第1話 エピローグとプロローグ
辺り一面が、暗闇だった。
男は、膝から崩れ落ちるように、その場にうずくまった。
「……今、何年だっけ」
声はかすれ、喉がひび割れるように痛んだ。
男は、どこかの世界で生きてきたはずだった。
世界がおかしくなって、それから何年か経って
最後の記憶は、思い出せない。
人と人が戦って、みんなが倒れていって
大人から子供まで……
——いや、思い出したくもない。
あの少女の笑顔と、あの青年の柔らかな顔。
それから、周囲を彩る美しい人々。
しばらくして、世界がおかしくなって、軍靴の音がして、
あっという間に訪れた、世界の終わりの始まり。
真っ黒い雲が世界を覆い尽くして、太陽が出なくなって、
すべてがなくなって、そして終わった。
「……世界大戦ってやつか」
自嘲の笑みが漏れる。
もう、いい。
生きるのに、疲れた。
ゆっくりと、視界が闇に溶けていく。
「あっけなく、終わっちまったな。……人類」
身体が重くなり、息が止まる。
最後に感じたのは、淡い——しかし容赦のない光だった。
すべてを包み込む白い輝きの中で、男は——
その生涯を終えた。
◇
まばゆい光と、真っ暗な壁。
明滅する何かと、ねっとりと垂れる何か。
「……え」
——そして、目が覚めた。
見知らぬ天井が、ぼんやりと視界に入ってきた。
柔らかな朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。
「あれ……夢? アレが夢で……。いや、こっちが夢……」
とりあえず、五体満足。
通り抜けることなく、ちゃんと触れる。
じゃあ
ここは……どこだ?
「痛っ……。頭、痛っ。んだよ。寝違えたか?」
少なくとも、病院というわけではなさそう。
学生寮のような造りだが、記憶にない部屋だった。
簡素な荷物が置かれており、引っ越してきたばかりに見える。
「オレって、死んで……。ってか、なんで学生寮? 学校なんてとうに卒業……」
入学式前、荷物を運び込んだばかりのような気配がする。
男はよろよろと立ち上がり、窓辺に寄った。
「そもそも、どこだよ。この学校は……」
外の景色を眺め、
——ふと、胸の奥がざわついた。
「……あれ? オレはこの光景、どこかで……」
見覚えがあるような、ないような。
頭が重く、思考がまとまらない。
「おい、寝坊助! お前、遅刻するぞ!」
廊下から飛んできた野太い声に、慌てて振り返る。
知らない中年の寮監らしき男が、苛立った顔で立っていた。
「……はい?」
「入学式から遅刻は上さんが許しても俺が許さんぞ」
今にも棒で殴りかからんとする、中年の男。
その手を止めようとする、血色の良い若い肌が見える甲。
見事に棒を受け止めて、手のひらに痛みを感じるが、違和感の方が勝った。
「え……? これがオレの手?」
「さっさと制服を着ろ。まだ間に合う」
意味も分からぬまま、男に言われて、鏡を見る。
「手だけじゃなくて、顔も若い。それに制服……」
制服らしきものを着込み、寮監に棒で突かれながら、寮を出た。
「走れ」
「分かってます。行きますって。行きますから。学校にっ!」
道すがら、周囲の景色が次々と既視感を刺激していく。
そして——
学園の正門が見えてきた瞬間、胸の奥で何かが大きく鳴った。
「あの校舎……」
煌びやかな容姿の生徒たちが、朝の光の中で談笑している。
「オレは何故か、知ってる……」
鮮やかな髪色、完璧な制服の着こなし
まるで絵から飛び出してきたような美貌の者たち。
「学校の名前……も知ってる」
彼は立ち止まった。
その隣を色鮮やかで、華やかな生徒たちが通り過ぎていく。
「遅刻!遅刻!」
走り去る生徒もいる。
入学式から遅刻は流石に不味い。
でも、男はそんな寮監の言葉を思い出すことなく、呆然と呟いた。
「ゲームの……世界? しかも」
今から向かう先に、一人の少女がいる。
同じ空間に、五人の美男子がいる。
「その女の子が、卒業までに誰と結ばれるか……って」
先ほど、制服を着る時に鏡を見た。
「乙女ゲーム……の世界」
彼がその五人の一人でないことは、残念ながら分かっている。
そのゲームの中に、鏡で見た人物は登場しない。
登場はしないが、ここの世界の名前は知っている。
男は息を呑み、戸惑いながら言った。
「——月下の約束 ~煌めく六つの星と、失われた月の姫~。オレ、ゲーム内転生してる……」




