エルデ、秘密のサロンにて、貴族学習院の情勢を知ろうとする。
冬の到来を思わせる、木枯らしが窓を震わせる。 寒々とした、貴族学習院の中庭を見下ろす窓の傍に立っていたの。 お部屋の中には、三人の方々。 皆一様に真剣な面持ちで話し込んでいたの。
その様子を、少し離れた窓際に立って、注意深く聴いていたのよ。
今は、情勢の確認と、その裏側にある 『 事実 』 を、掴む事が何よりも肝要。 情勢を見誤ると、それこそ取り返しの付かない事になるのは明々白々。 事実を組み合わせ、考察し、そして、その検証を行っている御三方。
王都治癒所組合 組合長が御息女、アベリア=ピンキーベルズ=クインタンス嬢、
王都法曹協会 協会幹事が御子息 ベルナルド=ポール=デュー=ブライトン様
そして、
――― ブンターゼン商会 独立商人 ルカ=アルタマイト様。
錚々たる英知をお持ちの ” 方々 ” だったわ。 情勢は事細かに。 市井の状況を踏まえ、貴族学習院の者達の動向、階層間の意識の問題。 なにより、影響力を持つ者達の『心の在り方』に至るまで。 高位貴族家の派閥に於ける、奇々怪々な関係性も、再度検証に当たられているの。
その上で、宰相家たるフェルデン侯爵家に関しての、貴族の均衡を護る為の権謀術策にまで話題は至る。 でも、話題の中心は、どんな事でも エルデ=エルディ=ファス=フェルデン侯爵令嬢と成るのは、いわば大前提。 そして、本来ならば、私の耳に入れる事を憚る様な、そんな内容も包み隠す事無く、この『隠されたサロン』の中では、討議されて行くのよ。
まぁ、私自身が当事者意識が薄いのもあるのだから、そこは…… まぁ…… ね。 貴族令嬢たる矜持をもってすれば、聞き捨てに出来ないような事柄も多く含まれるのは、御愛嬌。 でも、それだけ真剣な討議と云う事なのよ。
――― § ――― § ―――
学習院の小聖堂でのお祈りが終わって、真っ先に向かったのが、『隠されたサロン』だったの。 【認識阻害】が、仕掛けられている秘密の扉を抜けて、サロンに侵入すると、其処には ベルナルド=ポール=デュー=ブライトン様 が、お一人で、近侍の一人も付けず茶を喫し、分厚い法律書を読み込んでおられた。
手にされたその法律書のページがチラリと見える。 条文の幾つかと、その記載方式から 王国法典の中の一つ、貴族法に関する法典だと見て取れた。 独特の記述方式だから、遠目から見ても判断できるのよね、アレ。
条文の条項番号から、『貴族の序列』やら、『相続権を持つ人物の定義』について、制定されている部分だと、読み取れたの。
「ご機嫌よう、ブライトン卿。 貴族法の研究に御座いますか?」
「おおぅ、エルディ=フェルデン嬢。 …………珍しいな」
「ええ、少々お聞きしたい事が有りまして、此方に参りました。 ……皆様は、おいででは無いのですね」
「まぁ、其々に忙しくしているよ。 それで、エルディ嬢。 何を知りたい?」
「情勢を。 わたくしが、学習院に登院して居なかった間に変化した、学園内の状況を、知りたく思います」
「……『お役目』故にか?」
「はい。 『お役目』故にですわ。 学習院小聖堂の静謐が良く護られています。 邪な穢れが一掃され、常に清浄な空間と成っておりますのよ。 更に言えば、聖堂内の長椅子のあちこちに、祈りの残滓が多く残っております。 敬虔な祈りが捧げられた証でもあります。 真摯な祈りを、精霊様方が殊の外お慶びと成り、幾多の精霊様が息吹を御残しに成っておられます。 ……学習院小聖堂での『豊穣祭』に於いて、眼に見える形での『御加護』を戴けるやもしれませんね。 御顕現が叶う期待が持てる位には」
「神官としての見立てなのか、その予測は」
「ええ、『修道女エル』として、感じたのです。 余程の事が無ければ、あのようには成りますまい」
