エルデ、収穫祭の日に王城後宮に向かう その前に…… 宰相執務室
マリー様と共に王宮に出向いたの。 手順通りの請願は、時間かからず受理されて、王宮への扉は開かれたの。 荘厳な王宮。 様々な役所、部局が並ぶ執政府の中を、王宮勤務の官吏の方の案内で送り届けられたのは……
――― 宰相府、 宰相閣下の執務室 ―――
…………だったの。
――――― § ――――― § ―――――
規則通りの手順を踏んでの宰相府への訪問。 普通ならば、そう簡単には許可が下りないはずだけれど、今回ばかりは、待ってましたと言わんばかりの対応ね。
マリー様が宰相府に面会の許可を求めると、即座に承諾されたのよ。どうやら、召喚される予定だったみたいね。 「手間が省けて良かった」と言わんばかりの官吏の顔が、ちょっと面白かったのは内緒。
――――そして、現在に至る。
マリー様と私の二人が案内された場所は、この国の舵取り役が鎮座するべき部屋。 そう、宰相府の宰相執務室なのよ。 その重厚な雰囲気に、マリー様は既に圧倒されておられるのよ。伯父様の職場ということ、そして何より、伯父様の威厳とその存在感に畏怖を感じておられるマリー様の顔色は青白くなり、震えていらっしゃるの。
そりゃそうよね。 だって、その部屋には高級官吏たちが、物も言わずに出たり入ったりして、難しい顔をしながらいろいろな書類を届けているのだもの。 その雰囲気は尋常なものではなく、この場所がいかに緊張を伴う職場であることを如実に示しているわ。
このままでは、マリー様がきちんと『ご報告』をするのも危ういかも…… だったら、最初から私が報告したほうがいいわよね。マリー様は頑張っていらっしゃったんだから、これ以上ご負担をかけるわけにはいかないもの。
もしこれが御継嗣様なら、問題なかったかしら? どうかしらね。 並んで座っているソファで、私たちは静かに伯父様の入室を待っていたの。 此処は、私が前に出ないといけないわ。
これ以上のご負担は、マリー様には酷だものね。
その時間すら、マリー様にとってはとても居心地が悪いのか、小さな声で私にお声をかけてこられたの。 不安に満ちた声色でね。
「御従姉様……」
「……マリー様はよくやっておいでです。年若く、慣れない交渉事。まして、王族相手ですもの、想定以上に困難を伴うことでした。ご立派でした。しかし、マリー様の社交術はまだ未熟。宰相閣下へのご説明は、私にお任せいただけませんか?」
「はい……よしなに。御従姉様……私は、自分の未熟さを痛感しております。お父様への『ご報告』は、お任せいたします」
「御意に」
重厚な空気が漂う中、伯父様は控えの間から執務室に入られ、様々な書類が積み上がる巨大な執務机の前に座られた。 一枚、二枚と報告書らしきものに目を通される伯父様。 ある程度の報告書を読まれた後、伯父様は沈黙された。 その書類から、既に王国の暗部からの報告を受けていることが伺えた。 事態はあまりにも重大すぎる。 伯父様から声が掛かるまでは、私は何も言葉にしない。
それが、今の私にできることのすべて…… ちょっと、頬が痛み出したわ。
学習院の生徒の範疇を超えた幾つかの出来事。 殿下の御宸襟を揺るがす事態、リッチェル従子爵の妄動。そして何より、国外の暗部が厳重に守られているはずの『王家のサロン』に、暗器を持ったまま侵入していたこと。
―――― これらは一級の大事件といえるわ。
沈黙を守り、瞑目しつつ何かを深く考え続ける伯父様。 ゆっくりと瞼が持ち上がり、鋭い眼光が宿ったの。 伯父様の視線が私の腫れた頬に向けられ、しばらく固定されたわ。
「エルディ……無茶をするな。 アレに顔向けできん」
若干の呆れを含んだ御言葉が伯父様の口から漏れたの。 これから『お話合い』が始まるのね。 伯父様は、宰相として対峙するか、それとも『家族』として対峙するかを相当に悩まれたみたいね。
