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業火紅蓮少女ブラフ/Hybrid Bland Blue  作者: 枕木悠
A-SIDE 藍青蒼碧(Hybrid Bland Blue)
6/35

ハイブリッド・ブラン・ブルー/五

「用意された劇場が小さいことなんて全く関係ないこと、私たちにとっては、ええ、些末なこと、それにこの淀んだ天気、斑雲、なんだかいいな、しばらく快晴が続いていたからかな、せっかくの夏の終わりの華火の日なんだけどね」

 錦景市は八月三十一日の夜の六時。夜といってもまだ遠くの空には明かりが残っていて景色は紫を真ん中にしたグラデーション。

 雨の気配が少ししていた。

 敷島の陸上競技場の傍、利根川の河川敷に設置された華火大会の会場には天使の声が響いていた。天使とはもちろん、ロックンロールバンド、コレクチブ・ロウテイションのギタリストのアプリコット・ゼプテンバのことだ。彼女はG-FMというラジオ局の華火の実況中継番組のゲストとして呼ばれ、パーソナリティのインタビュウに答えていた。放送は会場にいくつか設置されたスピーカから聞こえていた。屋台がずらりと並び、見物客で賑わう華火大会の会場で一言も声を発することなくユウリは黙然と彼女の声に耳を傾け続けていた。

 コナツはユウリがゼプテンバの大ファンだって知ってるから何も言わないでくれるけど、いい加減にして欲しい、って少しくらいは、いやかなり思っているはずだ。でもユウリはゼプテンバの大ファン。大好きなんだからしょうがない。一応コナツには、ゼプテンバ様の出番が終わるまで待って、とお願いはしている。

「とにかくそういうこと、スケールなんて関係ないの、大事なのは単純なコミュニケーション、まあ、それが難しいんだけれど、邪魔なものって多いから、でもそれを越えて見える景色は格別だって、分かるよね?」

「そ、そうかもねっ、ゼプテンバさんの言うとおりかも」

 なんて慌ててパーソナリティのお姉さんは応えていたけれど、きっとゼプテンバが言葉に這わせた意味を彼女は分かってない。

 でも私なら凄く分かりますよ、ってユウリは心の中でゼプテンバに応えていた。彼女の話相手にはその人よりも絶対に自分の方が相応しい。自分の方がゼプテンバと有意義なおしゃべりをすることが出来る。今のユウリだったら天体史の高尚な議論を台詞に絡めておしゃべりを詩的に彩ることだって可能なはず。無知なお姉さん、哲学の始祖ソクラテスの存在もきっと知らないお姉さんよりも自分の方が絶対、ゼプテンバは一緒にいて楽しいと思うんだ。

 だからその場所を変わってよ、と思う。

 まあ、土台無理な話だってことは分かるんだけど、思わずにはいられないことってあるでしょ。今がそれ。これからもきっと沢山出会うでしょうね。

「あ、残念ながらここでお時間のようですね、」パーソナリティのお姉さんは明るい調子で言った。「ゼプテンバさんにはこれから敷島の華火大会の会場の特設ステージに向かってもらいます、ゼプテンバさん、いかがでしたか?」

「楽しかったよ、ありがとう、」ゼプテンバはさらりと答える。「また呼んでくれたら嬉しいな」

「はい、ぜひ、よろしくお願いしますぅ、」お姉さんはとびっきりの明るい声で言った。「それでは、えー、夜の七時からですね、ゼプテンバさん率いる、コレクチブ・ロウテイションのスペシャルライブは夜の七時からとなっております、華火大会の始まりと一緒の時間ですね、こちら観覧フリーとなっておりますのでぜひ皆様、会場の特設ステージまで足を運びになって彼女たちのロックンロールと華火で盛り上がってみてはいかがでしょうか? 聞くところによれば、今回は新曲も披露されるとのことですけれど」

「うん、この日のために作ってきたんだ、完全未発表」

「それは楽しみですね」

「ミスるかもしれない、あんまり練習してないから、そう今回私しかここにいないのはそれに関係があるんだよね、今きっと皆必死で練習していると思う、出来上がったのは三日前だから」

「三日前ですか、それは凄い、出来立てほやほや、ですね」

「んふふっ、」ゼプテンバは可愛く笑い声を上げる。「まあ、そういうわけだから、ミスっても許してね」

「それではゼプテンバさん、今日はどうもありがとうございましたぁ」

「うん、ありがとうございました、それじゃあライブステージで会いましょう、バイバイ」

「ゲストはコレクチブ・ロウテイションのギタリスト、アプリコット・ゼプテンバさんでしたぁ、それではお別れの曲を、ゼプテンバさん、お願いします」

「コレクチブ・ロウテイション、」ゼプテンバは本場英国流に発声する。「シー・イズ・エレクトリック・ジェネレイタ」

 スピーカからはあの娘は発電機が響き始めた。何回も聞いたことのあるメロディだけれど、意識は加速度的にその旋律に飲み込まれて気分は高揚する。歌いたくなって、ユウリは小さく口ずさんだ。「……おういえ~、抱き締めなきゃあ」

「どうするの?」コナツが後ろで強い声で言って、ユウリの意識は現実にしっかりと戻る。「その、特設ステージとやらに行く? 今から急げばまだ前の方開いてるかもしれないよ」