「……あの聖女の腰巾着の『神官もどき』が、悪行の露見を以て排除された。 まぁ、その告発をしたのが、王都聖堂教会の修道女なのは、判明している。 ……聖堂教会の自浄作用と、市民達、中下級貴族の者達には歓迎されていたよ。 公示が出たしな。 国王陛下の勅により、バヒューレン公爵家として、厳格に処罰せねば成らなかったのも、まぁ、『理解』され『支持』されている。 命が保たれた事が、相当に甘い処分だと、法務官僚達の一致した意見が、王城では見られるよ」
「……未成年ですので。 彼の本質は変わりなかった。 辺境領アルタマイト神殿に於いても、王都のリッチェル侯爵家に於いても。 …………ですわね」
「悪徳神官…… と云うよりも、悪い意味での高位貴族令息の選民意識と人品骨柄の下劣さが表出した様な者…… と、云えるな。 まぁ、そんな者が、あの煌びやかな集団の中に入っていたのだから、処置無しだ」
そうね、第一王子殿下と御一緒に居られたんだものね。 ヒルデガルド嬢の護衛とも云えた。 あの方は、高位貴族家の令嬢としては、あり得ない程、『危機感』と云うか『淑女の規範』と云うか、そう云った礼節を何処かに置き忘れてしまっているかのように振舞われるんだもの。
大きな声で、屈託なく無く笑う。
少々の事で、悲嘆を表出し泣く。
些細な事で、不快感を隠しもせず怒る。
精進、研鑽よりも、 愉楽、 謳歌を優先し……
―――― 人生を楽しんでいらっしゃるの。
それが許される、立場でもあるし、許容する方々が周囲に大勢いらっしゃるのだもの、仕方ないのも事実。 それに、彼女自身が変わろうしない限り、この状況はずっと続く。 『記憶の泡沫』に於いて、反面教師たる ” エルデ ” の様な存在は、今の彼女には居ない。
だから、思うがまま、気分のまま、自身の愉楽を優先させることに、なんら忌避感は無いのだろうな。 それを抑える家人も居ないのだもの。 待望の自身によく似た女児。 リッチェル侯爵も、その夫人も、歯止めとは成らない。
私の『乳母』 兼 『傍付』であった、” マーサ ” なんかは、絶対に近寄らせても貰えないだろうな。 あの方…… 少々、奇特な価値観の持ち主だったもの。
「ところで、ブライトン卿は、何をお読みになっておられたのですか? とても、熱心に熟読されて居たようにお見受けいたしましたが?」
「あぁ…… ちょっとな。 先ずは、座ってくれないか、エルディ=フェルデン嬢。 君に聴きたい事が有るのだ」
「何なりと」
云われるがまま、彼の座っていた椅子の近くのソファに腰を下ろす。 彼自身が、茶を淹れてくれて私の前に差し出して来た。 未成年の男女二人が同室。 他の人が居ないと云うのはちょっとマズイのだけど、ココは『隠されたサロン』であり、他に耳目は存在しない。
その内、女性もやって来るだろうと、気にもしなかった。
殊更に距離を置き、椅子に座られるブライトン卿。 キッチリと着こなす、王都法曹協会所属である事を示す法衣の皺を伸ばす様な仕草をしてから、私に向き直り声を改めて言葉を紡がれるの。
「法務に携わる弁護官として、この場に居ると、そう思って頂いて結構です。 守秘義務を負う弁護官が、依頼人の事情を聴くために、その方の秘密を厳守する為に、二人きりで御話する事も御座います。 現状況に於いて、わたくしが法務に携わる者と規定し、法の下、貴女に非常識な振舞いをしない事を、契約を司る精霊様と、王国法典に誓い奉じ奉ります」
「その誓い、破る事が無き事を希望します」
堅いね。 流石は、王都法曹協会所属でいらっしゃること。 彼の立てた『誓い』を、承諾する事は、私の義務でもあるのよ。 至誠を差し出された相手は、次元の違う方々。 その精神性を護られる事を希望するのは人と人との関わり合い。
