8 村
昼を過ぎた頃、ようやく北郷達一行は村に到着した。
道中、特にトラブルに見舞われるような事は無かったが、ある変化があった。
それは……出発時には持っていた筈の杖を、北郷が持っていない事だ。
ただ単純にカバンに仕舞っただけとも考えられるが、それは難しい。
何故なら杖の大きさは北郷の背丈程もあり、北郷が下げているバックは勿論、護衛達が担いでいるリュックでも収納する事など不可能。折り畳み機構でもあるならまだしも、残念ながらそんな便利な機能は無い。
ではどうしたのかと言うと、答えは簡単、廃棄したのだ。
それもただ捨てた訳では無く、山荘の時同様に完膚無きまでに破壊し、更には念入りに埋めたのだ。
では何故杖を廃棄したのかと言うと、その価値に北郷が気付いたからだ。
先の商隊の後に、同じような商隊や個人用の荷馬車などと遭遇したのだが、全員が全員北郷の持つ杖を注目した後に、護衛や北郷を見て不思議そうに首を傾げた。
最初は自分の魔法使い然とした格好がおかしいのかと北郷は考えたが、それにしては全員が杖、というよりも、先っぽの魔石に注目していて、自分の格好に関しては特にこれといった好奇の視線は感じなかった。
(もしかしてこの魔石の等級って、かなり高いのか?)
前記したように、北郷に支給された魔術書には魔石の等級分けは記述されていなかったので、自分の持つ魔石の等級は分からなかったが、すれ違う度に注目されれば否応なしに理解させられる。特に千年以上も生き、人間の機微に聡い北郷ならば直ぐに理解出来た。
普通の魔術師ならばそれが分かった所で、対処するのは難しい。
何しろ隠すには杖は余りにも長すぎる。短くするには杖を切断する必要があるが、杖自体も魔法の触媒としての役割もあるので、下手に切断するとバランスが狂って魔法が上手く発動出来なかったり、消費魔力が増えかねない。
しかし、コピー能力を持つ北郷ならば悩む必要は無い。普通の魔術師ならばとてつもなく希少価値が高く、再び手に入るかどうか分からない2等級の魔石を杖ごと破壊するなど考えられないが、無限にコピー出来る北郷にとっては幾らでも替えが効く消耗品でしかない。
そのため、分かった直後に北郷達は街道から外れ、『探索』によって辺りに人がいない事を確認すると即座に杖を破壊し、更には護衛達に穴を掘らせてダメ押しとして穴の中で燃やし、埋めた。
希少価値がとてつもなく高く、上手く売れば一生働かずに済む程の価格になるのだが、北郷にとっては路傍の石ころ程度の価値でしかない。
杖を廃棄(破壊)した後、再び商隊と遭遇したが、特に不審がられる事は無かった。今までは護衛達の格好と魔石の等級があまりにもかけ離れていたために不自然だったが、その肝心の魔石が無ければ単なる駆け出し魔術師の一行にしか見えない。
それに、駆け出しにしか見えないのは護衛達の装備の貧相さもあるが、何より一番の理由は……北郷のローブには何ら装飾がされていないからだ。
ある程度の地位や稼ぎのある魔術師なら、ほとんどがローブや杖などに装飾をしている。これは、魔術師の大半が平民の出身である事が多大に影響している。
魔術師の生まれる確率は僅か千分の1で、遺伝的要素は無い。よって、魔術師として生まれる者の大半は一番数が多い、平民の出だ。
魔術師は特殊職業で、常に人員が不足しているので比較的楽に大金を稼ぐ事が出来る。貴族や大商人など、生まれた時から裕福な環境下ならば金の使い方もある程度は分かるが、平民のような、裕福とは言えない環境下で育った者達は金の使い方など分からず、どうしても成金チックな行動に走る事が多い。
絹などの上等なローブに金糸や銀糸で派手な刺繍をしたり、杖に金銀や宝石などの過剰な装飾を施すなど、まるでバブル期のような格好を好む。
そのため、特にこれといった刺繍や装飾が施されていないローブを着た北郷は、駆け出しの魔術師と認識された。それにより、目立つ事なく、目的である村に辿り着けたのだ。
村の名前はココ村。
貿易都市イリオスから比較的近いという事もあり、そこそこ栄えてはいるが、村の域は出ない。
北方の村々や未開拓地への中継地点として利用されているので、一通りの店は揃ってはいるものの、本当に欲しい物はイリオスに買いに行くので規模は小さい。
つまり、典型的な田舎の村なのだ。
そんな村の中を、北郷達は歩く。道は当然のごとく舗装などされていなく、土が剥き出し。
木造建築の店舗が立ち並んではいるが、どれも商店街の店のようにこぢんまりとしている。
(品揃えは…微妙だな…)
店先に置いてある商品を見ながら、北郷は僅かに顔をしかめる。売っているのは肉や野菜、果物などの食品関係や、服や雑貨などの日用品や旅用品ぐらい。
それもその筈、武器や防具、薬、装飾品など、高価な物は品揃えが豊富なイリオスで買うのが当たり前で、ココ村は馬の交換か、休憩地点でしかないのだ。
(やっぱり、本も売ってないか…。まぁ予想は出来てたが)
この世界の情報を少しでも得たい北郷は、本を求めて村中の店や露店を巡って見たが、やはり本は売っていなかった。