そして、私を家族として遇していることを
思い出されたかもしれないわ。
その証拠に、『儀礼的』な言葉を使わず、お話合いが始まったの。 緊張感を伴ったピリピリした空気感が幾分……少し変わった。 そう、執務室の空気が和らいだと言えるわ。 殊更に硬く儀礼的な言葉を紡ぐべきではないわ。 伯父様の『姪』として言葉を紡ぐのが至当だと考えたの。
「お母様の娘ですもの、フェルデンの不名誉に対しては断固たる行動をとりますわ」
「アレに…… 性格が似すぎだ。 そうだったな…… アレの気質も、貴族家、それも筆頭侯爵家の娘の矜持を存分に保持していた。法衣男爵家に嫁ぐという前代未聞の行動もまた、それが故の行動であったといえるのだ…… 詳細は、またいずれ話してやろう。 そして、誰よりも愛し、誰よりも信頼していた男との間に生まれたのがお前だ。 はぁ……なるべくして成ったか。 ……それで、エルディ、あの影の者たちのことは最初から知っていたのか?」
「蓬莱国の暗部のことですか? シロツグ卿の目付として来訪した方々かと。 シロツグ卿曰く、『チ』の一族と…… 今回の一件で、私に彼女たちの『目』が、常にあったことに、初めて気が付きました。 戸惑いを隠せません」
「まったく、どうしたものか。 暗部の手練れが冷や汗を流していたぞ。 あまりの出来事に、瞬間出遅れたと。 その隙を突き、一気に刈り取られそうになったと報告があった。 エルディの『言葉』がなければ、それこそ大惨事が引き起こされていたところだった」
「状況は、その通りでした。 ですから、わたくしは、今回の事が、『偶発的出来事』とは思えなかったのです。 私は……『それが目的だったのではないか』と考えております。 それほどに、今回のことは異常に過ぎます。 伯父様…… そう考えてもおかしくはないのでは?」
私の問いかけに、伯父様はしばらく沈黙を守られた。 闇に紛れる真実を白日の下に晒すような、そんな言葉。 少し無理筋かとも思うけれど、ここは王領、王都のど真ん中。 貴族的思考が普通にまかり通る場所でもあるのよ。
私を打ち据え、大きな反応を得たいと考えたのかもしれない。 私が反撃するなりして、私の印象を悪く印象づけるために…… 聖堂教会と王侯貴族の間にある溝をさらに深めるために…… そのためには国家間の紛争も辞さずに……
考えすぎ…… だとは思うけど、『一考の余地』はあると思うの。 だから伯父様に問いかけたのよ。 よく調べてみないと、背後関係なんて掴めないもの。 『沈黙』を破られた伯父様の口調は極めて重かったわ。
「………………無いな」
色々調べた結果、伯父様がようやく口にした御言葉。 宰相閣下の元で、『王家の貴人に対する暗殺』をも視野に入れて捜査が行われていた、ということ。 それを聞いて、胸の奥がざわついたわ。 でも、伯父様は最終的にこう結論を出したの。
「あれは、あの馬鹿者の単独行動だった。 とても個人的な怒りと苛立ちを抱えていたようだ。 様々な方々から裏を取った。 サロンに集まった者達、リッチェルが息子に誤った考えを吹き込んだ者、高貴な方々、そして…… 当事者自身にも事情を聞いた。 まぁ、近衛左軍の検察官が担当したから、尋問というよりは事情聴取といったところかな。 既に、エルディのように状況を見て、それを利用しようとした者もいた…… いたが、潰したよ」
伯父様の冷静な言葉に、少し背筋が凍る思いがした。でも、その事実を知っておくべきだと思ったの。 流石は王国の宰相府。 情報管理の徹底は骨柄に沁み込んでおられるわ。 つまりは、既に情報の収集は終わっていると。 そう考えて、まず間違いは無いわ。
「そうなのですか…… では、『高貴なる方の暗殺未遂』という筋は無かった、ということなんですね?」
