研鑽を積むべき時期。 しかし、それは許されなかった。 当主として、家門を束ねる者として。 国家の官僚達の要として。 よって、本領リッチェル領に於いて、代官を置く事で領政を回す事とした。 が、不運な事に、自身が動かせる者達の中で有能なる者達は王宮に推挙せねば成らない。 上手く回っていた領政については、国府に就かせるには足りない物達を宛てるしか方策は無かった。
自身の家門連枝の家の者とは云え、その様な者達が辺境領の領主達を上手く関係性を持つ事は至難の技。 有力者たちとの間に軋轢を齎さぬ様に、調整に努めるも、元来、頑固で融通の利かぬ者達を相手に四苦八苦の状況が続いていたの。
それが故に、リッチェル領では、幾つもの場所で同時多発的に政治的な破綻が生じていたの。 収穫物の減少は、治水事業の失敗から。 領民の逃散は、魔物達が森から溢れたから。 その警備に偏りが出たのは、辺境貴族家の者達の保身ゆえの事。 辺境部でも辺縁部と云う場所は、とても危険な場所となった。
多くの人々が命を落とし、財産を失い、失意と命の危機を迎えていたの。 各辺境家の主たる町や、リッチェル領 領都アルタマイトでは、まだ十分安全とは言えたけれど、それを繋ぐ街道はもはやとても商隊単体での移動もまま成らない、そんな状況だったのよ。 そして、潰えた商隊の一つが、ルカがその生を受けた場所。
赤子の彼が命を永らえたのは、ご両親の想いが結実したから。 魔獣に襲撃され、その上、夜盗にも追討ちを掛けられた彼等 商隊の面々の殆どは死ぬか奴隷とされて連れ去られたの。 ルカは、大きな壺の中に隠され、壊れた馬車の奥深くに隠されていた。
彼にとって幸運だったのは、その襲撃跡を各神殿や聖堂を巡る武装神官達が見つけた事。 ボロボロの馬車の残骸の奥から、赤子の泣き声を聴いた一人の武装神官がルカを発見したの。 同道していた修道女の腕に抱かれ、孤児となってしまったルカは、比較的安全な場所であった、アルタマイト神殿に付属する孤児院へ収容された。
「…………こうして、私は物心つかぬうちにアルタマイト神殿の孤児院に収容されました。 当時のアルタマイト神殿は、まだ枢機卿オズワルド大司教が着任する前。 大聖女オクスタンス様も王都聖堂教会に在しておられました」
「つまりは…… リッチェル家の影響を強く受けていたと?」
「はい。 残念ですが、その通りに御座います。 極地の大聖堂の事情は、今も昔も変わりなく、その地の苛烈さ故に、その地の領主さまの守護を強く求めます。 御領の安全を真剣に考える御領主様であれば、領民達の安寧に聖堂を守護する事は当たり前です。 しかし……」
「リッチェルは違ったと。 十五年前と云うと…… 卿が襲爵した直後か。 荒れたであろうな」
「はい。 それはもう。 事情が理解できる今ならば、仕方の無い事と納得も出来ましょう。 しかし、当時は恨みと悔恨と後悔に、心を燃やしギラついておりました」
「うむ…… そうか。 辺境の地は過酷。 さらに十分な統治が成されていないとなれば、過酷さは増すな。 人心も荒れ果て、安寧からは遠ざかる。 それは理解出来る。 ……その状況を変えた者が居たと?」
「心あるアルタマイトの住人、聖堂の者達。 状況を憂慮した聖堂教会の方々と慈悲深い御人柄の大司教様の赴任。 さらには、廃大聖女様の隠居の地となった事。 リッチェルが力が衰えた当時、彼の方々が人々の希望の光となりました。 荒んだ人々を癒し、導き、そして 人としての心を思い出させて下さいました」
「そうか。 しかし…… 辺境の聖堂で出来る事は多くは在るまい。 まして貴族家の庇護無くしては、無垢なる者達への施しも、十分なモノとは言えまい」
「……それすらも、あの時期のリッチェル領ではそれすらも精霊の恩寵と思える程。 ですが、突如としてリッチェル領に新たなる陽光が、生まれました。 暗闇を切り裂き、精霊様方の恩寵を導く、幼き領主様が」
