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業火紅蓮少女ブラフ/Hybrid Bland Blue  作者: 枕木悠
B-SIDE 龍が空華と契り(Phantasy Fade Away)
14/35

ファンタシィ・フェイダ・ウェイ/一

 私はあなたに嘘を付きました。

 あなたとのキスはファースト・キスじゃない。

 ファースト・キスは別の人。

 中学校の理科の先生でした。

 先生と出会って私は、女が好きなのだと知ったのです。

「綺麗な髪ね、透き通っていて、真っ直ぐで」

 私は自分の髪を先生に触られて褒められると熱くなった。

 先生と初めて出会ったのは錦景市立第五中学校の理科室。中学校の入学式があって次の日の放課後、私は理科倶楽部に入ろうと思い理科室の扉を叩いた。私は数学が得意で科学実験が好きだった。小学校でも理科倶楽部に在籍していて子供の科学という雑誌を愛読していた。私の夢は研究者になること。それは小学校の卒業文集で書いた。私は漠然とサイエンティストを目指している。

 失礼します。

 私は理科室の扉を静かに開けた。

 先生の名前は矢野アキナ。

 先生は理科室の窓際で椅子に腰掛け、揺れるカーテンに時折遮られながら、錦景山の方角、その黄昏の風景を眺望していた。先生はこちらにゆっくりと振り向き微笑んだ。先生は理系の人間のくせに髪の毛は明るい茶色で少しパーマをかけていて、肌は少し小麦色で、化粧が濃くて、甘く匂って、そして美人だった。

「え、そんな、部員、誰もいないんですか?」

 放課後の理科室にいたのはグレイのスーツの上に白衣を纏った先生だけだった。私が理科倶楽部のことを聞くと先生は理科倶楽部の人間はもう全員卒業してしまってメンバは誰もいないと教えてくれた。「私、一応理科倶楽部の顧問だったから誰か来るのを待ってたのよ、卒業した子たちに絶対に廃部にしないでって言われてたから、もし誰かやりたい子が来てくれるなら残さなくっちゃいけないと思ってね、それであなた、今のところ一人だけよ、どうする?」

「一人だけですか?」

「他に誰か興味がある子を連れてきてくれれば一人じゃないけど」

「理科倶楽部に入りたい人に心当たりがありません」私には友達がいなかった。

「そうよね、理科倶楽部に入りたい子なんてあんまりいないよね、」先生はクスリと微笑みそして、私のことまっすぐに見つめて言った。「綺麗な髪ね、透き通っていて、まっすぐで」

「え? あ、」私の顔は凄く熱くなった。「ありがとうございます」

「一人だけは嫌?」先生は探る目で私のことを見た。

「あ、えっと、」私は首を竦めて自分の足元を見て答える。「……一人だけっていうのは、ちょっと」

「私が知っていること全部教えてあげるわよ」

「え?」

「毎日、放課後、私が知ってること全部教えてあげる、だから来ない?」先生は机に肘を置き頬杖付いて足を組み直し、素敵な笑顔でウインクして、私のことを誘惑した。「矢野先生って結構有名な大学出てるんだぜ」

 笑顔は武器だとこのとき知った。

 私は完全に先生の笑顔に撃ち抜かれてしまったんだ。

「……少し考えさせてください」

 そんな風に言いながらも私はそのときすでに理科倶楽部に入部することを決めていた。

 先生は最初に言った通り、私に何でも教えてくれた。私が質問したことに先生が答えられなかったことはなかった。かなり専門的なことを聞いても先生は簡単に答えてくれた。先生との時間はとても有意義だった。先生といると毎日新しいことが発見出来る。私は先生と過ごす放課後の時間が楽しかった。先生と私だけの理科倶楽部。先生も私も他の生徒の誰かが理科室の扉を叩けばいいなんて多分、思わなかったんだ。私が先生を好きになるのにそれほど時間はかからなかった。放課後だけでは我慢出来なくて、両親には部活だと言って私は先生のマンションに入り浸るようになった。

