エルデ、昼餐会に出席し、新たな問題に直面する。
小聖堂にて、夜の「お勤め」を済ませ、小聖堂に付随する薬師処で、『奥の院』から依頼されていた薬剤の生成を行っていた時に、アーガス修道士が一通のお手紙を持ってこられたの。 表書きや、裏の署名を興味深そうに読まれていたのよね。
えっと、それ。私への『親書』よね? そんなに、穴の開く程…… 観察するべきモノじゃ、御座いませんわよ? 私のジットリとした視線に気が付かれたアーガス修道士様は、苦笑いを浮かべながら、尋ねられたの。
「あぁ、すまん。 だが、必要な手順でも有るんだ。 修道女エル。 ……小聖堂の門に、特別送達の至急便で手紙が届いたよ。 送り主は…… ファンデンバーグ法衣子爵家からの『親書』だが? ” 心当たり ” は、有るのかな?」
「ええ、勿論 御座いますわ。 と云うより、待っていたと云った方が宜しいかと。 小聖堂に来る前に、お手紙をお出ししたので、そのお返事かと、思われますわ」
「心当たりは有るんだね。 じゃぁ、はいコレ」
「ありがとう御座います。 でも…… 私宛の私信なども、『検閲』とかされておられるのですか?」
「まぁ、なにかとキナ臭いのでね。 リックからも、通信関連の文書には気を付ける様に注意されているんだ」
「と云いますと?」
「まぁ、嬢ちゃんは知らんと思うが、封筒にややこしい『魔法術式』を書き込む輩も居るからな」
「成程…… それでですね。 一応、理解しました」
それは、貴族家に属する者にとっては至って普通の事柄よ? 本人認証とか、厳封とか、『親書』なら当然の様に魔法術式は組み込まれているのよ。 それを、今になって? 魔法術式が組み込まれていない封筒の方が、貴族の文通では珍しいのに…… 何でだろう?
「あ゛ぁ~ まともな奴じゃない。 どちらかと云うと、【呪術】式の方」
「ふぇ? ……そうなんですか。 それは、危険ですね。 腑に落ちました。 しかし、私にどんな術式を? それに、そんな必要あるのでしょうか?」
「頼むよ、嬢ちゃん。 『自分の価値』に、もっと気を使って呉れよ。 ちょろちょろ漏れ出す、嬢ちゃんの情報をいち早く察知した輩が、その真偽を確かめる為に、混ぜ込んできやがるのさ。 まぁ、小聖堂側に直接ってのは、少ないが、別邸本棟の方は、もっと凄いぞ」
「本当ですか? 取扱いが面倒な、危険な術式を纏った手紙など、一体誰が対処されているのでしょうか?」
「別邸執事長様だよ。 バン=フォーデン執事長殿が、嬉々として対処しておられるんだよ。 かつて王宮で、鉄血宰相の御側に仕えていた時の様だと、物凄い嬉しそうな ” 黒微笑み ” 、を頬に浮かべられておられたしな。 アレ…… 本気で楽しんでいるな。 今は亡き、鉄血宰相様も、そう云った『お手紙』は沢山受け取られていたからなぁ~ その対処はバン=フォーデン殿が専任だったと、そう仰っておられたよ。 『呪詛返し』的な事まで出来るらしい。 まったく、あの御仁の有能さには、頭が下がる」
「そう云うアーガス修道士様の御専門の一つなのでは、『呪詛返し』 は。 執事長様にご指導されたとか? そこまで、御話に成っているのは、ちょっと驚きです。 聖堂教会でも秘事と云う事でしたのに? 仲良く成られたのですか? それは、善き事だとは思いますが……」
「いや、あのな、嬢ちゃん。 其処じゃ無いんだよ、其処じゃぁ! 俺があの執事長に直接話さなきゃ成らん状況をだな…… ダメか…… 判っちゃ居ねぇ…… リックすまん……」
「……はて?」
