エルデ、覚悟を問われ、覚悟を示す。
時は来たれり。
御部屋の一角に在る、小さな扉が開き、向こう側から一台のワゴンがお部屋の中に押し込まれれる様に入って来たの。 えっと…… 侍女が使うワゴンの様な感じかな? ちょっと大きめ。 その上やら中にどっさりの資料が積まれていたのよ。 目を見開きそれを見るの。 量が半端では無いわ。
今日だけでは、こんなに読めないわよ…… でも…… ご厚意なんだし……
そう思っていたのよ。 ワゴンの上にさりげなく置いてある一葉の羊皮紙。 手に取って、与えた物の内容を確認せよと命じているみたいに、目立つ場所に置かれていたわ。
先ずは、与えられたモノを確認せねばと、その羊皮紙を見ると、其処にワゴンに積んである書物、巻物スクロールの一覧概要が記されていたの。 まるで、そうあるのが当然の如く、そして、閲覧に問題が無いようにとの思召しだと思う。
と云うのも、それは良く整理されており、私が要求した『魂』と『魔力』の関係性に少しでも関りが有りそうな文献である事が理解できた。 集められていたモノは、ちょっとでも私の請願したモノに、引っ掛かるなら、その文献の貴重性を鑑みずに集めてあると云った具合に。
ちょっと不思議に思ったのは、ワゴンに乗っている大量の文書の大半を占めるのは、何らかの『学術論文』であり、研究の『記録書』でもあったの。 研究? 其々の論文や研究書に記載されている『表題』に、不穏な文字が躍っていて、少々戸惑ってはいた。 けれども、何より私を困惑させるモノが……
――― 一巻の特殊な巻物 が、その羊皮紙には記載されていた事。
ワゴンの下の厳重に封じられている、まるで金庫か何かの様な場所に入っていると、そう記されている巻物。 詳細は不明と…… でも、古代魔法の一種で、『魂と魔力と身体との関り』に於いて、特に重要且つ慎重な取り扱いを求められているモノだったの。 概要は、曖昧模糊として要領を得ない。 他の文献と比し、余りにも ” 雑 ” な概要。 ほぼ、不明な内容だと記載されているのよ。
物凄く…… 気になってしまう。
あの老司書様がご用意して下さるのであれば、『相当な代物』に違いないし、わざわざ厳重な管理を必要としていると云う事実に興味深いモノがあるのだもの。 ワゴンに設置されている『金庫のようなモノ』に厳重に封じられていると記載されている。
その場所を開けるには、この部屋に入る為に使用した木札が必要ともね。 手の内にある木札は、『鍵』でもあるしね。 つまり、この金庫の様なモノの障壁はこのお部屋並みの強度を誇ると云う事なのよ。 一体どんな『宝物』なのよ……。
畏れを抱きながらも、興味を強くそそられ、『金庫の様なモノ』にそっと木札を当てる。
カチリと云う音と共に、封印は解かれ扉が開いたのよ。 そして流れ出る、精霊様の息吹…… えっ? なんで? 眼に写る情景に、暫し自失呆然となる。 だってそこには、大聖女オクスタンス様から授けられた、上位巻物と同じ外見をした、黄金製の巻物入れが鎮座していたのだもの。
慌てる私……
思わず、『聖櫃アーク』を確認して、中に聖女の『上位巻物』が存在する事を確認してしまったほどにね。 ちゃんと、存在していたの。 そして、コレは、別物。 手を差し出し、慎重に、その黄金製の巻物入れを取り出し、大きなテーブル上の書見台に置く。
神聖なる精霊様の息吹が、その巻物から溢れ出している。
巻物の巻数や表題については何も綴られていない。 ただ、巻物入れの先端に埋め込まれている宝珠が三つ、静かに蒼く点灯していたの。 一体何なのか。 どうして、此処に聖堂教会に於いても『神聖』と云われる上位巻物があるのか。 さらに、内容の記述に関して、一切の詳細が不明なのも、不安を煽る。
コレは聴かねば。
御部屋の中に有る、外部と『御話』が出来る、通信用の魔法術式が打ち込まれている石板の前に向かい、問いかける。
「もし…… 少々、資料について、お伺いしたい事が有ります」
応答があるまで、憔悴感が私の心に浮かび上がるの。 だって、机の上に置いた上位巻物から、早く早くと急かされる様な気配が伺えるのよ。 何を訴えているのよ…… 早く、開けと云う事? 少々時間が経ち、石板から老司書様のお声が聞こえたの。
「なんだろうか、エルディ嬢。 どの資料についての問い合わせか?」
「はい。 資料の中に、『上位巻物』 が、御座います。 これは、正しく禁書に値するのでは御座いませんか? わたくしに閲覧権限は無いと思うのですが?」
