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エルデ、法衣子爵令嬢と相見える。

 

【認識阻害】と【隠形】を纏ったまま、貴族学習院 小聖堂へと至る。 かっこよく云うと、そう云う感じに成るのだけれど、言い換えればコソコソと小聖堂に戻ったって事。 学習院の施設の中では、一番に心安らぐ場所でもあるから、此処に来ることは慶びでもあるの。


 小聖堂の内側に入り、並ぶベンチの入口から一番遠い、一番奥の席に着席する。


 存在自体を掻き消している様なモノだから、高位の神官様位しか、私を認識する事は出来ない筈なのよ。 静かに息を整え、聖句を口の中で音にしない様に心がけながら唱えるの。 祈りは何時も私の傍に有るわ。 今の祈りは、平穏を授けて下さった神様への感謝の祈りを捧げましょう。


 大々的な、表だった儀式の様な、『お勤め』では無く、何かの折に口遊(くちずさ)む、口癖の様なモノ。 だから、別段何かしらの『神徴』が、引き起こされるような事は無いわ。 アーガス修道士様、これなら良いでしょ?




       ――― § ――― § ――――




 私がこの場所で静かに座っているのは、別段オカシイ事では無いわ。 現状、貴族学習院に於いて、私が身を置ける場所は、この小聖堂と文書館の二か所しか無いのだもの。 文書館は静謐を旨としている為、騒ぎを起こす方もおらず、静かに選んだ書籍や文書を読む場所だもの。



 ――― 知識と知恵は、力と成るのよ。 



 教会の書庫には無い、統治関連の書物や報告書なども収蔵されているから、どの地方に倖薄き人々が多いのかも読み取れるのよ。 主要な産業が農業だけで、更に土地柄的に豊かな土壌が見込めない場所などは、その最たるモノ。


 貴族社会では、如何に情報を得るかが問題と成るのだけれど、私に限って言えばもうそんな事をする必要は無いの。 だって、準貴族籍の保持には期限があるのだから。 成人として扱われる、十八歳の誕生日迄の事。


 成人して…… 『教会と貴族の間に在る溝』の件がどうにか出来たら、フェルデンの小聖堂の『守り人』の御役目を辞して、そう云った地方に赴きたいと思っているの。


 だからこそ、この与えられた時間を有効活用し、そういった場所の情報を調べていると云ってもいいわ。 ええ、これもきっと神様の思召しと思う訳ね。


 問題の『教会と貴族の間に在る溝』を埋める『御役目』に関して言えば、一応の指針も有るの。 


 そう、『聖堂教会関係者は、王侯貴族の貴顕に対し、自ら関係性を持つ事は無い。 そちら側からの要望で、関りを持つ以外は常に真摯な祈りの生活をおくる。』 そう体現して居ればいいのだと、そう思っているの。


 貴族学習院の貴顕の子弟の方々は、聖堂教会関係者の粘り付く様な接近(・・)を殊更に警戒されているわ。 それは、今はもう居ない、貴族派の枢機卿の方々が常に指向されていた方策だから。 貴顕の傍に付き従い、教会の権威を存分に示しながら、王侯貴族の方々に対し忖度を持ちつつも、『自身の権力』の拡大を狙っていた。


 聖典の規範に抵触しない様に、細心の注意を払いつつも、私腹を肥やし王国への影響力を増す事に、日々のお勤めよりも優先して貴顕の方々との関係を重視されていたのよ。


 悪辣な『情報』の取り扱いや、圧力を掛けて聴聞神官から聴き出した『貴顕の秘め事』までを武器にしてね。


 ――― リッチェル侯爵家の愛(ヒルデガルド嬢)娘に対する行動は、その延長線上だったのよ。


 他家ならば…… 『聖堂教会の権威』が、家人や家門の者達からの嫌悪や抗議を排除する事が出来たでしょうし、今までは、それで事無きを得ていたの。 その上、教皇猊下がご高齢であり、体調も思わしく無かった為、聖堂教会の財布(・・)を牛耳っていた方々にとっては、専横がまかり通っていた…… でも、リッチェル侯爵家は違った。