なんでだろう、この、何もわかっちゃいないって、感じ…… だって、第三位修道女の動向なんて、どうでも良いじゃ無いの。 よしんば、私の何かを掴んだとしても、それで、如何にか出来るわけも無いし。 私だって、身を護る方法なんて幾らでも有るんだし? ちょっと、訳が分からないわ。
でもまぁ、『侯爵家の令嬢』に対してならば、この対応もまぁ、在る事だろうけれど。 高位貴族や貴顕の方々の行動には危険が付きものだから、其処は容認しておかなくては成らないよね。 はぁ…… 面倒……
まぁ、そんな事は横に置いて、頂いたお手紙を拝見しよう。
通常の手順で、開封して中身を取り出したの。 ええ、ええ、良く判ってらっしゃる。 言外の言葉を正確に認識して下さった事に感謝をしなきゃね。 ルカ達四人に対しての招待状が同封されていたのよ。 そして、お手紙には……
” エルディ様のお友達の招待状を同封いたします。 また、格と致しましては、エルディ様の御招待客としての格をご用意いたしました。 『席』は、エルディ様の隣席。 ご友人方もその周辺に、ご用意いたします。 その旨はマリー様にも、お伝えしております ”
ですって。 つまりは、仲間内で固まってもいいよって事。 良く判っていらっしゃるわ。 まぁ、主催者補佐の『お仕事』は、期待されてはいるけれど、それも、一時だろうしね。 もしかしたら、ルカ達も組み込んでいるのかもしれないわね。
ケイト様なら考えそう……
手紙に綴られた文字を、じっくりと読み込んでいると、アーガス修道士様が静かに言葉を発せられるわ。 横目でチラチラと招待状を見ながらね。
「貴顕たる御令嬢主催の『昼食会』かぁ…… どこのどいつが、そんな無茶を?」
「フェルデン侯爵家、正令嬢たるマリー様に御座います」
「はぁ? ……それは、ほんとうか?」
「ええ。 左様ですわ。 多分…… 学習院での『私の立ち位置』の危うさを懸念され、それ相応の後ろ盾と成る様に、準備を始められたと」
「…………侯爵夫人よりも行動が早いのか、あの御令嬢は。 まぁ、現場に居て空気感も読んでいるのだから、当たり前と云えば、そうなのだが…… 良く思い切ったな、箱入りちゃんは」
「ある種の『賭け』に御座いましょう。 貴族学習院に居られる、『綺羅星の如き貴顕の方々』の在り方に、少々疑問を持たれているのかもしれません」
「成程な…… ウルティアス大公閣下の手の者が、此方に伝えてきたのと…… 合致するか。 それを、学習院に入りたての者が、対処し始める…… か」
「流石、宰相家の御令嬢なのだと、感心しておりますわ」
「触発されたか……」
「えっ?」
「いや、こっちの話。 それで、その複数枚の招待状は? 誰のだい?」
「貴族籍を持たぬ、私の学習院での『お友達』の物に御座います。 流石に、何も無い状態で、魑魅魍魎の巣に突撃するつもりは御座いませんもの。 私が信を置く、お友達の御同席を願いました。 身分は、貴族籍に無い方々ですが、市井の者達にとっては、『守護者』の様な御家の御子弟と御子息。 今回の『昼食会』にお誘いたしましたは、自身の為だけでは御座いませんわ。 ええ、お友達にも 『 利 』 が、御座いますから、ファンデンバーグ法衣子爵令嬢様にお願い申し上げました。 あの方なら、きっと、私の求めを汲んで下さると思っておりました」
「……中々に、遣りおるね。 ケイト殿だったかな。 学習院からの情報に時折その名が上がっているな。 なかなかに凄まじい経歴のお嬢さんだ。 行動力と洞察力に至っては、並み居る高位貴族子弟など、足元に及ばぬと…… そう、私の友人は評価していたな。 で、エル殿はその御令嬢に『信』を。置かれていると。」