「『それ』か…… まぁ、普通ならば、そうであろうな。 こちらからの観測で、その巻物入れ上部の宝珠が点灯したとある。 ならば、閲覧権限はそなたに付与されたと云う事になるな」
「えっ?」
「その巻物は読む者を自身で選ぶのよ。 内包されている既知の『知恵と知識』は、概要を公表する事すら、少々憚る内容でな。 元は王家の秘蔵の上位巻物の中の一巻ではあったが、魔導院が『ああなる前に』それを解読した者がいる。 そして、その者が記したモノが、ワゴンの上にある古代魔法語で綴られた論文集と研究書だ。 一覧概要も読んだな」
「はい。 『魂』に関して、著述されている文献として、昨日のモノに追加されて幾つか…… と云うよりも、体系立てて綴られた論文集と云う様なモノに御座います。 『死霊術:不死者に関しての考察』『死霊:魔力と魂と肉体の関係性についての考察』、『肉体錬成術式: 魂の器としての肉体の研究』と、ありますが…… こちらも、本当に『禁書』では無いのですか? 疑問に思います」
「それを読み解く、又は、実践するには、その上位巻物を読み解かねば成らない。 が、記録に在るのは、後にも先にも、その巻物を読んだとされる人物は、たった一人切りでな。 大賢者の称号を持ち、精霊様方に愛され、国を思う偉大な魔術師だったそうな。 しかし、その論文を編むにあたり、その上位巻物を読んでから、おかしく成られたと。 『死霊術』に憑りつかれたと…… そう、記録されている」
「なんと、恐ろしい事……」
「そうだな。 儂も、そなたにコレを開陳するかどうか、少々悩んだ。 そなたに閲覧許可を出した決断に至る理由は二つある。 一つは、其方の『受けし加護』と『内包魔力』。 色々と、友人もおるので、調べさせてもらった。 そなたが秘する事も又、教皇猊下より御聞かせ頂いた」
「そ、それは……」
「守秘義務は負った。 誓約も差し出した。 儂が口外する事は無い。 儂が其方に、上位巻物を開陳するかどうかの判断に必要だからだったのでな。 無用な混乱を引き起こす事はせぬよ。 教皇猊下に於かれても御承知だ。 ……兎に角、それは読む者を選ぶ。 たとえ開陳したとしても、上位巻物から、拒否されては無益どころか『呪われる』からの。
条件は三つ。
一つ目は、『風の精霊様』の加護を受けている事。 二つ目は、『刻の精霊様』の加護を受けている事。 最後の条件は、『内包魔力の属性』が『闇』である事。 先の大賢者は、この内二つしか持っていなかった。 そして、巻物を開き、読む事は出来ても、完全では無かったと云う。 故に、そなたも、そうならぬとは限らんから、『資格』を持つべきモノかどうか、調べさせてもらった」
「左様でしたか…… この巻物入れの宝珠が光ると云う事は、そういう事でしたのね」
「正にな。 なにより、其方は聖堂教会に在る、別の上位巻物を、既に開き読んでいる。 ならば、読めるのではないかと勘案した。 我が国で確認されている上位巻物は、全部で八巻。 その内、聖堂教会に深く関わりを持つ物が、三巻。 一巻は教皇猊下。 もう一巻は大聖女オクスタンス様が保持していた。 エルディ嬢…… いや、神聖聖女エルデ殿。 受け継がれましたな」
「ツッ………… はい」
この老司書様は、事も無げに一番に秘匿したい事を口に乗せられる。 それも、本人に対して。 更に言えば、そうせざるを得なかった為に、為したのみと、そう宣言される。 まったく、何処までも喰えない御仁ね。
それにしても、『知識の実』の番人というのは、何処までの影響力をお持ちなの? 即日、教皇猊下ととの面談が叶い、王家とも深い関りがあると言葉の端々に窺い知れるのよ? きっと、相応の身分をお持ちなのだと思うのだけど…… そうは、見えない所が、また凄まじい……
「そして、今、エルデ殿の目の前に在るのが三巻目。 本来ならば、聖堂教会にて保管するべきモノなのだが、何故か王家の宝物庫に保管されていた。 癒しと治癒では無い、死の淵からの生還を期する為の法術が記載されていると…… そう、言い伝えられている物なのだ。 詳細は初代聖女様しかご存知ない。 あの尊ぶべき方が、精霊様方より御下賜頂いたと、そう言い伝えられておるのでな。 その方の残滓を癒し、あの『聖杖』を、眠りに着かせたとも聞く、そなたであれば、十分に資格は有ると断じた。 その…… もう一つの理由はな、こちら側の事情なのだよ、神聖聖女よ。 受けるか、受けざるかは、そなた次第。 出来れば受けて貰えると嬉しい」
石板の老司書様のお声が少々曇る。 言い回しも、とても『迂遠』且つ『願い』と云う強制力を持たぬ口振り。 相当に…… 云い難い事なのかな?
