42 挑発と決意
「全くっ、ふざけた奴らめっ!!」
トラキア王国国王、グラーフェは怒り狂っていた。
怒りの原因は、つい先程まで会談を行なっていた日本帝国の使節団の要求内容だ。
「あんなふざけた通商条約など見たことも無いっ!! あれでは属国も同然ではないかっ!?」
日本帝国側が要求してきたのは、リディア王国と同じ非関税化や領事裁判権、片務的最恵国待遇などの不平等条約だ。
そんな屈辱的な不平等条約を要求して来た日本帝国の全権大使に対し、国王は当然の事ながら大激怒。危うく大使など使節団全員の処刑命令を出しかけたが、他国からの正式な外交使節団を殺せばトラキア王国の名声は地に落ちてしまうため、臣下達が必死に説得し、何とか処刑は免れた。
勿論、交渉は即座に中止となり、使節団は国外退去処分となったのだった。
「メディアに勝ったからと言って調子に乗りおってっ! たかだか辺境の国の分際で何様だっ!?」
まだ怒りが収まらないのか、国王は1人で怒りを吐き続ける。
彼からして見ればパンゲアの外の世界など全てが辺境の田舎であり、そんな辺境に本国がある日本帝国など野蛮な国だと、何故か確信していた。
勿論、トラキア王国にも日本帝国の情報はそれなりに入っていて、先の戦争の様子や技術レベルの高さなどは知ってはいるのだが、残念ながら肝心の国王であるグラーフェは「あまりにも非現実的過ぎる」とほとんど信じていなかった。
何故ここまで国王は日本帝国を軽視しているのかと言うと、国王が無能であるという他にも、大きな理由がある。
先ず1つ目は、使節団が乗ってきた船だ。
リディア王国の時のように空母や戦艦を含む50隻以上もの大艦隊で襲来すれば、いかに無能な国王と言えど、下手に交渉を断ればそのまま攻めてくるのではないかと警戒しただろう。
しかし、トラキア王国への使節団が乗ってきたのは、僅か3隻の極々小規模な艦隊。それも、空母や強襲揚陸艦のような巨大な軍艦ではなく、使節団が乗る特務艇と、警備のための巡視船2隻だ。
特務艇はかつてロードス公開前に大使館として使っていた船で、内装は非常に豪華だが大きさは1等戦列艦程度しかなく、武装は無い。
巡視船は外洋航行も出来るタイプなので船体は特務挺の倍程もあるが、軍艦では無いので武装は機関砲や機銃ぐらい。
パンゲア世界の基準で考えれば、特務艇は1等戦列艦程もあり、巡視船に到っては信じられないぐらい巨大な船なのだが、いかんせん大砲が無いので脅威を感じない。
実際は40mm機関砲を搭載しているので木造帆船ぐらいは軽く沈められるのだが、パンゲア世界の住民にとっては「何か細長い筒みたいなのがある」としか思えなく、例え大砲と勘違いしても数が少ないため、大砲の数が重要視されるパンゲア世界では攻撃力が低いと思われてしまう。
2つ目の理由としては、王都まで使節団が乗って来た馬車だ。
リディア王国の時は、列強国の王族の馬車ですら霞む程の豪勢な馬車だったが、トラキア王国の場合は上級貴族が乗る程度の馬車だ。
勿論豪華な馬車には違い無いのだが、パンゲア世界の基準で言えばそれほど珍しい訳でも無く、デザインも見慣れたモノなのでリディア王国の時のようなインパクトは無い。
他にも、護衛の騎士の軍装や使節団の服装など様々な要因があるのだが、どれも列強国の物と比較して遜色は無いものの、噂に聞いていた程非常識さが無かったために、国王は日本帝国の力を軽視していた。
あまりにも噂とかけ離れすぎていて逆に怪しいと疑う臣下達もいるのだが、無能な国王に諫言でもすれば怒りを買い、何らかの処罰を受けかねないので誰も何も言えなかった。
しばらく日本帝国への罵倒を言い続けていたが、満足したのかようやく落ち着いた。
グラーフェはバカで頭が悪い癖に、何故か悪口の語彙量に関しては非常に優れていた。唯一の才能と言えるだろう。
「ふぅ~~…。
…さて、急いで戦の支度をするのだ」
「「「「っっ!!!???」」」」
突然の国王の戦争発言に、臣下達は驚愕する。
「…せ、戦争の準備……ですか…?」
自分達の聞き違いであって欲しいと誰もが願うが、空気を読むなどという高等技術を国王は持たない。
「うむ、急ぎ行うのだ」
何故か自信満々に国王は宣言する。まるで、近くのコンビニに買い物でも行って来るかのような気軽さだ。