「それが、エル…… いや、エルデ=ニルール=リッチェル侯爵令嬢であったか」
「はい。 僅か八歳の幼子。 御領主様代理と、そう代官の方々が口にされておられました。 リッチェル家がお嬢様。 初期の頃は皆戦々恐々となりました。 幼子を見せかけの旗頭に、代官共のいいようにしようとすると、そう考えられておりました」
「ふむ…… 当然だろうな。 事実は違ったと?」
「はい。 あの方は…… エルデ様は、熟達の領主様が成される様に、あっという間にリッチェル領を掌握され、その上周辺貴族家の思惑まで、躱し、いなし、対抗し、従わせたのです。 滞っていた『領政』は、周辺貴族の思惑を誘導し、金銭の流れ、物流の流れ、領主が命令を従わせ…… 急速に御領の状況は回復致しました」
「成程。 ……例の噂は本当であったと。 しかし…… それだけでは無かろう? お前の個人的な信仰にも似た想いは」
「はい。 ご存知の通り、エルデ=ニルール=リッチェル侯爵令嬢は、御身体が弱く御領で静養されておられたと。 療養の甲斐があり、ご体調も安定して王領王都に御帰りになりました。 王都聖堂教会に於いて、侯爵家の特権と、事情の特殊性ゆえの特例により、御令嬢は『神名』を含む名を新たに取得されました」
「ヒルデガルド=シャイネン=マリディア=リッチェル侯爵令嬢 ……と云う訳か。 その事情は知っている。 名が身体を蝕み、故に病弱となってしまった為に、聖堂教会に於いて授けられた『神名』を変更したと。 しかし…… お主、それを信じてはおらぬのだな」
「……当然かと。 事情有る貴族の子弟、主に女性の貴族を受け入れていた女子修道院に、ある日…… とある男爵令嬢が収容されました。 名をヒルデガルド=メイリン=グランバルト男爵令嬢。 御実家が消滅した事情の在る御令嬢でした。 そして、彼女は消えました、その『名』と共に。 そして、女子修道院に一人の堂女が、精霊の道に入られました。 その心、慈愛に満ち、迷える者達に道を見せ、苦しみに沈む者達に癒しを与える、そんな存在でした。 私も又…… 道を示された者の一人。 光への道。 その道に魅せられ、只々、その道を極めていく事。 それが、わたくしの未来へと続く道。 その切っ掛けを戴きました。 よって…… その方を大切に思うは必然」
「取り換え子か。 全てを押し付けられ、全てを失っても尚、その真心は変わらず…… か。 成程、自身の未来への道を見せた聖女に忠誠を誓うのは、理解出来た。 お主の出自と事情から、苛烈に過ぎる事実と、折れて然るべき心を慈しみの心でつないだ事柄。 ならば、その想いは創造神様への誓いと成るか。 ………………良かろう」
「ご理解いただき、有難う御座います」
「学習院での情報収集や、状況の醸成については、お主に一任しよう。 エルの守護者、ルカ。 君に幸あらん事を。 リック、お前もそれでよいな」
アーガス修道士様の問い掛けに、リックデシオン司祭様も同意されたわ。 渋々と云う感じではあったのだけどね。 苦笑いを表情に浮かべ、アーガス修道士様は頷かれる。 念には念をと、私の周囲の状況は、これまで以上に固められて行く。
ルカと向き合って、お礼が言いたいのに、それも止められているのは、少々釈然としないけれどね。 月の光が降り注ぐ中、ルカは私が十二分に護られ癒されている事を理解して、安心してくれたの。 ” くれぐれもよろしくお願いいたします ” と、そう口にしつつ、乗って来た馬車に向かい、幾許かの箱を取り出し、それをアーガス修道士様に渡したのよ。
「一級薬師様が使用されるに相応しい素材に御座います。 探索者協会の秘蔵とか。 お納めください。 今宵は、第三位修道女エル様にお逢いする事は諦めましょう。 彼女が健やかならば、是非も無し」
「済まぬな。 素材に関しては、エルに伝え置く。 エルならば善きように使用するであろうからな」
「御意」
