エルデ、貴人達と対峙する。
「それはそうと、マリー嬢。私の要望を叶えてはくれないか? ケイトとかいう子爵の娘が、マリー嬢に仕えていると聞いた。それをヒルデガルド嬢の侍女として譲ってもらえないだろうか?」
「それは……」
殿下…… いきなり ” お話し合い ” を、始めるの? しかも、かなり直截的な言葉をお使いになるのね。ヒルデガルド嬢も、大層期待に満ちた視線をマリー様に投げかけているわ。
私のことなんて、気にしていないみたい。まぁ、そんなものよね。
マリー様は、かなり困惑しておられるようね。 それも当然よ。マリー様としては、もっと貴族的な、回りくどい”お話し合い”を想定されていたようだけど、殿下はそれを無視して、直截的に問いかけられたのだから。
当然、マリー様は答えに窮している。
口元に扇を近づけ、視線だけで私と会話を交わしているの。 それは、正に困惑の表情。 貴族社会では無理筋のご要望だわ。 殿下の『御言葉』は、貴族社会の秩序に真っ向から挑戦するようなものだもの。 言外の言葉で、マリー様は今後の懸念をお伝えになったのね。 ふむ、良く勉強されているようだわ。
” 御従姉様、どうしましょう。このまま赤裸々に拒否すると、宰相家と王家の間に亀裂が生じかねません。王妃殿下は第一王子殿下を高く評価し、また期待もされているご様子。殿下だけでなく、王妃殿下の反感を買うのは如何なものかと…… ”
” なるほど、その点も考慮に入れねばならないでしょうね。分かりました。私が代わりにお応えしましょう ”
高速で交わされる、言外の会話。 第一王子殿下に対応するため、視線を煌びやかな集団に向ける。 ヒルデガルド嬢から放たれる、何かしらの光が彼らを強く包み込んでいる。 あれが…… 私とマリー様には、精霊様の強力な加護があるからあまり感じないけれど、他の方々には相当に影響を与えているようね。 そう…… ” 愛することを強制する力 ” 。
――― これは、『風』を呼び込むしかないわね。
「……多くの貴顕が集まるサロン。少々息苦しく感じます。窓を開けて、空気を入れ替えていただけませんか?」
王家のサロンに常駐する使用人たちが私の言葉に反応する。 「養育子」とはいえ、第一席の侯爵家の令嬢の言葉は、それなりに重く受け止められる。 マリー様が口に出せばたちどころに成されることも、私が口にすると少々時間がかかる。
侍女や侍従がサロン付きの侍女長様の方を見遣り、侍女長様の小さな頷きで、行動に移される。細長い窓やバルコニーに出る扉が開かれ、外気がサロン内に入ってきた。 これを私は狙っていたの。口の中で、精霊様への讃美歌を紡ぐ。
風の大精霊様、大地の大精霊様が、その讃美歌の呼びかけに応えてくださり、精霊の息吹がたっぷりと含んだ風が、ゆったりとサロン内に吹き込まれる。ふんわりと、緩やかに……
王家のサロンの中に吹き込まれた『風』が、粘り付くようなヒルデガルド様を取り巻く ” 何かしらの意思 ” を、吹き散らした。もともと『妖精様』由来の意思であるはずよね、その ” 何かしらの意思 ” は。 だから、その上位存在たる『精霊様方』の息吹に対して、抵抗も虚しく吹き飛ばされていったのよ。
つまりは…… ちょっと、皆様の頭が冷えたってこと。さて、始めましょうか。
―――― § ―――――
「王子殿下。 殿下の御宸襟は、測りかねます。 私たちフェルデン家に連なる者としては、殿下のご希望とはいえ、その御言葉を遂行することはいたしかねます」
「……犬が言葉を紡ぐか」
私の言葉に、殿下は不快そうな顔をした。 でも、それは悪手よ。 さっきから、マリー様は私の『立場』を上げてくれてる。 そのことは、このサロンにいる侍女や侍従もわかってるのよ。 そんな中で、その言葉を口にするなんて、いかに殿下でも許されないことだわ。
「フェルデン侯爵家の娘、エルディとして発言させていただきます。 殿下におかれましては、フェルデン侯爵家に何かお心当たりがあると……そう判断せざるを得ません。 また、殿下のご希望は、貴族家門、連枝、寄り親、寄り子の関係性に楔を打つ御意思……ということになりますが、いかがでしょうか。 さらに言えば、その根拠たる王国貴族法に対して『否』を口にすることと同じです。深い洞察と考えをお持ちの第一王子殿下の御言葉とは思えず、その真意をお聞きしたく、今日は参上した次第です」