この簡易契約と云うべき『言挙げ』は、直ちに王都法曹協会の記録部に送られ、魔法羊皮紙に正式な宣言として記録されて収納される。 まぁ、便利な機能を持つ、魔法具の『指輪』をお持ちだ事。
それが、法務官としての任命の証だとしても…… この方、まだ未成年よ? それにも関わらず、王都法曹協会はこの方を正式な法務官と認められたと云うのよ。 相当に優秀な方だと云う事の証左ね。
でも、その位じゃ無いと、貴族籍を持たない方が、貴族学習院に在籍するような事態には成らないのよ。 そう、その優秀な頭脳を、王国の民の為に役立てる為に、特別枠での入学を認められている御立場なのよ。 王城に勤められる法務関係の貴族の方々にも、一目も二目も置かれているの。
――― 理由が有るのよ。
彼の修めている、王国法典の『知識』と『知恵』、更には、法の適用範囲と解釈の方法 は、王国下層階級民の『正義の在り方』そのものといえるのだもの。
こんがらがった物事を正確に紐解き、最大多数が ” 公平 ” で有ると認識できるような ” 判断 ” を下されるのよ。 その結果は、王国の法務関連の機関でも最大限尊重される。 王国の法務関連機関には、二級市民以下の訴えは通りづらい。
よって市民が抱える問題の裁定は、主に民間の組織である、王都法曹協会により裁定されるのよ。 ええ、民事関連の争い事ではね。
なにせ、王城の法務関連の方々は、様々な法務関連の業務で手一杯なんだもの。 高くは、国同士の条約。 貴族の行動規律。 貴族間のいざこざの裁定。 陛下を除き、王国の全ての民は、王国法典の規範の下にいると、そう歴代の国王陛下が宣下しているのだもの。
「フェルデン侯爵令嬢、君も知っての通り、私は王都法曹協会から、法務官の職位を与えらえている。 法に携わる者として、『天秤の誓い』は、何にも増して重要な事。 それは、君がフェルデン侯爵令嬢としての地位を確立した後も、『神籍』を放棄せずに修道女の誓いを専守している事に通じる。 同じ心情であると云えば、よいか……」
「はい、そこは、良く理解しております」
「ルカが心を砕き、君に対しての特別の便宜を図っているの事は、知っているな」
「ええ、それは。 教会とも何らかの合意を取り付けられた模様ですし、街では探索者ギルドとも友好的な関係を築きつつも、わたくしの安全に心を砕いて下さっておられます。 認識しておりますわ」
「そうか。 リッチェル領、領都アルタマイトの同郷と云う繋がりを以て、真摯に神に仕える修道女に対しての敬意。 そう捉えているのだな」
「その他に、どのような?」
「…………ふぅ、先は長いぞ、ルカ。 まぁ、いい。 私は『天秤の誓い』を捧げし者。 どの様な状況に於いても、対象と成る 『 人 』 の言葉の裏付けを取らねば成らない。 それが依頼者であっても、出来る限り全ての状況を知る必要があるのだ。 民間の争い事の場合、双方の意見が食い違う事もままある。 それは、その個人から見た事象であり、俯瞰的にみれば『偽り』でもある場合が多い。 双方の訴えをよく吟味するには、依頼者の事を良く知らねば成らぬのだ」
「一方に肩入れするにしても、他方の非を追及するか、情状を考慮に入れさせるか…… 判断材料に『事実』と『現状』が必要と。 判ります」
「ルカは良い男だ。 コレは、真っ当な者ならば誰だってそう云う。 ルカに世話になった者達も多い。 知らぬ間に、他人の懐に入り、隠された事実を掴んで来る手管には舌を巻く程だ。 それが、ルカの商道にも絶対必要な事柄でもある。 だがな、そうは言っても、我等は知り合ったばかり。 ルカの言葉だけを聴き『踊る道化』には成りたくないのだよ。 『天秤の誓い』がそれを拒否する。 此処までは?」
