表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
115/121

エルデの賭け事 ② ―― 侯爵夫人〔伯母様〕 ―――



 

 ―――― フェルデン侯爵家本邸。




 そこは、この国『キンバレー王国』に於いて、最も貴ばれる場所でもあるの。 貴族社交界の中で、国王陛下の藩屏たるを誓った高位貴族の方々の御夫人達の中で、最高位を保持されている方が差配されている場所。


 爵位的には、侯爵家より上位には、公爵家と大公家が有るのだけれど、そちらは、王家の係累となり、隠然たる権力は有るのだけれど、どちらかと云うと、王家の血を繋ぐ事を目的としている方が強いのよ。 


 二大公家の ” ウルティアス大公家 ”、” シルベリオン大公家 ” が、それに当たるわ。 四公爵家は、名目上の王国四辺境の太守。 建国当初は、王国を東西南北に切り分け、各地を治める者で在ったのだけど、今では、王領内にその領地を持つ王家の近親者の家系と成っているのよ。


王家の血を保つために、継承を許されている家系…… そう云う訳ね。


 貴族の階層から、そして、現在のキンバレー王国の政治的状況から、フェルデン侯爵家は名実ともに、国王陛下の藩屏たるを誓う、数多の貴族家の頂点に立つ御家柄と云えたの。 ええ、そうなの。 キンバレー王国の要となる御家柄なのよ。


 私は、今からそんな御家の奥向きを差配する、フェルデン侯爵夫人と対峙する事となる。 キンバレー王国に於ける、社交界の重鎮。 筆頭侯爵家の御妻女。 そんな方が私を呼出し、御話がしたいと思召しなのよ、そりゃ緊張もするわよね。


 朝早くから準備に時間を費やし、フェルデン別邸を出発できたのは、お昼前。


『ご招待状』に在る指定時間は、お昼を廻ってからとの事。 更に言えば、通常の茶会の時間よりも早い時間に設定してあるのよ。 ミランダ家政婦長からの御話で、あちらからの時間設定とお聞きしたわ。 昼餐会でも無く、お茶会でもない。 つまりは、真剣に御話がしたいとの思召しと云う事。


 この時間を指定してきたのは、あちらのペルラ=フォウ=ウスガルド家政婦長様だと、そう仰っておられていた。 つまりは、本邸ご一同様がこの機会を画策していると云う事。 


 ” あの子も、家政婦長の職責を全うできるようになったようです ”


 とも仰っていた。 つまり彼方の家政婦長様は、ミランダ家政婦長のご指導ご鞭撻を受けられた方。 どっちだろう、王宮での関係者か、それともフェルデン侯爵家に入ってからの同僚か…… 多分、王宮の方だと思うんだけどね。 ミランダ家政婦長の口ぶりから、そんな感じを受けたの。


 今回のご訪問では、私に付いて本邸に向かうのは、バン=フォーデン執事長様では無く、ミランダ家政婦長様。 あちらの家政婦長様と色々と打ち合わせが必要だからだとお聞きしたわ。 そう、『打ち合わせ』。 今後の事とか、私の取り扱い方とか、本邸と別邸の奥向きの『勤め』とか『在り方』についてとか、色々。


 その為に、しっかりと時間を取るのだと、ミランダ家政婦長も仰っていたわ。 


 擦り合わせは大事だもの。 でも、その中に私の取り扱いが入っているのは少々解せない。 だって、別邸に於いての私の立場は、フェルデン小聖堂の補助修道女よ? 本来の役割は、王都聖堂教会 薬師院奥の院での『お勤め』なんだもの。 その為の設備も整えられているのだもの。 だから、これ以上何もいらないのに…… それを、何か別の事を成させる為に、虎視眈々と機会を伺っているって感じなのよ。



   今までは、別邸の本棟で。

     今後はフェルデン侯爵家全体で。



 私の事なのに、なにかしら、薄ら寒いモノを覚えているのもまた事実。 そんな状況下での、侯爵夫人とのお話合い。 本当に不気味であり、侯爵夫人が何を考えられ、そして、私に何を課そうとされているのか…… 想像が付き辛いのよ。