 序列二位と云う高位の侯爵家。




 門閥には綺羅星の如く、才能豊かな人々が、王国のあらゆる部署に奉職されている。 人材の宝庫と云われる所以なの。 そして何より、リッチェル侯爵閣下は、自身の末娘が何よりも大切。


 リッチェルの色を持たない『エルデ()』が ヴェクセルバルグ(取り換え子)であった事実が、候爵閣下の押し殺していた『思い』を表出するに至ったのだと私は思うの。 リッチェルの色を受け継がない私を見て、御妻女の不逞まで疑っていた侯爵閣下は、その事実に歓喜したのよ。


 それは、『記憶の泡沫』が見せる情景からも…… 理解出来た。


 ヴェクセルバルグ(取り換え子)の『(つい)』であるヒルデガルド嬢が、閣下自身と御妻女の色を色濃く受け継いだ、待望の女児だったと云う事実。 一気に押し込んでいた『思い』が噴き出して、侯爵閣下の方の愛情は、ヒルデガルド嬢ただ一人に向かう事になったのよ。


 ヒルデガルド嬢の安寧を護り抜く事を決意されたリッチェル侯爵閣下に、『聖堂教会の権威』など(あくた)も同じ。 そもそも、貴族派の枢機卿様方の遣り口には、反感を抱いて居られたのかも知れない。 そうでなくては、あれ程…… 用意周到にヒルデガルド嬢に対し行われた『不敬行為』の証左を集め、暴き立てる事などしないわよ。


 高く昇らせ、そして、梯子を外し、床を打ち抜く。 


 高慢と驕慢の高みに登り切っていた貴族派の枢機卿様方とそれに追従していた方々は、敢え無くそれまでの地位を失墜、墜落してしまう。 ええ、完膚なきまでにね。 命すら…… 保てぬ程に。 そして、それまでの反動が王侯貴族の間に広がる。 もう、絡みつく様な『聖堂教会の権威』に対して忖度する必要が無いと。


 影響力が絶大なる序列第二位の侯爵家がその模範となったのよ。 『聖堂教会の醜聞』は、門閥の方々も、それ以外の他家の方々にとっても、鬱陶しい濃い霧の様な『干渉(・・)』が、打ち払われたと云うべき事実だったの。


 肩の荷を下ろされた方々だって、大勢いらっしゃる筈。 ならば、この際、この状況を拡大して…… 『聖堂教会の権威』など無視してしまえとばかりに行動を起こす方々が生まれてくるのも必然と云う事。


 『聖堂教会の醜聞』は、王侯貴種の多く人々が、その気持ちを持ってしまう程の、聖堂教会側の落ち度だと云う事。 何もかもが、揃ってしまったと云うべき事態。 王国史においてすら、過去に例を見ない程の両者の関係性の乖離が始まったのよ。



 その中で、心ある方々が心を痛めておられた。



 古の記憶を連綿と保持されている貴族家。 王国の成り立ちを、口伝にて伝えられている人々。 国王陛下を筆頭に、そう云った方々は、この状況に苦慮されている。 王国史を紐解けば、過去にも同じような、関係性の危機も有ったのだけど、現在の様な『王国の危機』とも云える断絶寸前の状態になった事は無いのよ。


 故に…… 


 この危機をどうにか回避するための方策を、猊下と陛下は実行し続けておられるの。 私が貴族学習院に登院しているのも、その一環。 だって……


 王侯貴族の貴顕の方々の子弟が集う、貴族学習院の中は先鋭的な情勢が醸されているのよ。 未熟な若者…… 男性女性を問わず、大人たちの思惑に乗せられやすい時期の者達は、殊更に『この風潮』に乗せられる。 事実を吟味する事無く、場の雰囲気と風潮が真実であると。 


『悪』は断罪せねば成らない。 その気分は、とても良く判る。 そして、その対象は『不逞の神官』の巣窟。 蓄財に励み、倖薄き人々を蔑ろにする 『聖堂教会(・・・・)』 で有ると。 



