第一話 崩れ行く日常
「おはよー」
目をこすりながら眠そうな声で少年は言う。
「あら、まだ眠そうね。今日から3年生なんだからしっかりしなさいよ。ほら、もう朝ごはん出来てるから早く食べちゃいなさい」
「はーい」
少年は歯磨きを済ませると、出せる温度の中で一番冷たい温度の水で寝ぼけた顔を洗い、お気に入りのタオルでふく。これは彼のいわばルーティーンである。これがなければ彼の一日は始まらない。
食卓につくと、並べられた朝食を食べる。今日のメニューは白米に焼き魚と豆腐の味噌汁か。やはり朝は白米を食べないとなんか損した気持ちになるよな。
「ごちそうさま。じゃあ今日朝早いからもう出るわ。行ってきまーす」
「ちょっと! お皿くらい片していきなさい。まったく……、誰に似たのかしら」
◇◆◇◆◇◆
少年の名前は黒野春人。どこにでもいる17歳の高校3年生である。身長は172センチで帰宅部だが、日課で毎日走っているため体つきはしっかりしている。
「よう、春人。今日はやけに早いけどどうしたんだ」
春人に話しかける男の名前は真田誠。春人とは同じ中学校であり、唯一の親友である。
「いやー……、実は机の中に数学の宿題入れっぱなしにしててさ。早く取りに行ってやらないといけないんだよ。そういうことだからまた学校でな」
そういうとまた春人は走りだす。今からじゃ間に合わないことはわかってはいるが、少しでもやっておくに越したことはない。別に成績は悪い方ではないが良い方でもないため、こういうところで評価は落としたくない。
――今年から受験生だってのに何やってんだ俺は。あーあ、なんで理系なんて選択しちゃったんだろ。
そんなこと考えながらいつもの通学路を走っていると、いつも3人で井戸端会議をしているおばさんたちがなにやら騒いでいるのが見えた。いつもならば気に留めることもないのだが、今日は雰囲気が違う。春人はどうしたのだろうと足を止めて聞き耳を立てる。
「ちょっと……何あれ」
「私、夢でも見ているのかしら」
「夢……。そう。あれはきっと夢よ」
意味の分からない内容を不思議に思い、春人は後ろを振り向く。
「……なんだよあれ」
春人の目に飛び込んできたのは、あまりに巨大な隕石だった。これまでも地球に隕石が落ちてくるというニュースを目にしたことはあるが、今回はその比ではない。もしこの隕石が直撃したら東京は、少なくともこの町は確実に消滅するだろう。
「俺こんなとこで……しかも隕石で死ぬのか。こんなことになるんだったらもっと好きなことやっとけばよかったな」
そんなことを思うが、今からなにができるわけでもなく、春人はその場に立ちつくすことしかできなかった。
◇◆◇◆◇◆
「っ痛、なんだここ…」
目を覚ますと知らない場所で倒れていた。
「あれ、たしか俺隕石で死んだんじゃないのか」
あの隕石で一命をとりとめたとでもいうのだろうか。少し頭痛はするもの、意識はしっかりしているし記憶もある。幽霊になったというわけでもなさそうだ。
――それにしても一体ここはどこなんだろう。
見覚えのない場所。ここが日本のどこかということすらわからない。建物の造りを見てみると木造建築が目立つが、それ以外の情報はない。
ひとまずこの状況を冷静に判断してみる必要がある。あたりを見回してみると、春人と同じように倒れている人がいる。それもかなりの人数である。目が覚めている人はみな困惑しているようで、春人と同じく自分の置かれている状況が読めていないようだった。
「一体何が起きているんだよ……」
何が起きているかわからないまま呆けていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「ようこそ異世界へ、選ばれしものどもよ。早速だが、諸君にはこの世界を救ってもらいたい」
突然声が聞こえてきたと思ったらここが異世界で、世界を救ってほしいなどと伝えられ、春人の頭はますます混乱する。
「声が聞こえてきたと思ったら、いきなり異世界だの世界を救えだのって……。意味が分からねーぞ」
「そうだそうだ! 俺たちを馬鹿にしてんのか!」
突然の出来事にみんな戸惑いを隠せない様子。
「馬鹿にしてなどいないさ。現に君たちは巨大な隕石を見たはずだ。それでも生きているということが、ここが異世界であることの何よりの証明であろう。君たちは選ばれし者なのだ」