 ある程度の事は…… フェルデン侯爵家の駒とされる事は『予測』できるのだけど、それ以上に何かを画策されている節すらあるのだもの。


 とはいえ、『御話合い』には変わり無いわ。 面識と云える程、相対しては居なかった高貴な御夫人。 気を引き締めて、アルタマイトに居たかつての私が蘇るのよ。 ええ、” 侯爵令嬢 ” としての私がね。




     ――― § ――― § ―――




 時は来たれり。 思惑渦巻くフェルデン侯爵家に到着したの。


 威厳で威圧する様な玄門を通り抜け、滑る様に『フェルデン侯爵家の紋章付き』馬車が、本邸玄関に続くグランドアプローチを進む。 玄関前の車寄せに到着すると、腕の良い御者は、ピタリと馬車は止めたのよ。 それはもう、測ったかのように、ピタリとね。


 ミランダ家政婦長が馬車の内鍵を解くと、外から扉が開かれる。 馬車の扉の向こう側。 フェルデン本邸の玄関口に立ち並ぶ、本邸執事長以下家政の重要な役割を担う人達の姿。


 本邸に伺う私もそうだけれど、本邸の方々も相当に緊張されているように見受けられるわね。 尤も、その原因はかなり違うモノが有るのだけどね。


 『侯爵令嬢』としての訪問を命じられている私は、その様に振舞わねば成らない。 そして、馬車の扉が開いた時から、その御命令は実行されなければならない。 つまり、私は『試されて(・・・・)』いる。



   ” 顔を上げ、瞳に力を籠め、堂々と矜持高く在れ。”



 アルタマイトでの教育で、常に言われ続けていた事。 どんなに幼くとも、侯爵家の令嬢としての『誉れ』は、決して失う事が無いようにと。 礼典礼法を修める上で、その矜持は『貴族家の娘』として、決して見失っては成らない『心の在り方(・・・・・)』であると、そう教育された。


 長きに渡る教育の賜物か、それとも27回もの回数を重ねた結果か、私がそう在ろうとした瞬間に、『私を規定するモノ』が切り替わる。 背筋が伸び、手に持つ扇が所定の位置にピタリと留まる。 ミランダ家政婦長が先に馬車を降り、私の介添えをして下さった。


 空気感が重い。 とても、重い。 なにより、本邸の重役の方々の視線が強く私の一挙手一投足を見詰めていたの。 侮るでもなく、敬うでも無く、まるで、見定めるかのように。 ミランダ家政婦長の口から到着の口上が述べられた。




「フェルデン侯爵家、エルデ=エルディ=ファス=フェルデンお嬢様は、フランソワ=アレス=デル=フェルデン侯爵夫人様が思召しにより、本邸に罷り越しました。 グラント=チェス=ベルクライト執事長、差配を頼みます」


「御意。 お嬢様、此方に。 奥様より、迎賓室にお通しするように申し付かっております。 御手を」


「宜しく願います、ベルクライト執事長」




 ツッと差し出された、ベルクライト執事長様の練絹の手袋。 その手の上に、私の手を載せ、エスコートを受ける。 小さく笑顔を浮かべ、やや左に首を傾ける。 私も正装しているから、同じく絹の手袋をはめているから、直接的には触れていない。 社交ダンスの様な距離感と体捌きを以て、優雅に歩を進める。 此処で侮りを受ける訳にはいかないものだもの。


 ザッと人垣が崩れ、玄関ホールに敷かれている深紅の絨毯の上に一本の道が出来上がるの。 まるで王侯を迎える様な仕儀ね。 誰もが頭を下げ、胸元に手を添え、膝を折り迎賓の礼典則に則った貴賓を迎える最大限の礼節を示す。 このの主人たる者が此処に居れば、それこそ国王陛下の行幸でも通用するような、そんな大層な出迎えなのよ。



 ” 小娘に対する出迎えには、少々、御大層では御座いませんか? ”



 手に持つ、扇を使い、言葉無き言葉で、ベルクライト執事長様に、そう問いかける。 チラリと視線を向けられた執事長様は、困った様な表情を一瞬浮かべられた後、これまた、差し出されている反対側の手で、小さくサインを紡がれるの。



 ” 奥様よりの御命令に御座います ”

 ” 成程。 早くも、確かめられている訳ですね ”

 ” 御慧眼、誠に…… ”

 ” あまり、居心地の良いモノでは御座いませんね ”