 ――― でも、彼等は知らない。



教皇猊下が体調不良だったために、不逞の輩を抑えられなかった事を。

御高齢となり、ご体調も不安な 大聖女オクスタンス様が引退されていた事を。

異端審問官様が、綱紀粛正を掲げても、貴族達の横槍で成せなかった事を。


 なにより……


 既に、貴族派の枢機卿様方を含めた、不逞の神官達が、『異端審問』の結果、既に命まで奪われている事と、その蓄財した金穀を以て、王領内外を問わず、孤児院、貧窮院、薬師院への運営費用に充てている事さえも。


 何もご存知ない。



 既に、陛下と猊下の働きかけにより、『事態』は好転の兆しを見せている。 王領に限っても、教区の教会に於いて慈善事業の頻度は上がり、倖薄き人々の困窮を救いつつある。


 貴族の方々が、寄進を渋っても、国王陛下の個人資産から猊下に喜捨が実行されて、聖堂教会がそう云った事業を継続し続けていたりもする。 そう、本来の聖堂教会の役割に立ち戻っているのよ。 残念な事に、認知する方々が少ない事は確かなんだけれども……


 ほら、人って…… 見たいモノを見て、聴きたい事を聴く、生き物なのよ。


 だから…… 自分たちの信じたモノに対し、確信を得たいが為に、その証左を求めるのよ。 教会に所属する者は 『 悪 』 であると云う認識。 特に純粋な若い貴族の方々には摺り込まれた様に、その考えに固執しているとも云える。


 それほど、貴族派の枢機卿様方とそれに連なる「神官」の方々が、本当に色々と問題行動を成されていたのですものね。 そんな不逞の神官様方に薫陶(・・)を受けていたのが…… 修道士補ジョルジュ=カーマン様だったと云う事。 何故、貴族学習院に登院されている貴顕の方々が、彼の言動に不信感を抱かなかったか。


 それこそが、貴族派の枢機卿様の手練手管の賜物って事。 彼と同じく、高位の貴族家を出自とする貴族派の枢機卿様が、何をどうすれば貴顕の内懐に入り込めるかをご指導されていた形跡すらあるのだもの。 何より、彼には絶大な保護者が居たの。


 そう、リッチェル侯爵閣下。


 愛娘が聖堂教会により『聖女』の称号を得られるかもしれないと云う可能性を見事に示しつつ、リッチェル家に巣食う事が出来た事。 出自は公爵家の若く有能なる『教導神官』と云う立場を存分に利用した結果だったのよ。 一定の信頼をリッチェル卿から得る事が出来れば、彼の基盤は盤石と成る。 多少の ” おいた ” などは、本物の厄介者である貴族派の枢機卿様とは次元が違う。


 聖堂教会の者であり、所属が自身の御領でもあるアルタマイト聖堂で有った事も、リッチェル卿の中では信に値すると感じられていたのかも知れないわ。


 ――― 『貴顕の血の継承者であり、リッチェル領出身の神官』 


 修道士補ジョルジュ=カーマン様の背景情報とすれば、満足のいく経歴だもの。 その上、彼は 『精霊様の顕現を願う事が出来る神官』 と云う、箔迄持っていた。 もう、満点と云っても良いわ。


 だから、リッチェル閣下は、愛娘であるヒルデガルド嬢の傍付にも置いた。


 権力には滅法弱く、上昇志向の強い彼が、その立ち位置に置かれると云う事は、彼の承認欲求を増大させる結果に繋がったと云う事。 前世と違うのは、そこに勘違いした居候の 『 エルデ 』 が、居なかった事。 権力の間を立ち回り、危険を嗅ぎ分ける嗅覚が鋭い彼が、『 エルデ 』の行動から、自ずと限界を知る事は…… 予測可能ね。