こちらの声は届くようで、会話は可能のようだ。どこから声が聞こえてくるのかはくるのかはこの際置いといて、今はこの声の主の話をしっかり聞くべきと判断した春人は耳を塞ぎ周りのからの情報を遮断する。
「この世界は魔物に支配されてる。この世界の住民は日々その恐怖に怯えながら生きている。そこで君たちの力を貸してほしい。まずは左腕についている装置のスイッチを押してみてくれ」
指示に従い春人は言われたとおり装置のスイッチを押す。すると春人の目の前にはステータスが表示された画面が出てきた。
「それが君たちの能力だ。魔物を倒すとレベルが上がる、レベルが上がると能力値が上がる。そうやって力をつけ、この世界を支配する魔王を倒してほしいのだ」
まるでゲームの世界のような展開に、春人はここが異世界であると確信する。アニメでよく見る異世界転生を、まさか自分が体験することになるとは思ってもいなかった春人は内心ワクワクしていた。
「魔王を倒す? ふざけんな。なんで俺がそんなことしなければいけないんだ。面倒はごめんだね。それよりも元の世界に戻せ! 」
一人の男がそういうと、周りの人々はその言葉に続くように次々と反対の声を上げていく。
「残念ながら君たちに拒否権はない。君たちは1度死んだようなものなのだ。元の世界に戻るには、魔物に支配されているこの世界を救うしかない。死にたくないのなら戦え。さあ、武器をとれ。戦うのだ。戦士たちよ」
その言葉を最後に声は聞こえなくなった。話しができなくなった以上、ここから先はいかにして情報を集めるかがカギになる。
「くっそ…。とにかく俺は降りさせてもらうぞ。」
男は町の外へと去っていく。行き場のないこの世界を一人彷徨おうとしている男を春人は止めることはできず、どんどん小さくなっていく後ろ姿をただ見つめていた。
「……確かに死ぬのは嫌だな。でも元の世界に帰るには戦うしかないのか。本当にゲームみたいだな……」
ひとまず左腕の装置からメニュー画面を開き、できることを確認する。画面には『ステータス』、『装備』、『スキル』、『アイテム』、『メッセージ』の5つが表示されている。
「えーっと。とりあえず『装備』から武器を装備して……と」
戦うには武器が必要である。所持品を確認すると、現在所持しているのは鉄の剣、斧、槍、槌、短剣、盾、グローブの7つ。どうやらこの7つがこの世界では基本の武器のようだ。平成の時代の平和な日本に生まれた春人にはどの武器もなじみがないが、戦いといったらやはり王道は剣だろう。
「――よし。これでオッケーだな」
一通り装備を完成させると、手元には剣が現れる。春人の持っている知識では説明のつかない事象に驚きつつも、ここは異世界だからこんなことは普通だと自分に言い聞かせる。この程度のことで驚いていたら、この先身が持たなくなってしまう。
「それにしても本当にこれで戦えるのかな」
春人にとって剣を持つのは初めてのことだ。体育の授業で竹刀を握ったことはあるが、それとはわけが違う。
「うわあああ!!! 魔物の群れだーーー!!!」
突然どこからか声がする。声のしたほうを向くと、緑の体にとがった耳をしたゴブリンの群れが町に侵攻していた。
ゴブリンたちはすでに何人か襲っており、真っ赤な返り血を浴びたその姿に、ゲームとは比較にならないほどの恐怖感を覚える。
それからというものゴブリンたちの侵攻は続き、町は蹂躙されていく。あっという間に何人もの人が殺され、悲鳴だけが鳴り響く。先ほどまでワクワク感を抱いていた春人であったが、その面影は完全に消えている。
「……死んでたまるか。こんなとこで死ぬくらいだったら戦ってやる!」
震える手で剣をぐっと握りしめ、春人は無我夢中で剣を振る。ただただ自分の身を守るために。
「はぁはぁ。終わった……のか」
気が付いた時には戦いは終わっており、視線を下にやるとそこら中に魔物と人間の死体が転がっている。死体から流れる血は地面を真っ赤に染め上げている。
「なんだよこれ……。うっ……!」
衝撃的な光景に春人は思わず吐きそうになる。悪い夢ならば早く冷めてくれ。
「こんな日々が続くのか……」
これまでに感じたことのない、圧倒的な絶望感。それでもこの世界で生き残るためには、強くなるしか方法はない。実際に戦ってみて実感した。
「……誰にも負けないくらい強くなってやる。絶対に俺は生きて帰る!」
春人は固く決意する。
こうして少年の命を懸けた壮絶な冒険が幕を開けた。




