エピローグ/二
もういい。
もう聞きたくない。
アオの前でそう思ってから十日が経った十月最後の月曜日の錦景市立春日中学校のお昼休み、ユウリはハイブリッド・ブラン・ブルーを口ずさんでいる。
冴えに冴えている青々とした晴天を見上げながら。
ああ。
なんて青い日なの。
天の全てを青が覆っているんだ。
もう聞きたくないと思った歌なのに、芳槻アオのテーマソングなのに、気が付くとユウリはハイブリッド・ブラン・ブルーの派手さはないのに疾走感のあるメロディを歌いたくなって口はほとんど勝手に動き耳に曲を聞かせていた。大好きなコレクチブ・ロウテイションの曲なんだから、その時はそう思ったかもしれないけれど、嫌いになれるわけがないのだ。アオは呪いを掛けたのかな、なんて考えてしまう。ハイブリッド・ブラン・ブルーを歌えば必然的にアオのことを思い出し考えてしまう。どんなことになったって、記憶喪失になっても彼女のことだけは絶対忘れられるわけがないんだけれど、さらに絶対に忘れられない呪いを掛けられたような気分になった。口ずさむたびに、そう思うんだ。
十一月が迫り、もうほとんど暑さを感じなくなった屋上に昇って新島コナツと二人きりでお弁当を食べるのが最近のユウリの日常で今日もそうだった。お弁当を食べ終え屋上のフェンスに背中を預け少しうとうとしていたら優しく新しい季節の微風が吹いてそれがスイッチになってユウリにハイブリッド・ブラン・ブルーを歌わせたのだ。
「ユウリってば最近、そればっかり歌ってる、」お弁当を食べ終えたコナツは全然足りないって言ってパンを食べてからお菓子は別腹と言って今はチョコレート・クッキーを食べていた。「よっぽど気に入ったんだね」
「新曲だからね、ああ、早く発売日にならないかなぁ、早くカラオケで歌いたいな」
発売日は来週だ。その日になればやっとファンタシィ・フェイダ・ウェイを聞くことが出来る。ユウリはまだそのメロディを思い出せずにいた。
コナツがチョコレート・クッキーを「はい、食べな」とユウリの口元に近づけるので、ユウリはパクッと食べた。
「あ、おいしいね、このクッキー」
「でしょ、最近のお気に入りなの、百円でこのおいしさだよぉ」
コナツはクッキーを頬張りながら至福の笑顔を見せる。
屋上のフェンスを背中に二人は寄り添うように座っている。
コナツは甘える猫みたいにユウリの肩に頭を乗せて体重をこちらに預けている。
まるで仲良しな少女たち。
親友だ。
それで正解。
間違っていない。
でも。
コナツに抱いた疑心は消えないでまだあるんだ。
コナツは何もかも済んだ気でいるんだろうけれど。
もう終わったことだ、ユウリの心に自分に対する疑いなんて微塵もないと思っているからそんな顔をして、莫迦みたいに幸せそうな間抜け面で百円のチョコレート・クッキーを食べられるんだろうけれど。
まだあるよ。
心にはあなたへの疑心があるよ。
染まっているよ。
忘れてないよ。
言わないのは別にあなたとの関係を終わらせたくないからじゃない。
少し疲れているんだ。
面倒臭くなったんだ。
駆け引きなんて鬱陶しい。
黙っていれば柔らかいコナツの体を傍に感じることが出来る。
今はそれだけで、間に合っているという感じ。
これ以上は欲しくない、という感じ。
たまによろめくことがあるけれど右足は完治した。
尖った部分は気になるけれどとりあえずは再生完了。
だからかな。
今はちょっと傷付くことから遠ざかりたいと思っている。
そんな秋のような、また冬に向かうような、微睡むような心境なのでした。
けれど。
そんな風に微睡の中にいるユウリをそのままにしておかない男がいた。
誰かだって?