「はい。 私はファンデンバーグ法衣子爵家と友誼を結んでおりますので、その家の御令嬢ならば、『信』を、置けます」
「……聖堂教会の『聖女』絡みの関係性かね。 あそこの御夫人は、聖女候補だったな、そう云えば…… そちら方面からの漏れは無いと、リックも言っていた。 そう云う意味では『 信 』 は、置けると。 成程ね。 で、あの『箱入りちゃん』は、自身の他に誰を、嬢ちゃんの『後ろ盾』にと、『白羽の矢』を、立てたんだい?」
「どちらにも組しない方々だと、推測されます。 一応、此方が…… 明日の出席者に成りますの」
ケイト様の手紙にあった、出席者一覧をアーガス修道士様に見せると、深く頷かれたのよ。 やっぱり、この方、王国の貴族社会の事をよくご存知なのよ。 何処で、その知見を得られたのかは判らないけれども。
「……まっ、正しい見解だな。 他の者達ならば、嬢ちゃんを『利用』する事を模索し、色んな方策を取るからなぁ。 推測される『貴顕の方々』は、どちらかと云うと、初代様に大層な恩義を感じている家系でもあり、深い後悔を家門に刻んでおられても居るから、嬢ちゃんを利用して取り込もうなんて、考えないな。 その点では、まずは信頼できる。 ……先ずは、繋ぎ。 暴発防止の意味合いか。 画策したのはファンデンバーグ法衣子爵令嬢って処か。 良く見える眼を持っている」
「確かに、そうですわね。 そこに、もう一人加わりますわ。 ええ、学習院の外側の情勢、お偉方では無い、中、下位の貴族の内心とか…… そう云った御家に入り込むのは上手いですからね。 ですから、マリー様の身辺は堅固な城の様になりますでしょうね」
「もう一人とは、嬢ちゃんの隣席に座る、招待客の事か?」
「ええ、アーガス修道士様もご存知の、ルカ=アルタマイト に御座いますわ」
「あ゛~~ アレね。 嬢ちゃんは、『箱入りちゃん』の身辺を強化する為にって思っているんだ」
「ええ、『煌びやかな集団』に隔意を持ってしまったマリー様には、強固な城壁が必要なのですもの」
「そこに自分が入ると云うのは?」
「あり得ませんでしょ? まぁ、そんな事をルカも言っては居りましたが、私は『養育子』ですもの。 時が来れば、準貴族籍も失う者に、あの『煌びやかな貴顕の方々』が、注意を払う事も無いかと」
「……かぁぁぁぁ! 甘いね、甘い。 その自己認識。 王侯と云うモノは、どんな小物でも、光るモノが有れば、取り敢えず手に入れようと、画策するもんだ。 国王陛下はいざ知らず、その配偶者やら連枝の者達なんか、それこそ自身の足元を固める為に、必死なんだよ。 で、手に入れられなければ、排除を考えるのが『常』なんだ。 是非とも、その城壁とやらの内側に入ってくれ。 外側からでは、学習院内での嬢ちゃんの『護衛』が、難しいんだよ。 頼むよ」
「え、えぇ…… まぁ…… あちらも、『近くに』とは望まれておりますので」
色々と、過保護だと思う。 大切にして貰っているのは、肌感覚で判るんだけど、そうは言っても、『養育子』よ? アーガス修道士様の様な護衛修道士様を引き連れて、学習院に登院などしたら、目立って仕方ないわよ。 目立ちたく無いもの……
私が学習院で、密かに……小さくなって、影を纏うように、息を殺しているのも、それが理由なのよ。
――――
会話に、疲れを感じつつも、今日の為すべき事は全て成し、夜半に本棟に帰って、水浴びをしてから、眠りに入る為にベッドに潜ったの。 明日は、マリー様の昼餐会に出て、昼ご飯を頂いて、御話して…… それから、閉架図書部に行って、今日の続きをするんだッ!