「…何故戦争の準備など必要なのですか…?」
大体の予想は付くが、一応尋ねる。もしかしたら何かしらの思惑があるのではないかと、奇跡を信じたいのだ。
「無論、我が国を愚弄した日本帝国へ天誅を下してやるのだ!」
「「「「…………」」」」
しかし、奇跡は起きなかった。
予想通りの下らない理由に、臣下達は絶望する。
「……愚弄…ですか…?」
「そうだ! かの国はいきなり、我が国に臣従要求に等しい条約を突き付けて来たのだ! これは最早宣戦布告に等しい!!」
徐々に興奮して来たのか、国王は鼻息を荒げながらまるで劇のように叫ぶ。恐らく、自分に酔っているのだろう。
「「「「…………」」」」
対照的に、臣下達は今尚勇ましいセリフを吐き続ける国王を、冷ややかな目で見る。
確かに日本帝国の要求はあまりにも理不尽であり、到底受け入れられないモノだ。国王が激怒するのも無理は無いが……だからと言っていきなり戦争は無い。
日本帝国は先のメディア王国との戦争で文字通り敵軍を鎧袖一触し、圧勝した。これは紛れもない事実であり、リディア王国の観戦武官達は勿論、メディア王国に潜入させていたトラキア王国のスパイ達も確認しているので、間違い無い。
未だ日本帝国の戦力のほとんどが謎に包まれており、そんな国に何の手立ても無く戦争を仕掛ければ敗北は必至。トラキア王国はメディア王国のように併合されてしまうだろう。
そもそも、これはあからさま過ぎる程に日本帝国の挑発であり、日本帝国が戦争を望んでいるのは明らか。
もし本当に不平等条約の締結を望んでいるのなら、リディア王国の時のように巨大艦艇で構成された大艦隊で襲来し、とんでもない豪華な馬車を使えば良い。そうすれば無能な国王でも国力の差を理解し、軽挙妄動は控えただろう。
しかし、現実には多少大きいとは言え武装もロクに無い3隻の船で来て、それほど珍しくない豪華な馬車を使った。
普通の君主ならば情報とのあまりの違いに怪しみ、不平等条約の要求にものらりくらりとかわしながら時間を稼ぎ、日本帝国の真意を確かめただろう。
しかし、無能なグラーフェでは「実は日本帝国は弱い」と勘違いして即座に交渉を打ち切り、感情の赴くままに戦争を仕掛けて来る事は明白。仮に国王がグラーフェでなかったとしても、こんなわざわざ自分達を弱く見せるような行為をすれば、不平等条約の締結が上手くいく筈が無い。
以上の事を考えれば、日本帝国が戦争を望んでいる事は子供にでも分かる事で、わざわざその思惑に乗る必要は無いのだ。
しかし、肝心の国王であるグラーフェがそれを理解していないので、まんまと日本帝国の策略にハマっているのだ。
「……よって、憎っくき日本帝国と戦争をするしか無いのだ!!」
「「「「…………」」」」
演説とも劇とも言えないような口上が、ようやく終わった。国王は長台詞に疲れたのか汗を流しながら呼吸が乱れているが、自分の主張を思いっきり言えたからか満足気だった。
しかし、相変わらず臣下達は冷たい目をしながら無言。彼らからして見れば、日本帝国の策略とも言えない幼稚な企みに見事ハマっている国王は、滑稽でしかなかった。
国王はそんな侮蔑が混じった視線に気付いていないのか、それとも気付いていても脳が理解していないのか、全く気にせず自らが最も信頼する臣下に尋ねた。
「どうだ、貴侯もそう思うだろう? 軍務卿?」
「…はっ、正しく陛下の仰る通りです!」
軍を愛する国王のおかげで最も甘い汁を吸えている軍務卿は、間違っていると分かっていても国王に追従する。
というよりも、下手に反論でもすれば今の地位や利権を失いかねないので、答えは初めから決まっているのだ。
「うむうむ。皆も余と同じ意見で嬉しく思うぞ」
国王の言葉に、臣下達は内心「誰がお前と同じ意見だ!?」と叫ぶが、実際に口を出す事は無い。
かつては国を思って諫言する臣下もいたのだが、そのことごとくが無能によって罷免や地方に左遷されたり、悪ければ処刑すらされたので、今では諫言など恐ろしくて出来ない。
ここまで国王が愚かだと革命や反乱が起きてもおかしくないのだが、軍部は完璧に国王の味方なため、そのような素振りを見せれば即座に粛正され、例え蜂起した所で瞬く間に潰されてしまう。