 初めてキスをしたのは先生のマンションのソファの上だった。私は猫になった気分で先生に甘えていた。先生は私の髪を撫でてぎゅっと肩を抱いて私が逃げられなくしてからキスをした。キスをされて私は完全に動けなくなった。先生は優しく、女同士でのやり方をレクチャしてくれた。飲み込みが早いと先生は褒めてくれた。

 先生が猫みたいに私に甘えてくるのにそれほど時間はかからなかった。それに対して私は先生に乱暴になっていく。先生の口元は「乱暴は嫌」と動きながらも目は、私が痛くするのを望んでいたんだ。

「私って駄目だね」ある日、先生はベッドの中で言った。

「急にどうしたの?」

「アオは一回り以上も私より若いのに、私ってば、依存しちゃって」

「依存?」

「そう、依存」

「よくないことなの?」

「アオは教え子なのに」言って、先生は急に泣き出した。

「え、急にどうしたの?」

「ご、ごめんね、」先生は涙を拭いて笑う。「いやね、アオがいなくなっちゃうって思ったら、なんだか涙が出てきて」

「私はいなくならないよ」

「でも未来のことは分からない、アオはまだ十三歳じゃない」

「いなくならないよ、絶対に、私はずっと先生と一緒にいる」

 私は先生の涙を拭いてそう言った。

 その気持ちは真実だった。

 でも未来のことは分からない。

 そのときが来なければなんだって、見えない。

 この梅雨のことだ。雨はけたたましく降っていた。

 先生と私の人間関係。

 秘密だったものが秘密でなくなり問題になった。

 理科室で私と先生がキスしていたところを偶然理科室に来た女子生徒に目撃されてしまったのだ。その目撃情報は瞬く間に広がり、様々に装飾されて教師陣の耳に入ることになった。

 先生は次の日、学校に来なかった。

 私は朝から生徒指導室に呼ばれた。教頭先生が出てきて開口一番「災難だったね」と言われた。

「災難?」

 意味が分からなかった。

 二人にとっては災難だけど、教頭先生にそう言われる意味が分からなかった。

「無理矢理関係を迫られていたんだろう? 可哀想に、でも安心しなさい、もう矢野先生は学校に来ないから、以前にも矢野先生は、……その、同じようなことで問題を起こしていてね、さすがに処分を下すことになったんだよ、このことはご両親に伝えない方がいいかい? 芳槻さんはどうしたい?」

 私は声すら出すことも出来なかった。

 学校に来ない?

 処分?

 なんで?

 どうして?

「大丈夫かい?」教頭先生は私の顔を覗き込み言う。「顔色が優れないようだが」

「……す、すいません、」私の声は震えていた。口元を押さえて涙ぐむ。「すいません、保健室に行ってもいいですか?」

 気分が悪かったのは本当。

 体に力が入らなくってふらふらした。

 胃が痛い。

 気持ち悪い。

 吐いちゃいそう。

 頭痛がする。

 保健の先生が何か言うのも無視して私はベッドに横になり毛布にくるまり目を瞑った。

 私のせいだ。

 私が理科室で先生に無理矢理キスを迫ったせいでこんなことになってしまった。

 そのときの私はいつもよりも暴力的な気分になっていた。理科室で先生に乱暴に厭らしいことをして、犯して、快楽を得ようとしていた。本能が理性に先行していた。本能的に、私は先生のことを傷付けてやりたいと強く思った。