この世界の識字率はかなり低く、字が読めるのは王侯貴族や聖職者、一部の商人や職人ぐらいで、ほとんどの者達は字が読めない。何故なら、字を読む必要が無いからだ。
武官や文官にしろ、国に仕える公務員のほぼ全ては貴族階級の出身者で固められている。平民の出でも志願兵として軍人にはなれるが、ほとんどが兵卒で、出世出来たとしても下士官が精一杯。
士官以上は貴族にしかなれない。
これはこの国だけの事では無く、この世界では当たり前の認識だ。
なので日本帝国のように、義務教育として全国民に読み書きを教えるなどという考えは発想すら無く、もし仮にそういった事を提案をしたとしても「平民に文字を教えるなど金と時間の無駄だ」と一笑に伏されるのがオチだ。
この考え方は平民蔑視の面も強いが、事実、ほとんどの平民は読み書きを必要としていない。
商人や職人など、字が読めなければいけない職種ならば覚えるが、平民の大半を占める農民達は字を必要としていない。本は高価なので一般的な平民は見る事自体がまず無いし、何より、「自分達平民が字を覚える必要など無い」という強い先入観があるので、字を覚える気すら無いのだ。
そのため、貴族が多く住む都市部ならまだしも、貴族など滅多に来ないココ村に本など売っている筈が無い。
北郷はまだこの世界の事情は知らないが、文明レベル的に識字率が低い事は予測出来ていたので、最初から期待はしていなかった。
北郷達は村中の店を一回りし、店先に並んでいた商品のコピーは終了した。
売っていた物は日本帝国でも手に入りそうな食品や日用品、旅用品ぐらいしかなかったが、この国の生活レベルや文明レベルの解明には役立つので、無駄では無かった。
「…これでこの国の文明レベルや生活レベルはある程度分かった。
次は…この国の通貨と、情報の入手だな」
この村に入って、初めて北郷は喋った。
今まではただ商店を回るだけで、特に指示を出す必要が無かったので北郷は一言も喋らなかった。そのため、護衛達もずっと無言のまま。
特に何かを買う訳でも無く、店先を無言でうろつく集団は不気味だった。
胡散臭げな視線にさらされている事は北郷も分かってはいるが、だからと言ってフレンドリーな会話をしていては自分の権威が下がりかねないので、無視し、目的の店の前に立つ。
目的の店とはこの村で唯一、宝石など装飾品を扱う店で、主に村の住人を相手に販売しているので品質は低く、安物しか置いていない。しかし、その肝心の村人達は実用性の無い装飾品を買う余裕など無いため、主な客は通りすがりの旅人ぐらい。
何故そんな寂れた店をターゲットにするのかと言うと、宝石商ならば仕入れのために様々な場所に行くので情報を持っている可能性が高いのと、客が滅多に来そうに無いから長居が出来るからだ。
特に扉なども無いので、北郷達はそのまま中に入る。
店内には一応、宝石や装飾品が棚やカウンターに並んではいるが、金メッキが半ば剥げているような腕輪や、荒いカットの宝石、道端の石ころに見える何かの原石など、お世辞にも良い品揃えとは言えない。
「いっ……いらっしゃい。何かお探しで?」
40代前半の、白髪混じりの髪をした痩せ形の店主が出迎える。一瞬言い淀んでしまったのは、入って来た人数の多さに少し驚いたのと……客が魔術師だったからだ。
前記したように、魔術師は比較的楽に成金になれるので自然と傲慢な輩が多く、更には生まれながらにして勝ち組であるので選民思想が強い。
つまり分かりやすく言うと、非常に面倒な人種なのだ。
勿論、個人差があるので全ての魔術師が嫌な奴という訳でも無いが、多かれ少なかれ、魔術師以外を見下す傾向にある。
かつて店主も傲慢な魔術師にバカにされた経験があるので、勿論、魔術師に大して良い印象を持っている筈が無い。
そんな面倒な輩が、貧相な格好をしているとは言え屈強な護衛を4人も連れて来ているのだから、言い淀みもする。
しかし、だからと言って嫌そうな対応をすればそれはそれで必ず面倒な事になるので、出かかっていた嫌悪の感情を隠し、笑顔で接客する。場末の宝石店と言えど、れっきとした商人なのだ。
しかし、そんな店長の努力も虚しく、人間を千年以上見てきた北郷にとって他人の感情を読む事など容易い。今回も簡単に偽装を見破って自分への嫌悪の感情を看破したのだが、それを指摘した所で意味がある訳でも無いのでスルーし、笑顔で用件を話す。
「えぇ、これの買取りをお願いしたいのですが」
そう言って北郷はカバンの中に手を入れ、中から取り出すと見せかけて小袋をコピーし、カウンターの上に無造作に置いた。
魔術師なのに敬語を話す北郷に多少驚きながらも、店主は袋を掴み、軽く振って中身を取り出した。
袋の中から出てきたのは、見たことも無い、素晴らしいカッティングが施されたダイヤモンドだった。
「っ…!!?」
それを見た店主は思わず大声を出しかけたが、長年に渡る経験によって何とか押し隠し、冷静な面持ちでじっくりと観察する。
(…何だこのカッティングは!? 全ての方向に光輝いている!?)