「ん? 貴族法? それは何だ。 ……誰か、知っている者はおらぬか?」
ヒルデガルド嬢の『何かしらの力』が吹き飛ばされたけど、殿下の思考力はまだ戻ってないみたい。 我が国は『立憲君主制』なの。 いかな国王陛下でも、『不磨の大典』を無視することはできないのよ。
たとえ国王陛下御自ら、何らかの事情で国法を破らざるを得ないとしても、その理由を貴族院議会に『諮問』し、『承認』を得ないとダメなの。 だからこそ、王族は貴族を超える『国法の知識』を幼い頃から叩き込まれるのよ。
例えるなら、王族は国法そのもの。 王族はその一挙手一投足まで王宮典範の下で御暮らしに成れているのよ。
さらに、疑問がある場合は『尋ねる』のが普通。 それが、王たる者の資質なわけ。 だからこそ、優秀な人達を傍に置くのよ。 今の殿下の答えは、ギリギリ王族の『資質』にかなってると言えるわ。
本来なら、殿下はこのことを知っているはず。 それを知らないなんて、相当に “ 曇らされている ” としか言えないわね。 殿下の問いかけに答えたのは、殿下のすぐ近くにいるべき人だったわ。
涼やかな声。凛とした言葉。それに、よく勉強しているのがわかる内容ね。そう、第一王子妃になるべく研鑽を積んでいるグレッチェンド公爵令嬢の口から、しっかりした言葉が流れ出てきたのよ。
「殿下…… 王国貴族法第八条二項、その2からその4が該当します。 また、付随する王国習慣法に関しても、『寄り親』と『寄り子』の関係性について定義されており、その関係性を他の貴族家が侵犯することを禁じています。 これは、『不磨の大典』における貴族家の『独立性』が担保されているため、破ることは各種の法典により禁じられております。 殿下のご希望は、この禁を破る可能性がありますことを進言いたします」
「なに? 『不磨の大典』まで絡むのか?」
「はい。それほどの事なのです」
ふむ、と、殿下は頷いた。グレッチェンド公爵令嬢の視線は、まだ宙を彷徨っているようだけど、心の中ではしっかりと殿下を見つめているのがわかる。 そうじゃなきゃ、あんなにきちんとした言葉を紡げるはずがないもの。 彼女の意思は、殿下の側に立つ者のそれと言っていい。
殿下は、頭の片隅にあった教育官からの教えが蘇ったのか、理知的な光が美しい瞳に浮かび上がった。 一旦口にしたことではあるけれど、ここは非公式な場所だし、貴族学習院の中にある王家のサロンという隔離された場所だから、公式の発言として記録されることもない。
――― 祐筆もいないしね。
殿下は自分の言葉に大きな意味が含まれていた事を、自覚されたのね。 王族としての資質が問われているわ。 そして、一つの答えを導き出した。 でも、それは悪い意味で。 だからこそ、ここでは何も言えなくなってしまった。
でもね……
そんな中で、ひとり私の目を引いた人がいる。 豪華なドレスを纏い、素敵なアクセサリーを身に着けて、幼子のようなツインテールを揺らしている人。 手に持っている扇で顔を隠すこともなく、感情をあらわにした淑女未満の礼節を晒している方…… 殿下の後ろ右側で、ものすごく不満げな顔をしているのよね、その方……
――― ヒルデガルド=シャイネン=マリディア=リッチェル嬢。
自分の意向が何よりも優先されると思い込んでいるのが、その表情にありありと出ているわ。 ……あなた、ケイト様が貴女に忠告したときに、いらないって言ったでしょ? それを周囲に漏らして、ケイト様の真意もわからずに。 あなたの常識を置き忘れたような行動で、多くの貴族の方々に…… 矜持を守る人たちに、どれほどの不安を与えたことか。
それすら理解できずに、「些細な事だけど……」と、周囲に不満を漏らしていた。
強く反応したのは、あなたの『何かしらの力』に強く影響されている人たち…… そう、あなたの家族よ。 彼らが過剰に反応したの。 特に、あなたの父親であるリッチェル卿がね。 だからこそ、裏でいろいろと手を回して、あのファンデンバーグ法衣子爵家が成り立たなくなっていったのよ。
そう、間接的にケイト嬢が貴族学習院に在籍できなくなるほどのことをね。
それを、わかっているのかしら? もしかして、狙っていたの? あなたも、二十七回に渡る前世の記憶をしっかりと持っていて…… そのシナリオ通りにしたっていうの? だからこそ、今この時点でケイト様を侍女として望むの?