「御随意に…… としか? アルタマイト神殿、薬師院所属 第三位修道女 エル と、致しましては、隠す事も御座いませんし…… ご懸念有れば、何なりと」
「そうか…… 理解してくれた事、感謝する。 では……」
ブライトン卿の話は、簡単に言ってしまえば、私の出自に関して事だったの。 ルカが知る私は、勿論、アルタマイト神殿に収容されて以降の私。 十一歳と半年目からの私。 でも、その前の事は、王国中央では知られていない。
軽く調べると、フェルデン侯爵家の『養育子』となった経緯から、私の母親がフェルデン侯爵家の女性であった事は理解できるし、その婚姻先がグランバルト男爵家で有った事も又、開示されているの。 でも、私は貴族籍を保持していない。 故グランバルト男爵様が、認めていないと云う事。
その上、調べを進めたらグランバルト男爵様は、愛娘に全てを譲り渡す契約を、王国貴族院と締結していた。 男爵家の全てと云う事は、爵位も領地も含まれる。 当然、その娘は貴族籍にあるか、凍結されていたとしても、その痕跡は残る筈なのよ。
でも、私の経歴は、綺麗さっぱり白紙。 貴族院紋章局に問い合わせても、私が今まで貴族籍に有った形跡は一行も存在しない。
だとすれば、私は誰なのかと、当然の疑問が浮き上がる。 ブライトン卿は、その辺りにきな臭さを感じられ、さらに調べを進められたのだけれども、分厚い『機密指定』の壁により、調べを進める事が出来なかったらしいの。 ええ、グランバルト男爵様の関わった『疑獄事件』がらみでね。
王都法曹協会の重鎮達も、ブライトン卿のこれ以上の詮索を止められたようね。 余りにも、危ない。 その身に闇からの刃が届く可能性すら指摘されたのよ。 これには、ブライトン卿も困ったらしいわ。 でも、手持ちの資料は取り上げられる事も無かったんだって。
其処から、幾つもの綻びが見えたのだと云う事。
アルタマイト神殿が受け入れた、故グランバルト男爵様の遺児の名は ” ヒルデガルド = グランバルト男爵令嬢。 そして、第三位修道女の職位を特別に授けられたのは、” エルデ ”。
名前が合わない。
更に、リッチェル侯爵家の家門関連の紋章局資料には、一つ不可解な事実が記載されていたと。 数年前に末娘の名に関しての変更届が提出され、受理されていると。 身体が弱く、ご領地で静養していたが、妖精様の御力により回復し『御加護』まで頂けた事により、御身体は健康体と成ったと。
問題は第一節名である『神名』。
神様により授けられた名を変更するのは、御法度に近いわ。 でも、其処には抜け道があったのよ。 神聖なる聖職者による調査で、神名を一度に限り変更する事が出来ると云う、聖典の記載事項。
リッチェル卿は、『神名』に問題が有ったと、王都聖堂教会の貴族派の枢機卿から『宣言書』を捥ぎ取って、『神名を含む家名以外の名』を、変更するとした事が経緯として紋章局の文書の中にあったらしいの。
でね、そこに、変更前の名前が記載されていたのよ。
―――― エルデ=ニルール=リッチェル ――――
ってね。 髪色と瞳の色が記載されるのは、紋章局のお約束。 バッチリと私と同じ、栗色の髪と碧緑の瞳だって記載されて居たらしいの。 ほんと、よくこんな細かい所に気が付いたよね。 普通なら、『神名』は、変更される事は無いから……
ここで、第三位修道女として特別に職位を授けられた ” エルデ ” と、リッチェル侯爵令嬢たる ” エルデ ” が結びついたと…… そう、ブライトン卿は仰ったの。
王都法曹協会の力は絶大よ。
だって、王領に於ける庶民の民事の争い事の殆どを捌いているのだもの。 だから、王都から見て八方向に有る辺境域の法曹協会に対しても、調査の名目で、色々な情報を聞き出す力が有るのよ。