深く頭を下げ、ルカは来た時よりも余程落ち着いて、道を引き返したの。 聖堂内から、彼の行く道の安寧を祈る。 彼は、彼の未来を見据え、歩きだしているのだもの。 その道が波乱に満ちたモノであっても、出来る限り平穏な日々を送って行けるようにと…… そう、創造神様と精霊様方に祈りを捧げたの。
真摯に…… 深く…… 魂を捧げる程に……
ボンヤリと、私の周囲が明るくなる。 跪拝の私が黄金に光る。 聖堂内と云うのに頭上に開く大空間。 幽界との狭間にある玄門が開き、私の祈りが一筋の光柱となり玄門に吸い込まれて行く。
” 聖女が祈り、受け取った。 祝福を彼に。 加護を彼の守護者に。 世界の理を以てコレを授ける ”
玄門から舞い降りる、神聖な風。 御者台に座るルカを、光の風が取り巻きルカの中に吸い込まれて行った。 上位存在である方々の祝福が、今、彼に与えられたのよ。
「エル…… やり過ぎだ。 あの神聖さは、正に高位聖職者と同じだぞ。 願うのが…… 神聖聖女ならば、そうなるかも知れんが…… また、聖堂教会に無許可で奇跡を行使するのは、どうかと思うぞ? リックが苦々し気にアノ若者を見ているじゃないか。 ……世界に愛された独立商人か。 はてさて、どのような漢に成る事やら……」
「素敵な方になりますよ。 きっと」
「だろうな。 あの誓約を胸に生きているのだ。 そうなるか。 さて、あ奴も小聖堂を後にした。 今後の対応もまずまず出来たと思う。 夜半も過ぎた、そろそろ休むべきだな。 俺は、本日の事柄を教皇猊下にご報告申し上げねば成らないから、まだ休めぬがな。 ……本当に、いい加減にしてくれよ! この歳で徹夜は辛いんだ」
「……申し訳ございません」
頭を下げて、謝罪を口にする。 いや、ほんとうに意図せず色んな事が起こってしまうのよ。 ホントよ、ホント。 わたしも、かなり疲れたから、本棟に帰る事としたの。 頬の痛みは治まり、腫れも引いたし、今は眠りたいの。
だって、もう直ぐ……
とんでもなく厄介な『 お茶会 』への出席を求められているのだもの。
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本日は、国を挙げてのお祭りである『収穫祭』。
あの日の次の朝に、私付に新たな侍女が二名追加されたの。 あっさりと、なんの躊躇もなく、ミランダ=エステファン家政婦長は彼女達を受け入れたのよ。 顔見知りなの? 家政婦長様の ” さも、当然 ” と、云わんばかりに対応に、私の方が混乱したわ。
そして、別邸での私付の侍女が都合六名。 皆様、とても良い腕を持っていらっしゃるのよ。 なにせ、王宮高級女官候補 と、元王宮高級女官 兼 暗部の人…… ねぇ、これって…… どうなのよ。 高が一人の第三位修道女に付ける人員としては、破格もいい所よ。
本家、本宅の本物のフェルデン侯爵家令嬢であるマリー様の専属侍女すら上回るわよ…… 何で、こうなってしまったのよ…… 本当に訳が判らなくなって来たわ。
『収穫祭』の日。 夜明け前に起き出して、何時もの様に小聖堂に向かう。 朝のお勤めは、私の心行の一つ。 神様と精霊様に感謝の祈りを捧げ、一日の平安を祈願する。 清い精霊様方の息吹を、身体一杯に感じながらの祈祷は、朝のお勤めと云う日課。
高位の修道女である、修道女アリョーシャ様、修道女ミーティア様の御二人が、私の両脇に跪いて一緒に『朝のお勤め』を勤行して下さったの。 彼女達は、聖女候補を拝命されているとの事だったので、神聖聖女の私の脇侍を勤める事は、教会の規定に従った事なんだけど…… ちょっと…… かなり…… 違和感を覚えてしまったのよ。
秘匿されてはいるのよ、私が神聖聖女だって事は。 でも、この方々…… 知っていて当然と云う感じで、私に付いて下さっているのよ。 誰からの命なのか…… うっすらと、浮かんでくるのは、懐かしい大聖女様の御顔。 多分…… 間違いは無いよね。 ホントに…… 過保護なんだからッ!
