国境
馬車に揺られながら膝の上に載せた袋を見下ろしてリナは気分が上がるのを実感していた。
隣に座るロイドも荷物を抱えているが目を閉じて静かに馬車に揺られている。
その横顔はいつ見ても綺麗で、長いまつげに感心してしまう。透き通るような白い肌は女性として羨ましい。
今は2人だけが竜王国の国境へと向かう馬車に揺られているのでフードを被っていなかった。
「そんなに見ていなくてもいいと思うが」
うたた寝でもしているのかと思っていたが、彼はずっと起きていたのか目を閉じたまま言葉を発してきた。
リナがじっと顔を見ていたことに気が付いていたらしい。
特にすることもなく会話もなかったので、買い物ができたことに喜びを感じつつロイドの横顔を眺めていただけだ。気が付いていないと思っていたので、思う存分見ていられると思っていたことに恥ずかしさを覚える。
「ごめんなさい。気づいていないと思っていたから」
膝の上の荷物に視線を向けて謝罪すると、髪に触れる感触があった。視線を上げればロイドの指先がリナの髪に優しく触れてきていた。
「別に怒ったりしていない。見られて減るものでもないし」
ロイドが自分の顔の綺麗さに嫌悪感を抱いていることは、彼と一緒に過ごしている中で感じていた。美人と表現するにふさわしい顔立ちは周囲に溶け込むことなく目立つ。彼なりの苦労が沢山あったのだろう。その顔をじっと見られたことは怒らなくても不快に思った可能性がある。
気にしていないように言ってくれたが、リナは悪いことをしてしまったと思い気落ちしてしまった。
「リナ」
視線が再び膝の荷物へと向けられると、ロイドが名を呼んだ。
顔を上げるとすぐ近くに彼の顔が迫ってきていた。
驚いて固まると、その隙に額にキスをされる。
さらに驚いて口を開いたが、言葉が出てこないためパクパクと口を動かすだけ。それを見たロイドは楽しそうに微笑んだ。
「君に見られて不快に思うことはないから安心していい」
「ロイド、様」
考えていたことが完全に読まれている。
「これから毎日見る顔だ。わざわざ見ておかなくてもいいとは思うが」
少し呆れたような言い方だが、どこか嬉しそうにも聞こえる。不快に思っていないというのは事実だろう。自分の顔に引け目があったとしてもこれがロイド=フローネスなのだ。受け入れなければ前に進めない。
「もうそろそろ検問所のはずだ。国境を越えれば竜王国に入れる」
近い距離で話をしていたが、ロイドが離れると話が変わった。
彼が言った通り国境の検問所が近いのか、馬車の速度が落ちてきているのがわかった。
リナ達が乗っている馬車は荷物を運ぶための馬車で、人を乗せる構造になっていない。木箱を椅子代わりに座って他の荷物と一緒に運んでもらっていた。屋根付きで荷物全体を覆うように布が被せられているため馬車に窓がなく外の様子を見ることができない。
国境を渡す人間が少ないこともあり、検問所へ行くには荷馬車を利用するしかない。リナが初めて竜王国へ向かった時も荷馬車で王竜の都まで行ったことを思い出す。
「検問所を通過したら降りる予定だから荷物の準備だけはしておいてくれ」
「竜王国へ入ったら降りることになっていましたか?」
どこか寄る場所でもあっただろうか。国境の検問所がある以外、何もない場所だと認識していた。
「もっと早く帰れる方法に切り替えるだけだ」
そう言ってロイドは馬車が停まると同時に荷馬車の後ろの幕を持ち上げて外の様子を窺った。
どうやら検問所に到着したようだ。
ここではギュンター国の兵士が常駐していて、国境を通過する荷物の検査を行う。人がいる場合は氏名と国境を渡る目的を伝える必要があった。
荷物の検査をするため馬車から降りなければいけない。自分の荷物を抱えて馬車から降りようとすると、先に外へ出たロイドが両手を広げて待っていた。人を乗せる馬車と違い荷馬車は女性には降りづらい。1人の時はそれでも何とか降りていたが、今はロイドがいるので抱きつくような形で降ろしてもらった。
「馬車の検査を待たずに、俺たちは先に検問所を抜けよう。少し歩くからそのつもりでいてくれ」
常駐の兵士が馬車の中へと入っていき荷物を調べ始めると、別の兵士に声を掛けて名前と竜王国へ入る理由をロイドが告げてくれる。
