40 皮肉
メディア王国との戦争から10年。
日本帝国は広大な領土の開発や占領民の同化政策のために、一時的に領土拡大を停止していた。
幾ら強大な日本帝国と言えど、旧メディア王国や属国連合、未開拓地域という、広大な領土の開発をしなから遠征するのは流石に厳しいため、内政に専念していたのだ。
そのため、先の戦争以降はパンゲア世界で大きな変化は無く、比較的平和な日常が続いていた。
しかし、それはパンゲア世界全体で見ればで、リディア王国にとっては真綿で首を締め付けられるような日々だった。
「…陛下、また生産系ギルドから嘆願書が届けられました」
「…うむ…」
国王の執務机に嘆願書と思わしき紙の束がドサッと置かれる。その光景は最早見慣れたモノであり、ため息も出なかった。
「…内容は…聞くまでもないか…」
「はい、何時も通り……日本製品についての苦情です」
10年前に日本帝国との間の関税が廃止された事で、日本帝国はリディア王国の市場への参入を本格化。高品質な商品が平民でも気軽に買える値段で、大量に販売された。
最初はリディア王国商人を介しての販売だったが、程なくして代理店を建てて大々的に販売を開始し、瞬く間に店は大繁盛となった。何しろ王族や貴族が買うようなとんでもない高品質な商品が、平民でも気軽に買える値段で大量に売っているのだ。売れない筈が無い。
食品や衣類、装飾品、工芸品、貴金属類、宝石、雑貨などなど、かつてだったらお目にかかる事さえ出来なかっただろう、高品質の品々が平民でも気軽に買えるという噂は瞬く間にリディア王国中に広まり、地方から買い付けのために訪れる商人が激増した。
それに合わせて日本帝国はリディア王国中に代理店を開き、一気に全国展開をした。イリオスのような大都市~かつてのロードスのようなド田舎の商店にまで日本製品が並び、平民達は高品質な商品が手軽に手に入る事に歓喜したのだった。
しかし、それとは逆に窮地に追い込まれる人々も激増した。
日本製品が市場のほとんどを独占した事で、今まで売られていた国内製の製品の売上は必然的に急落し、リディア王国の職人や生産者の収入は激減した。
何とか日本製品に対抗しようにも、工業的に大量生産される商品に、手工業で少数生産の商品が勝てる筈が無い。オマケに、無関税なので幾らでも安く出来る。中には北郷がコピーで増やした商品もあるので、例え1レイス(銅貨1枚)だろうと利益になるのだ。
これではリディア王国製の製品では勝てる筈が無い。
日本製品に駆逐されて多くの職人や生産者は廃業に追い込まれ、自殺者が急増した。
日本製品に対する不買運動なども起きたが、日本製品の高品質さを知った後では自国の低品質な製品に戻る事は難しく、オマケに日本製品が高価ならまだしも、むしろ自国の製品より安いのだから、わざわざ損をしてまで低品質な製品を買おうとは思わない。
そのため、各ギルドの奮闘も虚しく日本製品の売上は年々増加し、このままではリディア王国の産業が衰退し、自分達生産系ギルドは全員失業してしまうと国王に幾度となく嘆願書の提出や、謁見して必死に訴えているのだ。
「…職人達の訴えも分からん訳ではない、が…」
国王は暗い顔で嘆願書の束を見る。
国王だってこのままでは自国の産業は衰退し、何れは日本帝国から輸入しなければ立ち行かなくなってしまう事は理解している。しかし、だからと言ってどうする事も出来なかった。
「…せめて脱税でもしてくれれば強気に出られるものを…」
日本帝国は定められている税金を全て支払っており、それがリディア王国の重要な収入源の1つになっているので、強くは言えない。
普通の商人ならば少しでも税金を安くするために、様々な手法で脱税を行うというのに、日本帝国の代理店では一切脱税する事無く、高額な税を納めている。
国家としては間違いなく日本帝国の方が格上なのだから、その強大な力で税金を格安にするか、踏み倒せば良い。パンゲア世界では別に珍しい事ではなく、列強国が中小国や後進国で商売をする際には、よく行われている事だ。
もし日本帝国が同様に税金を誤魔化すか、踏み倒していればリディア王国側としても強く抗議出来るのだが、逆に、普通の商人ならば誤魔化すような細かい税すら支払っているのだから、文句の付けようが無い。