北郷が買取りを希望した物は、ラウンド・ブリリアントカットされた1カラットのダイヤモンドだ。
この世界でもダイヤモンドは古くから宝飾品として加工され、様々なカッティングも存在するが、ラウンド・ブリリアントカットはまだ開発されていないので、店主が驚愕するのも無理は無かった。
(何という素晴らしい技術! 今までの既成概念など軽く吹き飛ばす!
まるで芸術品だ…)
ダイヤの魅力を最大限に引き出す58面体カットに、店主は酔いしれる。
今まで自分が扱った事のある、単純なテーブル・カットやローゼンツカットなどは遥か彼方に消え、王侯貴族が好むローズ・カットでさえ霞んで見えた。
(それに、カッティングも素晴らしいが…このダイヤ自体の品質も相当高い! 恐らく王族が身に付けるダイヤに匹敵するだろう!)
無色透明なダイヤに、店長は興奮する。
日本帝国では駅前の宝石店で売っているレベルとは知らない店主は、王族が身に付ける最高級品だと確信していた。
「……それで、幾らぐらいになりますか?」
精一杯無表情を保とうとしているが、顔を赤らめて呼吸が乱れているという、見ていて哀れになる程の分かりやすさをスルーしつつ、北郷は価値など解っていないかのように気軽に聞く。
「あっ!……あぁ…」
あまりにダイヤに夢中で北郷達の事など忘れかけていたが、声をかけられた事で商談中だという事を店主は思い出す。
(俺とした事が、あまりの事に目の前の売り主(魔術師)を忘れるとは……。
にしても随分軽い聞き方だが……もしかしてこいつはこれの価値を知らないのか?)
店主は探るような目で魔術師(北郷)を見るが、当の魔術師は特に気負った様子は一片も無く、こういった売買時特有の雰囲気すら一切感じられない。
(演技か?……いや、にしてはあまりにも自然体過ぎる。
買い手によっては天井知らずの値段が付いても不思議は無いぐらいのとんでもない代物を売るというのに、まるでそこらへんの石ころを売りに来たみたいな顔だ)
店主がそう思ってしまうのも無理は無い。
前記したように北郷は軽く千年以上を生き、人生の大半を騙す事に費やしてきた北郷にとっては、表情どころか雰囲気すら自由自在に操れる。無関心を装うなどお手の物だ。
更に、買い手によっては豪邸どころか、城すら買えるかも知れない程の価値があろうとも、コピー能力を持つ北郷にとっては宝石など石ころ程の価値しかない。なので例え表情を作らず素の状態でいたとしても、今と大して変わらなかっただろう。
つまり、どうやろうが店主が見破る事など不可能なのだ。
(大体、本当に価値が分かってればこんな田舎の店になんて来る筈が無い。イリオスか王都にでも行った方が、高値で売れる事は子供にでも分かる。
もしも正当な価格で買い取るなら店ごと払った所で到底足りんが、上手く買い叩ければ途方も無い利益になる!
そうなればイリオスどころか王都に店を出す事も出来るし、それどころか、上手く売れば一生遊んで暮らせるだけの大金を得られるかも知れない!)