 だから…… 現世では、歯止めが無い状態で暴走したとも云える。


 そして、彼は『神籍』を失い…… ギリギリ保持していた『王国籍』も、最下層に落とされた。 貴顕の血を継承する者としてこれ程の恥辱は無いし、もう二度と王領に立ち入る事も出来なくなる。 更に言えば、居住地移動の自由さえ無い。 罪人として、彼の地に生涯留め置かれる事が決定してしまったのだもの。


 この事により…… 


 貴族学習院内の聖堂教会関係者に関する蔑視は、さらに強まることに成ったのは確実。 油断ならないと、そう云う印象を若年の貴顕に植え付けるには、十分な出来事でもあったのよ。 その結果…… 貴族学習院に登院する聖堂関係者である私への視線は、騒動以前と比べて更に厳しいモノに変化していたの。


 ええ、学習院の使用人を含めた、一般の方々の視線ね。 たった半日、それも小聖堂からサロンに行くまでの間の短い時間であっても、私に向けられる嫌悪に満ちた視線は、中々に来るモノがあるのよ。


 此処で、黄金の檻(貴族学習院)の外側の『大人たちの判断』とは、乖離したの。 諸侯は、聖堂教会の断罪に理解を示したうえ、未成年である事を理由に『処罰』を回避し『慈愛』を示した。 生家であるバヒューレン公爵家も、それに謝意を示している。 聖堂教会側が自浄能力を発揮し、自らを律する者でありつつも、『慈愛』を忘れてはいないと、そう認識された。


 貴族社会の中で、” 聖堂教会は、少々、変わったかな? ” と云う『風潮』が流れ始めている情勢は…… なんと、朝食会でグウェン=バン=フュー 商務官補から伝えられた事柄。 アーガス修道士も又、その情報を掴んでいると云うのがまた……


 そう、この事実が私の『お役目』の重要性を増大させる結果に繋がっている。 少なくとも私はそう認識している。 教会と貴族社会の溝は埋まりつつある。 でも、貴族学習院内はそうでは無い。 いいえ、青年期らしい反発心で、余計に過敏に成っているとも云えるのよ。 



 ――― 如何に貴族学習院内で、教会に賛同の意を標榜する事が危険な事か。



 ファンデンバーグ法衣子爵令嬢が、単独で学習院小聖堂に祈りに来ることの危険性を、強く感じてしまう。 そう、ルカが言っていた通り、とても不思議なの。 この情勢下で、なぜわざわざ小聖堂に祈りを捧げに来る必要性が有るのか。


 彼女の心情を思えば、神様と精霊様に感謝の祈りを捧げたくなるのは、理解出来る。


 また、私もファンデンバーグ家の人達が『対価を』と云われた時に、『祈りを捧げて下さい』と、言い切っている。 御母堂様の快癒は、何にも増して、彼女の心を護った筈。 前世の様な絶望も、自暴自棄も、感情を失う事も、この先訪れる事は無い。 平穏で安寧に満ちた、法衣貴族令嬢としての未来が開けている…… にも拘わらず、何故に危険な行動を起こしているのか。



 ―――― 奈辺にその理由が有るのか。



 判らない。 本当に、判らない。 ただ、これ以上彼女が危険に晒される事は看過し得ない。 理由を伺って、出来れば御邸で祈って欲しいと、そう伝える積りだったの。




      ―――― § ―――― § ――――




 期待していた通り、人影が小聖堂に現れる。 華奢な身体に、赤茶の髪。 赤の下縁眼鏡。 ファンデンバーグ法衣子爵令嬢の姿に、少し安心したと同時に、不安も感じるの。 余りにも無防備。 警戒心が全くないのよ。 『探知、検知系統』はおろか、『阻害系統』の魔法の波動も感じないし、まして『防御系統』の魔法や護符から放射される魔力も無い。


 つまりは、彼女は、本当に『素』と云う事。 今の学習院内では、無防備極まりないわ。



          ―――――



 貴族夫人達のお茶会に於いても、『探知、検知系統』の術式は必ずと云ってもいい程展開されているわ。 辺境のお茶会に於いて、自身の身を護るのは自分だけ。 リッチェルのアルタマイト本邸で、私に施されていた教育の中には、魔法系統の教授は無かったけどね。