「そなたも視ていたであろう、昨日の馬鹿者の事」
「それは…… フランシス=ドレイク=ヴェス=ヴェーネス従子爵様の事に御座いましょうか? あの王宮魔道院総長閣下の御継嗣の?」
「あぁ、そうだ。 あの馬鹿者が寄越せと云って来たのが、よりも依って『その上位巻物』なのだ。 何処で聞き付けたか。 誰に唆されたのか。 王太子殿下が言い付けたと、そう云って居ったな。 何を目的としていたか、それすら判らん。 しかし、資格無き者が巻物入れを開けると、確実に『呪われる』。 かつての大賢者のようにな。 渡す訳にはいかんだろ? しかし、内容も詳細も不明と云うのは、少々問題がある。 よって、上位巻物に何が記されているのかを、確かめて貰いたくての」
「…………重き『御役目』に、御座いますね」
「何が起こるか判らんので、厳重なる結界を張ってある ” この部屋 ” を用意した」
「そして、人払いをされて居ると」
「その通りよ。 よしんば、何かが有っても、被害はそなた一人。 害悪有れば、重封鎖閲覧室を永遠に封鎖出来るようにな」
「何かよからぬ現象が発生したならば、この部屋を隔離し、わたくしはこの部屋を出る事は叶わないと………… 読むか、読まぬかは、わたくし次第と」
「そうだ。 知識の実を得る者は、相応の危険を冒し、対価を支払わねば成らぬ」
「成程、左様に御座いましょうね。 研鑽無き者に、与えられるモノは御座いませんから」
いや、まぁ、そうなんだけどさぁ…… やっぱり、この背中に苔の生えた老司書様は、『只者』では無いわ。 きちんと逃げ道を用意した上で、覚悟を求めてくるのよ。 『古の知識と知恵』を得るには、相応の対価を積まねば成らないと。 どんな宝玉も叶わない、そんな『至高の宝物』を得る為には、自身を賭さねば成らないと。
―――――― 覚悟かぁ……
上位巻物を紐解けば、生きてこの場所を出られるかどうか、この場所に死ぬまで隔離される ” 可能性 ” も含まれる。 『害悪を撒き散らす存在と成り下がり、王国の未来に闇を置く』 その可能性だって、捨てきれない。
でも、私にはやるべき事柄は多い。 その上、これから生き抜く為には、きっとこの巻物から得られる『知識と知恵』は必須の物となる予感がするのよ。 先程から、老司書様は、上位巻物を読むと云われ続けておられるけれど、厳密に云えばそれは間違いなのよね。
だって、上位巻物は『知恵と知識』の鋳型。
其処に自分の魔力と生命力が注ぎ込んで、『知識と知恵』と云う『記憶』に転写され魂に刻み込まれるのよ。 それは、経験済みよ。 ただ読んで記憶するのとは、大きく違うの。
『知識が、知恵』が、精霊魔法の体系全部が私の『魂』と一体化するって云うのかな…… 血肉となり、同化すると云ってもいい。 だから、私が『聖女が権能』を、十全に振るえるのよ。
ここで、うだうだと悩んでいても、なにも進まない。 私自身を前に進める為には、必要な『賭け』でもあるのだから。
『巻物の英知』は、私を変容させるかもしれない。 実際、過去に於いて、十分な研鑽をせずに高位魔術書を開いて、闇の魔法術式に心が取り込まれ、禁忌の魔法を使用した結果、その魔法術式に身体が耐えきれず、爆散した事も有ったわ。
そんな、『闇』属性の魔法術式よりも、もっと高度な術式が内包されている事は間違いない『この巻物』。 それに、コレを読んだ大賢者様は、知識に魅了され人格が歪み汚染させ、狂われ…… 『呪われた』と…… そう、老司書様は語られた。
―――― そして、その知識は『死霊術』 ――――
『死霊術』は、嫌悪すべき魔法術式である事は間違いない。 聖堂教会でも、禁忌と指定しているのも頷ける。 安寧であるべき死者を蘇らせることは、この世界の摂理に反する。 ならば、ここで疑問が一つ、頭を擡げるのよ。