馬車の御者に声を掛けると、ロイドに従うようにリナは検問所を通過して竜王国へと入った。
一歩踏み出しただけだが、ここからは別の国になり、リナがこれから生きていく場所となる。
そう考えただけで場の空気が変わったような気がした。帰って来たのだと思う。
荷物をすべてロイドが持ってくれて手ぶらになったリナは、彼が歩き出した方へとついて行くことになった。
「この先に何があるのですか?」
近くに町や村はなかったはずだ。リナが知らない小さな集落でも存在するのかもしれない。
「近くの森に入る。目隠しがあった方が都合がいいから」
「目隠し?」
一体何のことを言っているのかわからなかったリナだが、検問所から死角となる森まで歩くとロイドが空を見上げた。それと同時に黒い影が空を覆った。
大きな羽ばたきが聞こえたかと思った瞬間、目の前に王竜が降り立ったのだ。
「迎えに来てくれることになっていた」
当たり前のように話すロイドは驚くこともなく静かに地上へと降りた王竜に近づいて行き顔を近づけた王竜の鼻先をそっと撫でている。
突然のことにリナは驚いて少しの間固まっていたが、王竜が視線を向けてきたことに気が付くと自然と足を踏み出していた。
王竜の声を聞くことはできないが、おかえりと迎えられたような気がしたのだ。
「ただいま戻りました。ヒスイ様」
ロイドの隣に立って声を掛けると、返事をするように尾がひらりと揺れる。
「無事に戻ってきてよかったと言っている」
ロイドが王竜の言葉を伝えてくれる。それを聞いてリナも笑顔で王竜を見上げた。
「ここからはヒスイに乗って帰る」
「え、でも・・・」
馬車から降りた理由はわかったが、リナは戸惑いを覚えた。
王竜の背に乗れるのは王竜が認めた竜騎士だけ。それ以外を背に乗せることはない。神官たちを運んだことはあったが、その時は木箱に詰め込んで荷物として運んだ。その背に乗せることは決してない。
それを知っていたためリナを乗せることはないと思った。そう考えると背に乗れるロイドはともかく、リナはどうやって運ばれるのか一瞬恐ろしい想像をしてしまう。
「心配しなくても一緒に背に乗ることになる」
リナの想像がわかったのだろう。ロイドは呆れたように言ってきた。
「リナはすでに王竜に属する者だ。本来は竜騎士だけが乗ることを許されているが、今回は特別に乗せることをヒスイ自身が許可した」
ロイドが頼んで乗せてもらえるのではなく、王竜が乗せることを許したのだ。
意外な言葉に驚くしかない。
「私も乗せてもらえるの?」
呟きに近い言葉に、王竜と視線が合う。その瞳は優しくリナを見つめていて、肯定しているのだと理解できた。
「初めての空の旅だ。俺が支えるから不安に思うことはない」
ロイドの優しい声に王竜の背に乗ることがどういうことなのか想像できないリナの不安を和らげてくれる。
「空の上は寒いからな。毛布も準備してあるから体全体を守るように巻くといい」
そう言ってロイドは王竜の背に乗るとそこに括りつけられていた毛布を持って戻ってくる。リナを乗せることはすでに決まっていたことのようで、迎えに来るときに王竜が持ってきてくれていたのだ。
持っていた荷物を王竜の背に括りつけると、ロイドの手によってリナは毛布にくるまれた。頭まですっぽりと蓑虫のような状態にさせられ、そのままロイドに抱きかかえられて王竜の背へと運ばれる。
顔だけが覗いている状態でロイドに体を預けたリナは、王竜の背に乗れている感動と、これから空の旅をすることになる未知の世界への不安もあった。竜騎士であるロイドが支えてくれるのだから、振り落とされる心配はしなくても大丈夫だろうが、自然と体に力が入っていく。
「緊張しなくても、空の景色を楽しんでいればいい」
身を固くしていることは毛布越しにも伝わったのだろう。ロイドが優しく背中を撫でてくれた。
毛布にくるまれて手足を動かせないリナは頷くことで意思表示をした。
「よし。神殿まで空の旅と行こう」
リナを支えていない手で王竜の首を軽く叩くとそれが合図だったのか、大きく翼を広げた王竜が羽ばたきとともに風を巻き起こす。
その風が予想以上に強かったため、瞬時に目を固く閉じてロイドに縋るように身を固くした。
その後ロイドが声を掛けてくれるまで自分の置かれた状況を把握できずにリナは必死に目を閉じることとなった。