 御家柄とも言えるし、且つて仕出かした方がいらっしゃるので、特にリッチェルの女性には魔法の手解きは成されない。 その為に、侍女には魔法適性が高く、『防御系統』と『探知、検知系統』、それに、『阻害系統』の術式を修めた方が付けられる事が多いの。


 血の成せる業か、門閥のそれも連枝と呼ばれる血族に当たる御家には、その特性を持つ ” 女性貴族 ” が、偶に発現するのよね、リッチェルってお家には。 王宮魔導院は基本的に女性を雇用しないから、いわば宝の持ち腐れ状態なので、リッチェル本家の意向に沿い、能力を伸ばした後は、リッチェル本家の女性の護衛として雇用されているのよ。


 ……私には、付けて貰えなかったけどね。


 その代り…… ええ、乳母のマーサが教えてくれた。 老齢で、でも、洞察力に富んだ彼女は、事ある毎に、生活に直結した魔法を伝授してくれたの。 ” 市井で生きていける様に ” と、考えていたのかも知れないわ。 私のリッチェルでの扱いを考えて、あのままリッチェルの娘として成長しても碌な未来は訪れないと思っていたのかもしれない。


 最悪、貴族籍の無い リッチェルにとって利の有る者に嫁がされる可能性も視野に入れていたのかも。 それが、高齢であったり、人品骨柄に問題のある人物で有る可能性もある。 婚家に於いて、どのような扱いをされるかもわからない。 でも、リッチェル卿の扱いから考えて、倖せに成れる要素を見出せなかった……


 とかね。


 だから厳しく指導されたのよ、きっと。 生活に密着し、その上で便利に使える魔法に関して、リッチェルの者達の目を盗んで教えてくれたの。 この感想は、最大限好意的に見積もっての感想なのよ。 思わず苦笑してしまいそうになるわ。 だって、何時も怒りっぽくて、” 疲れた ”、” 面倒だ ”、” 御自身でやって下さい ” が、口癖の マーサ だったのだもの。


 でも、悪態を吐いてくれても、私に個人的に関わってくれたのって…… 彼女だけだったわ。 その点だけは断言できる。 嫌々であっても、職務であっても、『 エルデ 』と云う ” 人 ” に向き合ってくれたのは、幼少期では本当にマーサだけだったんだもの。



           ――――――



 ファンデンバーグ法衣子爵令嬢は、まだ 私に気が付いていない。 探知系統の魔法も使用して無いから、無理も無い。 小聖堂の聖壇を前に真摯に感謝の祈りを捧げていた。 御母堂様の手解きか、教会の修道女(シスター)達と、同等の規範を遵守した『祈り』。 口から紡がれるのも、まだ未熟ながら、聖典の一節。


 神聖語で綴られる聖典を音読するのは、教会で研鑽を積んだ者でなくては、簡単にはいかない。 でも、彼女はそれを拙いながらも行っている。 流石は聖女候補のお嬢様だと云う事。 御母堂様の手解きか、はたまた、ただ聴いて学んだか。


 でも、それを成そうとした心は本物と思えるの。 それを感じさせる、真摯な祈りだったんだもの。 邪魔をしてはいけないわ。


 祈りが終わるまでは…… 静かに見詰めているつもりだったの。


 清冽な空気の中に流れが生まれる。 幾つもの微風が、彼女の周囲を取り巻く様に流れているわ。 天井から下がっている徽章(タペストリー)が、その風にそよぐ。


 駆け出しの童女(アコライト)や、修道女に成ったばかりの者達では、到達できない場所に立っていると云う事に他ならない。 ……神職でも無い方が、精霊様の息吹を顕現するかぁ。 血筋と資質と云うのは、これ程の事なのだと、まざまざと見せつけられる。 このまま、真摯に研鑽して行くと、彼女こそ本来世界に求められた『神聖聖女』と成るかもしれない。 