バラ色の人生を想像したのか店主の顔は再び赤らみ、若干にやけ出す。
そんな店主の顔を、北郷は不思議そうな演技をしながら見る。店主は悦に入っているので例え北郷が冷ややかな表情をしたとしても気付きはしないのだが、念のためにと最後まで演技を貫く。
そういう徹底振りのおかげで、今まで北郷は勝ち進んでこられたのだから。
「……あの、大丈夫ですか?」
何時までも妄想に浸って戻って来ない店主に若干イラつき、北郷は心配そうな声をかける。
「あっ…あぁ、問題無い! 大丈夫だ!」
またもや客に失態を見せてしまった事に後悔するも、妄想の世界を実現するために、店主は交渉(買い叩き)を開始した。
「う~ん……このカッティングは見事な物なんだけど、ダイヤ自体が小振りなのが惜しいなぁ。これの倍以上の大きさがあれば色んな形に加工も出来るんだけど…この大きさじゃあ加工は難しいなぁ…」
店主は少しでも安値で買い取ろうと、貶し続ける。少しでも宝飾品についての知識がある者なら簡単に看破出来る程の屁理屈でしかないが、目の前の魔術師を素人と疑っていないので、小難しい話で煙に巻く。
一方、そんな店主の必死な説明に、北郷は「何を言っているのか分からない」と言わんばかりの顔をする。勿論、宝飾関係の知識も有しているので店主の言っている事があまりにも暴論でしかない事は理解しているが、予想通りの展開になっているので「バカな客」を演じ続ける。
一方、そんな事とは欠片も知らない店主は「やはりコイツは素人だ」という確信を深め、更なる屁理屈をこねる。
「それに、指輪か何かに加工されていればそのデザインや材質によってはそれなりの値段になっただろうけど、ダイヤ単体ではそこまでの値は付かないんだよ。
ダイヤ自体は無色透明で傷もほとんど無いから良い品なんだけど、そこが惜しいねぇ…」
そして、ようやく値段を宣言する。
今までの説明から魔術師の宝飾関係の知識はゼロであり、全くこのダイヤの価値を分かっていそうに無いので、店主は更に買い叩く事に決めた。
「以上の事から考えて、そうだな……9ソル、と言いたい所だけど…初めてのお客さんだし、これからの付き合いも考えて……特別に1エクシードにしてあげるよ」
まるで大奮発したかのように店主は笑いかける。ここだけ聞けば良い人なのだが、実際はとんでもない不当な買い叩きでしかない。
当初は5エクシードぐらいにと考えていたのだが、先の説明(屁理屈)によって完全なる素人と確信したため、1エクシードにまで下げたのだ。
一方、9ソルを1エクシードに値上げしてくれたと言われても、北郷はその価値どころか、単位すら分からないのでそれが高いのか安いのかさえ分からない。
しかし、今までの経験から、店主がとんでもない安値でダイヤを買い叩こうとしている事は理解出来た。
「へーー、1エクシードですか!」
まるで望み通りの値段が聞けたかのように北郷は笑みを浮かべ、それを見た店主は自分の勝利と、妄想の現実化を確信する。
しかし、ここから北郷のターンが始まるのだった。
北郷はおもむろに腕を振り上げ、大きな音が出るようカウンターに叩き付けた。
いきなりの行動に店主は驚愕し、何のつもりなのかと問い詰めようと北郷の顔を見てみると、先程までのバカな素人のような表情や雰囲気は消え去り、今では見下すかのような冷たい視線と、重苦しい雰囲気を出している。
「……テメェ、ふざけるのも大概にしろ。幾ら田舎者の俺達でも、このダイヤがそんな値段じゃねぇ事ぐらいは分かってるんだ…」
決して大声では無いのだが、まるで地の底から響き渡るかのような低い声で、睨み付けながら言う。
一方、先程までとは声も表情も雰囲気も何もかもが180度違う北郷に、店主は恐怖を感じる。そして、自分がヤバイ人種に間違った対応を取ってしまった事に気が付いた。
「ぁ…いえ…あ、あの…」
何か弁解をしようとしても、思ったように口が動かない。
今の北郷の顔や雰囲気はそれ程までに恐ろしく、店主はまるで、怒れる神を呼び覚ましてしまったかのような心境だった。
「…もう一度ダイヤをよく見ろ。そして鑑定結果を言うんだ。
…今度は正しい金額をな?」
北郷がそう言った直後、後方に控えていた護衛の1人が長剣に手を添えて鯉口を切り、何時でも抜ける準備をする。
「…っ!! は、はい!! 直ちにっ!!」
事態が最悪な方向に傾きかけている事を悟った店主は、急いでダイヤを拾い上げる。
商人の習性から、先程よりも少し高い値を提示して再び買い叩こうとも考えたが……失敗した場合にはまず間違いなく自分が切り殺される事は目に見えているので、今度は正直に鑑定結果を伝える。
「えーーと……様々な要素があるので正確な値段を出すのは難しいですが……少なく見積もっても100エクシードを下回る事はまず無いでしょう…」
あまりにも不確定要素が多すぎるので、店主は最低価格を提示した。
これは宝石としての価値だけで、ここに未知のカッティングに対する技術的要素や美術的要素、そして世界に1つだけであろう希少性など、様々な要素を加味すると1000エクシード以上にもなる可能性すらある。
特に貴族のように他者との優位性を見せつけたい人種にとっては、幾ら出しても欲しい逸品なのだ。
「…ほう、随分上がったな。最初の提示額の百倍か?」
「……大変申し訳ありませんでした…」
北郷の皮肉に、店主は深く頭を下げて謝る。後はただ平謝りし、慈悲を乞うしかやりようが無いからだ。
そんな店主を依然として冷たい目で見下ろしながら、北郷は聞いた。
「…それで? 100エクシードで買い取る気なのか?」
北郷の声を聞いて店主はガバッと下げていた頭を上げ、応える。
「い、いえ、そんな滅相も無い!
