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第三話:サイン

「費用は心配要りません」

 ふくよかなシスターは微笑んだ。


 今朝になって気付いたのだが、名札を見て彼女がマリアンという名前だと分かった。

「冒険者ギルドにある互助会の、新人保険が適用されるので、本人の負担は一割で済みます」

 他に入院見舞金として、二日間で金貨一枚が支給されるらしい。

「余計な心配などせずに、今は体力の回復に専念することね」

 彼女の笑顔は病人を癒す効果が高い。


「分かりました、ありがとうございます」

 アルと言う名前になった少年は、漸く朝食へ手を付けた。ボイルしたブラッド・ソーセージとスクランブルエッグには、大量のトマトケチャップが添えられている。

「朝のパンは焼きたてだから、一番美味しいのよ」

 まだ温かくて柔らかなパンに、濃厚な溶かしバターが染み込むと、素材である小麦の香りがより一層引き立つ。塩胡椒で味付けされたレバーのペーストを塗れば、それだけで満足感を得られた。


(朝から贅沢なメニューだな。体力回復を目的としているのだろうが、この食事に慣れてしまうと後が恐いぞ)

 厚みのあるグラスに蜂蜜をお湯で割り、レモン一個分を搾った飲み物は、寝起きの身体に染み渡って活力源となる。

 アルに詳細な記憶は無いが、普段はもっと質素な食生活だった様だ。




「ところで、冒険者ギルドの互助会と言っていましたが、僕は登録されているのでしょうか?」

 先程の説明で気になっていたのだ。

「そうよ、リーダーが手続きしてくれたの」

 食器を片付けたマリアンは、針仕事を始めながら教えてくれる。

「意識を失なっても剣を握って離さなかったから、充分に戦士として認められました」

 指を解くのが大変だったらしいわよ、と朗らかに笑う。

「それに貴方の装備品を見れば、他の職業は考えられません」

 その通りだな、とアルは自分でも思った。


「でもね、後二日は此処に居なさい。まだ若いからと言っても、酷いダメージを受けていたのよ」

 シスター・マリアンは、まるで息子を諭す様に宣言する。その表情を見て、アルは観念した。



◇◇◇



 二日が経ち、シエスタ後にノーム・シスターの回診を受ける。

「はい、宜しい。明日の朝には、退院しても構わないでしょう」

 そしてアルは漸く退院が許可されたのだ。

「ありがとうございます」

 頭を下げて素直にお礼を述べた。


「それでは退院するに当たって、清算を済ませてしまいましょう」

 シスター・マリアンは木製のクリップボードに挟まれた、数枚の書類と羽根ペンを提示する。

「先ずは、この街の市民登録です」

 一枚目の書類を見た。

「名前はアル、年齢は十六歳、出身は帝国の東で、本籍地にはこの教会を選択しておきました」

 十六歳だともう成人しているので、独立した戸籍を取得できるのだ。

「宜しければ、ここへサインしてください」

 アルは三度書類を読み返してから署名した。


「えっ?」

 サインを見た二人のシスターが声をあげる。

「アル、貴方が書いたのよね」

「アルティアー……いえ、アルタイルと読めるわ」

 書類には、流麗な筆記体でサインが記入されていた。署名という一連の動作として、身体が勝手に動いたらしい。アル本人も無意識の結果だった。

「記憶には無いけれど、手が覚えていたのかしら」

 ノーム・シスターは驚愕の中にも、冷静な判断を下す。

 しかし、アル自身は何も思い出せないでいた。


「普段の生活行動は、問題有りませんでした」

 シスター・マリアンの証言だ。

「そうすると剣士として身体の動かし方等も、忘れていない可能性が高いわね」

 ノーム・シスターは名札を着けていなかった。


「幸い書類の記入欄には、まだ十分な余白が残っていますので、今から全てを改訂致します」

 マリアンは別のインクとペンを用意して、書類の名前へ追記する。彼女の書体は活版印刷の様に正確だった。