 ” 申し訳御座いません ”

 ” 迎賓室に急ぎましょうか ”

 ” 御意に ”



 高速で交わされる『掌会話(ヴォイレスサイン)』。 この執事長様も、バン=フォーデン執事長と同様に、王宮での研鑽を積まれていると云う事が判る一連の出来事。 フェルデン侯爵家…… 筆頭侯爵家の家内は、いわば第二の王宮と云っても過言ではないと云う事ね。 


 理解した。


 速やかに玄関ホールを抜け、明るい回廊を歩み、さして時間もかからず『迎賓室』に到着。 扉は開け広げられ、予定されていた『貴顕(・・)』を迎える様相を呈していたわ。 ええ、それが、貴賓を迎える作法とも云えるのよ。 反対に云えば、貴賓室には当家の方は、未だいらっしゃらないとも、状況は私に教えてくれる。


 中々に面倒くさい作法が有るの。


 どんな高貴な方とは云え、この規範だけは護られて然るべきモノなのよ。 例え国王陛下であろうと、この家の中ではあくまで客人。 迎え入れこそすれ、この部屋の主人はこの屋敷の主人なのだから、遅れて入室するのは、なんら問題ではない。 しかし、王国貴族法により、身分上の振舞いは当然要求される。


 この家の家人が傅くのは、王家、公爵家の方々のみ。


 筆頭侯爵家と云うのは、そう云う立場の方々なのだから。 だから、私もそれに準じた行いをせねば成らない。 入室と共に、ベルクライト執事長様はエスコートを終えられる。 私は彼の手の上から、左手を下ろす。 身を翻された執事長様は、今入った扉を音も無く閉められた。


 入室して五歩前に進む。 そして、其処で立ち止まり、静かに室内に目を配する。 幾つもの魔方陣の形跡が確認できたわ。 結界を含む重防御。 客人を、そして、主人を護り抜かんとする意識が形になった様な、そんな術式群。


 成程、ココならば、多少の事なら対処ができるわね。 物理的な行動も、腕の一振りで『愚か者』を拘束できるようにと、様々な術式が構築されているわ。 なんとも、素晴らしい『会談場所』と云う訳ね。 侯爵夫人が、どれ程警戒されているか、如実に示されていると云う事に他ならない。




「お嬢様、お席に」


「いえ、初のお目見えですので、このまま」




 ベルクライト執事長様は、私に着席を勧められるけれども、それに乗ってはいけない。 『()お目見え』の所作もまた、非常に重要なのだもの。 高貴な女性貴族に対しては、特に厳格に適用される規範があるの。 伯父様と最初に相まみえた時とは、事情が違うわ。


 あの時は、私は『侯爵令嬢』では無く『第三位修道女』であったのだし、身分的にも立場的にも、適用される礼典則は全く違う。 でも今回、私はフェルデン侯爵令嬢として、この場所に居る。 だから、貴族の規範を護らねば、不作法者の謗りを受ける事になる。


 ――― 隙を見せる訳にはいかない。 


 習い覚え、身に沁みついたモノを総動員しつつ、その時を待ったの。 あの『晩餐会』の日は、人数には入っていなかったし、視線すらも合わせられなかったものね。 それは、私が其処に居なかったと云う事と同じ。 少しでも反応されておられたら、私も相応に対応出来たのでしょうけど、そんな事実は全くなく、だからこその『()お目見え』と云えるのよ。 


 ベルクライト執事長様は嘆息(ためいき)と共にお部屋を離れられた。


 後に残る少人数の侍女の方々は、まるで、私の行動を監視するが如く、壁際にて佇まれておられたの。 その視線はひと時も私から外される事が無い。 まぁ、そうなるでしょうね。 この部屋はそう云った意味合いでも、使用される『御部屋』なんだもの。



   ―――――



 昼下がりの『緩んだ空気感』が貴賓室に漂う。 飾り付けられた様々な花卉が咲き誇り、高価であろう什器や、有名画家による絵画、稀代の陶工の作品と思われる花器などが目を楽しませてくれるの。


 贅を尽くした空間…… と云う訳ね。 キラキラした物は少なく、本質を知る者達が、会話を繋ぐきっかけとするには、十分な背景を持つ物。 筆頭侯爵家として、賓客を持て成す為に作り上げられた空間と云う訳ね。