掴みかけている『何か』を、正しく掴み取らなくてはね。
アーガス修道士様も言っていた通り、自身の安全を担保する為にね。 努力と研鑽は惜しむつもりは無いわ。 だから、体力と魔力を回復する為に、良質な眠りは必要なのよ。 おやすみなさい……
――― § ――― § ―――
学習院大食堂に付随するフェルデン侯爵家のサロン。
宰相家と云う家柄の御令嬢が主宰する『昼食会』は、まさに『昼餐会』と云えるような格式を以て、ご用意されたの。 出席者は、そんな特別に畏まった席に出席できるような階位を持たざる家柄の御子息、御令嬢達。 マリー様と、ケイト様が考えられた、表向きの理由は……
『 学習と経験 』
上品な調度が整えられた、豪華な空間。 窓からは、晩秋の美しい紅葉が見られる庭が、その移ろいゆく季節の『美』を見る者に強く印象付けている。 学習院の侍女長以下、使用人達は侯爵家のサロンに於いて、万全の役割を果たす事を期待された、特に優秀なる者達で固められても居る。
大食堂の厨房は、『貴顕たる方々』への食事を提供する為に、王宮の厨房で腕を振るった厨房長の隠居先として指定されている。 匠の技を継承できるようにとの配慮が其処彼処にあり、さらに、高貴なる王族の子弟に対しての食事も、元厨房長の『仕事』でもあったわ。
今日のサロンでの『昼餐会』は、そんな元宮廷厨房長自らが腕を振るったモノと云うのよ。
フェルデン侯爵家、正令嬢から貴族学習院への要望。 それが、現実化した事でもあるのよ。 本来であれば、元宮廷厨房長が侯爵家の一女が『昼餐会』で腕を振るう事は無い。 けれど、この会合は、所謂 『貴族子弟の教育の一環』と云う側面を、強く打ち出していたから、学習院副学長様も特別の許可を与えられたとか。
指定された時間に集まった『招待客』である、男爵家、子爵家の御嬢様、そして その御兄弟の皆様方は、ファンデンバーグ法衣子爵令嬢ケイト様の口上に、深く感銘を受けていたのよ。 ケイト様、こういうの上手いのよ。 隣でルカが神妙な顔をして、言葉を咀嚼しているの。 まぁ、あの『開会の挨拶』である演説は、人心掌握術の一つでもあるのよ。
声の高低、言葉の間合い、強弱。 そして、時折混ぜ込む割合とはっきりした、言外の言葉。 扇を手にし、手や肩が少々動くのはそう云う事。
「………………よって、フェルデン侯爵家が御息女である、リリア=マリー=フェス=フェルデン様の御配慮と、キンバレー王国 貴族学習院の教育理念により、この『フェルデン侯爵家 昼餐会』は、企画、実行する事と相成りました。 供せられる御皿の数々は、国外の賓客を持て成す迎賓の宴に供せられる物と同じに御座います。 そして、再現されるのは、元宮廷厨房長様。 我等、下位貴族の者達に、この国に於いて、最も貴ばれる方々の『正餐』の ” 繊細 ” さ、 ” 芳醇なる滋味 ” の、知見を得る事を、学習院より『許可』して頂きました。 この機会を模索し与えて下さった、尊き方に感謝を捧げるは必定。 マリー=フェルデン侯爵令嬢様、及び、エルディ=フェルデン侯爵令嬢様。 誠に慈悲深き思召しに、一同、感謝申し上げます。 フェルデン侯爵令嬢の慈愛に祝福有れ」
「ありがとう、ケイト。 その『祝福の祈り』、確かに受け取りました。 皆様、煌びやかな正餐に於いて、最も重要な事は、その供せられた御料理を、口にし共に慶びを分かち合う事。 神の加護を感じつつ、有難く頂きましょう」
お昼ご飯の開始を告げる、マリー様の言葉。 祈りは、何時だって傍に在るのだもの。 この食事を構成する、数多の食材は誰がどうやって生産したモノか。 それも慮って、有難く口にするのよ。 其処から広げられる、話題だって有るのだものね。
祈りの後、お食事会は始まったわ。 晩餐会に比べては、品数も少ないけれど、贅の尽くし方は同等よ。 お酒が入らない分、此方の方が余程『凝っている』と云っても良いわ。 普段のお食事とは違って、正式なマナーを要求される正餐だから、皆さんちょっと戸惑っているのは仕方ないわよ。