死者の肉体を繋ぎあわせ、仮初の命を与えるなんて、この世界の理に反するし、神様だって精霊様達だって許すはずも無い。 だけど、この上位巻物には、それが記載されている? ちょっと考えられないわ。
だって、上位巻物は、神様と精霊様からの『贈物』なのよ? それに記載されているモノが、禁忌指定されている様な『呪物』なんてこと…… ある訳無いもの。 いえ、あっては成らない事。 何かがオカシイ。 その違和感が私に決断を促したのよ。 だから、腹を括って石板に向かってお話をした。
―――― ええい、第三位修道女が道行には『度胸』が、必要なのよ!
「理解いたしました。 覚悟を以て、上位巻物を開く事と致します。 わたくしが求める『英知』が、わたしを変質させない事を、祈りましょう」
「そうか。 やってくれるか。 聖堂教会が教皇猊下にお伺いした。 上位巻物を開きし儀式は、秘術とされると。 何者にも見せては成らぬと。 よって、一時この部屋の観測は凍結する。 その覚悟、流石は聖堂教会が大聖女殿の『薫陶』を受けし者だ。 存分に秘術を駆使なさるがよかろう」
「有難く。 では、早速」
私は、テーブルに向き直る。 テーブルの上の書見台。 その上に上位巻物は鎮座している。 早く早くと急かす様に、私を待っていたの。 ふぅ と、大きく息を吐きだす。 まさに試練と云ってもいい。
開き方は、私の中にある。
老司書様はああ仰っていたけれど、例え観測していたとしても、多分見えない。 巻物入れを開けた途端、鋳型が起動を始め、眩い光の繭となるのだもの。 白濁した光の空間で、膨大な『知識と知恵の鋳型』から紡がれる情報を『魂』に刻み付ける一連の儀式。
激しい痛みと共に、自身の奥底に書き加えられる、知識の体系。
それが、上位巻物を開くと云う事。 書見台の上の上位巻物に右手を載せ、良く練った魔力を送りながら、私がスクロールを開く意思がある事を宣言する。
” 内包されし、古の知識と知恵。 我が身に移さん事を願い奉る ”
途端に、頭の中に響き渡る、封印の精霊様の御声。 そして、その御声は私に問う。
〈 汝、命を慈しむ者か? 〉
「はい、聖女が誓約により」
〈 汝が手に託される人々の幸の為に身を捧ぐか?〉
「はい、聖女が誓約により」
〈 汝が知り得た事を余人に漏らさぬか?〉
「はい、聖女が誓約により」
〈 汝は研鑽を常とし、より高みを望めるか?〉
「はい、聖女が誓約より」
〈 汝は善きものと悪しきものを見極め、善き道を進むことが出来るか?〉
「はい、聖女が誓約と、人としての矜持により」
〈 汝は慈愛を以て勤めを精勤するか?〉
「はい、わたくしがわたくしで有る矜持を以て」
〈 汝は、神と精霊の問いかけに対する答えを実行すると誓えるか?〉
「はい、わたくしの全てを以てして、御心に叶う様に精進いたします」
〈 聖女が『精霊誓約』を確認した。 善き哉。 さすれば、汝に我が知識の源泉を転写し与えようぞ〉
『上位巻物エルダー・スクロール』の封印が解かれ、黄金のケースが蓋を開ける。 中から夥しい数の光帯が紡ぎ出され、私を取り巻く繭の様に、包み込んだ。 脳裏に視えたのは、膨大な「何か」。 雌型に私の魔力と生命力が、送り込まれ『魂』に刻み付けられ、溶け込む『記憶』が紡ぎ出された。
右手の甲が熱くなり、何かが其処に送り込まれる。 ぼんやりと、意識を保つことが難しくなりつつも、その事は、何故かはっきりと理解できた。 だって、二度目だもの。 右手の甲に『聖紋』が二重に刻まれた。 いや、追記されたと云うべきかな?