それに……家の店にそんな大金はありません…」
田舎の村の寂れた宝石店に、そんな大金などある筈も無かった。
最も、北郷は100エクシードの価値どころか通貨さえ知らないのだからあくまで想像するしか無いのだが、自分の目論見通りに進んでいるので内心上機嫌だった。
「ほぅ、では幾らまでなら出せるのだ? …勿論、細かいのも合わせてな」
「え、え~と……今この店にあるのは…43エクシード、71ソル、55レイスです」
北郷に尋ねられ、店主は全財産を答える。
中には帳簿には載っていない、緊急時の金も含まれているが、今が正に緊急時なので包み隠さず答えた。
「…ふむ、そうか…」
細かい金額を聞かされた所で、北郷にはそれがどの程度の価値があるのかさえ分からないが、今までの会話からそこそこの金額ではあるのだろうと予想出来ていた。
「…ならばその金額で売ってやろう」
「……へ…?」
北郷の言葉に、店主はポカンと口を開けたまま停止する。
それはそうだろう。何しろ、最低でも100エクシードは下らないという高価な宝石を、その半額にも満たない額で売るというのだから、あまりの事に呆然としても何ら不思議は無い。
「…えっと……すみません。もう一度言ってくれませんか?」
もしかしたら聞き違いでは? と店主は再度尋ねるも、答えは変わらず。
「だから、このダイヤをその金額で売ってやると言っているんだ」
聞き違いでは無いと確認した店主は、思わずガッツポーズを取りながら歓喜の声を上げた。
全財産を失ってしまう事は短期的には痛いが、ダイヤが手に入るのなら長期的にはとんでもないプラスだった。
この村では買える者などいないから何ら価値は無いのだが、イリオスや王都に行けば金持ちなど腐るので買い手には困らない。上手く売れば1000エクシード以上にもなる可能性があるため、そうなれば一気に億万長者への夢が叶う。
今までの人生で良い事が無かったのはこの時のためなのでは? と思える程、店主は歓喜し、神に感謝していた。
「……ただし、条件がある」
そう、世の中はそんなに甘くない。
この世は常にギブアンドテイクであり、一方だけが得をする取引とは滅多に無いのだ。
「…じょ、条件…ですか?」
浮かれ気分から一転、どんな無理難題を押し付けられるのかと店主は戦々恐々としていた。
何しろとんでもない価値のある宝石を安値で売るというのだから、その差額として何かとんでもない要求を突き付けられるのが当たり前。むしろ、何も無い方がかえって恐ろしい。
タダより高いモノは無いのだから。
「そう、その条件とは……情報だ」
「…情報……ですか?」
探るような目付きで店主は北郷を見る。
「そう、さっきから言っているように、俺達は田舎から出てきたばかりで情報に疎い。
このまま都会に出ればまず間違いなく大恥をかく事になるだろうから、その前に情報が欲しいのだ」
これこそがこの店に入った真の目的だった。
ただ単に現地通貨が欲しいだけなら、他にも店は幾らでもあったのだが、情報を得るためにはこの店が最適なのだ。
何故なら他の店で売っているのは、食料や衣類、旅用品などこの村や近辺でも手に入る代物でしかないが、宝石を仕入れるなら都市など遠方に赴くしかない。近くに鉱山でもあるのなら別だが、それならばココ村は鉱山労働者で溢れかえり、村の規模も拡大している筈なのであり得ない。
仕入れなどのために都市に行けば、自然と情報が入り、村や近辺から出ない人間よりも沢山の情報を知っていても不思議は無い。一般常識を知りたい北郷にとっては、正に最適なのだ。
「…情報…と一言に言われましても、私はしがない宝石店の店主ですので、大した事は知りませんよ?」
事情を知らない店主は「何かヤバイ事に巻き込まれるのでは?」と内心焦る。
目の前のダイヤは欲しい。しかしだからと言って、そのために厄介事に巻き込まれるなど御免だからだ。
「いや、そんな深い事を聞きたいのでは無い。
ただ単に誰もが知っているような、常識を知りたいだけだ」
「常識、ですか…」
代償に比べ、あまりにも軽すぎる条件に店主は不審に思う。
現代世界で言えば、道を尋ねるのに札束を支払うぐらい異常な行動だ。これで怪しむなという方が難しい。
「ただし、俺の質問に対し、一切の嘘偽り無く答えよ。そして、例え不審に思おうとも、何も質問するな。
…これらも条件だ」
「………」
更なる条件の提示に、店主は悩む。
嘘と質問の不許可。