目の前に供せられる御皿の左右にズラッと並ぶカトラリーに、見慣れぬ物もあるしね。
まぁ、外側から順次使って行けば良いのよね。 パンはふかふかの白パン。 スープは濃厚で滋味あふれているけれど、後味はスッキリ。 魚の御皿も、お肉の御皿も、ソースにとても凝った工夫が施されていたわ。
―――― まさに『正餐』。
これ程、贅を尽くしたモノは、本来の私基準だと『飽食』に値するのだけど、貴顕たる方々と、相対する場合にはコレが礼を失しない食事と成るのよ。
それを、経験しておくことは、どんな状態になっても慌てる事は無くなる…… と、云うのを期待しての昼食会であると、云う事。 教育の一環ってそういう事ね。 私が受けた見極めとは訳が違うわ。 多少の失敗や、誤解等は、その都度周囲の方々のご指摘があるし、マナー違反は戒められてはいるけれど、適度な会話は『正餐』でも必要。
さわさわと交わされる会話。 心得た方々による、食事の介助。 流れる様な提供も相まって、さながら迎賓の為の宴と同じ空気感に成るのよね。 そうそう、こんな感じ。 アルタマイトで、隣領の奥方様方や門閥の奥方様を招いた食事会を思い出したわ。
――― 語られる話の内容で、お食事の味なんて判らなくなったけれどもね。
銀のカトラリーは徐々に本数を減らして行く。 ドルチェとカフェに至ると、もう『御茶会』と何ら変わりは無くなるわ。 テーブルでは様々な話題が言葉に乗り、そして出席者様方が好奇に思われている…… と云うよりも主筋から命じられている情報の収集に余念がない。
それを、過不足なく捌かれつつ、本当に守秘義務のある部分は、完全に韜晦しているマリー様。 そして、その補助をしているのがケイト様。 補助と云う目的で組まれた私は、本当に何もしなくて良かったのよ。 ただ、ただ、皆様の御話を伺うのと、適宜、相槌を打つだけ。
ルカ達も、良く耳を澄ませ情報のやり取りを伺っていたわ。 爵位を持つ家の方々とそうでない者達の間には、それなりの溝が有るのよ。 そして、それを十分理解しているからこそ、私の希望をケイト様は聞いて下さったのよね。
それは、判る。
私の出自をご説明するマリー様は細心の注意の元、なぜフェルデン卿が私を『養育子』となされたのか。 それをご説明されていたのよ。 私は、フェルデン卿の『姪』なのだ。 そう、殊更強く印象付けられておられた。 決して、粗略に扱う事が無いようにとも。 当然、フェルデンの正令嬢たるマリー様の言葉は、出席者様方の心に深く刻まれた事でしょうね。
フェルデン侯爵家は、私をフェルデンの娘として、認めているのだと。
そこで、やはり気に成るのは、私と聖堂教会の間柄。 其処の説明は私にと。 アルタマイト教会 薬師院所属の第三位修道女としての私の言葉が必要なのでしょうね。 私に対し、マリー様は小さく促されるのよ、自身を語れと。 『立場の表明』をしなくては成らないわね。 私は、ゆっくりと、静かに言葉を紡ぐの。
「フェルデン侯爵閣下の有難き思召しにて、わたくしは、フェルデンが娘として学習院にて学びを得る事に成りました。 準貴族としての身分を戴きました。 皆様に置かれては、『何故、準貴族なのか』との、疑問もお持ちでしょうから、その辺りについてお話申し上げますわ。
わたくしの血の中には、確かにフェルデン侯爵家の血が受け継がれております。 亡きお母様が、フェルデン侯爵閣下の妹姫様で在られた事、間違いは御座いません。 が、わたくしは事情があり、お母様との面識は御座いません。 高次の尊き方々により、生れ落ちた時に両親から離されてしまいましたの。 よって、実の両親から認知されては居りません。 わたくしの出自に関しては、これ以上申し上げるべき事柄は有りませんわ。
