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4 お仕置きタイム


「――そうやって日が暮れるまで、外野とお喋りを続けるつもりか?」


 不意にそう声を掛けられ、ザナックはハッとして振り返った。


 正体不明の男、改め、本物のベルナールが、退屈しきった様子でこちらを眺めている。それはまるで物語のヒーローが、三下さんした風情を前にした時の態度であった。ザナックは屈辱のあまり目を剥き、ギリ、と奥歯を噛みしめていた。


 畜生が、調子に乗りやがって……!


「ベグリー、武器を!」


 会場の入り口まで付き添って来ていた小男に声を掛けると、ベグリーが槍を捧げ持ち、腰巾着らしく低姿勢で駆け寄って来た。


 ザナックは槍を受け取り、クルクルと格好良く振り回してみせた。


 ――その瞬間、それまで余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)という様子だったベルナールの顔から、表情が抜け落ちた。



***



 ザナックは傲慢な顔でふらりとベルナールのほうに近寄って行った。


 至近距離で視線を絡ませ、トンと槍を地面に着ける。


「知っているぞ。お前、槍が怖いんだってな」


「……なぜそれを」


 ベルナールの瞳には純粋な驚きが浮かんでいる。ベルナールを動揺させることに成功したザナックは、嗜虐的な気分になっていた。


「大勢が見ている前で、お前をボッコボコにのしてやるよ。そのお綺麗なツラも、二目と見られないようにしてやる。お前は歴史に残るダッセえ負け方をするんだ。それを見たかみさんは、一体どう思うだろうなぁ?」


 結局、ザナックが目を付けていたエルミーヌという女は、ベルナールの妻ではなかったようだ。


 とはいえまぁ、どうでもいいといえば、どうでもいいのだった。直接ベルナールの妻を知らなくても、戦略上、利用することはできる。――こういった場で相手の伴侶のことを持ち出して挑発するのは、大抵の場面でそれが有効に働くからだ。相手を怒らせてしまえば、料理もしやすくなる。


 ザナックはニヤニヤ笑いを浮かべてベルナールを小馬鹿にし続けた。


「――お前みたいな男と結婚するような女だ、どうせ頭の軽いアバズレだろう? 俺があとでたっぷり可愛がってやるよ。一晩中なかせてやる」



***



 会場に辿り着いたアンナは、会場内で夫と対戦相手が何か言葉を交わしているのを、ハラハラしながら眺めていた。


 夫が心配だから、見守りたい――そう思っていたはずなのに、実際にここへ来てみたら、怖くてたまらない。彼の様子がいつもと違う気がするのも、アンナを不安にさせていた。


 ……一体、何を話しているのかしら?


 アンナは胸を手で押さえ、その様子を見守っていた。



***



「お前のかみさんを押し倒して、××して、××して……」


 ザナックが卑猥な文言を繰り返していると、審判役の騎士が声を掛けた。


「もうすぐ試合開始です。開始線まで下がってください」


 ザナックはまだ言い足りないと思ったものの、笑みを残しながら踵を返し、ベルナールと距離を取って対峙した。――これは完全に槍の間合いだ。ザナックにとってかなり有利な条件だった。


「――始め!」


 試合開始のドラの音が鳴り響いた。



***



 ドラの余韻も消えぬうち、対面に居たはずのベルナールの姿がかき消えた。まるで煙のように、ふわりと揺れて消失したかのようだった。


「え?」


 中空で槍をひと回ししかけたザナックは、一瞬状況を見失ってしまった。


 ――そしてふと気付いた時には、すでに懐に入り込まれていた。


 煌めくようなブルーアイに至近距離で見据えられ、ザナックは呆気に取られた。その瞳は美しく、獰猛だった。獲物の喉笛を噛み切る前の、狼のそれだった。


 ザナックは自分がか弱い野兎になったような錯覚に囚われていた。


 ベルナールは口角を持ち上げ、いっそ無邪気にすら見えるような笑みを浮かべた。しかし瞳の殺気はまるで抑えられていない。


「――お仕置きタイムだ」


 え……と言おうとしたけれど、言葉を出している暇はなかった。ベルナールは人を食ったような態度で、持っていた剣をポイ、と投げ捨ててしまった。それが地に落ちるまでの、0コンマ何秒かのあいだの、悪夢めいた出来事。


 ザナックは素手で顔面を殴られ、吹っ飛ばされ、次の瞬間には地面に背中をつけていた。


 ――馬鹿な! ザナックは信じたい思いだった。自分の力量で、こんなことが起こるはずがない。騎士団最強の自分が、一撃で土をつけられるなど!


