第一話:救出
彼の右の頬から始まった切り傷は、そのまま下へ続いていた。
辛うじて首は避けていたが、右の鎖骨の中央辺りから左胸にかけて切り裂かれている。硬質な見た目の革鎧がパックリと割れ、鎧下の鎖帷子までもが切れていた。勿論、厚手のシャツとその下の肉体も切られており、上半身は赤黒く血に濡れている。
「まだ息はあるけれど、酷い出血だ」
黒豹獣人の男が呟いた。
斥候らしく軽装であるが、要所を押さえた上質な革製の防具を身に着けている。
「両足と左腕は骨折している様だが、シスターの治療魔法で癒せる範囲だろう」
もう一人、ドワーフの髭面男が言った。
此方は如何にも戦士といった風貌で、腰の右に戦斧、左にハンマーを吊り下げている。
「しかし、失なった血は戻らないから、後はコイツの生命力次第だな」
容態を確認すると、黒豹獣人はユックリと背後を振り向いた。
「少年だ。済まないが治療してやってくれ」
背の高い薮へ野太い声で叫ぶ。
その呼び掛けに応えて、小柄なノーム・シスターが姿を見せた。
彼女が近付いて来る間に、ドワーフは少年の頭から水を掛ける。こびり付いていた血や泥、木の葉を洗い流したのだ。細かい擦過傷や打撲による腫れ、全面が内出血で斑に変色している素顔を表わせた。
「金目の物は有りそうかい?」
自分の身長と同じ長さの杖を突きながら、小走りに近寄って来る。
「たんまりとお布施を貰わなけりゃ、最近の魔力回復ポーションは高いからね」
守銭奴の様な発言だが、冷静に怪我の具合いを確かめると言った。
「メイちゃん、先に洗浄と浄化の魔法を掛けておくれ」
トントンと杖で二度、自分の肩を叩いてノーム・シスターが言う。
「……」
メイと呼ばれたのは、エルフの若い男だった。
「ねえ、シスター。僕がメイジだからと言って、メイちゃんなんて呼ばないでくれよ。チャンとした名前があるんだから」
不満げな口調で訴える。
「真名で良ければ呼んであげるわよ」
悪戯っぽく嗤う彼女は、まるで敬虔なシスターとは思えない。
「勘弁してくれよ」
眉を垂らした情けない顔で掌を翳し、倒れたままの少年へ洗浄魔法を掛けた。
「やっぱりエルフは凄いわね。生活魔法でも効き目がまるで違うわ」
シスターはケラケラと笑いながら、洗浄と浄化が済んだ少年の顔を覗き込む。
「おや、まあ。この子は保有魔力が多いよ。今はスッカラカンだけど、この私の三倍は有りそうね」
治療前に診察魔法で確認したシスターは驚きの声を上げた。
「それに、まだ若いわ。成人したてかしら」
そう言って躊躇い無く治療魔法を発動させた。即座に顔から胸にかけて裂傷が癒される。腫れも引いて斑も修まり、白い肌を取り戻す。日焼けは軽度の火傷とみなされ、治療魔法の対象となったのだ。
「骨折部位には、添え木を当てておくれ」
彼女の指示に従って、黒豹獣人とドワーフの二人が手当てを施した。
「こりゃ中級じゃ無理だね」
慎重に患部を見定めた彼女は少し長めの呪文を唱えると、素早い動作で両足と左腕へ順番に杖の先端で触れて行く。
その少年は夕暮れの川原に倒れていた。
北に面した崖の上から落ちて来たらしく、全身に夥しい裂傷と打撲を負っている。特に左腕の損傷が激しいのは、括り付けられた円形の楯に起因すると推測された。
落下の際に引っ掛かったのだろうか、円形の楯は真っ二つに割れており、回避出来なかった腕に負荷が掛かり過ぎた事を物語っている。
頭部を保護していたヘルメットは大きく歪む事で衝撃を吸収し、充分にその役割りを果たしていた。しかし、もう使い物にならない程に損壊している。
崖から落ちる際に両足の骨が折れてしまったと推測され、靴の踵は不自然に千切れてしまっていた。
こんな常態でも、右手には半ばで折れた鋼鉄製の剣を握っている。