何度か暗殺未遂も起きたのだが、国王が死ねば膨れ上がった軍事費を削減するために必ず大規模な軍縮が起こり、自分達の給料やポストが激減し、最悪失業するかも知れないので軍部は必死に国王を守る。
軍部は自分達の老後の安泰のために、国を食い物にしているのだ。
こうして、トラキア王国は日本帝国との戦争を決意。直ちに戦争準備を開始した。
同盟に沿って、トラキア王国はイリリア王国に対日参戦を要求。イリリア王国としては謎が多い日本帝国とやり合いたくはないのだが、ここで断れば日本帝国との戦争前にトラキア王国とやり合う事になりかねないので、渋々ながら参戦を了承。
トラキア王国と同様に戦争準備を開始した。
そして、両国の属国である中小国や後進国にも参戦命令が出て、多少余裕のある中小国は兵を供出し、余裕の無い後進国は資金供出に留まった。
カラハソ大陸全域が戦時体制に入ったのだった。
トラキア王国北部を治めるドーマク伯爵は、日本帝国との戦争が決まったとの報せに嘆いていた。
「…遂に…遂に恐れていた事が起きたか…」
自らの執務室でドーマクは頭を抱える。執事など使用人を全て部屋から出しているため、小さな声でも部屋中に響く。
「……クソっ、見え見えの挑発に引っかかるとはっ! バカだバカだとは常々思っていたが、ここまで愚かだったとはっ!!」
日本帝国の見え見えの策略に引っかかり、対日戦争を決意したグラーフェ国王にあらんかぎりの呪いの言葉を吐く。
国王や軍部の無能や我田引水振りにイライラが溜まっていたドーマクは、遂に爆発した。
「奴等は何を考えているっ!!? 何時も何時もバカみたいに軍拡に走り、例え飢饉や災害が発生したとしても軍艦の建造や新たな師団を編成するなど、そんなに国を滅ぼしたいのかっ!??
新技術には全く肝心を持たずっ! それどころか、己が利権を守るためにひたすら邪魔をしてきおるっ!! あの疫病神共めっっ!!」
あまりの声の大きさに部屋の外にまで響いているが、ドーマクは最早気にしていない。
「オマケに、今度は日本帝国との戦争だとっ?! ふざけるな、これでは本当に国が滅ぶではないかっ!?
クソッタレがっ!!! 愚かな国王と軍部に呪いあれっ!!! 奴等がのさばる限り、この国は終わりだっ!!!」
ドーマクにはこの国の行く末が見えていた。日本帝国との戦争さえ無ければ、緩やかに国は死んでいくだろうが、無能な国王が死にさえすればまだ巻き返しが出来る。
しかし、日本帝国との戦争になれば終わりだ。確かにトラキア王国とイリリア王国が力を合わせれば、パンゲア世界の国々を敵に回す事も出来るだろう。だが、日本帝国が相手では勝ち目など万に一つも無い。
北郷達の予想通り、ドーマク伯爵は唯一日本帝国と国交を結んでいるリディア王国経由で、日本帝国の様々な情報を得ていた。
戦力や技術力、国力、人口などなど、まだほとんどが謎のままでロクに把握など出来ていないが、それでも日本帝国と戦っても勝てないと分かる。特に、先のメディア王国との戦争によって、絶望的なまでの差があるのだと理解させられた。
10万以上もの大軍を僅か5千程度で壊滅させ、50隻にも渡る大艦隊を数隻で全滅させる。
まるでおとぎ話に出てくるかのような報告に、ドーマクは何度も何度も情報の真偽を確かめるために調査を行い、そして、全てが事実だと知って戦慄した。これではどう考えても勝利など到底不可能であり、例えパンゲア世界中の国々が連合を組んで日本帝国と当たったとしても、まず間違いなく敗北する。
あまりにも絶望的な差にドーマクは一時期諦めかけだが、それでも何とか奮起し、少しでも日本帝国に追い付くために今まで眉唾物だったが、日本帝国が船などの動力に使用していると分かったから莫大な予算を計上し、蒸気機関の開発を推進した。
何度か爆発を起こし、少なくない死傷者も出したが、それでも日本帝国に追い付くためにと以降も莫大な予算を出し続けた。国は一切金を出してくれないので、ほとんどがドーマク伯爵の私財で賄われ、そして遂に大量の井戸水を汲み上げる事が出来る蒸気機関の開発に成功したのだ。
まだまだ日本帝国には遠く及ばないが、それでも間違いなく一歩を踏み出せた事に安堵した矢先に、日本帝国との戦争が持ち上がったのだ。