私の声が少し震えたのを感じた。 ここが本当に大きなポイントだったの。 もし暗殺未遂が現実だったら、それは独立国同士の問題に直接繋がってしまう。 王家のサロンという特別な場所に、他国の暗部が入り込んでいたとしたら、それだけで事態は大事になるわ。 それに、もし私がそれに加担していたなんてことになれば、大逆罪にまで話が発展するかもしれない。
だからこそ、伯父様は慎重に動き、関係者から話を聞き、事実をひとつひとつ確認していったの。 そして今、伯父様がその結論を私に語っている。
「……ああ、エルディが心配していたように、妙な解釈をしようとした連中が蠢いていた。 しかし、その動きは握り潰した。 事実では無い事に、余計な手間を掛けるまでも無い。 主にリッチェル門下の者たちだ。 どうやらあいつらは、冤罪をでっち上げてまで『あの馬鹿』を、助けようとしていたらしい。 そうしないと、あの馬鹿者を救えないと思ったんだろう。 相当焦っていたと見える。
だが、お前のおかげで、その目論見も潰せた。
あの時、もしあの馬鹿者の血が流れていたら、『蓬莱』を巻き込んで、外交問題どころか、国家間の一触即発の事態になっていたかもしれない。 あの家の者たちは、自分たちの直系男子の罪を隠すために、国家間の紛争まで利用しようとしたんだ。 いや、今はそれはどうでもよい。 『チ』の一族 コレが問題と成っている。 驚くべき事に、あの者達を、蓬莱の大使が連れてきた。 顔を晒して、私の前にな。 暗部の者を出すか普通…… あちらも、相当に危機感を抱いていた。 大使は大いに恐縮しても居たな。 ……しかし、本当に問題なのは、シロツグ卿の『御命令』だな」
伯父様が私をまっすぐ見つめながら話すその言葉に、私も頷いた。確かに、他国の貴族令嬢――それも、養育子に過ぎない私を守るために国の暗部の人員が動かされた理由が、どうしても読み切れなかった。
「仰る通りですわ。 あの方の意思がどこにあるのか、まだよく理解できません」
「大使が言うには、シロツグ卿はエルディを蓬莱に招きたいと考えているようだ。それで、『どんな些細な危険にも相応に対処せよ』という命令を出したらしい。 連れてこられた二人…… 顔が腫れていたよ。 シロツグ卿から鉄拳制裁を食らったそうだ。 ” エルディが感じた痛みと同じ痛みを知れ ” と、いうことだな…… 判っているとは思うが、エルディ、友は慎重に選ぶんだぞ」
「伯父様のお言葉、心に留めておきます……」
伯父様の言葉は重く、胸に響いた。 これからはもっと慎重に行動しなければならないと、改めて肝に銘じたわ。 最悪の事態や、国家間の混乱は未然に防げた。 それが一つの救いだった。
安心したせいか、思わず深いため息をついてしまったのを、伯父様は見逃さなかったみたい。 苦笑しながら私を見ていたの。 たぶん、私がある程度の政治的判断ができるようになったと感じたんでしょうね。 そして、そこで伯父様は私に、罪人の処遇について尋ねてきた。
もし私が極刑を求めたら…… きっとそれは通ってしまう。 でも、それは避けたい。だから、私はこう答えたの。 ” 出来る限り、最も良い形を目指しましょう…… ” と。
「エルディ、この愚行に対し、どのような罰を望む? リッチェルに全てを任せるか?」
「それは、宰相府としては如何なものかと。 事は王家のサロン内での傷害沙汰。 一家内で処罰を決める事は叶いますまい。 王家の威信にも触れます」
「ほう、見えるか。 王家の威信を持ち出してしまえば、厳罰に相当するのだが?」
「それは、あちらも織り込み済みに御座いましょう。 故に無理筋な暗闘が引き起こされた…… 殊更に政治的な衝撃を求めたと、解釈いたします。 ハッキリと申し上げるのならば、ここで、罰を彼の家の中だけで終わらせる事は、王家の『鼎の軽重』を問われます故、軽々しくは決せられません。 此度の仕儀については、わたくしにも『非』が御座います。 故に、宰相閣下に刑罰の軽減を嘆願いたします」