 アルタマイトのリッチェルの客間(迎賓室)も、同様な設えで在った事を思い出したの。 私がその部屋に入室を許されたのは、(ひとえ)に、教育の為。 家庭教師達が、モノの由来や素性を語り、覚える様にと教鞭を振われたのよ。


 一度で覚えられないと、容赦なく教鞭が振るわれるのだもの、痛いのは嫌なので必死に覚えたっけ…… 教養と云うモノは、そうやって体に沁み込ませるものだと云う教育方針だったのよ、リッチェルでは。 容赦のない教育に、心が冷たくなっていったの。 


 だから、美しく高価なモノを見ても、心躍る事は無いわ。 容赦なく叩き込まれた教育の賜物と云う訳ね。 平常心を養うと云う、そんな大義名分もあったのかもしれない。 どんな高価なモノに囲まれていたとしても、心を揺らす事は貴族として恥ずべきことだと、そう叩き込まれたのだもの。



 エルデ(わたし)は、モノに心を動かされる事は殆どないの、今も前世も……。



 どんな宝飾品も素敵なドレスも、その産地、原材料、製錬方法、製造工程における特許、色味を出す為に行われる非人道的と思われる程の過酷な労働、それに伴う様々な設備と設備を作り上げる為に投資される巨額の金穀。 それが故に、手に取る『素敵なモノ』が、まるで人の血潮を吸っているかのように見えたんですもの。



 ――― そりゃ、嫌悪すら覚えるわよね。



 そんな教育が二十八回も行われた。 アルタマイトで、リッチェル侯爵家の令嬢として生きていた時から、私には物欲と云うモノが抜け落ちていたと云う事。 勿論、美しい物や、精巧な細工には目を奪われる事はあるけど…… 自身が欲しいと云う欲求は起こり得なかったの。


 だから、私が使用する全ての物が、ヒルデガルド嬢の御下がりでも、まったく気にしていなかったの。 自分が欲しいモノは、只々、目には見えない『愛する人からの愛情』だったのだもの。


 そんな自分でも、世の中には、『そんな ” モノ ” 』が、必要不可欠な事も理解している。 作り出される『 価値(・・) 』については、この国の『富』の象徴でもあるのよ。 それは、このキンバレー王国に於いて、人々の生活そのものに違いないのよ。


 『この世界に進歩と云う名の未来を見つける為には、絶対に必要なモノ』であると、そう理解している。 彼等の『生き様』を批判する事は許されない。 キンバレー王国を支える、民草が幾百幾千もいるのだから。


 ただ、『理解』と『感情』は別物なのよ。


 私の眼には、彼等の『努力と意思』の他に、『血涙』と『怨嗟』が、その中に有るのだと、見て取れてしまうの。 ありとあらゆる『負の感情』が、その素敵なモノ達の中に読み取れてしまう。 聖職者として、それに手を出す事は、今の私にとっては拷問(・・)に近いのよ。


 修道女( エル )としては、そんなモノを、身に着ける事は出来ない。 人々の悲嘆と塗炭の苦しみを内包している『モノ』を身につける事は出来はしない。 『経済活動としての果実』として、『国富の象徴』としての ” 意味合い ” は理解しているから、『そこに在る(・・・・・)』事に関しては問題は無いわ。 だけど……



 聖職者として、好んで『手に入れる』事は、出来ない(・・・・)と云う事。



 そんな豪奢な設えの中、只々静かに佇むの。 見るモノを理解出来ない訳じゃない。 その素性由来を語れと云うのならば、幾らでも。 ただ、それは『教養』として身に着けただけの事ね。 極めて冷静な視線で、お部屋の設えを伺いつつ、時間を潰していたの。


 壁際に居る方々に於かれては、ただぼんやりと佇んでいるように見えたかもしれないわね。 諧謔味を感じてしまったわ。 そしてやっと…… やっと、侯爵夫人のお出ましの『先触れ』が室内に響くの。