全ての投資が無駄になる可能性が極めて高いので、ドーマクは最早反逆罪に問われようが構わないとばかりに、国王や軍部に対する罵倒や呪いを吐き続ける。
しばらくドーマクは大声で呪いの言葉を吐き続けたが、やがてレパートリーが無くなったのか、それとも疲れて賢者タイムに入ったのか、一変して冷静に考え始めた。
「…それにしても……何故今頃何だ?」
メディア王国や属国、未開拓地域と広大な領土を得た事で、日本帝国の進軍は停止していた。
幾ら日本帝国が強大と言えど、アバロニア大陸の半分以上もの領土の安定化や復興のためには3、40年。もしくは、50年以上は国内にかかりきりになるだろうと予想していたのだ。
そのため、今が絶好の機会と踏んで蒸気機関の開発に邁進していたというのに、予想より遥かに早く日本帝国は進軍を再開したのだ。
「…まさか、もうアバロニア大陸の安定化や復興を成し遂げたのか…?」
あの広大な領土を僅か10年で立て直したのかと、ドーマクは恐怖した。
日本帝国の統治法によって併合したばかりの三等国には、外国人の立ち入りが一切禁じられているので情報はほとんど得られていないため、判断は難しい。
「……辺境だったロードスを僅か2年で大都市に発展させた前例があるのだ、不可能では無いだろう。
…全く、知れば知るほど日本帝国という国は恐ろしい。あの国はどうなっているのだ…?」
あまりにもあり得なさに、トラキア王国でも随一の知日家であるドーマクをもってしても、理不尽さに嘆く。
もし彼が本国(アメリカ大陸)の発展振りを目の当たりにしたら、一体どうなってしまうのだろうか…。
「…それに、何故トラキアなのだ? 確かに隣国で国王は無能だから挑発はしやすいが……その前に後方の安全を確保するために、リディアを攻めるとばかり思っていたが…」
日本帝国はアバロニア大陸のほとんどを支配しているが、東部はリディア王国が支配している。
半ば属国化しているとは言え、陸続きであるリディア王国をほっといて別の大陸のトラキア王国やイリリア王国を攻めるなど、ナンセンスだ。
「…属国化だけで満足したのか? それとも、先の戦争のように協定でも結んだのか?
……いや、先のメディアとの戦争はアバロニア大陸内の事だったが、今回はカラハソ大陸での戦争になるからリディアは関係無い」
トラキア王国が日本帝国に攻め込むためにアバロニア大陸に上陸し、その後もアバロニア大陸が主戦場になるのなら、リディア王国を引き込むのものも理解は出来る。
しかし、日本帝国の戦力を知っているドーマクは、アバロニア大陸が主戦場になるとは考えていない。例えトラキア王国が上陸部隊を満載した大艦隊でアバロニア大陸を目指そうと、その前に海戦で日本帝国の艦隊に沈められると半ば確信していた。
その後、日本帝国が逆にカラハソ大陸に上陸し、そのままカラハソ大陸がメインになるだろうから、リディア王国の協力は必要無い。
唯一日本帝国がリディア王国と協定を結ぶ可能性としては、日本帝国がカラハソ大陸に侵攻している間、リディア王国は日本帝国に攻め入らないよう頼む事だが、ならばカラハソ大陸に攻め込む前にリディア王国を滅ぼした方が早いし、何より確実だ。
「……ならば何故だ? 我が国から日本帝国に挑発したのならまだしも、日本帝国の方から我が国にあからさまな挑発した。
…リディア王国を後回しにしても我が国を先に滅ぼさなければいけない理由とは何だ?」
ドーマクはリディア王国とトラキア王国の何が違うのかを比較する。
(リディア王国は日本帝国の半ば属国であり、日本製の銃を大量に装備しているが、弾薬は日本帝国から購入しなければならないから日本帝国に銃を握られている。
一方、トラキア王国は日本帝国との交流は皆無。商人や貴族はロードスに行く事があるが、あくまで商用や観光程度。別に銃の供給を握られている訳でも無い…)
様々な事を比較するが、違いが見つからない。
国交を結んでいる事や銃の違いなどはあれど、基本的には日本帝国が現れる十数年前までは同じパンゲア世界の列強国だったので、そこまで差違は無いのだ。
(…では何だ? 何故日本帝国はすぐ近くのリディア王国を無視して、我が国を狙う。何か日本帝国にとって都合が悪い物でもあるのか?)