わたくしが現在保持しているのは『神籍』だけに御座います。 コレを放棄すれば、『王国籍』すら保持していない『遊民』となります。 その場合、フェルデン侯爵閣下が望まれようとも、フェルデン侯爵家の者として承認される事は、完全に無くなります。 国法により、『王国籍』を持たぬ者は、貴族家には『養育子』として入る事は叶わないのですから。 ですので、わたくしの立場に関してましては、お含み戴きますよう、お願い申し上げます」
ガッツリと、事情は説明しておくの。 私は、『貴族』じゃない。 あくまで『神籍』に在る者なの。 それが、彼女達、彼等達を此処に送り込んだ『貴顕の方々』への十分な説明となるから。 それに、出自について、暴き立てると他の『貴種の家』の隠したい事を暴き立てる結果に成るのですよ、言外に伝えたのよ。 ええ、『高次の尊き方の御意思で、実の両親とは面識が無い…… 』 とね。
此れだけで、判る人には判るのよ。 『神隠し』か、『取り換え子』が、発生したとね。 ……多分、色々と調べられるでしょうけど、それが表に出る事は無い筈。 調べるなとは、云ってはいない。 けれど、それが表に出た時に、どれだけの影響が貴族社会に齎されるかを、暗に提示したのよ。
また、私が小聖堂にて祈りを捧げている理由にもなるのよ。 そう、第三位修道女が『私の根底』に有るとそう言い切ったから、聖堂教会での『お勤め』に代わって、学習院小聖堂にて祈りを捧げているのだと、そう理解して貰ったの。
なにも、学習院の風潮に、『真っ向から喧嘩を売っている』ではないの。
己に課された、聖職を全うしているだけであると、そう言葉にしたのよ。
何人もの方々が、頷いて事実を受け止めて下さった。 立場の表明と云うのは、集めて一気に周知した方が何かと便利と云う訳なのよ。 出席した方々が、互いの持つ情報を補完し合い、正確な情報として上に上げる。 私が言外に伝えた事も又、『言外の言葉を扱う才覚』ある方々により読解され、私の『正確な情報』は、然るべき方々の間で共有されるわ。
言葉を綴る場合は、一度で二重にも三重にも意味を重ねるのは、貴族の嗜みとも云える。
十分な教育を受けてこられた令息令嬢である皆様には、それが通じるのはとても良い所。 ケイト様も満足気な表情を浮かべられているのよ。 私の言葉は全部…… 『想定内』って処かしら。 まずまず、目標は達成したと思えたわ。
――――― § ―――――
ドルチェが終わり、とても美味な昼食は終了。 皆様の前には、飲み物が暖かな湯気を立てているのよ。 本来の昼食会ならば、ここからサロンへと誘い、様々な社交となる。 話に興じたり、趣味を持ち寄って、作品の披露をしたり…… 殿方はカードゲーム等を興じられたりもする。 でも、ココは学習院で、更に言えば、学習の一環。
だから、昼食会の感想とか、交わされた会話や言外の言葉を、もう一度咀嚼し身に着ける時間となるのよ。 貴族の嗜みをキチンと身に着けておられる皆様だからこそ、こういう時間をとても大切にされる。
この『昼食会』の本当の意味での『情報交換』が始まるわ。 今までは、相手の意向や立場の確認の様な軽い御話。 此れからは、己が持つカードを出して行く、真の社交であるのよ。
貴族社交のルールに則り、『情報の交換』は、開始される。 実地での学習と云う側面を前面に押し出してね。 つまりは無礼講と云う事。
出席者の方々は、探り探りではあるけれども、自分達が知っている事を小出しにして、周囲の者達の情報を引き出して行く。 手練手管は貴族お茶会そのもの。 でもね、御婦人方のヒリヒリした遣り取りとは、全く違う和やかな雰囲気の下で行われる情報交換は、とても有意義でもあったの。
学習院内の情勢。
彼等が所属する門閥間の情勢。
王国の公職に就くお家から漏れ出る、王国の情勢。
