空の告白
「・・ナ、・・・リナ」
耳元で聞こえた声にハッとしたリナは硬く閉じていた瞼を持ち上げて顔を上げた。
すぐ目の前に綺麗なロイドの顔。内心驚いたが声を出すことなく数回瞬きをしただけだった。
「そんなに緊張しなくていい。もう空の上だ」
「え?」
頬に冷たい空気が当たって寒いことはわかったが、毛布とロイドが抱きしめてくれているおかげで体は温かい。
「ほら、滅多に見られない景色だぞ」
彼は寒さなど感じていないのか平気な顔でリナを促すように前方を指さした。
それに促されるように視線を前へと向けた瞬間、リナは感嘆の声を漏らしていた。
「うわぁ」
令嬢としては発すると下品だと言われそうな大きな声だったが、そんなことをここで気にする必要はない。思う存分目の前の広大な景色にくぎ付けとなった。
頬に当たる風は冷たいが、それすらも忘れるほど空の上から見る大陸の光景は予想していなかったものだった。
大陸はどこまでも続いていて、地上から見ていては見通せない遠くまではっきりと見ることができる。竜王国は大陸の中心にあるため、さすがに海までは見渡せなかったがどこまでも続く大地に木々が生い茂った森。広大な草原。大陸の中央にある500年前魔王が棲んでいたハンクフ山を山頂まで見通せる。
自分はこんな広い大陸に住んでいて、どれほどちっぽけな存在なのだろうと思わせるほど圧倒的な景色だ。
「本来はもう少し高く飛ぶんだが、今の状況ではこれが精一杯だとヒスイが判断した」
耳元で聞こえてくる声に振り返ると、ロイドはリナが感動していることを自分の事のように嬉しそうにしていた。
本来は竜騎士だけを背に乗せ、もっと高く速く飛ぶらしいが、素人であるリナを乗せているためいつも以上に低く飛んでいるという。リナからすると十分高い場所にいる気でいるが、ロイドはもっと高いところを王竜とともにいつも飛んでいるのだ。
改めて王竜と選ばれた竜騎士のすごさを実感する。
「このまま神殿まで飛ぶのですよね」
「高度が低い分街の上を飛ぶと目立つ。山側から降りることになるから少し遠回りになるだろう」
ギュンター国からまっすぐ神殿に向かうと王竜の都の上を飛んでしまう。街に住む人々が驚くといけないので、街を迂回して山側から降りることになった。
「ハンクフ山を見下ろすこともできますか?」
いつもは神殿から山を見上げることしかできない。魔王が消滅したとはいえ魔物は今も存在している。山も周囲に広がる森も無闇に入ることはできない。山がどんなふうになっているのか王竜に乗っている今なら全貌を見ることができるのではないか。
期待を込めてロイドを見上げると、彼は少し考える素振りを見せた。もしかすると王竜と相談しているのかもしれない。
「・・・山側から下りるからそこからの景色なら見せられる。全貌となるともっと高く飛ぶ必要があるから駄目だそうだ」
王竜の判断で決まった。それでもいつも見えない景色を堪能することができる。それだけで今は十分満足できるだろう。
納得したうえで笑顔で頷くとロイドは少し安心したように頷いてくれた。
「ロイド様は寒くないのですか?」
先ほどから普通に会話をしているが、彼が寒そうにしている姿を見ない。冷たい風が頬を撫でていくのを感じているのに、ロイドはその風さえ気にならないようだ。
不思議に思って質問すると、何かを思い出したように彼が口を開いた。
「俺は王竜の加護をもらっているから、ヒスイとの飛行では風の抵抗や寒さが感じづらい。もちろんまったく感じないわけではないから、ヒスイと訓練を重ねて今の状況を作り上げたと言っていい」
背に乗せる竜騎士が風の抵抗に負けて墜落したり、寒さで体が動かせないことがあっては戦闘時などの有事が起こった時に困ることになる。竜騎士は王竜の通訳だけが仕事ではない。ともに戦う友になるため、竜騎士として選ばれると王竜から加護を受けるのだ。
どれほどの訓練をしたのかわからないが、簡単に王竜の背に悠然と乗っていられるようになるにはそれなりの努力をしたに違いない。
そのことに感心していると、ロイドが別の方向を指さした。
「王竜の都の北にあるハンクフ山を越えた北側に、獣人たちの集落がある。森に埋もれるくらいとても小さいが、彼ら独自の文化や道具もあったりする。山を迂回すれば行くことはできるから、いつか行ってみるのもいいと思う」