「フランソワ=アレス=デル=フェルデン侯爵夫人 御入室されます」




 本邸の家政婦長様の御声掛け。 至誠を以て姿勢を正し、膝を深く折り、頭を垂れ、胸に手を添え、スカートを摘まみ、淑女の礼を捧げ入室にそなえるの。


 衣擦れの音が耳朶を打ち、侯爵夫人とその御付の方々が入室されたのが判る。 視線はヘリボーンに組まれた華麗な床に固定したまま、時を待つ。 視界の隅に、豪華なドレスのスカートの裾が入り込んだ。


 極めて高貴な色を持つ生地、その生地の地模様には『侯爵家の紋章』の一部である ” 柏葉 ” の意匠が入っているのを見つけ、私の目の前に立つ方が、侯爵夫人であると確信を持つ。 そして、口から紡がれる口上は、『貴顕』に対する無冠の令嬢が口にする、礼典則に乗っ取った、正規の『ご挨拶』……




「キンバレー王国、王国が太陽にして、英邁たる ゴッラード=ベルフィーニ=アントン=エバンシル=キンバレー国王陛下が第一の藩屏たる宰相閣下の御妻女にして、王国貴族女性の取り纏めたる尊き方の足下に参じましたるは、聖堂教会 アルタマイト教会が薬師院に『神籍』を置く、第三位修道女 エル。 今は仮初にフェルデン侯爵家に仮籍を戴いております御家養育子(はぐくみ)たる、エルデ=エルディ=ファス=フェルデン に御座います。 侯爵夫人の思召しにより、フェルデン別邸よりフェルデン本邸に馳せ参じました。 万事、神様と精霊様方の御導き。 初の御目見え故に、何かと無礼も御座いましょうが、何卒宜しくお願い申し上げます」


「…………そう、ね。 良く参られました。 貴女の事は敢えて『エルディ』と呼ぶわ。 顔を上げなさい。 直言を許します。 貴女を呼んだのは、フェルデン侯爵家当主が妻女、フランソワ=アレス=デル=フェルデン。 貴女の伯母です。 アレスと呼称する事を許します」


「有難き幸せ、アレス伯母上様。 お優しき御言葉に、万感の想いを込め、感謝を捧げます」


「ありがとう。 ……まずは、お座りなさい」




 こうして、最初の出会い(ファーストコンタクト)は、恙なく進行したわ。 ええ、礼を尽くし、礼を以て対応されたと云う事。 決まり文句である『ご挨拶』に、少々驚かれているらしい事は、設えられた席に座った時に見て取れたの。


 ガチガチに貴族の礼典則を護って来るとは思っていなかったと、そう御顔に出ているわ。 自身の表情に感情が乗るのを自覚されたのか、半開きされた扇を口元に当てられているの。


 さて、ココからね。 どんな『お話』が飛び出してくるのやら。




      ――――――




 『茶』が振舞われ、『お茶請け』も低い応接机に供せられる。 勿論、一般的に云えば、主催者が一度口にし、敵意の無さを示さねば成らない。 しかし、今の場合は違う。 私は試される立場でもある。 よって、カップを持ち、一口。


 お茶にしては珍しく、渋みは極めて抑えられ、爽快な味が喉を駆け降りる。 お茶請けを一つ摘まみ、小さく齧る。 サクサクとした触感と、丁寧に丁寧に作られた素朴とも云える味わいが口の中一杯に広がる。 とても、上品なお味。


 成程、お茶に合わせると、最上の『おもてなし』の逸品と云えるわね。 …………中に紛れているモノが無ければ。




「美味しゅうございますね」


「お口に合ったかしら。 貴女…… 豪胆でもあるのね」


「左様でしょうか? この場に於いて、侯爵夫人とわたくししか、この席に付いては居りませんわ。 供せられたモノを確かめるのは、下位の物の役目でも有りますもの。 正令嬢ではない、仮令嬢のわたくしなれば、正に適任かと?」




 口元に扇を持っていかれる侯爵夫人。 そして、その視線は僅かに細められた瞼を通し、私を見詰められる。 さて、本来の『 御話 』 は、ココから。 言外の言葉を何処まで理解出来、且つ 使用できるかを確かめたのだろうね。 過たず、会話を始めるの。




「そう? フェルデンが供せる物に、疑義を挟むのかしら?」


 ” 私が口にする事に対し、疑義があると? それは、貴女の為、それとも、私の為? ”