その中で、ちょっと気に成るモノが有ったのよ。 外務関係の職に就かれておられる御家の御令嬢からの情報なんだけれどもね。 情報提供と云うよりも、王城内の官吏達の愚痴とも云える事柄。 思っていた通り、リッチェル連枝、門閥の人達は、相当にあちこちに食い込んでいるのよ。
――― その方々は、まぁ貴族院派とも云える派閥の方々。
保守派であり、前例主義的な動きをしている中で、時折、横紙を破られる様な事を仰る方が出て来られると。 なんでも、主家からの御要望とか何とかで…… そんな『愚痴』の中で、懸念と云うか、有り得ないと云うか…… そんな事柄が一つ…… マリー様と、その方の間で交わされるの。
「あの…… 外務にて、少々問題となっております事柄が御座いますの」
「何でしょうか?」
「ええ、それが、リッチェル系の方が、どうも神聖ミリュオン聖王国側の方々に接触をしている様なのです。 それも…… 極秘裏に」
「国益を鑑みますと、それ程重要視する御国とは言えませんわよね、神聖ミュリオン聖王国と御国は」
「ええ、貴族院からも、他国との御関係を鑑み、彼の国との交流は、良く注意するように…… との通達が御座いますれば、父も兄達も…… 困惑し、訝しんでおります」
「成程。 しかし、侯爵家の意向だけ動くのは、可能なのでしょうか? それも深く、秘された形で……」
一旦、言葉を止めたその御令嬢は、静かに低く言葉を紡がれる。
「『煌びやかな集団』の方々の中でも、至高なる貴顕の御意向も有るとか」
「…………由々しき事に御座いますね。 判りました」
マリー様の顔に影が差す。 ふむ…… 『宰相府』案件な事柄でもあるわね。 本当に聞き捨て成らない『御話』だったわ。 マリー様の御顔にも緊張が走っているのが判るわ。 彼女も、意を決して言葉にしたのだと思う。 御家で交わされる会話の中で、どうしても王国の重鎮に伝えておかねば成らないと、彼の令嬢自身が判断した事柄…… 非常に、勇気が必要な言葉でもあるわ。
本当に、褒めてあげたい。 抱きしめて、良くやったと、云ってあげたい。 それくらい、重要な御話だったのよ。
―――――
神聖ミリュオン聖王国は、法王猊下を至高の座に置く、宗教国家。 主神は創造神では無く、太陽神。 国の重臣達は、我が国 聖堂教会に於ける枢機卿の方々と同じだと、仄聞するの。
神聖ミリュオン聖王国の僧籍に在る枢機卿閣下との繋ぎをリッチェルが取りたがると云う。 何故かを想像すると、自然と行き着く先が有るのよ。 リッチェル卿は、末娘であるヒルデガルド嬢をとても大切にしている。 そして、その存在を至高とする為にはなんだってやる。 彼女が『聖女』の資質を持っているのは、確かな事。 数多くの妖精様達が、彼女に加護を与え、妖精王様がその権能を行使する事を容認されているわ。
でも…… 『聖堂教会』は、『聖典』に基づき、教会で研鑽を積まないヒルデガルド嬢を『聖女』として認定する事は無い。 相応の『お勤め』が必要なのよ、聖女認定には。
これは、ずっと言われている事でもあるわ。 でもリッチェル卿は手元からヒルデガルド嬢を手放すつもりはさらさら無いし、彼女自身も侯爵家を出て、聖堂教会にて研鑽を積むつもりない。 そんな彼女でも、多くの方々に、清い『聖女』と呼称されているわ。
――――でも、公的にはその尊称を受ける段階では無いのよ。
彼女の『聖女の力』も、妖精様方が付与した『癒しの力』でしかない。 聖堂教会基準で云えば、研鑽が不足していて、現状ギリギリ初級『聖女候補』並みの『癒しの術』しか使用できていない。
此処に権威付けしようにも、聖堂教会の基準から云えば『不可能』と云わざるを得ない。 それを無理矢理にでも権威付けし、公的に『聖女』を名乗ろうとしたら…… そうね、金穀を以てその『顕職』を与えてくれる『権威』に頼み込むしかないわよね。
つまりは……
神聖ミリュオン聖王国の枢機卿クラスの導師をこの国に招き、ヒルデガルド嬢に『聖王国の『聖女』位』を、授けさせる『策謀』を始めていると考えられるのよ。