……多分、
違うわね。
だって、前世ではフェルデンの御継嗣様が、その立場と知識、そして知恵を存分に使って、あらゆる不都合に対応していたんだから。それで、貴女の分厚い防壁に、落ちぶれたファンデンバーグ法衣子爵家の才女を、フェルデンの御継嗣様がリッチェルの御三男である オルランド=バララント=トリ=リッチェル従子爵様 に、勧めたのよね。
そんなフェルデンの御継嗣様が、早々に殿下の側を離れた時点で、何もしないのはおかしいわ。でも……もしかして、何かしらの「記憶の断片」でも残っているのかしら?だから今になってケイト様を侍女に望んでいるのかしら?
判らないわ。
でも、周囲の反応がいまいちなのは、曇らされた「理性」が状況判断を狂わせたせいかもしれないわね。全部がヒルデガルド嬢の思い通りになる……なんてこと、ありえないのに?それとも、それが当たり前として認識されているのかしら?
――― つまり、これが……『外なる神の干渉』ってこと?
大変なことね。 このまま " 汚染 " が進めば、殿下はいずれ陥落するわ。そして、王家に、そして、この国の舵取りに、彼女の『何かしらの力』が影響を及ぼし始める…… そうなったら、我らが創造神様や偉大な精霊様方が、世界を輪廻させなければならない程の、大問題が発生する事に成るのよ。
つまり、『問題の根源』が、今、目の前にあるってことね。
――― 理解したわ。
「有難う御座います、グレッチェンド公爵令嬢様。 ……殿下、『不磨の大典』を侵犯する可能性を考慮して、フェルデンの者として殿下の御言葉を再考していただけるようお願い申し上げます。 また、どなたかの依頼かはわかりませんが、法を侵犯する可能性のある行動を促す言葉に対し、少なくとも懸念を表明できる側近を置かれることをお勧めいたします」
「「「なっ!」」」
周囲の人たちにちょっとチクッと針を刺してみる。 ええ、阿諛追従の輩が王の側にいると、国を衰亡させ、民に苦しみをもたらすのよ。 それは他国の歴史、いや、本邦の歴史書をひもとけば明らかよ。 そんなことも知らないなんて言わせないわ。
リッチェルのアルタマイトで散々叩き込まれた貴族の常識と矜持。それがどれほどのものか、私は身をもって知っているんだから。
息を呑んでいるのは、本来この王家のサロンには入れない身分の人たち。 そう、法衣男爵家、子爵家の御子息御令嬢たち。 リッチェルが連枝だってことは、貴族名鑑を叩き込まれている私の記憶からして明らか。 だって、彼らが身に着けているものに刻まれた『家の紋』が何よりの証拠だもの。
顔の下半分を扇で隠し、涼しい顔でサラリと針を刺すのよ。 これくらいできないと、辺境の夫人たちと渡り合うことなんてできないものね。
さすが高位貴族家の方々は違うわ。 私の『言葉の針』を何事もなかったかのように受け流して、冷ややかな視線を私に向けてきたわ。ここにきて、私の存在をやっと認識したって感じ。 まぁ、今まで『教会の犬』って認識だったけれど、貴族家の令嬢としてのやり方に、身構えたってことね。要注意よ。
不気味な沈黙が王家のサロンに落ちる。 さて、この煌びやかな集団に、私という存在に対して警戒心を抱かせてしまったわ。でも今回は、私が正論を言っている。 だから、困ることはないわよ。前世のように、私自身が法を犯していなければ、どんなに貶めようと、最後に困るのは向こうの方。
だから、ちょっと油断していたの。
―――― § ――――
王家のサロンの扉が静かに開いて、一人の人物が滑り込んできた。 サロンの異様な雰囲気に眉をひそめながらも、殿下の背後に座っている子爵家の御子息の元へと足を運ぶ。 その人物が何か状況説明を受けている間、徐々に険しい表情が浮かんでくる。明るい金髪と蒼い瞳が、その人物がどの貴族家に属しているかを物語っていた。
身に纏った正装は、他の者たちとは異なるキッチリとした正礼装。 それも詰襟、ダブルの打ち合わせで、モールには金縁があしらわれ、衣の色は『白』。 間違いなく、近衛騎士の礼装だわ。 でも、本来つけているはずのサッシュがない。 つまり、まだ見習い期間中の近衛騎士ということね。
険しい目つきでこちらを睨みつけながら、彼はゆっくりと私に近づいてくる。 何を聞かされたのかは距離があってわからなかったけど、何かしら私に対して含むところがあるのは明白。
さて、何を言いたいのかしら?