「被害者からの減刑か…… 成程。 それで、落とし処は? 重謹慎と騎士職見習いを剥奪か……」
王都内にあの方を留めると云うの? それは、どうかと思うのよ。 だって、そうすれば、ヒルデガルド嬢がまた横槍を入れ、何もかも有耶無耶になりかねないし、そもそも元凶だと知っている私には、あの二人を同じ邸内に置く事には、とても同意できる事では無いのだもの。
貴族思考的には正解だろうけれど、私の考えは、そうじゃない。 この事柄を利用して、リッチェル家の潜在的な問題も解決できる道を提示したい。 それが、私が授けられた教育への感謝の気持ちと云うのも、あながち間違いでは無いのよ。
「……不十分に御座います」
「お前…… 何を考えた?」
切れ者の宰相閣下の瞳に鋭い光が浮かび上がる。 私が何を言い出すのか、興味を強く惹かれたと云う事ね。 問題の切り分けと、その複合的な対処。 私が望むのは民の安寧、国の平穏。 よって、貴顕を問題から遠ざけるのは当たり前の考え方。 それが、私を打った人であったとしてもね。
「はい。 宰相閣下の御耳にも届いておりますでしょ? 以前より、あの方の評判は、頗るよかった筈に御座いますわよね」
「あぁ、社交界の評定も、学習院内での評判も、近衛騎士団の評価もいずれも高い。 高潔な貴族の矜持を持っている若き紳士だと、そう判断されていた。 もし、『 目撃者 』が第一王子殿下や、その側近候補でないならば、夢や幻として処理されていたかもしれぬよ」
「で、御座いましょうね。 それ程の人物が、何故 狂ったかのような暴挙に出られたか。 思う所が有ります」
「何なりと言ってみよ」
私の確信めいた言葉に、伯父様は強く興味を持たれた。 そうね、今後の危機を未然に防ぐ為にも、必要な事柄。 だからこそ、伯父様は耳を傾けて下さるの。 正直にありのままを御話し、ご対応をお願いしたのは本心なのよ。
本来ならば、口に出して良い事柄では無いのだけれど……
精霊様方が私の勧請に何の掣肘も無く、『精霊が息吹』を 王家のサロン に吹き込まれたのが、その理由でも有るの。 精霊様方は、あの方が纏う、妖精様方の『加護』は危険だと、そう認識されいたのかもしれない。 だからこそ、私の勧請を快く引き受けて下さった。 そう考えても然るべきなのよ。
あの力は、精神を歪めるのだもの
「はい、あの方が狂うのは、ある人物が、関わる時のみと、思われます。 御自身の全てを投げ打ってでも、その方の御意思を突き通すのだと云う、狂信的な心情が垣間見られました。 邪魔する物は容赦なく排除すると。 そう何かに強いられているかの様に視えました。 わたくしは、精霊様方の御加護により、それを見ておりました。 あの方の纏われている力と云うか…… 発現していたのが、『準精霊魔法』。 妖精様方の『御加護』に御座いますわ」
「ん??? どういうことか」
妖精族の在り方、そして、その性質なんて、王宮魔導院でもご存知の方は少ない。 そんな事柄を知っているのは、本当に僅少だし、伯父様も、ご存知なかった。 聖堂教会の中でも、聖典の解釈に於いて様々な説があり、未だ定まった見解は無いのよ。
だからこそ、安易にその存在を表に出す事は出来ない。 だけど、このまま放置する事は、重大な結果に結びつきかねないのもまた事実。 だから、意を決して伯父様に申し上げるのよ。
―――― 問題は、ヒルデガルド嬢の存在に在り ――――
とね。
「はい、あのサロンに於いて、わたくし達が入室した際、一際濃密な『御加護』の気配が有りました。 それは、ひとつの加護では無く、複合した…… 少なくは無い、妖精様方からの『御加護』の集合体に御座いました。 確かな事は、とても『歪な御加護』であったこと。
世界の創造神様の御意思を、わたくし達、人に託宣されるのは『精霊様』に御座いましょ?