「滅相も御座いません。 単なる形式と思って頂ければ幸いに存じます」


 ” 薬師院第二位の薬師として奏上いたします。 三種の薬品が混入しております。 『毒』とまでは同定できませんが、高揚感と感情を揺さぶるモノを検出しました。 ……会話を進めやすくするための処置かと ”



「まぁ、そうなの? 『単なる形式』であれば、そうなのでしょうね。 判りました。 ……修道女の立場に成る前に、相当に研鑽を積まれたと聞き及びます。 なかなかに優秀であったとか」


 ” 家政の者達の配慮と…… 云う事か。 まぁ、いい、その事については後で問い質す。 貴女の経歴は、旦那様にお聞きした。 リッチェルが家で相当に研鑽を積んだと。 しかし、その事跡、信じられない。 が…… 貴女の『言外の言葉』の使い方を鑑みると、あながち全てが嘘だとは言い切れないとも思う。 エルディ、貴女は何者なのか? ”



「御戯れを。 幼き頃は、皆様に、ご配慮を頂いたまでに御座いますわ。 ()()()()()()()()()()()()()()堂女(アコライト)として、神に身を捧げました。 真摯に祈る事は、わたくしの『勤め』でも有りました」


 ” 第三位修道女 エル に御座います。 『エルデ』と云う名のリッチェル侯爵令嬢は、既に存在しておりません。 全ては『隠された過去』の事。 彼の辺境(アルタマイト)に於ける『わたくしが成した全て』は、ヒルデガルド嬢が成した事跡と塗り替えられておりますが故、くれぐれも御言葉を成されぬ様に。 さもなくば御当家とリッチェルとの関係性に於いて、少々問題が生じると愚考します。 ”



「旦那様から、御話が有ったのだけれど、違うようね。 そう云う事(・・・・・)なのね」


 ” 既に隠蔽と韜晦は成されていると云う事ね。 つまりは、事跡は真実だったと云う事か。 ……十一の歳で、リッチェル領を治めていたなどと、信じろと云う方がオカシイ。 だが、それが真実であったと、理解できた。 その上フェルデンの立場を慮る事が出来る。 成程。 マリーが心酔するのも、理解出来た。 素晴らしい。 本当に素晴らしい。 流石、アンネマリー様の御息女。 ”



「我が身は、第三位修道女の神籍を持つ一介の孤児に御座います。 わたくしを支える物は、今は亡き御生母様の御心。 その御心に添いたいと存じます」


 ” 既に『上書き』は終わっております。 騒げば、リッチェルの反動を生みますが故、静かにしている方が吉。 公式には、リッチェル領に於いてのアレコレは、全てヒルデガルド嬢の事跡と書き換えられておりますが故、お含み置きを。 マリー様に母様の『御徴(メダリオン)』を戴いた時に、母様の御心を知りました。 今後はフェルデンが家に禍を持ち込まぬ様にしたく存じます。 ”



「貴女の事、旦那様より託されました。 フェルデンが『令嬢』として遇せよとの思召し。 であるならば、私には否応も無いわ。 でも、少々心配な事も有るの。 色々と、御話がしたいのよ、いい?」


 ” 貴女の身上と今に至る経緯を鑑みた上で、確認したい事が幾つも有る。 貴女が何処までの教養を育み、何処までの知識を蓄えているのか。 リッチェルが教育が苛烈な事は周知の事実だが、それが何処までの物なのかは、リッチェルが家の者以外には知らされていない。 良いか? ”



「フェルデンが正令嬢と同じく遇せられると思召しでしょうか。 それは、難しくありませんか? わたくしは『養育子』に御座いますれば、その待遇はいささか過剰とは思えます。 ですが、様々な御話を戴いたのち、侯爵夫人が御意思としてと成らば、否応は御座いません。  御心配事も多々あるでしょう。 わたくしを御知りに成りたいと云う思召しは、有難く存じます。 御話の御趣旨、承りました。 何なりとお聞きくださいませ」


 ” お呼出しの趣旨、理解いたしました。 何なりとお尋ね下さい。 リッチェルにて教えを受けし事柄、蓄えましたる知識と知恵、存分にご確認くださいませ。 ただし、聖堂教会が秘事についてはコレを話す事は出来かねます。 『守秘義務(・・・・)』の多い『御役目(・・・)』を戴いておりますが故、ご配慮お願い申し上げます。 ”