――― オルランド=バララント=トリ=リッチェル従子爵様
ヒルデガルド嬢を守るために、あえて学習院の検定を流し、彼女と共にあることを望んだ。 そしてリッチェル侯爵家の総意のもと、常に彼女の護衛を任されているのよね。 殿下の特別なお心遣いにより、彼女に何か危害が加わった場合でもすぐに対処できるよう、学習院内で唯一、帯剣を許されている。
今も彼の腰には、華麗な装飾を施した儀礼用のレイピアが、確かに下がっているわ。 普段はヒルデガルド嬢の影のように寄り添って行動しているけれど、この王家のサロン内では側を離れることもあったみたい。 まあ、この場所以上に守られた空間は学習院内にはないものね。
そんな安全な場所で、今不穏な空気が流れている。 だからこそ彼が出てきたのかもしれないわ。 私が正論を言っているにもかかわらず、彼がどう出るのかしら? ゆっくりと私の前に歩を進めてくる彼の顔には怒りが満ちていて、強い威圧を感じさせる目でこちらを凝視していた。
普通の令嬢ならば、この段階で『恐れ』で動けなくなるほどの圧力。 でも、私はもっと、のっぴきならない状況をいくつも乗り越えてきた。 殺気を撒き散らす魔獣の前に立ったことさえあるんだから、これくらいの威圧で引くわけがない。 むしろ、彼が『そんな態度』を取る意味がわからない。
私は右に首を傾け、扇を口元から顔の半分まで引き上げた。
――― ” 無粋な方、何を仰りたいのですか? ” ――――
嘲笑ともいえる、言外の意味を含ませてみた。 彼も侯爵家の人間だもの、これくらいの言葉の裏は読み取れるはず。 思惑は的中し、彼の蒼い瞳には炎が燃え上がるのが見えたわ。 侮辱は、貴族の男性にとって耐え難いもの。 感情が高ぶるのは間違いない。 だからこそ、私はわざとこの言葉を使った。 感情を揺さぶられれば、普段冷静な高位貴族でも、思わぬ失言を引き出せるかもしれない。
でも、私は見誤っていた……
私は、リッチェル従子爵が自分と同じ舞台に立つ人物だと信じていた。 彼は侯爵家の三男であり、且つ、兄と呼んだ人。 貴族としての厳格な教育を受けているはずで、その礼装を纏っている以上、礼典礼法に一層厳しいはずだった。
一歩、リッチェル従子爵が歩み寄る。 その瞳の炎に、狂気が混ざっていることに気づいたのは、頬が熱くなった瞬間だった。
バシッ!
体幹は鍛え上げている。 予期せぬ攻撃を受けても、簡単には倒れない。 頬に痛みを感じると同時に、その衝撃を流して、大きく体の向きを変え、追撃に備えた。 手に持っていた扇を閉じ、鉄扇のように構え、次なる動きを察知するために鋭い視線を相手に向ける。
リッチェル従子爵が足を上げ、蹴りの準備をしているのが見えた。 反撃の一撃は…… と思った時、思い掛けないモノ達が、私の視界に映り込んだの。 と、同時に私は叫ばなくては、成らなくなったのよ。
「チドリさん、チハヤさん! ダメです! 血を流してはダメッ!!」
って! なんで、貴方達がこの場所に居るのよ! 私とリッチェル従子爵の間に、二人の人影が現れたのよ。 我が国の様式とはかけ離れた白い装束、そして緋色の長いキュロット――確か、ハカマというものだったわね。
突然浮かび上がったかのように現れた二人。この場所に入るにあたり、全ての術式を解いていた私には、彼女たちの存在を察知することができなかった。 それは、私の過ち。 彼女たちは恐ろしい人達よ。 そんな人達が、私を影から見詰めていたとは…… 『蓬莱』、侮りがたし。 シロツグ卿がどんな命令を下していたのかも、気になるところだわ。
暗器を手に、冷酷な表情を浮かべた二人が、リッチェル従子爵の急所に短剣ほどの長さの特殊な武器を突きつけている。 数は四つ、其々に両手に暗器を持っているのよ。 私が止めなければ、リッチェル従子爵は間違いなく、急所に致命傷を受け、血潮を噴き出しつつ瞬時に骸に成っていたはず。
つまり、シロツグ卿の命令は私の護衛? とはいえ、この場では、あまりにも大胆な行動だわ。 それに、殿下の御前での行動としては、『外交問題』に発展しかねない。 後でアーガス修道士に相談しなくては。