「え、でもアオちゃん、まだ来てないし」

 同じ種類の浴衣を身に纏ったユウリとコナツは、ユウリが白地に赤い華でコナツが白地に黄色い華、会場の入り口近くでアオが来るのを待っていた。華火が始まる夜の六時に待ち合わせたんだけど、理由は分からないけれど少し遅れるみたい。ぼんやりと待っていたらスピーカからゼプテンバの天使の声が聞こえてきて、ユウリは今年の華火大会のスペシャルライブにコレクチブ・ロウテイションが出演することを知った。当日までその情報は解禁されていなかったみたいで、今日はコレクチブ・ロウテイションの公式サイトを見ていなかったからユウリはとっても驚いて、どうしたってスペシャルライブのステージを見たいって気分になっていた。

「アオちゃんには直接特設ステージまで来てもらえばいいじゃん、」言いながらコナツはもの凄い早さで親指を動かしてアオにメールを送ったみたい。「よし、それじゃあ行こ」

 コナツはユウリが座る車椅子の進路を前輪を持ち上げてくるりと変え、ぐっと力強く前に押す。コナツは早歩き。ちょっと怖い、って思う速度で人の密度が濃い通路をずんずんと進んでいく。

「ねぇ、でもアオちゃん、コレクチブ・ロウテイションのことあんまり知らないかもしれないよ、それだったらなんだか悪いよ、知らないバンドのライブを観るのってちょっと苦痛だし」

「コレクチブ・ロウテイションのことくらいなら知ってるでしょ? コレクチブ・ロウテイションのこと、アオちゃんと話したことないけど、それに知らなくたってコレクチブ・ロウテイションのライブは楽しいよ、私は楽しかったし、っていうか、ユウリ、ライブなんて怖いよって嫌がる私を無理矢理連れてったよねぇ」

「それはだって、コナツだったから、コナツとアオちゃんは違うもん」

「違うって何が」

「心の距離、」言ってから「ふああっ!」ユウリは悲鳴を上げた。急にコナツがブレーキをかけるから前のめりになって車椅子から転げ落ちそうになったんだ。「もぉ、急に止まらないでよぉ!」

 進行方向左には案内板があった。木製の簡素なもので、今日の日のために設置されて明日には撤去される案内板だ。コナツは特設ステージの場所を確認して、そしてまた強く押し出した。

「さあ行くぞ」

「ゆっくりでいいよぉ」

 車椅子ってちょっと怖いってユウリは思った。座っているだけだから楽でいいって思ったんだけど、実際体験してみると誰かにコントロールを委ねられているのって怖い。自分でコントロール出来ないっていうのはちょっとした恐怖。後ろで押してくれるのがコナツじゃなかったらどうにかなっちゃうんじゃないかってユウリは思う。

「でも急がなくっちゃでしょ、ユウリの大好きなコレクチブ・ロウテイションのライブなんだから」

 コナツのその言葉が嬉しくてユウリの心は幸せに色づいた。好きな少女が自分の大好きなものを理解してくれることは無条件に、嬉しいものである。

 特設ステージは華火大会の会場の南側にあって、G-FMの実況ブースの傍にあった。その周辺は屋台の数も減って見物客も疎らだった。G-FMのTシャツを来た人たちが実況ブースの前で子供たちに風船を配っていた。コナツは何を思ったのか風船をもらってユウリの車椅子に括り付けた。赤い風船。ちょっと恥ずかしいって思ったけれどコナツがニコニコして楽しそうだったから何も言わなかった。

 とにかくゼプテンバ様の目の前、ステージ最前の右側を確保することが出来た。そんなに人は集まっていなくて、ステージ手前の芝生には、錦景女子のセーラ服に身を包んだ憧れの女子高生たちがおしゃべりをしていて、コレクチブ・ロウテイションのバンドTシャツを来たロックファンたちがロック談義をしていて、これから何が始まるのかきっと分かっていない子供たちが鬼ごっこをしていた。まだ開演までには時間がある。

 特設ステージは鉄筋で組み上げられた小さなものだった。一応、照明もあるけれど数は少なくて小さい。積まれたスピーカの数も彼女たちのロックンロールを最大限に響かせるためには圧倒的に足りてないって思った。奥にコレクチブ・ロウテイションのロゴマークが描かれた垂れ幕が見えて、手前に彼女たちの楽器がすでに準備されていた。ステッカがベタベタ張られた白いテレキャスタを確認してもう少しでゼプテンバの姿を見れると思うと心臓がうるさくなってしょうがなくなった。

 今日は華火だけだと思ったのにゼプテンバ様に会えるなんて凄くラッキィ!

 今日の私って、世界一のラッキィ・ガールだわっ!

「アオちゃん、夜の七時までには来るって、」スマートフォンを片手にコナツは言った。「一時間も遅刻なんて、アオちゃんってば何してんだろうね、塾じゃ遅刻なんてしないのに、何してんだろう?」

「何してるんだろうね?」

 なんてユウリは口を合わせながらも、正直アオのことなんてどうでもよくなっていたのです。

 考えているのはコレクチブ・ロウテイションの今日のセットリストのこと、新曲のこと、ゼプテンバのこと。

 つまり天使のことだけなんです。


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