内藤マサヤに決まっているでしょ、くそったれ。
「今日は何の用があってしょうこりもなくまた体育館裏に呼び出したわけ?」
ユウリは両手を広げ、オーバに問い質した。やっぱり月曜日の放課後、マサヤはユウリのことを再々度「話があるんだ」と言って連れて来たのだ。マサヤの誘いに拒絶しないでユウリが体育館に再々度いるのはもちろん何度でも迫って来る情熱的な彼に心魅かれたからというわけでは決してなくて。
再生した右足で必殺してやろうと思ったからに他ならない。
「さあ、ほら、さっさと答えろよ!」
「いきなり怒鳴るなよな」今にも泣きそうな顔でマサヤは言う。
「ああ、なんだって!?」ユウリは怒鳴る。それに思想はない。「いいからさっさと用件だけ言えって言ってんだよ、莫迦野郎っ!」
「だからそんなに怒鳴らなくても」
「ああ!?」
「言うから怒鳴らないでくれって、言うから、頼むよ」
「いいから早く言え」
「おお、おおう、おお、言うぜ、言うからな、國丸、……お、俺、俺は、俺は、俺は、……く、國丸と、」マサヤの声はひっくり返っていた。「ばばばば、……バンドがしたいんだ」
「……は?」
あまりに予想外な誘いにユウリの体内時計は止まってしまった。「……は? なんだって?」
「だ、だからバンドがしたいんだよ!」マサヤは口を大きく動かし歯切れよく怒鳴った。「國丸とバンドがしたいんだって!」
バンド?
バンドって。
バンドってそれ、ロックンロール・バンドのこと?
「それ以外に何があるんだよ、俺は國丸とバンドを組んで学園祭のステージに立ちたいって言ってるんだって、國丸、ロックンロール好きだろ? コレクチブ・ロウテイション好きだろ?」
「好きに決まってんだろ、大好きだよ、舐めてんの?」
「舐めてないから、だから、とにかくやる曲はコレクチブ・ロウテイションのカバーでもいいし、別に他のバンドの曲だっていいし、とにかく曲は國丸が決めていいから、どうですか、やりませんか、俺とロックンロール・バンドをやりませんか?」
「他のメンバは誰なの? 決まっているの?」
「ああ、もうメンバは揃っていて、っていうか春ぐらいに俺とコウサクと山吹先生でバンド組んで活動してて、活動って言ってもスタジオ入って合わせてるくらいだけど」
「どうして先生が混ざってんだよっ」
「ベース上手いんだよ、あの人」
「っていうかコウサクって誰だよっ」
「四組の鷹村コウサクだよ、知らないの?」
「知らないよ、そんなやつ」
「まあ、とにかくメンバは揃っているんだ、國丸にはそれに加入してもらう形になるんだけど」
「それでボーカルは誰なの?」
「もちろん、國丸にやってもらうつもりだけど」
「あ、ほんとぉ、ふうん、それでバンドの名前はなんて言うの?」
「ラブ・フィフティーンだ、俺たち十五歳だからな、格好いいだろ?」
「ラブ・フィフティーン? なんだよ、ラブってなんだよ、だせぇよ、っていうか一人十五歳じゃないじゃん、先生混じってんじゃん、不純じゃん」
「いやでもスタジオだと山吹先生、十五歳になるんだよ」
「意味分かんねぇよ、十五歳にはならないよ、おっさんはおっさんのままだよ」
「メタファだよ、とにかく童心に帰るんだよ、俺たちの仲間になるんだよ」
「お前何言ってんの? 本気で言ってんの?」
「本気だよ」
「莫迦みたい」
「それで國丸、どうなんだよ、俺たちとバンドしてくれるのくれないの?」
ユウリは手を前に組んで足元に転がっていた小石を右足で蹴って躊躇う素振りをした。
はあ、と小さく息を吐き視線をマサヤからはずして自分の人差し指に肩に掛かった髪の毛を巻きつける。
そしてユウリはクルリとその場で回転してマサヤに背中を向けた。
綻んだ自分の顔をユウリはマサヤに見られたくなかった。
「いいよ、やったげる」
「よっしゃ!」マサヤの歓喜の声が後ろから聞こえる。
「その代わり、」ユウリは笑顔を消して回れ右をして右手を腰に当てマサヤを睨み付けるように見る。「バンドの名前は変えるわよ」
「え、えええ!? ラブ・フィフティーンのままじゃ駄目なの? いけないの?」
「当たり前だろ! 誰がそんなだせぇ名前のバンドで歌なんか歌うもんですかっ!」
ユウリは笑顔で怒鳴った。
笑顔を隠してはいられなかったんだ。
弱っていた炎が再び投下された燃料に燃え上がった感じ。
バンドをやるってだけでこんなにも興奮してしまっている。
メンバは男ばかりだしその中に大嫌いな男も混じっているのにも関わらずユウリは。
明るい未来を考えている。
バンドの名前はどうしようか。
曲は何にしようか。
やるならもちろんブリッジン・フォ・ニュウ?
新しい風を感じているの。
業火紅蓮少女ブラフ。