 怒りと混乱、恐怖と痛みで視界が揺らいだ。忌々しいほどに、青い空が眩しい。


 しかし息をつく暇もなかった。――ベルナールの綺麗な顔が、空とのあいだにinしてくる。彼はまだ淡く笑んでいた。けれどちっとも楽しそうには見えないのだった。


「分かっていると思うが、まだ終わりじゃないぞ、ザナック」


「ま、待って……」


「いいや、待ったなしだ。俺は妻を侮辱した相手を、決して許しはしない。予告してやろう――お前は歴史に残る惨めな負け方をする」


 それはザナックにとって、美しい死神から告げられた、死の宣告に他ならなかった。……一拍置いて、会場にザナックの悲鳴が響き渡った。



***



 ――さらに時計の針が戻り、メールソン閣下が存命だったある日のこと――


「まったく書類仕事ってのは、うんざりするもんだねぇ」


 閣下はしょぼしょぼした目を休めるように、指で鼻の付け根あたりを揉みながら愚痴をこぼした。


「人事査定の関係で、君にも来期の課題を挙げてもらわにゃならん。……ベルナール、君、なんか苦手なことってないのかい?」


 閣下に尋ねられ、執務机を挟んで静かに佇んでいたベルナールは、しばし考え込んでしまった。


「苦手なことは都度、克服してしまっているので……」


「――実はカナヅチとか?」


「普通に泳げますね」


「じゃあ……上官に対し、愛想がないとか、どう?」


「閣下。つまらない当てこすりはやめてください」


 ベルナールに涼しげな顔で突っ込まれ、閣下はやれやれと椅子の背に寄りかかり、天上を見上げた。


「参ったなぁ。皆、普通に課題の一つや二つ、三つや四つ、出てくるものなんだよ? ……それが君ってやつは、なんなんだい。面倒なやつだなぁ」


 なぜか結構な毒を吐かれた形のベルナールは、それでも表情を変えずに端正な佇まいを崩さなかった。――というのも、これらの閣下の軽口は、いつものことだからだ。


 閣下はさして考えることもなく、姿勢をもとに戻した。


「じゃあさ、今日から君は『槍使いを恐れる、悲しきトラウマを抱えた男』ってことにしようか。幼少期に槍で襲われ、君は深く傷付いているんだ」


「構いませんよ」


 ベルナールはあっさりと了承し、それでこの話は終わりになった。


 メールソン閣下としては、『課題を挙げ』→『来期でそれを見事克服した』というていにして、ベルナールの評価を上げてやろうという目論見であった。


 しかしその後上層部のメンツが変わったりして、書類作成方法もそれに伴い変更したもので、『来期で克服した』というアンサー部分は作成されることがなかった。


 それでもベルナールの輝かしい経歴に傷がつくこともなかったし、何よりも、当の本人がまるでこの件は気にしていなかったのである。


 すっかり忘れていた一件を、国際親善試合で蒸し返されたベルナールは、閣下との思い出が不意に蘇り、少しセンチメンタルな気持ちになったのだが……それはザナックが知るよしもないことである。



***



 ――試合を観戦していたグラヴェは腕組みし、小さく息を吐いていた。


「そう簡単にベルナールをれるものなら、俺がとっくのとうに、やってるっての」


 グラヴェからすると、以前自分をボコったザナックが目の前でやられ、いい気分ではあったのだが、結局は女たちの熱い視線が注がれる中、憎きベルナールが国際親善試合のトリを制したということでがっかりし、プラスマイナスでゼロの状態になっていた。