この力を行使する時、『聖紋』がそれを判断すると云う事を。 神様の御心に叶うならば、絶大な力を放出する事を再認識した。 悪しき事、我利に溺れた行使は、神様も精霊様もお許しには成られない。 もし、そんな事が有れば、私に神の鉄槌が降り注ぐ。
ややもすると、意識が飛びそうになるけれど、何とか踏ん張って、儀式を最後まで終える。 巻物が持つ知恵と知識が私に転写され切ると同時に、上位巻物は、しっかりと再封印された。 書見台の上の上位巻物は、鈍い黄金の輝きを持つケースに再び戻された。
「御誓約申し上げます。 今も、今後も、わたくしエルデは、神様と精霊様の思し召しと慈愛と恩寵を、恵まれぬ者達への献身により、分け与える事を、御誓約申し上げます。 祈願いたしましょう。 この誓約が良きモノとならんことを!」
書見台があるテーブルを聖壇と見立て、その前で跪き、深く頭を垂れ、床に額を付け跪拝し、『言上げ』を行った。 神様に直接誓約申し上げる言上げ。 『その道の秘儀は、その者にしか見えない』 は、伊達では無いのよ。
私は、深い理解を得た。 魂と肉体と魔力に関する事柄を。 何故、これを分離して、再構成しようとしたのか、其処が判らない。 ただ、予測として、不完全な『紡ぎ出し』により、関係性や相互性が損なわれた結果、単独での理解にしか及ばなかったのかもしれないと云う事。
だから、其々独立した研究を重ねなくては成らなかったのだ。
だから、再構成しなくては成らなかったのだ。
だから、全く別の魂や肉体、そして、魔力を一つとする研究が行われたのだ。
よって、死霊術はこの上位巻物とは、無縁の物。 正確に体系的に、そして、余すところなく理解すれば、自ずとこの巻物が意図する『神の御業』が理解も出来る。
その体系とは…… 精霊魔法に依る、『魂の保全』と『肉体の再構築』。
―――――
大聖女オクスタンス様より受け継し、『聖女が権能』では、癒しを主眼とした物であり、肉体の欠損までは埋める事は出来ない。 どちらかと云うと、『疾病疾患』や『呪詛、呪い払い』『悪霊浄化』に、対し特化していると云っても良い。 だから、大聖女オクスタンス様は、『浄化の魔法』と呼ばれるのよ。
一方、こちらの上位巻物は、身体と魂を回復する為の精霊魔法であると云える。 何らかの事故や戦闘で、身体の一部が切り飛ばされてしまったり、欠損が発生したり、焼かれてて失ったり、そう云った回復不可能な疵を負った場合に、此方の精霊魔法術式を駆使すると……
肉体を、魂の欠損なしに『再生』できるのよ。
でも死者は無理。 微かにでも息をしていて、まだ、魂が肉体から抜け出す前ならば、如何様にでも『復活』の道筋を見出す事が出来るの。 『魂』に記録されたその人の『身体』を、記録通りに再生させ元の位置に戻す事が出来るのよ。 対価は祈り。 精霊様の息吹を以て、成される『神の御業』なのよ。 それを……
会得したのよ…… ええ、この上位巻物が、私に授けて下さったの。
濃密な精霊様の息吹に包まれた私。 途轍もない充足感が身体を満たす。 薬師として、そして、治癒師として、幾多の倖薄き人々を診て来た。 当然、全ての人を癒す事は出来なかった。 幼子を残し、遠き時の輪の接する処へ旅立たねば成らなかった、魔獣の災厄に巻き込まれた、若きおかあさん。
一家の要であり、家人の心の拠り所でも有った、力強き御父さんが事故で愛する者達の名を呼びながら、息を引き取らざるを得なかった刻…… 何重もの哀しみに、担ぎ込まれた辺境の治癒所が、嗚咽と悲嘆に埋め尽くされる。
そんな場所に、私は居たの。 もし…… もし、その時…… この権能が付与されて居たら…… もっと、もっと、倖薄き人々の『生命の輝き』を救えたかもしれない。 いいえ、神様はきっと、それを望まれたのよ。 だから、私に…… この上位巻物を御与えに成った。
――― そう確信したの。
深い祈りを胸に、聖壇に見立てた書見台の前で感謝の祈りを捧げる。 ふと、視線を上げると…… 書見台の上を見てギョッとするの。 自分でも顔色が変わるのが判るくらい。 ドクンドクンと、鼓動の音さえ聞こえてくるの。
物凄く、焦っている。 憔悴感に全身が包まれる。 いや、危機感と云うべきなのかしら? だって、無いんだもの、上位巻物が。 慌てて、その周りを見回して、机の下とか、ワゴンの周りとか、椅子の下とかを見ても……
無いの。
顔色がザァーと青くなって行くの判った。 あれって…… 王家の宝物に近い物なのよ。 無くしたッ! なんて、云えないもの。 この部屋、今は重監視の目から一時的に外されている。 中に居るのは、私だけ。 なら、私が何処かに隠したと思われても、おかしくはないのよ。 一国の国宝級の宝物を、我が物にするなんて誤解されたら、それこそ、この首は飛ぶ。 あ、証を立てねば!