そして、彼女に『その権威』を与える事を、第一王子殿下も、望まれていると云う事。 単に…… それだけと云えば、それだけなんだけれど、もしそれを成してしまえば、多数の国家間の均衡が大きく崩れる事に成るかも知れない。
――― それを成した場合、キンバレー王国に聖王国からの政治的介入があるかもれない事。
これは、何よりも避けなければ成らない事柄なのよ。 まして、あちら側から…… では無く、こちら側からの申し出と成れば…… それも、多方面に人材を供給しているリッチェル侯爵家が主体となっているとするならば…… ね。
聖王国の息の掛かった者達が、王国の政治の中枢に食い込む可能性は、小さくは無いわ。 むしろ、当然の帰結となるのは目に見えているのだもの。 聖王国の神官達は、正に神官職で在るが故に、貴族の方々が使う 『 それは、それ。 コレは此れ 』 と云う、是々非々で物事を進める事は無い。 そう云う、お国柄なのよ。 だから、周辺国から鬱陶しがられていると云うのも、公には出来ない事実なの。
――――
黒茶を戴く私が、カップを持つ手を止め、マリー様達の会話に耳を傾けていたの。 ルカの言葉が私の耳朶を打つの。 密やかな、そして確固たる声が、頭に響く。 【影話】の技を取得したのね。 独立商人ならば、必須と呼べる技だから、当然かもしれないけれど、ちょっと驚いたの。
( マズイね。 神聖ミリュオン聖王国の介入は、” 国政 ” を、歪めるよ )
( ええ…… そうね。 第一王子殿下は、それが見えていない )
( この国は…… どうなっていくのだろう )
( まだ、判らない。 此れからの学習院内部の情勢が、大きくキンバレー王国の未来に影響するのだけは、理解出来る所ね。 マリー様の立ち回り。 ケイト様の策謀。 ルカ達の情報。 きっと今後は、もっと重要になっていくわ )
( たしかに。 エル。 気を付けて。 聖堂教会側にもこの話は流した方がいい )
( ええ、アーガス修道士様にお話しておくわ )
ひっそりと語られる私達の会話は、他の人には認識できない。 大テーブルの上の会話を、じっくりと聞いて、そして、考察する。 なによりも、学習院内部の情勢…… あの『煌びやかな集団』の方々の動向が、これからの王国の行く末を決める上で、とても大きな分岐点に成りそうなのよ。
―――― 関りを持ちたく無かった。
『記憶の泡沫』にある、『悲惨な末路』に直結するような方々なのよ。 それでも…… 王国の未来。 倖薄き人々への慈愛を考えた場合……
多分……
きっと……
関りを持たねば成らなくなるのは、必定となったわね。 とても嫌だけど……
グッとお腹に力が籠る。 顔に貴族の笑みが張り付いた様に固着する。 カップをソーサーに戻し、扇で顔を半分隠す。 瞳に力が籠る。 頭の中に様々な情報が駆け巡り、そして、王国の未来から『闇』を取り除く方策のいくつかが浮かび上がる。
でも…… 私には 『 力 』 が、足りない。
教会関係者と云う事で、貴族社会には『影響力』は、持てない。 ならば、どうするか…… 何が出来るか。 王国の未来を歪められるのを避けるために、王国貴族と聖堂教会の間に在る溝をどうやって埋めるか。 若年貴族達の考える先鋭的な考えを、どうやって国王陛下と教皇猊下の関係性に似た形に出来るか。 その中で私の役割として、出来る事は?
『聖職者』と『侯爵令嬢』。
どちらの立場での影響力を付けなければ成らないか。つけるとすれば、何を利用せねば成らないか。 私が何者として在るべきなのか…… 結論は出ず、頭の中でグルグルと、この昼食会で語られた情報が巡る。 組上げては崩す、数々の術策。 権謀と姦計。 策謀と影響。 この時ばかりは私は…… 第三位修道女では無く、フェルデン侯爵令嬢として…………
―――――――― 其処に居たのよ。