妖精様方では御座いません。 彼等、妖精族の方々は、人と精霊様方の間に立つ存在で在りますわ。 つまり、精霊様の思召しをもって、この世界の理を律する為に、存在されておられる方々。 あの敬うべき方々は、この世界に近い場所で御暮らしに成っております。 精神性は『この世界の生きとし生ける者』に近く…… 故に、ヴェクセルバルクなどと云う悪戯を成します。 言い換えればとても人間臭いのです」
「それが、どうしたと云うのだ?」
事の重大さに未だお気づきに成られていない伯父様。 仕方ないので、聖堂教会の秘事を少々開陳する事にしたの。 疎遠になってしまった、聖堂教会と王侯貴族との間では、この手の秘匿事項なんか、伝わる筈も無いしね。 情報の取扱いに細心の注意を必要とする、妖精様方との交流。 妖精様方の御加護に関して言えば、精霊様の思召しと違い、直接に『人の子』の心に対し作用する。 功罪併せ持つその『御加護』に関しての知識。 『罪』の部分に関しての『効能』を紐解いたのよ。
「あのサロンに充満していたのは、妖精様方の『御加護』。 詳細は判りかねますが、幾多の妖精様が特定の人物に対し、御加護を集中させており、その香りは甘く、魅惑的で、蠱惑的でもあります。 聖職者のわたくしにとっては堪え難き程に『 不快 』でしたので、大精霊様にお願いして、息吹をサロンに吹き込んで頂き、その濃密な心地悪い加護の力を吹き飛ばして頂きました。 その結果は…… 事象として、御存知かと思われますが、言葉に致します。 ……それまで、高圧的なまでに振舞われていた殿下の御言葉が変化したのは、その後の事に御座います」
「つまり…… なんだ…… 惑わされている? というのか?」
「いえ、そうでは有りませんわ、伯父様。 聖堂教会にて秘匿されている『事実の一端』をお知りに成る事は、ある意味『世界の闇の部分』を抱える事と同義。 ある意味、伯父様には御覚悟をしていただかねば成りません。 ……宜しいですか?」
「構わない。 これでも、一国の宰相職の信任を得ている身。 悪辣な思考も又必然。 秘匿されし事柄を受け入れる事も又、私の職責に当たる。 忌憚なく、事実を教えて欲しい」
「判りました。 伯父様…… いえ、宰相閣下の御覚悟、感銘いたしました。 では、余計な修飾は省き、妖精様の御加護の『罪』の部分の情報をお伝え致します。 最たるものは、『加護』は、惑わすのではありません。 対象となる人々の『感情』を抑え、好意を増幅させる事に御座います。 言い換えるならば、『愛する事を強いている』と、云えましょう」
絶句する伯父様。 王国内で、精神に干渉する魔法として認識されている【魅了】とか、【魅惑】の魔法は、『闇魔法』として存在しているのよ。 そちらの魔法体系はよく研究されているし、防御方法も確立されているわ。
―――― でも、『妖精様の御加護』は別。
精霊魔法に近く、そして、体系的にとてもあやふやでもあるの。 周辺国からも尊崇の念を抱かれている、王宮魔道院の高位魔導士とは云えども、おいそれと扱う事は出来ないし、代々の国王陛下からも、その研究については、禁じられている。 あぁ、聖堂教会の教皇猊下の思し召しなのよ。
” 悪戯に高次の方々の業を盗むべからず ”
という、建前の元にね。 だから、伯父様にとって、この情報は衝撃となった筈。 伯父様は沈黙を守りつつも、瞠目している。 きっと、その優秀な頭脳の中で、王宮魔導院の方々との折衝が起草されているのでしょうね。 ええ、『護り』は、固めなくては成らないもの。