これで抗議でもすればリディア王国側が日本帝国にイチャモンを付けているだけであり、日本帝国との関係悪化は必至だ。
それに、王国としては生産系ギルドから支払われる税収より、日本帝国の代理店や日本製品によって生み出される税収の方が遥かに上なので、今の状況も悪くない。税収が増えれば王族や貴族の生活はますます向上し、より贅沢が出来る。
日本製品には平民向けの低価格商品の他にも、王族や貴族向けの高価格商品もある。それらは値段に相応しく素晴らしい品質であり、今まで自分達が高級品だと思っていた物が安物に見えてしまう程の物なのだ。
平民達と同様に、王族や貴族も人間なので一度上を知ってしまえば中々下には戻れないので、わざわざ自分達の収入を下げてまで日本帝国との関係を悪化させたくはないのだ。
「…このままでは、我が国は日本帝国の経済的植民地になってしまう…」
元々老け顔だった国王は更に老け、未だ50代前半なのに既に老人にしか見えなかった。パンゲア世界の基準で考えれば十分優れた王なのだが、日本帝国の隣国となった事でストレスはマッハだった。
胃に穴が開きかけた事も幾度かあり、もし地球世界だったなら胃ガンになってとっくに死んでいても不思議は無いのだが、上位ポーションなど魔法技術によって生き延びていた。
……それが彼にとって幸運と言えるのかは分からないが。
「…シルヴィアが生きていれば……また違ったのだろうがな…」
先見性に優れたシルヴィアが存命だったなら不便な生活に戻るとしても、自国の産業保護と経済的植民地化への阻止のために、断固として日本製品の排除に動いただろう。そして、シルヴィアの派閥にいた多くの貴族達も彼女に付き従い、今のような現状にはならなかったかも知れない。
しかし、シルヴィアが死んだ今ではどうしようもなかった。
シルヴィアの死後、シルヴィアの派閥は指導者を失って空中分解し、それぞれが新たに派閥を形成したり、他の派閥に加わるなど、かつての結束が嘘だったかのようにバラバラになった。
元々、革新的な考えを持つシルヴィアの元に集まるのは、アクが強く、他の派閥からは弾き飛ばされるような考えを持つ貴族が大半だったため、それらを強力なリーダーシップで繋ぎ止めていたシルヴィアがいなくなれば、自然と崩壊するのは必然だ。
「…シルヴィアの死後、国内は荒れたが……皮肉にも日本帝国のおかげで安定するとはな…」
最大規模にまで膨れ上がった派閥が崩壊した事で、リディア王国は一時パニック状態になったが、ある1つの共通認識によって何とか沈静化した。
その認識とは、「日本帝国と敵対してはいけない」だ。
非戦派にしても主戦派にしても、先の戦争で日本帝国の力を思い知り、誰もが日本帝国との戦争回避を叫んだ。
主戦派の威勢の良い事を言っていた貴族達も、僅か一月足らずで列強の1角であるメディア王国を滅ぼし、そして1週間足らずで属国の連合を滅ぼした。更に言えば、戦後は属国にするのではなく、併合して完全に滅ぼしたのだ。
貴族にとっては例え国が滅ぼうとも、新たな主人に忠誠を誓う事でお家を存続させる事が出来るという希望があったのだが、日本帝国はそれを許さず、併合後の旧王族や貴族を皆殺しにし、二度と再起出来ないように血を絶やしたのだ。
血統が全てである貴族にとって、これ程恐ろしい事は他に無い。
そのため、主戦派貴族達も一気に鞍替えし、少なくとも表向きは非戦派になったのだ。
逆に、これでもまだ主戦を叫べば「状況を理解出来ない愚か者」か、「自分達貴族を存亡の危機に追いやろうとしている裏切り者」として敵視されてしまうため、自然と主戦を叫ぶ貴族はいなくなった。
こうして、意見の相違はあれど日本帝国という強大な敵がいる事で、リディア王国は纏まったのだった。
娘の死を悼んだ後、国王は確認のために臣下に尋ねた。
「…国内の経済状況はどうなっている?」
「全体的に見れば、好景気が続いています。外資系企業によって賃金が上昇し、平民の消費欲が向上しているので、市場は活発化しています」
外資系企業、つまり日本帝国の代理店はリディア王国の会社に比べて賃金が割高なため、代理店に務める平民達は今まで楽しむ余裕など無かった買い物を楽しむようになった。それによって消費が増え、経済が活発化して税収も増えている。
「また、外資系企業が盛んに求人を出しているので、失業者は減少傾向にあります」