リッチェル領 領都アルタマイトにも、当然の様に法曹協会はあるわ。 そして、厳秘としてアルタマイト法曹協会に対し、王都法曹協会の法務官として、” エルデ=ニルール=リッチェル ” なる人物に付いての照会を行ったんだって。
彼方の事は…… まぁ、強く緘口令が敷かれているわ。 公の役所なんかではね。 その上、領都には現在も御継嗣様が領地の差配されておられるのよ。 当然、リッチェル侯爵閣下の御意向は、領の津々浦々まで浸透しているの。 ええ、公的な場所では特にね。
だけど、法曹協会と云う組織は、いわば私的な組織。 半ば公的機関と云っても差し支えないけれど、キンバレー王国内に於いては、国王陛下以外への忖度をしない組織と云ってもいい。 まぁ、事が事だけに、『重閲覧注意文書』とか、『極秘資料』とかの印がべたべたと捺された、封印文書がお手元に届いたと云う訳。
疑問は疑問を呼び、混乱がブライトン卿を包み込んだのよ。 こうやって、目の前にしているのにも関わらず、彼の目には私が三人いるみたいに見えるらしい。
一人は アルタマイト教会 薬師院所属
第三位修道女 エル
一人は 神籍を保持しつつ、準貴族の扱いを受ける
エルデ=エルディ=ファス=フェルデン
最後の一人は…… 今の私を形成する元となった
エルデ=ニルール=リッチェル
何故、其々異なった性格をしている三人が、一人の人物に収斂しているのか。 それが、判らないみたいだったの。 まぁ…… 事情が事情だけに、簡単には理解できないわよね。
「フェルデン侯爵令嬢。 これは、どういう事なのか、説明を求めたい。 厳秘と成っている、グランバルト卿の疑獄事件については、語らなくても良い」
「ブライトン卿。 わたくしの事はエルディと呼称してください。 その方が、私の立場を明確に出来ますので。 …………さて、何処から御話してよいか。 貴族、それも高位貴族の体面を慮ると、口にしてよい話では御座いませんのよ」
「それは、リッチェル侯爵家に対しての忖度か?」
「それも有ります。 ですが、事は貴族社会の根幹にも関わります故。 わたくしが口にするお話を公言されれば、ブライトン卿の御身にも相応の危殆が考えられます故、情報の取り扱いには特にお気をつけあそばせ」
「…………そこまでなのですか?」
「そこまでの事なのです。 では、簡潔に申し上げます。 わたくしと、ヒルデガルド嬢は、妖精様により、取り換えが生後間もなく行われたのです。 『 ヴェクセルバルク 』の子 でしたのよ、わたくし達は。 よって、わたくしは生父母に面識は御座いません。 十一歳のあの日、あの時には、もう既にお二人とも、遠き時の輪に向かわれた後の事ですもの。 認知出来よう筈も有りません。 よって、私には『貴族籍』の存在が否定されます。 更に言えば、グランバルト卿が移譲された、男爵家の全ては、その受取人である ヒルデガルド嬢 が指定されております。 わたくしに対しては、何一つ移譲されるべきモノは御座いません。 唯一、アルタマイト教会の神職様方のご厚意で、” 取り換えられた ” 真のグランバルト家の娘に対し、特例を以て第三位修道女を与えて下さり、『 神籍 』 の取得の光栄に浴せました。 あの日、あの時を以て、エルデ=ニルール=リッチェル の存在は消滅したのです」
「な、なるほど…… なるほどな。 それは、由々しき事態だ。 もし…… 貴女が自身の身分を……」
「できますまい。 王国法典の何処を読んでも、認知されない子弟は、貴族籍の取得は不可能なのです。 基本にして絶対ですもの。 でなくては血統の保全など、夢のまた夢」
「……では、神籍を抜けると云う事は……」