本当にただ一般常識が知りたいだけなら何ら問題無いのだが、やはりダイヤとの交換条件としては軽すぎる。あまりにも自分に有利過ぎて、逆に疑わしい。まるで詐欺師に儲け話を持ちかけられているかのような心境なのだが、物は本物なのだから詐欺では無いのだろう。
普通に考えれば受けた方が良い話なのだが、やはりあまりにも話が美味すぎるので、理解不能な恐怖感からかどうしても尻込みしてしまうのだ。
苦悩する店主を見ながら、北郷は最後の一押しを行う。
「………嫌なら別に良い。宝石商はお前だけでは無いからな…」
北郷はダイヤを小袋に戻し、ゆっくり(・・・・)と店主に背を向け、店から出ていこうとする。
それを見た店主は、せっかく掴みかけた幸運を自ら逃しかねないと悟り、今までの不安をかなぐり捨ててストップをかける。
「お待ち下さいっ!!」
店主の叫び声に、北郷は停止し、再びゆっくりと振り返る。
「………」
北郷は無言で、次の言葉を待つ。
「……分かりました。全ての条件を飲みます…」
未だに疑問は尽きず、不安だが、だからと言って逃すのはあまりにも惜しいので受け入れるしかなかった。
「…そうか、では取引成立だ」
北郷は再びカウンターまで歩き、小袋からダイヤを出してカウンターの上に置く。
そして、それに呼応するように店主も店の奥に入り、少し経った後に3つの革袋を持ってきた。
「…これがこの店の全財産である、43エクシード、71ソル、55レイスです。
どうぞ、お確かめ下さい」
それぞれの革袋は金貨、銀貨、銅貨に分けられていた。
(…成る程、エクシードが金貨、ソルが銀貨、レイスが銅貨なんだな)
金額を確かめながら、ようやく北郷はこの国の通貨を理解し、コピーも終えた。
これで少なくとも、北郷はこの世界で金に困る事は無くなった。
「……この通貨はこの国でしか使えないのか?」
「?……いえ、300年程前に列強国同士が共通通貨としましたので、今では世界中で使えます」
何を当たり前なと店主は思ったが、「何も質問するな」という条件に従い、素直に答えた。
一方、共通通貨という事を聞いて北郷は安堵した。もしも現代世界のように国ごとに通貨が違えば、他国で買い物をする際には両替が必要になり、文明レベル的に結構な手数料を引かれるなど、非常に面倒な事になる。
現代世界では当たり前な煩わしさが無い事に、北郷は歓喜したのだった。
「…では次の質問だが……この国の名前は?」
本当はこの世界の名前が聞きたかったのだが、流石にそれはどうかと思ったので国に変えた。
「……リディア王国です…」
またもや「何言ってんだコイツ?」と店主は思ったが、先程同様、条件通り正直に答えた。
「この村の南にある大きな都市の名前は?」
「…貿易都市イリオスです」
最早考える事を止めたのか、北郷の質問に店主は直ぐに答えた。
「成る程……ではそのイリオスに図書館はあるか?」
こんな面倒な情報収集はあまりしたくないので、自分の能力を最大限生かせる図書館の場所を尋ねる。
「いえ、図書館があるのは王都ミレトスぐらいです」
普段ならばわざわざ都市名は言わず、ただ王都とだけ言うのだが、今までの質問から目の前の集団(魔術師)は相当の世間知らずだと判明したため、店主はわざわざ都市名も答えた。
「そうか……この村から王都まで駅馬車とかは通ってないか?」
「イリオスまでなら1日1便の駅馬車が走っていますが、王都までは無いですね。
イリオスから王都までの駅馬車ならありますので、先ずはイリオスまで行く事をオススメします」
どちらにしろイリオスには行く予定だったので、北郷はイリオス行きの駅馬車に乗る事に決めた。
「分かった。では次の質問だが、図書館には魔術書もあるのか?」
元々この大陸に来たのは諜報魔法などを知るためなので、優先順位としては魔術書の方が高い。
「いえ、魔術書は国が管理していますので、魔術書を読むには国に仕えるか、魔術師ギルドに所属しなければ無理です」
魔術師ギルド、という言葉に北郷は反応する。
(ファンタジー物の定番……ギルドが存在するのか。オマケに言い方的に、他のギルドがあるような言い方だ)
「国に仕えるとは…軍に入るという事か?」
「確かにそれもありますが、軍は給料や待遇があまり良くないので、大抵の魔術師は宮廷魔術師を目指します。
宮廷魔術師とは王宮に仕える魔術師の事で、軍に比べて給料や待遇も良いそうです」
