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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
53/110

その20

「お麗様、お逃げください」

 鎖の先には、憤怒の形相を浮かべた二分相の源三が立っていた。顎まで切り下げられた刀傷を境に顔の右側は煮えたぎる火口を覗いた如くに赤く、左は蝋で塗り固めたかのように白い。

 半分白くなった毛を逆立て、殺気を全身から発している。

 ぎりっ。

 左内の刀は、絡みついた分銅付の鎖によって自由を奪われている。このさほど大きくは無い初老の男のどこにこれほどの力が潜んでいるのか、源三が鎖を持つ右手を引くと刀を持つ左内の身体は容赦なく前方に引っ張られた。前回は、このまま刀を投げつけて相手が体勢を崩したすきに乗じて難を逃れたが、今回は相手もそうはさせじと、足を踏ん張っている。

 本来ならば立っているのさえ奇跡的である左内の体力は、急速に奪われていった。

「おやめ、源三……」

 お麗はかすれた声で源三に叫ぶ。

 聞こえているはずなのだが、源三は左内をじっと睨みつけるばかり。左手に持つ鎖鎌は、間合いが詰まったと同時に一撃で頸動脈を掻き切らんと、変わらずその氷の刃を光らせている。

「お麗様に仇なす奴は、生かしてはおけません。たとえ、その男をあなたがどう思っておられようとも」

「源三……」

 源三の言葉から何かを感じ取ったのか、お麗は呆然とその初老の男を見上げた。

 お麗の下僕は、衰えたとはいえ往年の姿を彷彿とさせる鍛え上げられた筋肉を震わせて鎖を引いている。

 ますます強くなる牽引力に左内の腕がガクガクと震え始めた。

 このままでは、あの鎖鎌の餌食になる。なんとかせねば。

 左内は改めてお麗の毒草調合の部屋と思しきその部屋に視線をよぎらせる。八畳ほどの部屋に自分が縛り付けられていた四隅に脚の付いた台。その傍らに薬瓶の調合机。

 二人は調度の横、縦長二畳ほどの隙間で相対している。左内が一瞬でも隙を見せれば、源三の鎌が飛び掛かって来れる距離だ。

 床には侍と思しき男たちが数人倒れている。足場は悪い、飛び掛かってくる際に、普段よりごくわずかだが時間がかかるだろう。

 左内は源三の鎌を見た。鎖は鎌の頭の部分に繋がっている。

 左内はじりじりと足をずらし4脚の台に位置を変えていった。

 台がお互いの間に入れば、長さという点では劣る鎌では相手を切ることができない。早く仕留めねばとばかり源三が眉をひそめる。

 次の瞬間、空気が大きく動いた。

 源三がいきなり間合いを詰める。鎌がすばやく振り上げられる。源三が左内に飛び込んできた分、今まで引っ張り合ってお互いを固定していた鎖がわずかに(たる)んだ。

 源三の鎖鎌が一閃する、直前。

 左内は台に刀を突きたてると、(つば)を手掛かりに台の上に飛び乗った。

 空を切った鎌とともに源三が大きく体勢を崩す。しかし、すぐ立ち直ると台の上に立つ左内の足に向けて鎌が襲い掛かる。

 が、刀に巻き付いた鎖が今度は自らの邪魔をして源三と鎌の可動範囲を狭めている。左内はひらりとかわすと、源三の背後に降り立ち、鎖鎌使いを背後から蹴り飛ばした。お麗のほうにふっとぶ源三。

