エルデの距離感
夕刻に近い時間。 既に貴族学習院の中は人影もまばらと成っていたの。 迎えの者達は既に到着して、私を待っている筈なのだけれど、もう一か所、行っておかなくては成らない場所があったの。
そう、秘密のサロン。
今日のマリー様との会合の事を、ルカ達はとても心配している。 何があったのか、あの貴顕が何を宸襟に抱えていたのか、そして、何を私に求めたのか。 対抗策も色々と考えて、私に伝えていてくれた。 最悪、暫くフェルデン小聖堂に籠る、聖堂教会 薬師院奥の院に戻る と、云う事すら提案してくれていた。
身の安全を護る為には、一時撤退もあり得る選択だと。
蓋を開けてみれば、マリー様は私を家族として考えたいとの思召し。 まだ、侯爵夫人の御考えが見えないのは致し方ないが、少なくともマリー様は私の事を従姉として遇したいと、そうお望みだった。 彼女なりに、私の立場を慮っていて、更に言えば私の『お役目』すらも理解されていたのよ。
問題の中心と成っていたのは、聖堂教会と、王侯貴族の間に在る精神的な溝。 その距離感が隔絶しそうな事。 以前は、両者の間に深い交流は在った。 そう聖堂教会の一部神官達が、高位貴族の者達に寄生し甘い汁を啜ると云う、歪な形によって。
心ある国王陛下の藩屏者達は、その事を苦々しく見ていたし、多くの貴族達は貴族派神官達にとっては旨味の無い相手でもあった。 聖堂教会にしても、教皇猊下の御体調不良により、本筋の心有る神官達の影響力は低下して行く一方。 多くの有力な教皇派枢機卿は、辺境域の大聖堂に派遣されてしまう始末。
歪んだ関係の中心に有ったのは、『金銭』と『権力』。 七つの大罪が一つ、『貪欲』が、彼等を捉えて離さなかったのよ。 まぁ、彼等にとって予想外だったのは、彼等自身がいとも簡単に排除されてしまう、寄生虫だった事。 策謀や謀略を駆使して、聖堂教会の威厳を以てしても、実際にキンバレー王国を動かしている者達にとっては、聖堂教会の権威など『砂上の楼閣』もいいところ。
関係性の強い、強大な高位貴族のご機嫌を伺い損ね、しては成らない領域に踏み込み、彼等の聖域に土足で踏み込めば、どうなるかぐらい分かっても良い筈なのに、あの神官達は自身の足元は盤石だと信じ込んで自滅したのよ。
私が相手をしなくてはならないのは、そんな人達。 マリー様の御言葉は有難かったけれど、これを『足掛かりに』、なんて思っていたら、絶対に足を掬われる。 この認識は、私がリッチェルの娘として教育を受けたから。 その本質的要素と、呼べるものが有るのよ。 『 それは、それ。 これは、これ。 』 が、『貴族たる者』の、『考え方』の中心に有るのだもの。
そうでなくては、敵対している派閥同士が、キンバレー王国の未来について、協力している現状が説明つかないもの。 貴種たる者は、『是々非々』で事に当たれと、そう幼少の頃から叩き込まれる。 大局を見つつ、自分が所属する家門に対し、最大限の利益を誘導しなくては成らないのよ。
だから、社交界においても、” おやおや ” と云う、訝し気な視線をものともせず、対立派閥の御夫人方が、茶会を組み、情報の交換に余念が無いの。 『虚々実々』の駆け引きは、その交渉術の『些細な事』でしかないわ。
とても、精神的に疲れるのよ、貴族社会と云うのは。 だから、味方…… 本気で友誼を差し出して下さった方には、真心を差し出さねば、成らないのよ。 真摯な心を無下にされれば、誰だって反感を持つ。
それは、市井に於いても同じなのだもの。 裏切られたと感じてしまえば、その頑なな心を解き解すのは、至難の技なのは、生と死を見つめ続けて来た、治癒師としての私の私見。
だから、そうならない様に、ルカ達とは緊密に連絡を取り合って、状況を説明せねば成らないと確信しているの。 私が、困難を感じる、この場所、この立ち位置に於いて、一番最初に手を差し伸べて下さった方々なのだものね。