店主は軍は給料や待遇が悪いと言ったが、平民の兵士や下士官に比べたら雲泥の差だ。
知っての通り魔術師はかなり希少な存在であるため、給料や待遇もそれなりに考慮される。戦場においては補給もかなり優先的に受けられ、そもそも魔術師は後方支援が担当なので前線に派遣される事は滅多に無い。
立場的に貴族である士官には敵わないが、平民である下士官や兵士よりは上であるため、準士官としての扱いを受けられる。
「ふむ…やはり軍か宮廷魔術師になった方が、良い魔術書が読めるのか?」
「それはそうなんですが……国に仕える事になりますので必ず身元調査を受けますし、宮廷魔術師は陛下か主席魔術師の推薦が無いとなれないので、かなりの狭き門なんです」
「成る程…」
この国どころか、この世界出身では無い北郷には戸籍が無い。
そもそもこの世界では戸籍制度が無いので、ほとんど管理などされていない平民の出自はあやふやだが、存在自体はしているのだから調査をすればいずれは判明する。しかし、異世界人である北郷はどれだけ探した所で出身地などが分かる筈が無い。
軍に入隊する事は出来ても、その後の調査によってはスパイとバレて拘束され、拷問を受ける可能性すらある。宮廷魔術師に至っては絶望的だ。
そのため、北郷には初めから軍や宮廷魔術師の選択肢は無い。
「…では魔術師ギルドには簡単に入れるのか?」
「はい、魔術師ギルドは立場的には国に仕える事になり、戦時には招集を受ける可能性もありますが……戦時以外では基本的に自由なので魔術師であるのなら簡単に入れるそうです」
分かりやすく言うと、派遣のような扱いなのだ。
普段は国や民間からの依頼を受けながら生活するが、戦時になれば必要に応じて招集されて兵士となる。
ちなみに志願した魔術師と違い、招集された魔術師の待遇は下士官扱いだ。
「では魔術師ならば無条件に入れるのか?」
「いえ、聞くところによると試験があるらしいですが……あくまで本当に魔術師なのかを確認するための試験らしいので、魔術師なら簡単に受かると聞きます。
…まぁ、残念ながら私は試験内容を知らないので何とも言えませんが」
店主は北郷を見ながら言う。
目の前の魔術師はローブを着て、いかにも魔術師という格好はしているものの、見える位置に杖を出していないので、若干店主は北郷が偽魔術師ではないかと疑ってはいるが、今は大事な取引の最中であるので特に何も言わない。
北郷も店主の視線や口調から自分を怪しんでいる事は知っているが、商人がわざわざ大事な取引を潰してまで聞く筈が無いと理解しているので、無視する。
「…魔術師ギルドに入る事へのデメリットはあるか?」
「デメリットと致しましては、先程言ったように戦時に招集される可能性があるのと……国外に出るには国の許可が必要になります。
何せ魔術師は貴重な存在ですから、出来る限り囲い込みたいのかと」
これはどこの国でも当たり前だ。
魔術師は戦闘、強化、治療と幅広い分野で役に立つため、出来る限り自国で独占したい。オマケに下手に魔術師を他国に出せば自国だけが持っている魔法が流出しかねないので、スパイ防止の観点からも厳しく制限されているのだ。
しかし、これは北郷にはあまり意味は無い。何しろ北郷は原潜によってこの国に来たので、海岸にさえ出れば幾らでも出国出来るのだから。
「……ギルドとは他にも種類があるのか?」
「色々ありますよ。商人ギルドや職人ギルド、傭兵ギルド、冒険者ギルドなどなど沢山ありますし、更には商人系や職人系は何を売るかや何を作るかでかなり細分化されています」
冒険者ギルドという言葉に、北郷は反応する。
「…冒険者ギルドとは何をするギルドなのだ?」
「そうですね……まだモンスターが溢れていた頃は活躍していたようですが、人口の増加や兵器技術の発展によってモンスターが北の未開拓地に追いやられてからは徐々に活躍の場を失い……今では主に手紙や荷物の配達をやっています」
ファンタジーでは定番の花形職である冒険者ギルドも、大砲や銃器など技術の発展によって存在感を失い、今や単なるメッセンジャーになっていた。
何やら夢をぶち壊された気分になったが、気を取り直し、北郷は質問を続ける。
「……話を戻すが、図書館は利用料などはあるのか?」
「確か図書館の利用料が1ソル。それと、本の紛失などの予防のために預託金として、1エクシードを払う必要があります」
「…高いな」