兎に角この少年の装備は、間違いなく全てが使い物にならない状態だった。
「後は回復魔法を掛けておこうか」
正しい位置で骨が繋がった事を確認した彼女は、最後の仕上げとばかりに杖を振る。未だに目覚めぬ少年の顔色は良くなった。
「おや、綺麗なお顔だねぇ」
おどけた口調だ。
「さっき診察魔法で確認したから男だって分かっているけれど、こうして見るとまるで女の子みたいだよ」
大袈裟な身振りで皆へ説明する。
「睫毛も長いし、メイちゃんと同じ金髪が綺麗だわ」
「相変わらずだな」
黒豹獣人は溜め息をついた。
「ミーさん、ハーさん。申し訳ないが荷物が増えてしまいました」
黒豹獣人が声を掛けたのは、二人の大柄な熊獣人である。
「リーダー、構いませんよ」
「人助けなら喜んで」
黒髪がミーさんで、茶色い髪がハーさんだ。いづれも身長二メートル近い巨躯の女性である。
「まだ若い少年ですね」
「小柄だから軽いでしょう」
大概の者は熊獣人の二人よりも小柄であろうが、この倒れている少年は中肉中背の体格だった。
「ポーターとして破格の料金を頂いております」
「運搬は私達姉妹にお任せください」
何もかもが大作りだが、魅力的な笑顔が並ぶ。
「ありがとう。皆に感謝する」
リーダーと呼ばれた黒豹獣人が頭を下げた。
「俺も駆け出しの頃に行き倒れて、ベテランのパーティに助けて貰った経験が有る。だから、どうしても見捨てられなかったんだ」
ドワーフの戦士は厳つい顔で頷く。ノーム・シスターは無表情を装い、若いエルフのメイジが姿勢を正す。
「では一度、街へ戻ろう」
リーダーを先頭にして、夕暮れの川原から移動を始めた。
◇◇◇
「……ここは、何処だ?」
ベッドで目を覚ました少年が呟く。
「まあ、起きたようですね」
直ぐ横から、穏やかな女性の声がした。
「ここは教会付属の治療院よ」
針仕事の手を止めて静かに微笑むのは、とてもふくよかな中年のシスターである。
「喉が渇いているでしょうから、先ずは湯冷ましを飲むと良いわ」
テーブルに置かれた陶器のポットから、木をくり抜いてできたコップに注ぐ。少年へ上半身を起こす様に促すと、そのコップを両手で持たせた。
「慌てずに、ユックリと飲みなさい」
確かに喉が渇いていたのだろう、少年は直ぐに飲み干してしまう。
「お代わりをどうぞ」
たて続けに三杯飲んだ。
「ランチの残り物だけれど、スープを温め直して来ます。少し待っていてね」
そう言ってふくよかなシスターは、足音も立てずに部屋を出て行った。
(教会付属の治療院。俺は何故こんな所に居るんだろうか?)
ベッドに残された少年は、疑問を感じながら部屋を見渡す。窓からの明るい陽射しが照らす室内は、四隅にベッドが配置されていた。少年の他に人は居ない。
(窓枠の影が短いから、今は真昼を過ぎた頃かな。陽の光りが入る窓は南に面していて、このベッドは東南角に置かれているのか)
北側には広い出入り口が有り、薄い灰色のカーテンで仕切られていた。
(ベッド間に折り畳まれた衝立が有る。他の人が入院すると、この衝立を広げて間仕切りするんだな)
少年は現状把握に努める。
(継ぎ接ぎだらけの服だ。シスターは繕い物をしながら、俺を看病していたのか)
ベッド横の椅子に置かれたシャツ以外にも、幾つかの装備品が残されていた。
(怪我か病気か分からないが、どうやら俺は入院しているらしいぞ)
色々と損傷している装備品を眺めて、少年は懸命に記憶を辿る。
(……こんな事をしている場合ではないのに)
突然、強い焦燥感に駆られた。
(……いや、待てよ。何故だ?)
急に窓を振り向くと軽い目眩を覚え、少年はかなりの衰弱を自覚する。
(参ったな。何も分からない)
続く