夕暮れに沈む貴族学習院。
秘密のサロンへと足を運んだ。 勝手知ったる所だから、【隠遁】術式を打ち込んだ扉は、あっさりと通過して、滑り込む様に中に入る。 誰も居なければ、其処に今日の出来事を綴った手紙を置いて帰るつもりでもあった。 誰かが居られれば、その方に伝言をお願いするつもりでもあった。 でも、そんな手間は必要無かったの。
まるで、其処に居るのが当然、きっと来ると信じ待っていたのよ、” ルカ=アルタマイト ” と、云う人はね。 にこやかに微笑み、挨拶を交わしつつ、応接に誘われる。 着席を求められ、目の前にお茶がルカの手で提供される。 お嬢様方の人気の茶菓子付きでよ。
席に付き、お茶で喉を潤す。 さっきまでの緊張感が嘘のように解けていくわ。
色々な事があって、喉も乾いていたから、丁度良かった。 それに、これから 『 お話 』もしなくては成らないしね。 ルカは、お茶を喫する私に、優し気に言葉を紡ぎ始めたの。
気を使ってくれたんだなと、彼の優しさが身に染みる。 彼にしてみれば、私が成した事は、彼の気遣いを無視するような事。 でも、彼はそれを飲み込み、私に接してくれる。
言葉は、何処までも静かで、何よりも今後の私の在り方を模索しようとしているかの様でもあるのよ。
「それで、フェルデン卿の正令嬢様は何と? 排除するか、取り込むか。 仲間達もヤキモキしていたよ。 今日は、もう来れないだろうからと、帰ったけれど、俺はそうは思えなくってね。 フェルデン別邸の迎えの馬車が居なくなるまでは、此処に居ようと思ったんだよ。 ……それに、エルの事だから、きっとくるんだろうなって……」
「うん…… そうね。 ルカには、色々と気に掛けて貰っているしね。 私と御一緒してくれている皆様も、危ない橋を渡らせていると、認識もしているのよ。 もっと早くに、此方に来るつもりだっんだけど、遅くなってごめんなさい。 それでね…… 直截的に云うと、マリー様の思召しは、私を従姉として遇したいと云う事だったわ」
「マリー様? あぁ、そういう事ね。 従姉として遇する…… か。 取り込みたいとか、そういう事?」
「えっとね、そう云う意味では『取り込む』のでは無いかな。 フェルデン卿に、卿が取得した『私の秘事』を、色々と伝えられたらしいのよ。 本来の貴族的思考の御令嬢ならば、” 危うきには近寄らない ” が、発動する筈なんだけれど、そうは成らなかった。 私の立場、そして、私が聖堂教会から託された『お役目』を十全に理解され、期限が過ぎれば、フェルデンの名を名乗れなくなる事も理解した上で、従妹で在りたいと、そう宣われたのよ」
「随分と…… 思い切ったね、あの方は。 君の立場を鑑みると、ある種の『賭け』に違いないね。 自身のお立場を賭けられたと感じられる」
「ええ、そう思うわ。 フェルデン卿も又、王侯貴族と聖堂教会に距離が出来るのを憂いている一派の人。 ……そうなのだと思うわ。 国王陛下の御宸襟に一番近くにある人なのだものね。 ……天秤の分銅を動かし、均衡を取りつつ、未来へ光を置く。 宰相たる者が、心の中心に置くべき事柄なんですもの」
「……難しいね」
「ええ、心ある方々は、両者の溝に懸念を抱いておられるわ」
「うん? ……知ってたの?」
「ごめん…… クインタンス嬢、ブライトン卿のお二人との会合を、あの窓際で聞いていたの。 姿を隠し、聴いていたのよ。 あの『息抜き』の前にね。 ごめんなさい。 何時かはちゃんと謝らなくては成らないと思っていたのだけれど…… どうにも言い出せなくて……」
「ふーん、そっか。 あいつら…… 今度、とっちめてやるか。 それで、エルはその申し出を受けたと云う事?」
「ええ、消極的にだけどね。 それに、あちらには ” 軍師様 ” が、付いていたわ」