 先生の血が見たい。

 殺したいほど先生のことが好きになっていたの。

 私の愛は奇妙に歪んでいるようで。

 終末は殺してやりたくなるの。

 もちろん、殺しちゃいけないって分かっているわ。

 ただそういう気持ちになるだけ。自覚しているからきっと大丈夫だよ。本当よ。

 先生は用心深かった。多分、教頭先生が言っていた、以前の問題があったからだろう、学校では私にそういうことを一切しなかった。

 でも私は学校の理科室で、先生のことを犯してやりたいって思ってしまった。先生は「駄目よ」と拒絶したけれど、私は先生のマンションのベッドの上の調子で乱暴に迫ってキスをしたんだ。

 なんて軽薄。

 本当に浅はか。

 凄く莫迦。

 私のせいだ。

 私のせいで先生の人生が狂ってしまった。

 私のせいなのに先生は私のことをかばって全部自分のせいにした。

 謝らなくちゃいけない。

 ごめんなさいを言わなくちゃいけない。

 私は保健室を抜け出し、学校を出てタクシーに乗り込み先生のマンションに向かった。車内で先生に電話を掛けたけど先生は出てくれなかった。メールを何通も送ったけれど返信はない。その日も雨が降っていた。雨音が騒がしかった。銃弾の中をタクシーは走っているようだった。

 私は先生のマンションのインターフォンを押した。でも先生は鍵を開けてくれなかった。合い鍵をもらっておけばよかったって後悔しながら私はインターフォンを押し続けた。「先生、アオだよ、開けてよ、先生!」

 先生はマンションにいなかったのかもしれない。

 いたかもしれないけれど。

 私は先生に会えなかった。

 次の日にはすでに先生は引っ越して錦景市からいなくなっていた。

 私は絶望的になって学校に行かなくなった。おそらく学校から両親に連絡がいっていたのだろう、物分かりのいい両親は私の不登校を怒ることもなく、私に何かを尋ねることもなかった。母は「可哀そうだったわね」と私のことを慰めた。母は一方的に先生が全て悪かったのだと思っていたんだろう。何も知らないくせに、可哀そうなんて言うんじゃねぇよ。心で私は叫んでいたけれど、両親には真実を話さなかった。真実を話してしまえば、きっと家族はおかしくなる。そうなれば家にいられない。不登校少女の居場所は家だけだ。真実を話すのは他に居場所を見つけてからでいい。

 とにかく私にとって学校は意味がないものになった。

 私は先生に会うためだけに学校に行っていたんだから先生のいない学校に意味はない。

 先生のいない、未来にも。

 一学期の終わりの終業式に出ようと思ったのはその前日に先生から小包が届いたからだった。包装された縦長の箱を開けると中にはリュドミラ・マケットが入っていた。先生は私がサクラ・モノグラムを好きだと言うのを知っていたから。でも、先生はどういうつもりだろう。中には手紙もない。先生の気持ちが知りたい。先生に会いたい。もしかしたら先生に会えるかもしれない。会えなくても先生がどこにいるのか情報が欲しい。小包にはデタラメな住所が書いてあった。とにかく先生はもう、私に会う気がないようだ。

 でも会いたいよ。

 私はリュドミラ・マケットを首から下げ学校に行った。五中の三年二組に私の席はちゃんとあった。引き出しの中に置きっぱなしにしていた理科の教科書の表紙にはレズビアンとか、百合とか、変態とか、ウザいとか、色々落書きされていた。教科書の中のページにもビッシリと汚い言葉が書いてあった。よくもこんなに汚い言葉が思いつくよな、って感心するほどだった。

 小学生かっ。

 ムカつき過ぎて泣きそうになった。

 やっぱり来なければよかった。

 帰ろう、と思ったときだった。

「あ、レズの芳槻さんだ」

 大きな声で誰かが言った。

 その声の方に視線を向けると、莫迦で無能で不細工な女のグループのリーダのデブがニタニタと笑っていた。

 不潔。

 こっちを見るなよ。

 汚くなるだろ。

 いつの間にか私の席の周りには莫迦で無能で不細工な女たちが集まっていた。「ねぇ、なんでずっと学校来なかったのー? 別にレズだからって学校来ちゃいけないことってないんだよー、ぎゃははははっ」