日本帝国の代理店は給料もさる事ながら、待遇面でも他のリディア王国の会社よりも良いため、求人の申し込みが殺到している。また、代理店側としても店舗拡大や地方への進出などで人出が足りないため、積極的に雇用している。
今まで都市に溢れていた失業者やホームレスは徐々に姿を消していき、失業率は過去最低を更新し続けていた。
「…商業系のギルドの反応は?」
「外資系の大規模参入に、当初は市場を奪われる事もあって生産系ギルドと同様に不満を募らせていましたが、現在では外国製品を仕入れて売れば莫大な収益になると分かり、むしろ外資系参入に好意的です」
日本帝国が市場に参入しているのは国交を結んだリディア王国のみで、他の大陸の国々には代理店などを出店していない。
商業系ギルドはそこに目をつけ、代理店などから日本製品を安値で大量に買い付け、他の大陸の国々で高値で転売する。日本製品は元々高品質で、安価な商品でも王族や貴族御用達の品々に勝るとも劣らないため、上流階級に飛ぶように売れる。
流石に輸送費や人件費などの関係から平民が気軽に買える値段は無理だが、それでも今までの高級品に比べれば断然安く、平民でも多少無理をすれば買える値段なので、贈答品としてそれなりに売れている。
国外に販路や輸送手段を持たないような小さな商店は、倒産に追い込まれるか、代理店に吸収合併されているが、ギルド全体として見ればかなりの収益を上げているので、日本製品の排斥などはしていない。
しかし、国内の市場を取られたという恨みもあるため、なかなか複雑な心境なのだ。
「………………」
報告を聞いて、国王は考え込む。
税収がアップしようが、日本帝国の市場参入によって経済が疲弊したならば、国王も日本製品の排斥を決断しただろう。
しかし、現実ではむしろ消費が増えて経済は活発化し、失業率も年々下降。リディア王国は正に好景気の真っ只中だ。
これでは日本製品を排斥する意味が無く、むしろ排斥すれば国内が大パニックとなるのは明白。
「…もし、我が国の市場から日本帝国が撤退した場合……どうなる?」
「……もし、日本帝国がリディア王国から撤退した場合、先ずは全国に展開している代理店は一斉に無くなり、国中が大量の失業者で溢れかえるでしょう。当然、平民達は買い物を控えるので消費が冷え込み、経済は低下します。
膨大な税収も無くなるので、貴族達は今までの生活を維持するために税を上げ、平民達はますます貧しくなって買い物を控え、経済は更に低下します。そうなればまた税収が減るので貴族は更に税を上げ、平民達は更に更に貧しくなるので消費を控え、経済は更に更に低下します。
……後はこの繰り返しになり、遂には平民の怒りが爆発して暴動を起こり、リディア王国は大混乱に陥るでしょう…」
「……そうか…」
内心では吐き気すら感じているが、そこは国王としての自覚と経験によって何とか抑え、表情には出さないでいた。
ある程度は国王も予想はしていたのだが、改めて他人から言葉にして聞かされると、あまりの絶望さに泣きたくなる程だった。
既に日本帝国に市場を独占され、税収についても大部分を日本帝国関係が占めている。最早リディア王国は日本帝国無くしては成り立たなくなっていた。
かつては自給自足出来ていた国内産業も、日本帝国の安価で高品質な商品が大量に流れた事で駆逐され、衰退していた。産業を復活させるには時間も金もかかり、そこまでリディア王国が保つのかさえ分からない。
それに、貴族達は日本帝国が生み出す莫大な税収に慣れ、その税収を使って高品質な日本製品を買う事が当たり前になっていた。今更昔の生活に戻る事は不可能だった。
(フ、フフ、フフフ……このままでは経済的植民地になってしまうと思っていたが……既に、我が国は日本帝国の経済的植民地に…なっていたのだな…)
相変わらず表面上は無表情だが、内心では国王は絶望していた。
しかし、彼らは知らなった。
絶対王制であり、平民など虫けら程度にしか考えていなかったからこそ、国王や貴族である臣下達は予想も出来なかった。
負のスパイラルに陥って大暴動が起きた先には、平民による革命が起き、国王や王族は勿論、貴族も全員処刑されてしまう可能性があった事を…。
国王達は知らず知らずの内に、民主化の芽を潰す事に成功していた。