***



『――勝者、ベルナール!』


 アナウンスがかき消えるくらいの、観客から降り注ぐ黄色い歓声。ベルナールの残虐ファイトはどう見ても過剰にやり過ぎていたわけであるが、女性ファンと男性ファン、意外にもその双方から圧倒的な支持を獲得したようである。……なんなら、隣国から遠路はるばる応援にやって来ていた、コアなザナックファンですら、貴公子然としたベルナールにぽぅっと熱を上げている始末だった。


 試合を終えたベルナールが闘技場との境である低い塀を飛び越えたので、関係者席で見守っていたジャンヌが身を乗り出し、慌てて彼を呼び止めた。


「ちょっと、ベルナール! 表彰式がまだよ! 賞金が出るから――」


 ベルナールは一瞬足を止め、ジャンヌのほうに顔を向けた。


「金はいらない。皆で分けてくれ」


 彼は階段を駆け上がり、出入り口付近に佇んでいた最愛の妻を軽々と抱き上げた。


「――僕には別のご褒美がある」


 アンナは彼に運ばれながら、試合中ずっと緊張していたこともあり、甘えたようにぎゅっと抱き着いてしまった。



***



 執務室に連れ込まれたアンナは、扉を閉めるなりそれを背にしてキスをされ、嵐の中に巻き込まれたような心地になっていた。


「ん……待って……」


 制止の声は途切れ、ちっともその意味を成していなかった。アンナ自身、やめて欲しいのか、滅茶苦茶にして欲しいのか、よく分からないのだった。


 キスがさらに深くなってきたので、アンナはここでやっと危機感を覚えた。ちょっと……まずいような……職場でこんな……


「ベルナール……」


 潤んだ瞳で見上げると、すぐ近くにあるブルーアイがアンナの心を絡め取る。アンナは彼に愛されていると感じた。彼は心からアンナを求めていたし、アンナのほうも同じだった。


「……嫌いになった?」


 彼が囁く。アンナは初め意味が分からなかった。


 ――実はベルナール、アンナを怖がらせたくないという、ただそれだけの理由で、彼女の観戦を許可しなかったのだ。


 戦いが始まる前、ザナックが槍を手にしてクルクルと回し始めたのだが、ベルナールは正直それどころではなく、会場に駆け込んで来たアンナを目で追っていたのだ。


 ――この戦いは絶対に負けられない。面倒なしがらみがあり、ベルナールは圧倒的勝利を求められていた。つまり、アンナに嫌われたくないからと、手を抜くことは彼には許されていなかったのだ。ベルナールはこの時、ほとんど絶望していたと思う。


 ザナックはそれを見て、『槍に恐れをなしたようだ』と勘違いしたようであるが……。


「嫌うって、なぜ?」


 アンナは思わず眉根を寄せてしまう。


「君に、僕が人を殴っているところを見せたくなかった」


「そんなことで、嫌いになったりしないわ。でも……あなたって、すごく強いのね」


「強い男は嫌い?」


 尋ねられ、アンナは思わず笑みを漏らしていた。


「いいえ。強くても、弱くても――あなたが大好き」


 ベルナールが心底安心したように柔らかな笑みを浮かべる。先程の性急さはなくなり、甘いキスが始まる。くすぐったいような、幸せな触れあいだった。


 アンナはベルナールの腕の中で安心できたというのもあって、なんだか彼に仕返ししたい気持ちになっていた。『戦っているところを見せたくない』という彼の気持ちも理解できなくもないのだけれど、試合前、問答無用でアンナをこの部屋に閉じ込めたことは、ちょっとひどいように思えたからだ。


 それでふと思い出し、ドレスのポケットに手を入れ、金属製の武骨な腕輪を取り出していた。――先ほど部屋に閉じ込められた時にちょうどこれを手にしていて、そのまま外に飛び出したので、ずっと持ち続けていたのだ。


 ベルナールにキスされながら、彼の腕にそっと手をからめ、そして――


 ガチャリ、と金属の音が鳴る。


 ベルナールが自身の左腕を眺めおろすと、手首に『屈辱の腕輪』が嵌められていた。彼が誰かにここまで見事にしてやられたことは、過去に例がなかった。


「――隙ありですよ、旦那様」


 アンナはにっこりとチャーミングな笑みを浮かべ、ベルナールにそう告げたのだった。




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