「アルタイルとは、思い付かなかったわ」

 ノーム・シスターは遠い眼をして呟く。

「でも愛称は、アルのままで構わないでしょう」

 何とか持ち直した様だ。




「次は保険の手続きです」

 再度マリアンが書類を提示する。

「前に一度説明した事があるわね。冒険者ギルドが運営する、互助会の新人保険よ」

 冒険者ギルドへ登録した本人であれば、医療費の一割を負担し、その被扶養者は半額となる契約だ。

「原則として、初登録から一年が経過するまで有効です。二年目からは総合保険へ、自動的に移管されるわ」

 彼女は説明に慣れている。

 ギルドの保険は、優秀な冒険者が高額の治療費を払えずに、奴隷落ちしてしまう事を予防する効果が期待されていた。そして、それは一定の成果を残して来たのだ。

 今回適用された保険料の総額を確認すると、アルタイルという名前でサインした。


「続いて治療費の精算です」

 合計で四日間の費用は、金貨五枚に達していた。本人負担の一割でも、この金額である。

「これで僕は一文無しですね」

 手持ちと保険金を合わせても、後には銅貨数枚しか残らない。


「最後の書類は、教会の社会復帰支援制度ですよ」

 アルタイルが初めて聞く言葉だ。

「これは教会が主催する、支援活動の一環だと思ってください」

 帝国から補助金が出ているらしい。

「農民や商人を問わず入院した納税者が社会復帰する際に、自暴自棄へ陥らない為の最低限の費用を支給する制度です」

 金貨十五枚。

 二日で金貨一枚の入院見舞金と同額であると換算すれば、約一ヶ月分の予算になる。

「ありがとうございます、助かりました」

 改めて礼を述べた。




「幾らアルが破格の魔力を有していると言っても、教会の寄宿舎には捩じ込め無かったのよ。ごめんなさいね」

 ノーム・シスターは、申し訳無さそうな顔で頭を下げる。

「いやいや、そんな事は……」

 逆に慌てたのはアルだった。

 突然に魔力云々を言われて戸惑う。ましてやノーム・シスターの三倍とは、何の事かまるで理解が追い付かない。

「アルは疑問に思う筈だから先に言っておくが、私が後見人であり保証人も兼務している」

 何と彼女はここの筆頭司祭だった。


「君の魔力保有量に惚れたのさ」

 かなりの高齢だと思われるノーム・シスターの、はにかむ表情を見て後悔したのは、アルが墓場まで持っていく秘密だ。


「しかし、これだけ福利厚生に篤ければ、不正受給しようとする悪人が、沢山湧いてくるでしょうね」

 アルが心配する。

「大丈夫よ。私はこの道五十年の神祇官として、今迄に三度しか間違えて無いわ。それも駆け出しだった若い頃の話だわ」

 間違えたのかよ、とアルは心の中で突っ込んだ。

「それにアルの場合は、そもそもの始めから見ていたからね。これが保険金詐欺なら、私は潔く引退するわ」

 彼女は妖しげな顔で、ケケケと嗤った。


「退院しても、毎週の日曜礼拝に来なさい。ついでに体調を診てあげるからね」



◇◇◇



「お世話になりました」

 翌朝、退院したアルは教会で礼拝の後、金貨一枚のお布施を納める。

「今日は木曜日だから、三日後の日曜礼拝に来てください」

 シスター・マリアンが見送ってくれた。


(先ずは冒険者ギルドへ行って、正式に登録手続きを済ませよう)

 入院中にマリアンから教えて貰ったから、この街の概要は覚えている。

(早めに宿を確保してから、装備を整えるんだ)

 服や靴は、マリアンから息子さんのお古を譲って貰ったが、冒険者としての装備は買い替えなければならない。

(装備に掛ける予算は金貨十枚以内に抑えて、ポーション等の消耗品も揃えておこう)

 壊れた装備品は、教会のマークが刺繍されたバッグに纏めて担いでいる。その袋は教会の宣伝も兼ねて、高額のお布施を納めた信者へ配付された物だった。






続く

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