 中々に骨が折れる会話だこと。


 高速で『言外の言葉』を駆使するのは、慣れないと本当に疲れるのよ。 ちょっとした手や身体、そして、視線や表情に至るまで、様々な『お約束』が有るの。 思い出しながら…… なんていう事は出来はしない。 だから、身に付けて居なくては成らない。 『言葉による会話』無しに『会話』が成立できるようにと、リッチェルでは散々に教育されていたから、どうにか侯爵夫人の『会話』にもついていけたわ。


 外見は小娘だけど、重ねた年は侯爵夫人よりも多い。 でも、それは重ねた年月と云うだけで、貴族間のアレコレと云うには経験が乏しい。 更に言えば、貴族夫人の会話には二重三重の意味が含まれるのは、普通の事。 今日は単に私の事を知りたいと云う思召しであるから、『言外の言葉』を読み解くのは容易いだけ。


 まぁ、そんなこんなで、色々な質問が私達の間で交わされる事になったのよ。


 それはもう、容赦なくね。


 辺境の御夫人達と遣り合った日々が懐かしく思い出されるほど。 最初は教養の部分。 思った通り、この部屋にある調度に関しての『御話』。 産地、生産者、画家、陶工、使われている絵具から窯の特殊性迄、様々な話題が供せられた。


 それに付随するように、その地方の行政や執政が行う政務(貴族のやり口)への忌憚の無い意見すら求められるのよ。 さらに、特産品や産物の『流通』に関しての話題、問題が有る箇所のキンバレー王国の立ち位置(どこまで口を出すか)から、その法的根拠まで。


 流石は侯爵夫人ね。


 宰相閣下(伯父様)と同じか、それ以上の知識量を誇っておられるんだもの。 そうでなくては、宰相夫人と云う重責を担う事は出来ないとしても、それだけの知識を蓄えられた教育を考えると、頭が下がる思いがする。


 王国の貴族の均衡を整えられると云う事は、貴族達の事情を余すことなく知り、そして、裏側にある事情すら勘案しつつ、均衡を取らねば成らないの。


 侯爵夫人の『語り口』は、アルタマイトでの教育を彷彿とさせるものが有るのだけれど、あちらほどの苛烈さは無いわ。 (さと)(ろん)じると云う感じかもしれない。 私の様な小娘との会話からすら、何かしらの『利』を得ようとされているようにも伺える。


 勿論、直接的にでは無く、私の『考え方』や物事の『捉え方』の方に、興味を注がれていると云う感じね。 自分の視点では無い視点を取り入れる事は、大局を見極める者にとって必須な心の在り方。


 例え話でいえば、高価な果物を手に取り、その果物が価格に見合うかどうかを見極める為には、色々な角度から見なくては成らない。 正面から、側面から、天面、下面。 さらに云えばその味は如何なモノか。 中に虫がいる可能性はどうか。 継続的に購入できるのかどうか。 輸送方法は? 産地の土壌汚染は? 毒となる可能性は? 等々…… 考える事は無限に湧き出て来ると云った感じ。


 一つの物を評価する場合の視点の多様性、多重性は、評価を真となす重要な指標ともなるのよ。 それを侯爵夫人は無意識に集められていると云う事ね。 御見それしました。 貴女は、成るべくして成られた、侯爵夫人なのですね。


 多岐に渡るお話と、その内容の深さと洞察に関しての知恵深さに、私は唯々圧倒される思いが浮かぶの。 伯父様は、とても善き伴侶を得られたと、安堵しました。 様々な話題の中には、今後の私の立ち位置に関するモノも含まれていたわ。


 侯爵夫人の会話に耐えられ、さらに様々な意見を云う私に対し、強い興味を憶えられた感じもするの。 途中から『試し』や『確認』という意識が抜け始め、まるで高貴な夫人達との茶会に呈する様な話題に移っていったのだもの。 辺境で遣り合った、貴族家の夫人とお話しているような、そんな感覚を憶えていたのよ。


 それだけに…… 

    