「……ファンデンバーグ法衣子爵令嬢の事かな? あの例の件で有名になった、『宰相府の切れ者』の家の御令嬢だろ?」
「まぁ、よくご存知で。 長い耳をお持ちのルカなら、知っていてもおかしくは無いわよね。 彼女の動向はあなたの警戒網に既に引っ掛かっているし。 学習院小聖堂に単独で『祈り』に来た最初の人だものね。 でも、きっとあなたが思う以上に『策士』よ、あの方」
「だろうね…… それは理解しているつもりだよ。 あの ファンデンバーグ法衣子爵家の御令嬢だしな。 生粋の、それもその手の思考を持つ家族に教育されたんだ、生来の気質が『そう』であっても、何も不思議な事じゃない。 そんな彼女が、『策』を放棄して『奔走』したのだと云う、あの家の ”追い詰められた状況” を想像したら、胸が悪くなりそうだね。 ……それで、あの生粋の女狐は、何を企んだの?」
「マリー様は、私と交流を持ちたいと。 そして、私はフェルデン侯爵家の娘として遇しているのだと、表せられたいとの思召しでねぇ…… ケイト様はその思召しを実現する為の方策を模索し計画し、実行に移しているの」
「厄介な事だね」
「ええ。 貴族令嬢らしからぬ、一計を案じたケイト様は云うのよ。 明日から、数日毎にフェルデンのサロンで昼餐会を開くと。 最初に招待するのは、学習院小聖堂に『祈り』を捧げに来る、男爵家、子爵家の御令嬢方。 マリー様の下位貴族達への心遣いとしてね。
『彼女達をサロンにご招待し、高位貴族家の社交の一端を見せる。 それを通じて、下位貴族達に『貴族社交』の在り方を示し、会話術の習熟に寄与する……』
そう云う『表向き』の理由だそうよ。 そして、その中に私をマリー様の補助として…… 同じフェルデンの家名を名乗る者として、さらりと混ぜ込むと云うのよ」
腕を組み、天井を見上げるルカ。 頭の中で、考察が高速に組上げられているんだろうな。
そう云えば…… 『記憶の泡沫』の記憶は、私の脳裏に映し出していたわね、ある情景を。 どの末路に於いても、私を観察して、罪を暴き立て、断罪する一連の流れを形成していたのは、『ルカ』と『ケイト』だったって。 二人は、とても連携が取れていた。
ルカが外部の情報を収集し、周辺の貴顕なる方々の行動を考察。
ケイトが私の行動を予測し、私の気持ちが向いている方への危機回避と心理誘導。
自然にヒルデガルド嬢の周りで、其々に ” その役目 ” を受け持っていたと、思い出しちゃったのよ。
私の悪行への直接の『盾』は、アントンとジョルジュ。 そして『反撃の刃』と云えるのが ルカとケイトだったって。 ただ、愛して貰いたいと望む私の希求は、二人によって完全に防がれていたと云う事ね。 何をどうしたって、私が慕う人からは、鬱陶しがられてしまうのよ。
そして、何度も、何度も、その壁を破れずに…… 徒に悪行を重ねて行ったのも…… 私だったの。 でもね…… それはもう過ぎ去った前世の事柄。 目の前のルカは、私の安全に心を砕いていてくれるのだもの、切り替えなくちゃね。 前世の記憶に、怯んでなんか居られないわ。
腕を解き、前のめりに身体をかがめ、顎の下に手を添えつつ、口元を隠しながらルカは云う。
「第三極の皆々様への情報統制と、意思統一。 必要な情報を流しつつ、要らぬ事を発言し暴走するような方を抑える為の方策か。 御身内と門閥を後回しにするほど、『焦眉の急』という可能性があるのか。 あぁ、そうか。 エルを巻き込んでも、おかしくない理由を意識付けする為か。 そして、フェルデン侯爵令嬢がエルを従姉扱いして、エルの立ち位置を引き上げると。 上手い手だと思う。 まぁ、なんだ…… どこの戦略諜報官なんだ、それ」
「でしょ。 意図がケイト様のお口から出た時の私の感想よ、それ」
「…………その昼飯の会合、避ける事は出来ないかぁ」
「無理ね。 既に組上げられていて、私がマリー様の願いに『諾』と云ったら、自動的に始まるように 『根回し』は、終わっていたわ」