「『準精霊魔法』。 妖精様方の『御加護』は…… この世界の理からすると、とても歪です。 特定の条件下においてのみ、その行使を認められているに過ぎません。 精霊様の御意思の元、行使すべき『力』なのです。 ですが、今回、精霊様の御意思の存在は有りませんでした。 精霊様方も、困惑しておいでに御座います」
一旦、言葉を区切る。 伯父様の認知に時間を取るのよ。 だって、いきなりこんな事を云われたって、理解するのすら一苦労するはずだもの。 まして、聖職者として下地の無い方に、この概念を説明するのは、至難の業でもあるわ。 宰相職という、重責を負われている伯父様だからこそ、多分…… きっと……
時間は掛かるけれども、理解して下さると期待しているの。
ゆっくりと事実を咀嚼した伯父様は、ゆっくりと頷かれる。 続けるように視線で促されたわ。
「……そして、その影響は、 ” 時と共に増大し ” 強固と成り、自身の行動や矜持なども忘却してしまう程の力と成るでしょう。 故に、あの方の愚行は、あの方だけの『責』とは言えぬと、申せましょう。 先程、不十分と申しましたのは、その為です。 影響が強く出ている為に、今もあの方の『正義』として、心の中心に据えられておられるであろう、ヒルデガルド嬢の御意思。 王都リッチェル家の邸内に軟禁したとしても、それだけは不十分だと申し上げた次第です。 近くに、『元凶』と成る妖精族の方々がいらっしゃるでしょうし、あの家では御令嬢が望まれたならば、『愛する事を強いる』御加護の近くに侍らせることも又…… 必然かと。 それでは、何も変わりません。 何の意味も御座いますまい。 リッチェル家の御三男を、あの家から…… 引き離す事が肝要に御座いましょう。 さすれば、才豊かな方が、本来の姿に立ち戻るやも ……しれません」
人の悪口や陰口を叩くのは、聖職者としては、” あるまじき事 ” なのだけれど、こればっかりは、そうも言ってられないのよ。 彼女の為人が『善』であっても、その言動に大きく影響される人達がいる。 そして、その多くが貴顕と呼ばれる方々で、『愛する事を強いられている状況』では、事の善悪や貴族の規範や矜持を保っていられるはずも無く…… 要は、ヒルデガルド嬢の歓心を買う為に過激な行動に移られると云う事ね。 困ったモノよね。
「…………人材は何処も払底している。 騎士の誓いを忘れた者でも、その根底を思い起こさば、再び矜持を取り戻し、誇り高き者に立ち戻ると…… そう云うのか?」
「罪を罰で処すだけでは、この世界の理を護る事は出来ますまい。 その心情、心根は、……きっと、…………多分、………………願うならば、変わりなく其処に在ると。 そう、祈らずには居れません」
私の希望を耳にした伯父様は、感に堪えないと云う感じで、大きく天井を仰ぎ見たの。 きっと、わたしの出した『処罰』の方策は、貴族的には間違っている。 でも、状況を勘案せずに、法典に乗っ取った処罰を与え続けて行けば、いずれ、王国の人材は枯渇する。 暫しの時間、沈黙が執務室に落ちる。 衣擦れの音一つ無い中、執務室に集う者達は、伯父様の言葉を待っていたの。
そして、伯父様は宰相閣下として『決する』のよ。
伯父様は、ゆっくりと顔を私に向け直され、低く渋い声色で私に言葉を紡がれたの。
「………………流石だな。 教会秘蔵の聖女とはこういう者なのか。 人を殺すよりも、状況を変化させ活かせと。 いや、それだけではあるまい。 一度、兄と呼んだ者への慈悲か。 リッチェルへの義理もあるか…… よい、エルディが想いは理解した」