王竜では森の中に降りる場所がないため、歩いて集落に行くしかい。魔物も住んでいる広大な森の中を進むこともあって、獣人族の集落に人族が出入りすることはほとんどないそうだ。
だが、アスロに会うまで獣人族は話で聞く程度だったリナにとっては、とても魅力的な集落だ。
「是非行ってみたいです」
リナの返事が予想通りだったのか、ロイドは驚くことなく自分の提案に反応してくれたことを心の中で嬉しく思っていたことをリナは知る由もない。
「他にも森の中には集落があるのですよね」
都で暮らすことをせず、独自の集落を形成して竜王国で暮らしている人々がいることは聞いたことがあった。
ハンクフ山を囲うように広大な森が広がっている。その中に他国から入国して暮らしている者はどれくらいいるのだろう。
「魔物を寄せ付けないほどの実力がないと、森の中に集落を作ることはできない。逆に言うと、それだけの実力がある者たちが集まった集落が森の中にいくつかある。それ以外に竜王国で暮らしたい人は都に住むか、森の外の魔物が現れる頻度が少ない場所を選んでいる」
竜王国には都が1つ存在する以外は、すべてが小さな集落を形成している。
竜王国の住人となったのだから、いつかは行ってみたい。どんな集落があって、そこに住む人々がどんな生活をしているのか触れていくことはギュンター国にずっといたリナにとって新たな発見が沢山あることになるだろう。
王竜に一緒に乗っているせいなのか、リナの質問にいつもより饒舌にロイドが答えてくれる。それがなんだか嬉しく思える。
景色を見ながらもロイドとの会話を楽しんでいると、不意に体を抱きしめている腕が強くなったことを感じた。
ロイドを見上げると、彼の真剣な視線が絡み合う。
それだけで何が重要なことを彼が言おうとしていることがわかった。
静かに見つめ返すと、真剣な表情をしていたロイドがふっと優しく微笑んだ。美人の微笑みは性別関係なく美しいというのをまざまざと見せつけられた気がする。
「聖女の問題も解決したし、竜王国に居られる許可も出た。もうギュンターとリナとの間に悩むことはなくなったな」
「そうですね」
「これで思う存分君を口説けるということだな」
「・・・え?」
突然何を言い出すのだろうと思っていると、ロイドの顔が近づいてきた。
毛布にくるまれた上に王竜から落ちないようにしっかり抱きしめられている状態では逃げ場などない。リナはぎゅっと目を閉じると、額に温かい感触が伝わってきた。
目を開けて額にキスをされたのだと理解する。
「ロイド様」
彼との触れ合いの頻度が多くなってきているなと、ぼんやり考えながら名前を呼んだ。すると、近い距離が再び縮む。
今度はゆっくりと瞼を閉じたリナは、その唇に優しくキスをされたことがわかった。
「もう、邪魔する者はいない」
唇が離れると、息がかかるほどの距離でロイドが呟く。
これまで何度かキスを交わそうとしたが、誰かが近くにいて諦めていた。
ここは王竜の背。竜王国の空の上だ。邪魔者は誰もいない。
瞼をゆっくりと上げると、優しい眼差しを向けてくるロイドがいる。
「婚約者も終わりだ。結婚しよう」
人生初のプロポーズが空の上だという人はこの大陸には誰もいないだろう。寒さと風から身を護るため毛布にくるまれて身動きが取れない状況ではあったが、リナは心の底からの返事をした。
「はい」
聖女であることが認められ、神殿にいるのではなく竜王国で暮らすことも許された。そして、リナは竜騎士の婚約者でもある。すべてが解決したのだから、次の一歩を踏み出してもいいはずだ。
彼の隣に居たいという気持ちは変わらない。
リナが返事をするとロイドが口を開く前に王竜がとても綺麗な鳴き声を上げた。
細く高い声にきっと祝福してくれているのだろう。
ロイドを見れば彼には王竜の声が聞こえたのか、どこか満足そうな表情をしている。
「やっと番になるのかと呆れられたが、夫婦となることをヒスイも大いに喜んで祝福してくれている」
「ふふ、そんな気がしました」
2人が見つめると笑い合った。
王竜からの祝福を受けた2人は幸せを噛みしめながら、神殿までの残りの飛行を静かに楽しむこととなった。