「色々と、先手を打たれていたと。 つまりは、ある意味、危機的な状況に在ったと。 きっと、何処からかエルの偉業が漏れて、あちら側の貴顕に伝わっていたね。 そして、それを見極めようとしていたと。 手先に成っていたのが、今回『ご招待』された男爵家、子爵家の御嬢様方と。 ケイト嬢は、藪を突きまわす御積りかね。 いや、藪を丸裸にして、『蛇』のご登場を願っていると。 ……どうしようか」
一つ、脳裏に浮かぶ事。 前世に於いて、阿吽の呼吸で、私を追い詰めた方々。 多分、それは今世でも変わりはしない。 この二人の頭脳は、合わさってこそ最高の『演奏』を供せしめる。 基本的に相性は、とても良い上、両者とも戦略級の思考の持ち主。 出会い方を間違えなかったら、善きパートナーに成りそうだと云う事。
私は、ルカに一つ提案をする事にしたの。
「ルカ、一つの考え方なんだけれど……」
「なに?」
「諺にあるでしょ、” ドラゴンの卵を手に入れようとするなら、ドラゴンの巣に入らねば成らない ” って。 どうかな?」
ちょっとした、考え方。 外から眺めていても、主導権は取れないし、策謀に対して手を打つなら、その策謀の企画段階で介入するのが一番効率的。 そして、それを成す手段もあるのよ。 ルカにも貴族の主戦場に立つ気概を持ってほしいわね。 そうする事によって、独立商人としても地位も名誉も、何より影響力が何段も上がるのだから。 情報の集め方、使い方を熟知しているのでしょ? それも、理由。 ルカには、真っ当な『大商人』に、成って欲しいのだもの。
「侯爵家の昼飯の会に、『庶民』が、潜り込むってのか?」
「出来ない事は無いわよ。 マリー様が最初にご招待されるのは、男爵家、子爵家の御嬢様方。 出自の門閥、連枝、家門の上層部は、まだ姿すらお見せ下さっていない。 つまりは、『伝手』の繋ぎの段階。 表向きは、高位貴族のサロンと云う場所へ、下位貴族の者達を招待し、高位貴族の生活の一端を見せると云う、思召しをマリー様が示されたと、そう云う『 態 』 なのよ。 其処に、優秀なる頭脳を持った貴族籍に無い者が紛れ込んでも、趣旨に変わりは無いし、『 態 』 は、より一層補強される」
「……エルの友人枠と云う事か」
「うん、実際そうだしね」
「中から、混ぜ返す?」
「マリー様、ケイト様に、協力してくれたら、嬉しいかな」
「信用するに足るのかな、そのお二人は?」
「将来有望なる『独立商人』の信任には応えられそうよ。 口も堅い方達だし、身分の上下も弁えられている。 何より、お二人とも宰相府に奉職されている当主の方々に深い薫陶を受けているのよ。 選民意識等は、害に成る事をご存知なの。 その気質の有る、元来のマリー様の取り巻きの方々は、もう少し先に予定されている。 最初にご招待されている方々は、多分、私の『出自』や『秘密』に、気が付かれ確かめようとされている方々。 だから、ルカが其処に混じった事で、其方の方々も理解し納得されるわ。 ……色々とね」
「成程ね。 それじゃ、ピンキーと、ロザリー、そして ブライトンも一緒ではどうかな?」
「四人? ノリザック卿は?」
「王都錬金術士協会は、まだ、態度を決めかねているんだよ。 あそこは、王宮魔導院と深い繋がりが有るからね。 それに…… ノリザックは錬金馬鹿だから、社交の機微は判らない。 馬鹿にしている訳じゃないけれど、初手で彼を同道するのは、控えたい。 彼はエルに興味津々なんだけれど、未だまともに交流を持てていない。 少々焦り気味では有るんだよ。 周囲を固め、お膳立てしてやらないと、簡単に暴走するからなアイツは」
「……そうなのね。 貴方達の間にも、色々と有るのね」
「うん…… まぁね」
「扇の要が、ルカ=アルタマイト と云う訳ね。 判った」