「王国籍の無い、『遊民』と、成ること…… でしょうか? わたくしにとっては、最初から分かり切っている事でしたので、この国に於いて祈りの生活を送る為には、『神籍』の放棄は有り得なかったのです」
「壮絶ですな。 エルディ嬢。 これで、スッキリ致しました。 貴女を取り巻く分厚い『秘密ベール』が、何を元にしていたのか、しっかりと理解出来ました。 そして、貴女がどれだけの法典の知識を保持されているのかは…… アルタマイトの法曹協会からの資料で、十分に理解出来ております。 少々信じられぬ思いも御座いますが、統治者としての御経験が…… その知識を必要とし、研鑽の末、手に入れられたと」
「必要に迫られて…… でしょうか。 いずれにしても、もう過去の御話。 知識として持ってはいても、振るう機会などもう無いでしょうから」
沈黙が私達の間に落ちる。 そうなのですよ、これは沈黙の内に忘却されるべき事柄なのですよ。 様々な思惑が絡み合う貴族社会の中で、【爆裂術式】のようなモノなのです。 決して起動術式に魔力を注ぎ込む事の無きように。
視線で強くそう願うの。 距離を置き、真正面に座られるブライトン卿は、ちゃんと私の視線の意味を受け取って下さった。 微妙な緊張感と、居心地の悪さを、同時に味わっていると、サロンの扉が開いたの。
「あら、珍しいですね。 エルディ様、今日はどのようなご用件で? 」
適切な距離を取り、座る私達を見つつも、敢えて明るい声でそう言葉を紡ぐのは、 王都治癒所組合 組合長が御息女、アベリア=ピンキーベルズ=クインタンス嬢。 学習院の保険医としても、ご活躍中。 何度か治癒室にはお邪魔したけれど、あの時はごめんなさいね。 やはりと云うか、さもありなんと云うか、私が顔を出した為に、治癒室は一瞬で閑古鳥が鳴く始末。
お仕事に支障が出るのもなんだから、それ以来、足を向けていないのよ。
「久しぶりですね、エルディ様。 貴女から此処に来るのは、余程の事なのでしょうね。 ポール、どうしたの? 顔色が真っ青よ? あなた、なにかエルディ嬢に……」
「い、いや、違う。 少々疑義が有る事柄を、エルディ嬢に尋ねていた。 も、勿論、法務官の誓いを口にしてからだ、ピンキー」
「堅物の貴方が何かよこしまな事をなさる事など無いのは承知しておりますわよ。 にしても、顔色が悪い。 つまりは…… 精神的衝撃が有ったと云う事。 そして、ココにはポールとエルディ嬢しか居ない。 貴方の顔色の悪さは、エルディ様の出自に関しての事柄でしょう? 前から気にはしていたのだもの。 でも、もう二度と詮索はしない事ね。 まぁ、ポールの事だから、必要な手順だったのかも知れないけれど、『魔猪』を追っていたら、『ドラゴン』が出た…… と云う事なのかしら? ルカから、エルディ嬢に関して、詮索無用と釘を刺されていたのにねぇ…… いま、どんな気分?」
「い、いや…… そ、そうだな。 ルカの忠告は、的を射ていたと云う事だった。 私からは、何も言う事は無い。 いや、云うべき事柄では無い。 事実を事実として受け止め、沈黙のうちに忘却に任せようと思う」
「そう、それは賢明な判断。 私も…… 全てを知る訳では無いけれど、治癒所組合は聖堂教会とは密接な関係が有るのよ。 キンバレー王国全土の治癒所にも影響力があるわ。 入っては来ていたのよね、細かい情報が、色々と。 興味を持って、調べてみて踏み込むべきでは無いと、私は判断した。 ポール、あなたの『天秤の誓い』は、知っているけれど、この件に関しては……」
「『天秤』の上に『天秤』が載り、さらにその上に『天秤』が重なっている。 状況は混迷の内に有り、今の形が最も安定していると…… そう考えられる。 だから、黙して『忘却』に任せると、判断する」