 でも、私からはその道に進む事を勧める事は無いわ。


 だって、彼女、由緒正しき貴族家のお嬢様よ? 御両親は健在で、優秀なるお兄様も居られる。 そして、その方々に『無償の愛』を捧げられ、受けておられるのだもの。 彼女の『人』としての倖せを祈る『ご家族』が、居るのだもの。 ある意味『修羅の道』と云える、聖堂教会の修道院への道をお勧めするわけにはいかないわよ。


 彼女が倖せになり、祈りを継続してくれたら、どんなに素敵な事だろう。 そして、その祈りは神様と精霊様達に届く程、純粋なもの。 生きとし生ける者の真摯な祈りを、神様は欲しておられる。



 聖典は語るの。



 この世に生を受けた者が、『 生まれてきて良かった 』、『 生きている事は素晴らしい 』 と、感じ、感謝の念を抱く事こそが、創造神様の神威が世界に広まり、『安寧』と『平穏』と『豊穣』が約束される唯一の方策。


 だから、この光景こそが、神様が真に求められるモノであると、確信できたの。 


 その神々しい姿に、感激のあまり…… 思わず口にされておられる聖句を唱和してしまった。 手に印を結び、思わず立ち上がってしまった。 跪拝する祭祀主の脇侍修道女として…… 黙って祈りが終わるのを待とうとしていた私だけど、どうしても…… 御一緒に祈りを捧げたくなり、立ち上がり、『聖句』を口にしてしまった。


 聖句の和音は、小聖堂に広がり、共鳴し、精霊様の息吹が其処に乗る。 微風が弱風となり、風の中に様々な音が乗る。 鐘の音、笛の音、竪琴の音。 真摯で神聖なる『感謝の祈り』。 聖句の最期の一節が紡がれ、重なり合う、和音の様な、唄う様な……



 聖句の連なりが終わる。



 取り巻いていた精霊様方の息吹が、天に向かって吹き上がるの感じた。


 祈りは…… 精霊様により、神様の元に届けられた。 暫しの沈黙が訪れる。 揺れる徽章(タペストリー)が、真っ直ぐに成る頃、跪拝の姿勢を解き真っ直ぐに立ち上がるファンデンバーグ法衣子爵令嬢。 クルリと身体を回し、小聖堂の奥の隅で立っている私に向き直る。




「やっと、お逢い出来ました。 エルディ=フェルデン侯爵令嬢様。 再び、御目に掛かれたことを、神様と精霊様に感謝申し上げます。 わたくしから、御声を掛ける不作法を、どうかお許し下さい」


「ファンデンバーグ法衣子爵令嬢様。 本来ならば、祈りを邪魔するべきでは御座いませんでした。 途中唱和という不作法をお許しください。 また、ファンデンバーグ法衣子爵家とは既に友誼を結んでおります。 お声がけ戴きました事、御礼申し上げます」


「! お、お母様ですか?」


「はい。 あの時に。 御母堂様と個人的にでは御座いません。 ファンデンバーグ法衣子爵家と…… との思召し。 先達の誉れある『聖女候補』様の御要望でしたので、わたくしも嬉しく思い友誼を結ばせて頂きました。 えぇ、ファンデンバーグ法衣子爵家と」


「まぁ! そうでしたの? 我が家門とでしたら、私の事はケイトと。 是非」


「ケイト様、有難く。 では、私の事はエルディと御呼び下さい」


「いえ、それは、余りにも……」


「良いのです。 わたくしが『フェルデン侯爵家』の『養育子(はぐくみ)』であるのは、ご存知で御座いましょ? 準貴族の仮籍ですので、序列としては…… まぁ、いいでしょ? 友誼を結びし家の方ならば、友誼を結んだ時のわたくしの立場で御話がしたいのです」


「友誼を結んだ時の立場…… ですか?」


「ええ、アルタマイト神殿所属の第三位修道女エルですので。 学習院では…… その名は少々障りが有りますので、エルディと」


「…………承りました。 ではエルディ様と」


「ケイト様。 一つ、質問が有ります」


「何なりと」


「何故…… ケイト様はこのような危険な事を成されるのですか? ファンデンバーグ法衣子爵邸に於いて、祈りを捧げられる事も出来ますでしょうに」


「ええ、それはそうなのですが…… 少々、事情が御座います。 わたくしからは、到底お声がけできない、身分の差も大きいエルディ様にお目に掛かれるのは、この場所以外には御座いません。 エルディ様が御登院される日も、時間も判りかねました。 であるならば、エルディ様の御興味を引く方策をと……」


