第十五話:一角狼
「私にもくれるのかしら?」
シスター・マリアンがエマに手渡したのは、教会のマークが刺繍されたバッグだった。
「水晶玉のお礼です」
ふくよかなシスターは、早く付与したくてウズウズしている。
「ありがとう」
エルフの魔女が教会と和解した、歴史的な一瞬であった。
「これでアルとお揃いね」
それを見ていたレイラは、静かにリュックを担ぎ直す。背負っていたのを前に向けたのだ。
(あの水晶玉が幾つも有る、と知っているのは黙っておこう)
籠められているのはアルの魔力だが、水晶玉自体はエマの資産なのだ。
「私はこれからバザールへ薬草を買い出しに行くけれど、アルも一緒に如何?」
正にそこは、彼が立ち入りを禁止されている場所だった。
「警戒警報は解除するから、心配無用だわ」
指令を出した本人が言うのだから間違いない。
「……レイラも行く」
その言葉をアルは努めて冷静な顔で聞いた。
(記憶を失なう前の俺は、一体どんな奴だったのだろうか?)
それは回答の無い質問である。
◇◇◇
「解除します」
エマのひと言で売り場へ入る事ができた。
そしてアルは彼女の立場をよく理解する。
(エマやヴィクトリアに気に入られたのは、とても幸運だったな。記憶喪失の俺にとって、女みたいな顔と桁外れらしい保有魔力量、それに十六歳という若さだけが武器なのだ)
バルカンに認められた攻撃力は、スッカリ失念しているアルタイル少年であった。
「……アルはお金を残す」
バザールで薬草を購入するにあたり、レイラから明確な指令が出された。
「……約束」
円型スタジアムへイベントを観に行く、と言う約束の事である。
(仕方がない。まだ貰ったばかりの、支度金しか持っていないからな)
これまでに彼が稼いだのは、オーク三匹分の魔石を売却して得られた金貨一枚半だけだった。
(二十歳のお姉さんは、年下の俺を甘やかしているのか、それとも甘えようとしているのか?)
真剣な表情で売り物を吟味しているレイラは、かなりの頑固者に見える。
「……決めた」
幾つかの店舗を回った結果、今回欲しかった物が絞り込めた様だ。
ホビットは種族の特性である少ない魔力を補う為に、様々な薬草を自作している。試行錯誤の結果を共有し、地域別の特性も考慮されたレシピが存在していた。
勿論レイラも、幼い頃から親に教えられている。
「いつも感心するのは、ホビットに特有な素材の選び方ね。どんな組み合わせで調合するのか、私には見当がつかないわ」
それでも薬効が確かである事は、全世界に拡がる彼等の行商人が示していた。
保存の利く軟膏や丸薬は、各家庭に常備薬として定着している。それはエルフやノームが多く所属する、教会の治療院でも導入されていた。日々の生活で頻発する擦り傷や切り傷、軽度の火傷には魔法を使わないのだ。
また即効性の高い粉薬や飲み薬は、患者の症状に合わせて調合される事が多い。
(レイラと比較してエマは、お金に糸目をつけない買い物だな)
ふと目にして気に入った物を、手当たり次第に購入していたのだ。
「たまには屋台で買い食いするのも楽しいわね」
昼食はアルのリクエストにより、屋台の料理を三人でシェアする事になった。
しかしアルを困惑させたのは、魔法使い達のエマに対する持て成し方である。
彼女が使用するベンチの周囲を清掃し、簡易テーブルが用意された上に、座面には厚手の敷物まで置かれていたのだ。
「ありがとう」
エマはひと言で済ませた。
「……美味しい」
そんな状況でも、意外にレイラは平然として料理を食べている。
「……だって魔女だから」
この街で生まれ育った彼女には、当たり前の出来事らしい。
(どうも背中に冷や汗が流れるぞ)
アルはこの短期間で親しくなった、二人の女性に挟まれて開き直ると決心した。
(うーむ)
デザートのフルーツを見て、アルは悩んだ。
レイラは採れたての新鮮で真っ赤な苺、エマは完熟して蕩けるような桃を選んでいた。
(まさか俺の思考が読まれている?)
恐ろしい偶然の一致だ。
◇◇◇
午後はアルが独りになった。
買い物を済ませた女性陣は、それぞれ調合する為に帰宅したのだ。
(少し身体を動かしておこう)
宿に戻り装備を整えると、東門から出て北を目指して進む。
(北東部の平原には、ツノウサギや一角狼、野犬とコボルトが棲息している)
冒険者ギルドと第一機動隊で仕入れた情報を元にして、彼なりに頭の中で地図を描いていた。
(魔石の回収がネックだな)
魔物との戦闘に対する不安は少ないが、その後の作業に手間取りそうなのだ。
(それも練習として工夫するか)
前向きに考えた。
(野犬の集団が、コボルトに率いられている)
ツノウサギの群を追いかけて狩をしていたのだ。
(数が多いな)
もう少し奥へ向かう事にした。
緩やかな起伏の中を走る。
全身に魔力を流して強化し、レイラから学んだ動きで気配を消した。周囲の雑草がなびく形で風向きを読み、影の長さで時刻を計った。
三十分ほど移動した先で、一角狼を見付ける。
周りにはゴブリンの死骸が幾つか転がっており、一角狼はそれを喰っていた。
(ゴブリンが狩られたんだな)
ヤツの食欲を満たす数だけ倒したのか、それとも群ていた全てがヤられたのか。
(望み通りに一匹だけ、良いチャンスだ)
この辺りは膝の高さまである雑草が生えていた。
(動きを阻害する程の障害物は無い)
意識を集中させると、視野が拡張される。
同時に聴覚と嗅覚も鋭くなった。
風向きが変わり、アルが風上に立つ。
装備の鉄が匂ったのか一角狼は食事を中断した。
即座に身体を低くして、草むらに隠れてしまう。
しかし、アルに向かって直進する軌道は、掻き分けられた草の動きから判別できた。
何かが放り投げられる。
ゴブリンの死骸だ。
(ここまで咥えて来たのか)
放物線を描く物体を認識し、その着地点を即座に判定する。
アルは両足をバネにして垂直に飛び上がった。
落下に合わせて体重を乗せた一撃を振り下ろす。
パァン!
一角狼は爆ぜた。
鋭く尖った角は、慣性により前へ跳ぶ。
漆黒の毛皮は飛散したが、魔石を取り出す手間は省けた。
(駄目だ、脆い)
地面に残る赤黒い跡を眺めて、アルは物足りなさを感じる。
(もっと硬い相手が必要だ)
着地した彼が目にしたのは、一角狼の進路に続いて雑草が掻き分けられた跡だった。
(自分が死んだ事に気付かないで、まだ走っているのか?)
おかしなテンションになった彼は、変な感想を抱いている。実際は角が飛んだ跡だった。
(馬鹿馬鹿しい)
拾いあげた魔石へ洗浄と浄化の魔法を掛け、少し離れた場所で角を回収する。
(一時間前には、バザールの屋台で食事をしていたのにな)
現状との落差に、軽い目眩を感じた。
(さあ、次だ)
慎重に一歩踏み出す。
続く