「そう、その判断は良い事よ。 全てを暴き立てる事が、最善では無いもの。 余命幾許も無い患者さんに、余命宣告をすればどうなるか。 それが、若い方ならば…… まして幼児ならば…… 色々と状況を考えて口にせねば成らないでしょうね。 法曹関係者も同じことよ」
「……言葉も無い」
「それで、エルディ様? ご用件は?」
穏やかな口調の彼女に、私はこのサロンに来た来意を告げる。 そう、貴族学習院の不可思議な変化と、現在の状況について確認したいと。 教皇猊下より頂いた『お役目』を果たすうえで、どうしても、状況確認は必要な事だったから。
真摯に彼女を見詰めつつ、そう口にする。
穏やかな表情を浮かべつつ、ブライトン卿の横に有る椅子に座られる。 何かを考えておられるようね。 なんだろう? 私に渡す情報には、幾つかの虚偽を混ぜるべきなのかどうか? 状況が悪化している可能性が脳裏をよぎるのよ。
「一つ提案が有ります」
「何なりと」
「もうすぐルカも来るわ。 貴女のお勤めに関する学習院内の状況について、彼も気に掛けていて、何日か置きにこのサロンに集まって、状況を共有して分析し討論しているの。 変化は見逃さない様に、それぞれの立場で、其々が見たモノを。 今日は、私とポールが状況を御話する日なのよ。 でね、今までの討議の様に自由に御話をして、推論を出していきたいなって思っているの。 エルディ様がココには居られると、ルカはきっとあなた好みの推論に誘導する。 ええ、それは間違いないわ。 だから、貴女は聞き役に徹して欲しいの」
「予断を交えず、共有、分析、討論したいと。 理解しました。 わたくしは、窓際で【認識阻害】でも掛けていましょうか?」
「そうね、それも…… 面白いわね。 そうして下さると、助かるわ」
「御心遣い、感謝申し上げます」
「貴女の取り扱いは、極めて慎重にせねば成りますまい。 王都聖堂教会の薬師院別當様より、厳重な通達も御座いますので」
「リックデシオン司祭様ですか?」
「ええ、そうよ。 これ以上ない程の威圧感でね。 お父様もタジタジ…… 大聖女様の御名前を出されたら、王都治癒所組合 は、誰も反駁も疑問も挟めないわよ。 そう、思召しだと、そう云うだけでね」
「大聖女オクスタンス様…… ですか」
「そうよ。 彼の方にどれ程の恩義があるか…… その方の思召しならば、王都治癒所組合は、なんだってするわよ」
「承知いたしました。 ……今更ながらに思うのは、私は『護られていた』のですね」
「そうよ。 でも、まぁ、それだけ貴女が請け負った『お役目』が重いのよね。 治癒師としては、精神の安定の方に気が行ってしまうのよ。 辛くない? 大丈夫?」
「ええ、問題は御座いませんわ」
「…………ほんと、『鋼の意思』の持ち主ね。 だから、護り甲斐も有るのだけれど……」
クインタンス嬢は、ブライトン卿が淹れたお茶を飲みつつ、にこやかに笑みを浮かべられたの。 まぁ、もう時間なのだろう。 私は席を立ち、窓際に立つ。 冬の景色を見ながら、小さく紡ぐ【認識阻害】の術式。 自立起動だから、紡いだ途端に私の存在感が薄くなるのよ。
実際、ブライトン卿など、眼を擦っていらしたくらいだしね。 クインタンス嬢は、さもありなんって感じで、全く動じられていない。 そして……
おもむろに扉は開く。
ルカが入室してきたの。
「やぁ、御待ちどうさま。 いよいよ、善き修道女エル、エルディ=フェルデン侯爵令嬢が登院された。 現在の状況を含む学習院全体の ” 感じ ” を正確に伝えたい。 次の安息日に街に連れ出して、そこで報告する手筈となった。 教会側にも承諾を取ってある。 忌憚ない意見と推論を討議しよう。 状況が変化している中、あの方には少しでも負担を掛けたくない」
「「 承知 」」
へぇ…… ルカって…………
私以外の前では…………
―――― こんな感じなんだぁ