「余りにも危険すぎます。 貴女も又、その事には気が付いて居る筈に御座いましょ? 学習院内の情勢は、聖堂教会関係者にとっては、大変危うく有るのは」


「勿論存じております。 が、それはエルディ様も同じ。 わたくしから直接エルディ様に接触を持つ事は、致しませんでした。 あくまでも、待っていた。 そこは……」


「それは、理解出来ております。 が、何故…… そこまでして、わたくしの接触を待つ必要が有ったのですか?」


「わたくしも又、聖堂教会関係者に御座いますわよ。 母が、そうであったように、その娘もまた、そう云う目で見られます。 こと、学習院内では。 エルディ様からの接触を待っていたのは、一重に我が法衣子爵家の『寄り親』様の御嬢様からのご希望が有ったからに御座います」


「『寄り親』? と云うと…… リッチェル…… では無く?」


「はい。 フェルデン宰相家が一女、リリア=マリー=フェス=フェルデン侯爵令嬢様に御座います」


「えっ?」




 ケイト様の言葉に、困惑が隠しきれない。 平静を装うも、様々な情景が脳裏を駆け巡る。 そう、『記憶の泡沫』が見せる、前世の情景。 フェルデン本家の正当なる御令嬢。 気高く美しく容赦のない方。 侯爵令嬢の気品と美しい御姿を持ち、貴族の令嬢として十全たる知識と礼節と思考を持たれる方。


 彼女の兄である方は、云わずと知れたフェルデン侯爵家の御継嗣。 あの日の晩餐会での失態で、今は遠くフェルデンのご領地にて研鑽を積まれているわ。 でも…… 脳裏の情景は、何時だってあの厳しい目を私に向けて、断罪をした御姿。 怖いのよ…… 本音を言えば、今も。


 曲がりなりにも、『フェルデン』の名を背負っている現在、いずれは関わりに成るであろうとは、思っていたの。 でも…… まさか……


 マリー=フェルデン侯爵令嬢様が…… ケイト様を御遣わしになり、これ程までの危険を冒してまで、繋ぎを付けて来られるとは、思ってもみなかった。 同じ名を背負う者ならば、別邸を訪れられても…… いえ、本邸にお呼出しされても良かったのに、敢えてそれをせず 貴族学習院の中に於いて会われようと云うの?


 理由が見当たらない。


 なにか裏が有るの?


 でも、ケイト様が私を陥れる様な事はされない筈。 あれ程の祈りを捧げられる方に嘘は無い筈。 そして、ファンデンバーグ法衣子爵家と友誼を結んだと、そう言葉にもした。 その上で、こうやって本来の目的である『自分は繋ぎである』と言葉にされた。 


 この方は『事実』を見極め、『最善を模索』出来る頭脳の持ち主。  行き詰まった物事を打破する行動力も有る。 それを見越して…… マリー=フェルデン侯爵令嬢様がご依頼されたの?


 なにが…… 一体…… 進行しているの?





      混乱は『記憶の泡沫』に刺激され、輻輳し増大し…… 






           ―――― 私は心を、大きく乱してしまったの。





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― 新着の感想 ―
[良い点]  エルディ嬢と、ケイト嬢の再会に倖あれ。  神様と精霊様方への感謝と祈りの、聖句。連なりとなり、心地よい和となりて、善き哉。 [気になる点]  王国の貴族たち、とくに貴族学習院生たちの『矜…
[良い点] 少なくともケイトとマリーの出会いは悪いものではなかったと推測されたことかな マリーが従姉とのつながりを持ちたいと願っても、今のケイトなら「エルディ様のご迷惑になる」って思ったら断るだろうし…
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