 したたかに身体を打ち付けたはずだが、ものともせずに源三はむくむくと起き上り、左内が台に刺した刀を引き抜き鎖を自由にする。

 左内は机の上の薬瓶を手当たり次第に投げつけた。

 しかし、ひるむことなく、源三は左内に向かって来る。

 だが、顔面に当たった赤い液体の入った瓶のふたが取れた瞬間、源三の顔の上でもうもうと煙が上がった。

 言葉にならない声をあげて、源三は右手で目を押さえてその場に(うずくま)る。だが、左手の鎖鎌は背後のお麗を守ろうかというように振り上げられたままだ。

 左内は、すばやく倒れている侍の腰から大刀を引き抜くと、鞘から刀を抜き放ち源三に向けた。

「源三」

 お麗が源三の傍らに駆け寄る。

「下がれ、お麗っ」

 源三がしわがれた声で叫ぶ。

「いいえ」

 お麗は源三の前に立ちはだかる。

「左内、お前を許さない。あんたと刺し違えてもあたしはこの源三を守るよ」

 お麗は懐から小刀を出し、左内に向けた。

「この恩知らずの愚か者、なんでこの侍たちが倒れているかわかっているのか」

 左内に向けて、絞り出すような源三の声。

「え……」

 左内は改めて床の上に倒れている男たちを見つめる。

「もういい、言ってもせんないこと」

 お麗はかぶりを振って源三を押しとどめると、一転、薄笑いを浮かべながら左内に向かって言った。

「ここで時間を食っていいのかい、お前の馬鹿殿がこの屋敷におびき寄せられているよ」

「えっ、何処に、何処におられるのだ」

 左内の顔色が変わる。

 源三が鎌を振り上げる。

 手負いの獅子のようなその殺気に、左内は気おされてに後ずさりした。この男の周りには、なにか神々しいような気が漂っている。

 これ以上の長居は無用。

 左内は戸を勢いよく開けると外に飛び出した。




 一方、こちらは殿と右京。

 侍たちに導かれ、彼らは地下の隠し部屋に通された。

 最初に右京と左内が、つれてこられた部屋である。

 御簾の奥には、細面の人影が微動だにせず坐っている。

 促されて、殿と右京がその前に座った。

「よくぞ参られた、天晴(あまはら)公」

 御簾の奥から響いて来た声は落ち着いた、まるで筝曲の会で人をもてなす主人のような涼やかな声。

「お前に会いに来たのではない、わしは女に会いに来たのだ、ま、ついでに家老も連れて帰るつもりだが」

 殿はふん、と鼻息を噴出した。

「上のものには頭を擦り付けおべっかを使い、そして下々のものには願いを聞くかわりに大枚を要求する。大層な展望を語っても、己の力を過信する自惚れ屋は長いことないぞ、田沼殿」

「さすが、上様のお気に入りだけある。見かけは女にうつつを抜かす主君でも、見るところは見ているのですね」

 天晴公の挑発にも動じず、御簾の奥の人物は琴をはじくかの様な声で返答する。

 御簾が上げられ、頭巾をかぶった男が、ゆっくりと頭巾を取った。

 まるで半月の弧のように弓なりになった細い眉。涼やかな細い目は目じりまで一直線に切れ上がっている。薄い唇は桜色で、歌舞伎の女形をみるような優しい顔立ち。しかし見開かれた小さい目は、負けん気の強い不遜な光を湛えている。

 その男は、若いとは言えないが、今から上昇していく壮年の強い気を(まと)っていた。

「江戸城以外でお会いするのは初めてですな、天晴公」

「わしはおべっか遣いも、権力を笠に着る奴も嫌いだからな」

「ふふ、まだまだお若いな、天晴公。政治というものをご存じない」

 石高は殿の方が上とは言え、四十代も後半の意次の方が、三十路の殿よりずっと貫禄がある。

「貴公は、この日の本の置かれている状況を御存じか」

「この右京から茶飲み話で聞いておるわ」

 右京は、茶を飲みながら異次元隧道(ずいどう)で外国に行った土産話をするという口実で、高価な菓子を購入してもらっている。

「ほほう、さすが殿。よい配下をお持ちだ。で、どんなことを知っておられるのだ」

「まず、この国からずっと東に行くと大きな大陸がある。それはまるで垂れた女性の乳のよう形で北と南に広がっている」

「な、なんとそこまでご存じか」

「その国の女性ときたら、この国の比ではない、若い娘からして胸回りが大きく、そして腰はまるでひょうたんのようにくびれているのだ。白い肌、そして金色の髪の毛。それだけではないぞ、もっと東に行くと女性の肌の色が黒くて、輝ける肢体を持つ女達が居る国がある」

「そ、それで貴公は諸外国と日の本の違いをなんと考える」

「この国は……、好き好きだが女性の肢体にやや面白みがないようだ。わしの考えではこれは食生活のせいではないかと思う。もっと人々に食べ物を行きわたらせ、女性を自由にし、輝かさねば諸外国に後れを取ることが明白だ」

 とうとうと流れる水のように……というか殿の女性談義は留まるところをしらない。

 コイツは馬鹿か、それとも馬鹿を装っているのか。

 手を結ぼうとする相手の人選を間違えたかもしれない。田沼意次は額に眉を寄せると、首を傾げた。

誤字脱字が多くすみません。あわてて直しました。連休中に終わるつもりでしたが、終われませんでした。もうちょっと続きます。

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