「有難く……。 あの方は、リッチェルが教育を受けし者。 ならば、心根は民を想い、国の安寧に尽くす者。 その本来の姿に立ち戻って頂きたく存じます。 ですが、王領、王都に居られましては、それも叶いますまい。 辺境と呼ばれる場所に移送され、御心に怒りを持たれても、それは、わたくしに向かいましょう。 そして、辺境の施政は個人の感情など、芥に過ぎぬほど過酷。 歪んだ感情を矯正するには、とても善き場所であると鑑みますれば……」
「『悪女』と呼ばれようと、それもまた織り込み済みと…… その覚悟と心情は如何に過酷な修練を積んだかを物語るな。 大聖女オクスタンス様の秘蔵っ子と云われる訳だ。 判った、あの者については、『王領、王都よりの所払い』を、陛下と貴族院議会に奏上する」
「有難く…… 幸いな事に、リッチェル侯爵領、領都アルタマイトには、リッチェル侯爵家、御継嗣エオルド=ミルバースカ=グラド=リッチェル従伯爵が、領政に取り組まれておられます。 年々減少する作柄状況を改善し、増大する『魔物の脅威』を払う為には、力ある騎士の必要性が鑑みられます。 御継嗣様が御領の施政に専念するならば、片腕となり汗を流す方が必要。 そして、あの方は近衛騎士として望まれる様な方。 であるならば、御継嗣様に合力為され、御領安寧の為にその力を振るわれる事こそ、リッチェルが御領の為、ひいては御国の安寧に結びつくでは無いかと愚考いたしました」
「成程な。 流石は、幼くしてアルタマイトの『女領主』と、云われていただけの事はあるな。 領の問題も、その解決策も、既に見出していたと。 …………理に適っている。 罪人であると云う意識も無い者に、表面上の『罰』を与えても意味は無い。 ならば、それが理解できるようにするのも又、我らの仕事と云う訳か。 さらに、侯爵領の潜在的問題に関しても手を打てるのならば、それに越した事はないな。 エバン、聴いていたな。 此度の暴挙の始末については、その線で纏めよ。 良いな」
「御意に」
―――― § ――――
宰相府 執務室という、この国の舵取り役が鎮座する場所に於いて、事は決せられた。 退出の許可を得て、宰相府 宰相執務室から退出する。 マリー様は始終沈黙を守られていたわ。 執務室から出たとたん、力が抜けたようにふらつかれたのよ。
まぁ、相当に精神的に来たのかしらね。 マリー様を支えつつ、王城を辞したの。 既に馬車は玄門に回されており、マリー様は本邸に御帰りになった。 消耗したご様子を、本邸の侍女様方が心配し、私に強い非難の視線を投げて来たのは、まぁ、ご愛敬。
私も又、無紋の馬車が用意されていて、それに乗ってフェルデン別邸へと帰還する事にしたのよ。 そうね、私がフェルデン侯爵家の令嬢として認識されてはいるから、まぁ、そう云う対応を取るわよね。 車窓を流れる王城から貴族街の街並みを眺めながら、今回の問題を総合的に考えてみるのよ。
問題と成る事は、『蓬莱』の出方よね。
シロツグ卿が何を考え、何を思い、国の暗部と云える『チ』の一族を私に宛がわれたのか。 何を成そうとされていたのか。 良く判らない事ばかり起こるのよ。 そろそろ、頬の腫れが気に成り出したわ。 痛みが、強く前世の記憶を刺激するのよ。
よく似た場面を「記憶の泡沫」が、私に提示しているのよ。 その場面では、無様にオルランド=バララント=トリ=リッチェル従子爵によって、この ” そっ首 ” を、落とされていたんですもの。
でも、少し道は逸れたと思うのよ。
もし、『世界の意思』が、前世の記憶通りに、私に対して牙を剥いているのならば、こんなモノでは済まなかった筈よね。 少しずつ、分岐地点で善き方を選び、私が死なない様に、そして、誰も傷つかない様に…… してきたのですものね。
少しは……
あの忌まわしの歴史に楔を打ち込んだと、
…………そう思っても良いかと思ったの。