帰ってきたマルス
お茶会を楽しんだリナは部屋に戻る途中、ホールに人が立っていることに気が付いた。お茶会の部屋からリナの部屋へはホールを挟んで逆にあるため、必ず通らなければいけない。
黒のマントに身を包んだ見覚えのある男性ともう1人、くすんだ緑色の上下の服に同じような色合いの髪。少しくすんだ肌に黒色に近い緑の瞳。まるで影を連想させそうな痩身の男性がいた。
2人は立ち話をしているようで、リナがホールに姿を見せると黒マントの男性が先に気が付いた。
「リナさん」
「マルス様」
そこにいたのはロイドの剣の師匠であり、急用だと言ってグリンズ王国へ戻ったはずのマルス=ミモレトだ。
「グリンズに戻ったと聞いていましたが」
「それがその・・・」
どうも歯切れの悪い彼は、横に立つ男性を見て頬を掻いた。
痩身の男性は、リナよりも頭1つ以上背が高いため、近づくとかなり見上げる形になる。だが圧迫感はなく、朗らかな雰囲気を出していたので恐怖心はなかった。
「リナ=フローネス様でしょうか?」
どうやらリナのことを知っているらしい。
「はい。初めましてリナ=フローネスです」
こちらは相手を知らないので、少しだけ警戒をしながらも悟られないように淑女の礼をすると、相手は胸に手を当てて軽く頭を下げた。
その動きがあまりにも品があって驚く。リナに対して敬意を払ってくれていることがすぐにわかった。
「初めまして。ボルド=アベルコと申します。ロイド様の下で護衛騎士をしていましたが、今はここで隠密の調査員のような存在をしています」
「あ・・・」
神殿には各国の様子を調べるための潜入調査を行う使用人が存在する。猫獣人のスカイもその1人だが、他にも調査に赴いていて未だに会えていなかった使用人がいた。その1人が目の前のボルドのようだ。
「グリンズ王国での調査を行っていたのですが、いろいろと不穏な動きが出てきたため、こちらに一度報告も兼ねて戻って来たところです」
「そうだったのね。ロイドはヒスイ様と一緒に空にいるからしばらく戻ってこないと思うわ。私でよければ話は聞けるけれど、ロイドが戻るまで待つのならどこかで休んでいてもらった方がいいわ。使用人なら自分の部屋があるわよね」
結婚して半年、未だに会ったことがなかった使用人。ずっと調査をしていたのなら疲れていることだろう。休んでもらおうと提案するとボルドは首を横に振った。
「いいえ、あちらで待たせてもらいます」
示したのは王竜の間だ。勝手に入ることができないため、扉の前で待機するということらしい。
「こういうことには慣れていますので」
きっぱりと断られるとそれ以上休めということもできない。
今の会話だけでボルドが真面目で融通が利かない性格だということは察することができた。マルスに視線を向けると、彼はよくわかっているのか肩をすくめるだけ。
「マルス様はどうされます?」
仕方がないのでマルスへと質問を切り替えた。
「俺は部屋で休ませてもらう。その前にもう少しボルドと話をしておくよ」
2人ともグリンズ王国から戻って来た。情報交換をしたいということのようだ。邪魔をしてはいけないと思ったリナは、すぐにマルスの部屋の準備をするため、お茶会をしていた部屋へと戻ることにした。
アスロやロゼストが片づけをしているはずだ。彼らに声を掛けて2人が神殿に来たことを知らせなければいけない。
予想通り片づけをしていたロゼスト達に声を掛け、2人がいることを伝えると、部屋に案内するためアスロがすぐに動いてくれた。
ボルドが王竜の間の前で待機することは知られているのか、誰もそのことには触れることはなかった。
リナももう一度部屋に戻ることにする。
新しくお茶会の部屋ができたことが嬉しかったのか、みんなと一緒にお茶が飲めたことが楽しかったのか、リナの心は軽く弾んでいたように思う。
マルスがなぜ神殿に戻って来たのか、まだ会ったことのなかったボルドが姿を現し、グリンズで動きがあると言っていたことを深く考えることをその時はしなかった。
その後ロイドが王竜と戻ってきて話ができるまで、1人刺繍の時間を過ごすことになった。