慌てて、石板に向かって声を掛ける。
「あの、もし。 もし、司書様! 上位巻物がッ! 上位巻物が見当たりませぬッ!!」
「エルデ殿…… 多分そうなるとは思って居った。 そなたは、ある権能を受け継いでおるはず。 神聖聖女ならば、その『御徴』を受けて居るのであろう? 幾多の古文書からの知識では、そなたの、右手に繋がっておるであろう?」
「「聖櫃」に御座いますか?!」
「聖女が上位巻物と、その上位巻物は、” 姉妹巻物 ”と呼ばれておっての。 本来は二巻で一つであったそうな。 互いを尊重し合うと云う意味で、正にその在り方の様に、王家と教皇の間で、長い…… 本当に長い間、別々に保管されておったのかもしれん。 しかし、貴族と神官の信頼が崩れた今、危機感を持ったソレは、互いに惹かれあうのは必定であろう? まぁ、確定だが、確認を要請する」
「は、ハイッ!」
直ぐに「聖櫃」を確かめる。 えっと、どういう事? 二巻の巻物が、並んで楽し気に鎮座していたの。 封印の精霊様が具現化して、手を取り合って、にこやかに笑われていて…… 聖櫃を覗き見る私に気が付かれると、手を振って下さったりもする…… えっ? えっと……
「居られたかの?」
「はい…… とても、楽し気にされておられます」
「善き哉、善き哉。 寂しい思いをずっとさせて居ったでな。 司書共と、国王陛下には、” 有るべき場所に遷られた ” と、ご報告しようか。 さて、エルデ殿。 上位巻物の詳細は理解したか?」
「はい。 魂に刻まれましたが故に、御話出来ましょう」
「それは、重畳。 ならば、その『知識と知恵』は、エルデ殿の望みし知識を合致しましょうや?」
えっと…… わたしが古代魔法に求めたのは、『魔力』を使わない、検知術式の構築…… だったわよね。 『魔力』を検知するのではなく、人が其処に居ると判ればよいのだから…… 生命力というか、『魂』を見れば良いのよね。 それなら、『魔力』は関係なくなるし、隠しようも無いから。
でも、その術は見つからなかった。 有るには有ったけれど、私には手が出せない技が必要だった。 でも…… この権能を手に入れて……
思考がグルグルと廻る。 魔法では検知出来ない【隠遁の技】。 魔力的流れを一切見せず、周囲と同化出来てしまうそんな高度な技。 では、何を視なくては成らないか? 極めて希薄となる、その技を行使される方の『存在感』。 どんなに密やかに潜まれようとも、生きとし生ける者ならば、絶対に手放す事が出来ないモノを見つければいい。
何かが頭の中で結びつき、深い理解を通して回答を得る。 新たに手に入れた権能って、『魂』を保全し、肉体を修復するための『権能』だったわ。 魂を護る為に、魂からその器である肉体の損壊を修復できるのよ。
『肉体の記録』を『魂』から引き出せるんだもの、自然と魂自体を見る事が出来るのよ。 分離しそうな時…… つまり、死にかけている時で無ければ、肉体と魂は一致する。 保護するべき『魂』を視る。 そして、その方の『魂』さえ認識できれば、技は無効化出来てしまうのよ。
そうよ、願った力は……
「はい。 得た見識により、わたくしが望んだ知識は入手できました」
『魂』に『知恵と知識』を刻み込んだ私。 口にするのは、私の本心。 そう、これで、また一つ、生き残るための手段を手に入れたの。 見えず、感知も出来なかった方々を、知覚できる術を手に入れたと云う事。 満たされた心が声音に乗る。