「そんな大層なモノでは無いよ。 ただ、方向性を決めるとか、友誼を結んで皆が動けるようにするとか…… 商人だから、色んな視点を持って然るべきだし、そしたら、色々見える事が有るんだよ。 ……ちょっとした、助言を口にする。 そんな、ところだよ」
「それが、一番重要で、心が疲弊するのは、理解しているつもりよ。 ルカ…… 無茶しないでね」
「はぁ、あのね、それは俺が言う言葉。 エル、頼むから無茶しないで。 今日の話だって、いきなりだろ? 『事前準備』も『根回し』も有ったもんじゃないよ。 色々とエルに流す『情報』まで、吟味してたのにさぁ……」
「ありがと。 でも、それって過保護よ。 気分としては、私は『荒野に征く修道女』。 倖薄き人々に慈愛の手を差し伸べる、神様の代理人。 ……それに、今は『侯爵令嬢』の知見を以て、事に当たっているの。 その手練手管は、多分、ルカが思っているよりは『確か』な筈よ」
「……アルタマイトの小領主様…… だったね、そう云えば」
「そうね。 出来るだけ、穏便に『祈り』を広げて行きたい…… と、思っているの。 拙速は破綻に通じるし、『煌びやかな集団』の方々に眼を付けられるのは避けたいしね。 あの方々の言動は、正に分断を煽っているとも云えるわ。 そんな方々に目を付けられれば…… まさに良い標的と成るわ。 ええ、必ず。 全ての『悪しき事』の元凶とされるような気がするんだもの」
「まぁ、そうだろうね。 俺もそう感じる。 今はまだ、エルと云う人が、眼中に入っていないから、行動には移していないけれど…… いずれ、色々な噂が耳に入る」
「色々な噂? なによ、それ」
「フェルデン卿の御継嗣が、学習院から離れご領地で研鑽を積んでおられる原因とか、修道士補だったカーマン導師が、誰によって告発されたかとか…… ファンデンバーグ法衣子爵家が誰によって救済されたか…… とかね。 あと、アントンもアルタマイト領行きを命じられた事だって、間接的とはいえ、カーマン導師が、リッチェル家から切り離されたからだし……。 言い換えるならば、貴顕が愛してやまない聖女様の『分厚い護衛』と、夢想を現実に落とし込む『殿下の軍師』を、彼等から引き剥がした元凶と云う事。 うっすらとは…… 多分、彼等にも伝わって、理解して居る筈だから…… いくら警戒しても、しすぎると云う事は無いね」
「無関係なのにね。 今でも、一介の修道女エルのつもりなのに……」
「それは、難しいよ。 フェルデン侯爵家の『娘』ともなれば…… いや、待てよ…… マリー様の遠謀は、其処に繋がっているのか。 あの方も、『煌びやかな方々』に対し、何かしらの思いを抱えられたのか」
「どういう事?」
「いや、どう頑張って隠遁しても、エルはフェルデン侯爵令嬢なんだ。 いずれ、あの『煌びやかな集団』に、エルは『逢わねば』成らない。 そうなってから、徒手空拳であの方々と対峙するのは無謀過ぎる。 だから、マリー様は、エルにフェルデン侯爵家が付いているのだと、そう周知して牽制しようとされて居る。 内々に、第三極の方々にエルの守護者の立ち位置に誘導し、立たせてしまおうと、画策された。 いや、画策したのはマリー嬢では無くケイト嬢だな。 アレなら、遣りかねんからね。 ……第三極、中立派の三公爵家と、二侯爵家がエルに『力添え』を与えるのならば、『煌びやかな集団』の方々も迂闊には動けない。 あの集団の中にも、その家門に属する方が居るからな」
「はぁ、そういう事。 頭が痛いわ…… でも、やるしか無いし」
「はぁ…… 色々と…… ほんと、色々と有るね、君は」
「そう云う風に生まれたのだと思うのよ。 これも神様から頂いた試練だと思う事にしてる」
「立ち向かう、その気概は何処から来るんだろう?」
「えっ…… それはね…… 内緒」