さらに、リッチェル従子爵を後ろから羽交い絞めにしている男性が一人。 この人物は誰なのか分からないけれど、その装束は我が国のもの。 おそらく暗部の者だろうと当たりを付ける事は出来たの。 彼も、その存在を無から生じさせ、リッチェル従子爵を引き下げたのだから。 暗部の行動は、私の命を彼女達に届ける時間を稼ぎ出し、リッチェル従子爵の『命』を救ったのは明白。
――― この暗部の方…… 良い仕事をしたわ。
このサロンで、殿下の目前で『血』が流れれば、それこそ大事件になっていたはず。 すわ、王族の暗殺かと、上を下への大騒動と成っていた事は必至…… そんな事態に成る事も又、想定できる。 いや、それが目的だったのかしら、この馬鹿の妄動は。 こちらの過剰反応を誘引し、不敬罪と大逆罪を捏造する為だったのかしら? それも、考えられるわね。
まぁ、いいわ。 いずれにしても、血は流れなかった。
だったら、事後として、この場を収めるように動かねば成らない。 そして、これは情動の結果で起こった、偶発的出来事だと確定しておかなくては成らない。 よろめきながらも戦闘可能な状態を保つ私は、すぐに姿勢を正し、その場に縫い留められている様に、捕縛されている、リッチェル従子爵を無視して殿下に問いかけた。
「殿下のご指示でしょうか? フェルデン家の娘に対し明確な攻撃をせよと?」
「ち、違う! 私は、指示などしていない」
「では、リッチェル従子爵の独断ですね。……左様ですか。王族の影護衛がいて本当に良かった。 さもなくば、従子爵の命がどうなっていたか。 打たれたことに関しては、フェルデン家からリッチェル家へ、家門として抗議申し上げます。 また、このような乱暴な方がそばにいる場所に、大切な寄り子家の令嬢を差し出すわけにはいきません。 どんなにご所望されても、断固拒否させていただきます。 よろしいですね?」
「い、いや……それと、これとは……」
「別だとお思いですか?」
「わ、分かった。こうなった以上、要望はしない。 その、何だ……」
「はい、何かございますか?」
「だ、大事ないか?」
「さあ、どうでしょうか。 私のことを犬と呼ばわった方に、気遣われる理由はありません。 貴族学習院、王家のサロン内での暴力沙汰は、フェルデン家の当主に報告の義務があります。 貴顕の皆様には、私がいること自体が不快でしょうから、これにて失礼させていただきます。 では!」
踵を返し、マリー様を伴って王家のサロンを去る。退去の許可を得ずに去るのは非礼だが、現状、こちらに正義はある。私の背を守るように、気配がリッチェル従子爵から離れ、扉前で存在を消し去った。『チ』の一族は本当に恐ろしい……この件、暗部の者にも驚きをもって報告されるだろう。
―――― 面倒なことになったわ。
―――― § ―――――
扉をくぐり、大食堂の中二階の広間に出た瞬間、マリー様が私に駆け寄ってきた。 抱き付かんばかりに、私の手を取り、涙ぐみながら言葉を綴られるのよ。 よほど、堪えたと見えるわ。 荒事なんて、普通の御令嬢には無縁なのだしね。
「御従姉様! こ、怖かった……」
「マリー様、申し訳ございませんでした。わたくしが不用意に煽った結果です。しかし、リッチェルの者があそこまで愚かであったとは、思いもよりませんでした。フェルデン卿にご報告せねばなりますまい」
「勿論です! あった事をありのままに! お父様は、宰相府に居られますでしょうから、これよりお伺いを立てます。御従姉様! 御一緒して頂けますね。当事者から、きっと事情を聴かれます故」
「……仕方ないでしょう。あの方々の素性も、伝えねばなりませんし。あちら側からの報告は、既に暗部によりなされていますでしょうからね。御同行いたします」
こうして、今世で初めて煌びやかな集団と相見えた私は、彼らに最悪の第一印象を与えてしまった。
必要以上に警戒心を持たせてしまったかもしれない。
『 貴族的な遣り口を熟知した、教会の犬 』と。
先が思いやられるけれど、それもまた、致し方なし。
やはり、今世でも私は……
あの方々にとって
明確な " 敵 " として…………
――――― 認識されるに至ったというわけね ―――――