「それは重畳。 そして、なにより、そなたは変わらずに其処に在る。 うむ…… 心が囚われることなく、知識と知恵を受け取られたと。 ……専門の司書が遣って来るまでも無いか。 あ奴等も、戦々恐々だったがの。 何よりじゃな。 さて、エルディ嬢。 儂の判断で、其方はその部屋を出る事を許そう。 文献に在った、大賢者の様子とは大いに異なり、仰々しい儀式も必要では無いと見受ける。 さて、そなたの願いが叶ったのならば、儂らの願いも叶えて貰おうか」
「御意に。 この上位巻物に綴られていた、内容について詳細にお伝えしなくてはなりませんもの。 老師に於かれましては、既にその準備も御済に御座いましょ? 万が一、わたくしが、上位巻物により、” 狂うた ” としても、それにより何かしらの詳細は得る事が出来ますでしょうから」
「……見えていたか。 それも踏まえて、その巻物を解いたか。 覚悟は、崇高にして激烈。 うむ…… 教皇猊下が仰った通りの豪胆振りよの。 相判った。 そなたの好意と豪胆さと覚悟の程、理解した。 こちらの準備は整って居る。 語ってくれ、その上位巻物に格納されし古代の英知を」
「承知いたしました。 では、最初に…………」
多分、この部屋の何処に居ても、声は届くはず。 だって、わざわざ石板の近くに行かなくったって、老司書さまとはお話が出来たんだもの。 だから私は、テーブルに付属した椅子に座し、心を静め『古代の英知』の真実を御話したの。
長くなるわ…… きっと。
だって、そう簡単に語りきれるモノでも無し。 なにより、正確性を求められる司書様方の御要望であるのだもの。 それに、私は何一つ隠し立てするつもりは無いのだものね。 何時の日か、この英知に触れる者が現れた時、取得の指針に成る様に…… そう祈りを込めてお話したの。
――――
当然、一日では語り尽くせるモノでも無く、内容の聞き取りには時間が必要な事が理解されたわ。 私の理性的な口振りと、そして、何らかの魔法術式が起動されて、色々と検査されたみたい。 私が語っている事に、嘘が無いかとか、私が狂っていないかとかをね。
危ない橋を渡り切った気がしたの。 細い細いロープの上を、断崖絶壁で隔絶した渓谷を渡り切ったって感じかしら? 迷わず、真っ直ぐに歩を進め、新たな地平に立ったと…… そう云う感じかもしれない。 こんな事に成るとは、きっとオクスタンス様も想定されていなかった。
『癒し』と『修復』。
……そうね。 この絶大な力は、神の御業であり、人の手には余る権能。 よって、深く、深く、秘匿する必要が有ると思う。 聖櫃を介し、教皇猊下と大聖女オクスタンス様にだけはお伝えしようと思う。 その他の人には…… 兎に角、秘匿しておかなくては。
老司書様達は、その道の達人にして、沈黙を守られる方々。
こちらの方々から、恣意的に情報が漏らされる事は無い…… 筈よね。 これも、一種の賭けの様なモノ。 不確定要素は多分にあるけれど、上位巻物の重要性を認識している方達ならば、と託したの。 ええ、私の身の安全をね。
語るべきを語る為に、何日か此方にお邪魔する約束を交わし……
かなり、遅くなってから、学習院を辞したの。
晩秋の大きく真ん丸の月が、天空に掛かり、サヤサヤとした月光が降り注いでいたわ。 静まり返る、貴族学習院。 静謐が私の行く道に広がり、月光が導いてくれた。
そう感じたの。
抗い、懸命に道を探していた私だった。
そして、神様と精霊様は、その道を御見せ下さった。 わたしは、ただ真っ直ぐにその道を征く。
悲惨な末路からの逃げ出そうと藻掻き、抗った先にあった唯一の道は…… 何処までも、何処までも、清冽で尊く慈愛に満ちたモノだったの。