『無残な死』に、至りたくないから。 なんて、云えないわよ。 私自身、栄耀栄華なんて、求めた事も無いし、ただ、ただ、『愛してくれる方』を、望んだだけなのよ幾多の前世では。 その求め方に…… 問題があっただけよ…… 多分ね。
拙速に動けば、何が起こるかも熟知している。 悪辣な思考方法は、貴族の権謀術策と変わりは無い。 でも、それを成したら、後の反動がとても怖い。 だって、それが『無残な死』に直結すると、私は知っているのだから。 だから、今世は……
―― 正々堂々と、明るい正道を間違いなく歩んで行きたいの。
怯む心を叱咤激励しつつね。 報告会じみた、会合はこれで終わり。 さぁ、帰ろう…… フェルデン別邸に。 フェルデン小聖堂に。 私が、私らしく居れる場所に。
夜の帳が下りる前、私はフェルデン別邸に帰邸する馬車に乗り込んだの。
――― § ――― § ――――
フェルデン別邸に帰り着いて、バン=フォーデン執事長が出迎えてくれた。 登院している最中に、別邸で何が行われ、そして、彼が入手した別邸の内部情報が私に伝えられる。 ええ、『客人』の動向までね。 大っぴらでは無いわ。 何処に彼等の目と耳がいるか、判った物じゃ無いし、それは、私も知っている。
ただ、何時も通りの報告…… の様な振りをして聴いていたの。
実際は言葉の外の言葉で活発に『御話合い』はしているわ。 流石に鉄血宰相の右腕は、言外の言葉にも精通されているのだもの。 極めて判り難い、『掌 会 話』と『仕草会話』での会話は、この習慣のない外国の方々には、理解しがたいだろうなと思う。 絶対ではないけれど。
バン=フォーデン執事長様からの報告は、幸いなる事に、至って平穏なモノだったわ。 安堵感を覚えたのよ。 『客人』お二人の動向は、きちんと把握していないと、ちょっと不味そうだと感じていたからね。 あの方々、何を知ろうとしているのかな…… 情報収集の目的が、良く見えないのよ。
着衣を整え、『客人』お二人との晩餐に臨む前に、一通のお手紙を綴る。 そう、ルカ達四人を、明日の昼餐会に招待したいと。 貴族籍に無い者達を招待する事で、マリー様の下位の者達への慈愛を更に広める一助にもなると、そう綴ったの。
多分、行間に在る、私の真意も汲み取ってくれるはず。
魑魅魍魎の巣と化すサロンに、少なくとも味方を引き入れたいと、そう願っていると。 部屋付きの侍従の方に、ファンデンバーグ法衣子爵の御嬢様への手紙だと、しっかりと封印を施した『手紙』を手渡し、今日中に届けて下さいと願う。
お手紙を受け取った侍従の方は、キビキビとした動きで、お部屋を出ていかれたの。 珍しいからね、私がお手紙を出すのは。 多分、これから、機会は増えると思うのだけどね。
為すべきを成し、晩御飯の時間。 ちょっと、また、色々と御話をお聞きしながら、ご飯を食べるのよね。
今日は色々と有ったから、ちょっと疲れが出ているけれど、コレも神様の御導きと頑張るの。 心の平穏を求めるならば、ご飯を食べたら、小聖堂に向かおう。 神様と精霊様に今日あった素敵な事をご報告しなくては成らないんだもの。
出来たら…… マリー様から頂いた、お母様の『御徴』を、首飾りか何かにしたいな。 私にとって、初めて肉親を近くに感じられるモノだもの。
アーガス修道士様に相談してみようかしら?
なんだか…… そう思うだけで、心の中がポカポカしてくるのよ。 ええ、ずっと見て下さる。 『母の愛』で、護って下さるのだと云う……
安堵と甘やかさが、私の心を包んでくれるの。
初めての事なのよ……
長い、長い、命の営みの記憶の中で……
―――― 本当に初めて感じた、『お母様の愛情』と、云うモノ ――――
大切にしたいと、神様と精霊様方に願いたいの。 人との距離は人それぞれ。 でも…… 今、一番感じているのが、” 逢った事が無い ” お母様との距離。 すぐ傍にいらっしゃる。 そう、感じているのよ……
私は、多幸感に包まれていたの。