『朝のお勤め』が終り、本棟に戻る。
いよいよ、支度せねば成らなくなったわ。 今から意識を切り替えないと、あの豪奢なドレスを着るには気後れがしてしまうわ。 シンプルなドレスだけど、生地から縫製に至るまで、超の付く程の特級品なのよ。 それがフェルデン侯爵家の家格と云うモノなの。
そんな、形に負けない様に、私自身も 侯爵令嬢 に、変化するの。 高位貴族家の令嬢心得は嫌と云う程、叩き込まれたわ。 今世も含め二十八回ね。 だから、意識の切り替えは滞りなく行われたの。
ええ、第三位修道女 エル から、フェルデン侯爵家 養育子 エルデ=エルディ=ファス=フェルデン侯爵令嬢にね。
湯浴みを終え、お肌の手入れを済まし、下着姿で姿見の前の椅子に腰かける。 すぐさま、髪結い侍女が、整え始める。 今日は『お茶会』と云う名の御披露目会。 つまりは、基本と規則に則った、相応の髪形に結い上げる必要が有ったの。
別に、ダンスを披露する訳じゃない。 誰かにエスコートをして貰わねば成らない事も無い。 でも、姿形、身に着けるモノ、纏う雰囲気は、王城で行われるデビュタントと同様にせねば成らなかったのよ。
―――― 幾度も繰り返した人生で、初めての事。
ええ、本当にきちんと準備して貰えたのは、二十八回目の今世が初めてなのよ。 幾多の前世に於いては、あくまでもヒルデガルド嬢のおまけとして、おざなりに準備されただけ。 だって、私、本物の貴族とは言い難かったんだものね。 それを誤解して…… 誤認して…… ね。
今考えると、みっともないったら、ありゃしないわよ。 その資格も無いのに、盛大に暴れてねぇ…… はぁ、今更ながら、羞恥で顔を覆いたくなるわ。
髪形を整え、ドレスを纏い、お化粧を施される。 そして、ミランダ家政婦長に渡される逸品。 手渡されたのは、お母様の扇。 普段使いの物では無く、フェルデン本邸に秘蔵されていた、特別な扇なのよ。
お母様がデビュダントに使用された、とても繊細な扇。
王城に招かれると云う名誉と責務に従い、御披露目の正礼装を纏う私……
姿見に映る私の姿に、何時にも増して別人感が強く心を掴む。 今は…… そう、今はフェルデン侯爵家の娘として振舞わねば成らない。 頑張れ、私! この国の筆頭侯爵家の娘として、無様は晒せないもの。 それは、深く深く体と心に刻み込まれたリッチェルでの教育の賜物。 ええ、二十八回も刻まれたんだもの、ある意味、私の魂に刻み込まれた第二の本能とも云えるわよ。
―――― 貴顕たる高位貴族の娘が、王家の方に謁見する。
本来ならば十二歳の時に『お披露目』が有るのよ。 そして、十五歳になったら、正式に貴族家の者として陛下御臨席の元 社交界に デビューする。 私の場合は…… ちょっと事情が事情だから、正式なデビュタントはしていなかったの。
色々な柵と問題を一挙に解決すべく、今回の『お茶会』が用意されたと聞くわ。 ええ、正規のデビュタントでは無く、王妃様の『お茶会』に於いて社交界にデビューすると、そう伯父様にも云われたの。 養育子としては格別のご高配ね。
でも、フェルデンが娘となれば、その扱いでもまだ不足気味だそうよ。
伯父様の御言葉が誠ならば、なにも難しく考える必要は無い筈だった。 王城に伺候し、王宮にてご挨拶申し上げ、ちょっとした歓談を持ち、帰邸する。 でも、伯母様の御話により、全ては覆ったのよ。 そんな、簡単なモノでは無かったの。
色々な柵と、王妃様の御宸襟に於かれては、別の意味で私との 『 特別な邂逅 』 を、望まれていたのよ。
その為の特別な装いを、最後に纏う。 聖櫃の中に保管してあった、 『斎戒のストラ』を、そっと取り出し、首に掛ける。
コレで、私は侯爵令嬢にして、聖職者と云う 特別 な存在として、完成したの。
―――――――
盛大なお祭りに王都在住の人達が浮かれているわ。
予定通り、フェルデン侯爵家の家門入り『黒塗り』の馬車が、別邸に到着する。 既に夫人とマリー様は、馬車の中で御待ちになっていたわ。 此れから王城に向かうの。 お二人とも緊張感が何時もとは違うわ。 如何な高位貴族とは云え、王城への伺候はそれ程の緊張を伴うのよ。