      一点…… 気になる事が有ったのよ。



 侯爵夫人の弱点(・・)。 ええ、このお話合いで私が見出した、彼女の弱点。 様々な話題の中で、彼女が唯一ご自身の意思が揺らぐ話題があったの。 



 フランソワ=アレス=デル=フェルデン侯爵夫人



 貴女は、その懐に入れた人に対し、甘い。 とても甘い。 身近な者であればあるほどに、常の聡明さは失われ、判断と決断は甘くなる。 そう、特に御子息御息女に対し、他人に対する評価よりも、二段も三段も下げられるわ。 だから云える。


 現在の御継嗣様の苛烈な境遇に落とし込まれたのは、貴女であると。


    強くなってください。


         私が云える事は、その一点に御座いますわよ……







 ――― アレス伯母様(・・・・・・)







 お話し合いも恙なく終わりの様相を呈していたの。 少しでも、私に対しての疑義や、私が問題児と成る事は無いのだと、そう理解してもらう機会としては、十分に機能したと思うの。 お話し合いは、長い時間を掛けておこなっていたのよ。 初冬の日は、既に西に傾き、晩秋の柔らかな夕日が、『迎賓室』の中にオレンジ色の光を投げかけていたの。


 本邸を辞する時間と成っているわ。


 まさか、晩餐を共になんて話は出てこない筈。 それ用の装いもしていないのだしね。 なにやら、深く考えて居られる伯母様。 そして、瞳に強い光を灯し、私をじっくりと見られた後、とんでもない事を言葉として口に乗せられたのよ。





「とても、善き時間を過ごせました。 エルディ、私は一つの重大事案を抱えています。 貴女にも、その事案解決に関して、協力する事を命じます。 フェルデン侯爵家の侯爵夫人として」


 ” 決めた。 『収穫祭』の日に、わたくしと同道し、懸案の事案に対しての『会談』に出席を命じる。 この国の未来を決定する大切な『会談』。 そなたの知恵と見識と…… そして、聖職者としての権能は、この問題に関して、重要な意味を持つ。 よって、わたくしはエルディに命じる。 王城に於ける王后陛下との『茶会』に、我が娘、公女 リリア = マリー = フェス = フェルデン 共々出席を命じる ” 



「…………あ、有難き思し召し成れど」


 ” それは…… 身分的に無理かと……”



「すでに、心は決めました。 貴女は、私を誰だと御思い? わたくしの言葉は信じられないの?」


 ” 決した。 王后陛下の御宸襟は、憂いに満ちて居られる。 臣下として、これを払うのは当然の理。 さらに、フェルデンの名を持つ者ならば、それを否定する事は出来ぬ。 出席せよ。 そして、光へ向かう道を示せ。 ……不甲斐ない事に、わたくしには『その道』を提示する事は叶わない。 それができるのは……  エルデ=エルディ=ファス=フェルデン。 貴女だけなのだ ”



「…………お、御話、承りました」


” 本気なのですね。 しかし、わたくしがその任に耐えられるとは思えません。 しかしながら、アレス伯母様の強い御意思。 王城に於ける『茶会』に、出席する事は…… 了承いたします。 ”




な、なんなのよ!! どうしてッ!! 『煌びやかな集団』をどうやって躱して行こうかと、考えていたのにッ! その親玉である、王妃様とのお茶会? 何がどうして、そんな結論に至ったのよ!!


訳が判らない。


本当に、何がしたいのよ、アレス伯母様ッ!!!





キンバレー王国の、女性貴族の頂点に立つ方との、『お茶会』は、こうして伯母様の『鶴の一声』で決したの。 通達が滞りなく、行われる。 当然、本邸および、別邸の家政婦長様方にも……



大変な事になったと、顔を強張らせるのは……

本邸 ペルラ=フォウ=ウスガルド家政婦長様。


満面の笑みで、静かに頷かれるのは…… 

別邸、ミランダ=エステファン家政婦長様。



ミランダ…… あなた…… 何を画策したの? どうやって、侯爵夫人の思考を誘導したのッ!! 私を…… 私を、侯爵令嬢から、逃がすつもりは無いと? 



ほんとに、訳が判らないわッ!!!!





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
茶に薬物が入っていたことを伝え忘れないようにね。
[一言] これはエル怒っても許される
[気になる点] 伯母様との初お目見えの挨拶の後に「羽切文句」という単語がありましたが、調べてもわかりませんでした。お教えいただけると幸いです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