日本帝国にとって存在してはいけない物、あるいは独占したい物とは何だと考えていると、ドーマクは気付いた。
……否、気付いてしまった。
「…まさか……蒸気機関…か?」
言葉自体は疑問系だが、響きは完全に断定系だった。
蒸気機関自体はどこの国でも研究はされているものの、魔法の存在のせいや爆発など大規模な事故が起こりやすいために、どこの国もあまり予算をかけていない。
しかし、トラキア王国の場合は国王は他の国と同様に無関心だが、有力貴族であるドーマク伯爵が莫大な予算をかけて研究をしている。莫大な予算をかけているだけあって他国に比べて研究は格段に進んでおり、まだまだ初期的ながらある程度実用性が高い蒸気機関の開発にも成功している。
蒸気機関は船の動力など、様々な可能性を秘めた技術であり、パンゲア世界だけで見れば非常に有用な研究だ。
しかし……。
「……唯一、実用化に成功した蒸気機関(?)を持っている日本帝国にして見れば、邪魔でしかない。何れはパンゲア世界でも開発される可能性はあるが、その間は日本帝国は優位に立てる。
トラキア王国が……私が行っている蒸気機関開発は……それを脅かす脅威だ…」
完全に理解してしまった事で、ドーマクは両手で自分を抱きしめながら震える。
ドーマク家のため、ひいては祖国のためになると思って頑張って来た研究が、逆に祖国や自分の家を潰す原因になったなど、笑い話にもならない。
「……わ…私のせいで……ドーマク家が……トラキア王国が……滅ぶ…」
受け入れ難い事であるが、他に説明が付かない。事実、それが正解なのだから……救いは無い。
しばらく現実逃避をしていたが、このまま呆然としていた所で意味は無いので、対策を考えるしかない。
「…どうする? 蒸気機関が原因なら今すぐ研究を止めても良い。将来必ず必要になる技術だが、国が滅びては本末転倒だ…」
そう、ドーマクが蒸気機関を研究してきたのは祖国のためであり、実用化出来ればドーマク家の地位は上がる筈だった。
しかし、国が滅びるとなると話は別だ。現状では日本帝国に勝てる可能性は万に一つも無く、戦えば必ずトラキア王国が敗北する。
それを避けるために手っ取り早いのは蒸気機関の研究を諦める事だが、そう上手くはいかないのが現実だ。
「……いや、ダメだ。たかだか研究を止めたぐらいでは日本帝国は進軍を止めない。例え私が止めたとしても、他の誰かが引き継ぐ可能性を否定出来ない…」
今はまだ国王は蒸気機関の可能性に微塵も気付いていないが、仮に蒸気機関の研究を止めた途端に日本帝国が進軍を停止すれば、幾らバカな国王でも気付く。
例えそれでも国王が気付かなかったとしても、まず間違いなく他の貴族は気付く。そうなれば国王の耳に入り、極秘に研究を続ける可能性が高い。
その可能性が消えない限り、日本帝国が進軍を停止する事などあり得ないのだ。
「…それに、例え日本帝国が進軍を停止したとしても、あの無能が戦争を止めるとは思えん。それどころか、千載一遇の好機とばかりに大攻勢をかけるだろう…」
正に詰みだった。
例え日本帝国が戦う気を無くしたとしても、トラキア王国が戦う気満々では戦争は回避出来ない。
そもそも、普通の国王だったら幾ら挑発されようが、日本帝国と戦おうとは思わない。何もかもが未知数であり、列強国であるメディア王国を意図も容易く滅ぼした国なのだ。
そんな国に自ら戦争を仕掛けるなど、自殺志願者と変わらないのだ。
その後も、ドーマクは解決策を模索するが、良い考えなど何一つ浮かばない。
国王に直訴した所で信じて貰えるとは思えないし、逆に臆病風に吹かれていると難癖をつけられて処罰されかねない。
いっそのこと家族を連れて違う大陸にでも逃げるかとも考えたが、そんな事は彼のプライドが許さないし、家族も承諾するとは思えない。何より、祖国が滅ぼされようとしているというのに、自分だけ逃げるなどドーマクには出来なかった。
他の貴族ならば自分の家や家族のために、国を捨てる事を真剣に考えたかも知れないが、現国王への忠誠ならともかく、彼は愛国者であり、祖国が外国の軍隊によって蹂躙されるのなら、戦わないという選択肢は無かった。
「…やむを得ん。ならば………せめて誇り高く散ってやろう…」
悲壮な決意を固めて、ドーマク伯爵は戦争への全面的な参加を決めた。
例え負けると分かっていても、最早戦争は避けられない。ならば一兵でも多くの敵を道連れに死んでやろうと、ドーマクは覚悟を決めたのだ。