既にコピーしたので例え1億エクシードを要求されようと問題無いのだが、今まで得た情報から考え、高いと予想した。
「えぇ、ですが本は貴重品ですからね。それに、特に問題さえ起こさなければ預託金は帰って来ますから、そこまでではありません」
北郷は知らないが、平民の平均月収が10ソル程度なので、切り詰めれば平民でも図書館に行けるのだ。
最も、多くの平民達は字が読めないので行く意味が無く、預託金である1エクシードを用意する事が難しいので、図書館に行く事はまず無い。
他にも、北郷としては大陸の名前や最大派閥の宗教、習慣、物価などなど、様々な事を聞きたかったのだが、流石にそこまでいくと「田舎者だから」という設定も限界があるため、後は図書館や現地で調べる事にして質問を終えた。
「質問は以上だ。素直に答えてくれて感謝する」
北郷の言葉を聞き、店主はようやく終わった事の安堵と、ダイヤが手に入る事で歓喜していた。
「…では、これで条件は終了ですか?」
期待に満ちた目で店主は北郷を見るが、北郷は首を振る。
「いや、最後にもう1つ、大事な条件がある」
すると、質問中は和らげていた表情を引き締め、質問前のように冷たい視線と重苦しい雰囲気をかもし出しながら、低い声で命令する。
「……俺達の事は全て忘れろ…」
今までの和やかさが嘘のように、激変した北郷の視線や雰囲気に気圧されながらも、店主は聞き返す。
「……す…全て……ですか…?」
「そうだ。
俺達がここに来た事も、何しに来た事も、質問した事も、どんな服装だったかも、何人だったかも、どんな口調だったかも……何もかもを忘れろ。
…良いか、俺達はこの店に来た事も無ければお前と話をした事も無い………分かったな…?」
北郷はカウンターから少し乗り出し、怯えて震える店主の目を見ながら言う。
「…は…はい……分かりました…」
神か悪魔にでも睨まれたかのような強烈な視線とプレッシャーを浴びながら、店主は涙ながらに何度も頷く。
「ダイヤについて聞かれたとしても、価値も分からない素人から買い叩いたとでも言って誤魔化せ。良いな?」
「は…はい…」
「それと……あり得ないとは思うが、間違っても俺達の情報は流すなよ?
もしもダイヤについて俺達の情報が流れでもしたら……例え流したのがお前じゃなかったとしても、俺達はお前が意図的に流したと思う。そして、相応の報いを必ず(・・)受けさせる。
…意味は分かっているな?」
「は…はい……勿論…分かっています…」
もしも喋れば殺す。子供にさえ理解出来ただろう。
ひたすら北郷の目を見ながら脅迫させられるという、半ば拷問に店主は最早涙をぼろぼろと流し、失禁すらしていた。
彼の今までの人生で最も恐怖した瞬間であり、恐らく、死ぬまでこの順位が変わる事は無いであろう。
また、今まで口を開く事もなく、一言も喋らず北郷の後ろに待機していた護衛達もまた、店主と同様に恐怖していた。
北郷の親衛隊員という事で同じ屋根の下暮らしてはいたが、この大陸に来るまでは言葉を交わした事すら無かったのだから、北郷のこんな恐ろしい姿など見た事が無い。
日頃の鍛錬と使命感からか全く表情を変えず、汗1つ見せないが、内心では恐怖に震え、背中など見えない箇所では冷や汗でビッショリだった。
(…後ろにいて、敵意を向けられていない我々でもこの有り様……直に北郷様の目を見ながら脅されている店主はよく生きていられるな…)
ある意味、隊長であるジョージは店主を賞賛していた。自分だったならショック死する自信があるからだ。
こうして、北郷と店主の取引は無事終了し、店主は全財産と引き換えにダイヤモンドを得た。
その後、店主は店舗や商品を全て売り払って金を作り、王都へと進出。全財産と引き換えに得たダイヤモンドは、予想通り大反響を生んだ。
見たことも無い美しいカッティングと、無色透明で全く不純物が見られないダイヤに、誰もが競うように欲し、高値を付けた。
競売の結果、ある貴族が1200エクシードという、とんでもない価格で落札。
その後、店主は王都に店を構えるも、田舎の宝石商でしかなかった店主がそうそう簡単に成功出来る筈も無く、数年後には店を売却。残った金で静かな余生を送ったのだった。
ちなみに、他の宝石商や貴族、王族すらもその美しいカッティング技術やダイヤの産地は何処なのかと尋ねたが、店主は決して明かさなかった。
それどころか、その話題が出る度に店主は酷く怯え、終生、ダイヤの出所を言う事は無かった。