気軽に行けるような場所じゃ無いもの。
馬車の窓から、浮かれている街の様子を見詰めていたの。 ……王城へ続く石畳を軽快なリズムを刻みつつ突き進む馬車。 侯爵夫人たる伯母様は堂々と、正令嬢たるマリー様はとても緊張した面持ちで、そして、私は若干引き攣りつつ…… 沈黙が支配する馬車での同道となったのよ。
沈黙の中、この茶会の準備の期間中に、幾度も繰り返された《お話》を、思い出していたわ。
―――
お忙しい王妃様が、無理矢理に時間を作られ、フェルデン侯爵夫人を筆頭に王国の重臣の御家の女性陣との謁見を決められたの。 それが、『収穫祭の日』だったのよ。 国を挙げてのお祭りだけど、『公務』として、出席する事は無いのだそう。 一般の参賀に対しては、一度か二度…… 王城のバルコニーにお出ましになるだけなんですって。
御言葉は、陛下より宣せられるから、その間、側に居られるのが公務と云えば、公務だそうよ。
だから、その日だけは、王妃様は比較的時間が取れるので、非公式な会合などが予定されて居たらしいの。 それを全てキャンセル成されて、時間を捻出された。 それ程までに、フェルデン侯爵夫人が出席する『お茶会』を重要視されている…… と云うのよ。
―――― でも、其処に真実は含まれていない。
王妃様の目的は、あくまでも私。 第三位修道女の…… いいえ、多分、『神聖聖女』の誓いを立てたる、私 …………ね。
王妃様は、私と直接言葉を交わす事を強く望まれているとの事だったわ。 何をお望みなのかは判らない。 でも、強く『神聖聖女』が権能を行使する事をお望みなのは、薄っすらと透けて見えたの。
私が『お目見え』していない、高位の貴族令嬢だからと云うのは表向き。 伯母様からの言外の言葉で伝えられたのは、私には重い責務でもあったの。 夫人の言葉が思い出される……
” ……厳選された方々が御一緒ですが、それは表向き。 王妃様は『第三位修道女 エル』 として、貴女と逢いたいと御所望なのです。 深い憂慮すべき事柄が、王妃様の御宸襟に在らせられます。 その憂いを払う事が出来るのが、貴女のみ…… 判っているとは思うのだけれど、女性貴族の社交は表裏が一体。 決して王妃様の御宸襟の憂いを周囲に悟られぬ様に、注意深く言動に意識を持ちなさい。 そうね、アルタマイトでの貴女の様に。 ……万事その様に。 表向きは、フェルデン侯爵家の新たな娘の御披露目よ。 其処は外さぬ様に。 そして、王妃様の憂いを取り除いて欲しい ”
全くもって不本意ながら、伯母様の『言』もまた真であり、私はどう云い繕っても、フェルデン侯爵家の『侯爵令嬢』の立場である事には違いない。 例え、期限付きの『準貴族籍』の『養育子』であろうが、この身にはフェルデンの蒼き血が流れている事実は否定できない。
そんな娘が、『十六歳に成ろうと云うのに、社交界への御披露目も無く、ただ時が過ぎ『神籍』へと立ち戻るのを待っていると云うのは、フェルデン侯爵家の面目を丸潰しにする行為でもある』 諭される様に、そう云われると、全く否定できない。
と云うのも、私の中にはアルタマイトで教育された、貴族の慣習や常識と云ったモノが、しっかりと刻み込まれているから。
伯母様は、其処を突かれた。
私が望もうと、望まなかろうと、周囲の目…… 特に成人貴族女性ならば、フェルデンの娘がどんなものなのかを興味深く見詰めていると。 私が無様を晒せば、それは即ちフェルデンの傷と成ると。
覚悟を決めたとしても、コレはとても辛いわね。 明らかに、第一王子殿下に喧嘩を売ってしまったのだものね。 あの煌びやかな集団への意趣。 既に伯父様には言葉を発し伝えた事柄。
ヒルデガルド嬢 の危険性をね。 その存在が、周囲に及ぼす影響をね。
これも、王妃様が特にと私にご興味を示された理由でも有るのかしら?
増々憂鬱さに拍車が掛かったの。