 うるさい。

 死ね。

 殺すぞ。

「私、でもあの先生、おかしいって思ってたんだよね、化粧濃いし、香水キツイし、髪の毛もギャルだし、目つきがなんか違うじゃん、すげー怪しかったよね、たまにウインクしたり、女子にばっか優しくってさー、まさかレズビアンだったなんて、キモいよねー」

 先生のことを悪く言われるのだけは我慢出来なかった。

 リュドミラ・マケットを吹けば。

 龍を召還出来るかな。

 龍にこいつらを殺してもらいたい。

 というか。

 私が龍になって殺してやりたい。

「うるさいんだよ! くそったれ!」

 私は席を立って盛大にヒステリックに叫んだ。「どいつもこいつも何も知らないくせに先生のことを悪く言うな! これ以上言うならお前等全員、犯してやるっ! 殺してやる! クソ女ども!」

 あーあ。

 言ってしまったと思った。これでもう五中での私の居場所は完全に消えた。学校での完全な異物。それが私。まあ、明日から夏休みだからしばらくは現実逃避出来るんだけど夏休みが明けたらどうしよう。ずっと休みっ放し、というのはまずいよな。いや、もう、どうでもいいかぁ。

 もちろん、その時はそんな風に考えられなくて。

 私は灼熱に燃えていた。

「死んじまえ!」私は獰猛に莫迦で不細工な彼女たちを睨みつけてヒステリックに叫び、泣き、喚き続けた。「クソ女!」

 彼女たちは「ば、莫迦じゃねぇの?」と私がおかしくなったと思って顔をひきつらせて私の席から離れていった。負け犬め。私は私から逃げる彼女たちを見ながら清々した、という気には全くなれなくて、彼女たちがまだ教室で生きていることに対しての怒りに狂ってしまいそうだった。

 私は自分の机を力一杯蹴り上げた。

 がっしゃん、って音を立てて向こう側に倒れた。

 前の席の男子が怯える目で私のことを見上げていた。

「こっち見んな、莫迦野郎っ!」

 私は教室から出て理科室へ逃避した。

 理科室の窓には暗幕が掛かっていて暗かった。私は電気も点けずに机の上にあるガスバーナを手にしてマッチを擦り着火した。

 ガスバーナの火って青いでしょ?

 私はソレだった。

 紅い火は一度大きくなって青に落ち着く。

 しかしその青は誠実なまでに純粋に熱い。

 犯してやるっ!

 私は本気で燃えていた。

 殺してやるっ!

 その真実の青を知れば。

 消えない。

 燃え続けて。

 ガスバーナがガスを供給する管に繋がって無限に燃え続けるように。

 私を青く燃やすエネルギアはきっと。

 私がこの世界から消えてしまわない限りずっと燃え続けるのでしょうね。

 この世界から消えない自信はなかったのだけれど。

 いつでも栓を締める準備はしていたの。

 この世界から消えない理由はなかった。

 でも消えない理由が出来た。

 この私の横で眠る可愛い女。

 あなたとの出会いは通り雨の後、景色を煌めかせる太陽の光を浴びた瞬間だった。

 あなたは天使に見えた。

 天使を手放さないように私は笑顔を作る。

 紅い炎よりももっと強い青い炎。

 完璧でまっすぐな青い演出で彼女の目を騙す。

 静謐な女、それに相応しい微笑で彼女の目を欺く。

 虚勢を張るの。

 私の真実を、私の青を知られないように、私は虚勢を張っている。

 でも抑えていられなくてこぼれてしまう火もあって。

 その青くも灼熱の炎はあなたに噛みつく。

 私はあなたの白い腕に噛みついた。

 少し強めに噛んでしまう。

 あなたの血が欲しい。

「どうしたの、アオちゃん?」隣で微睡むあなたは急に私が噛みついたから吃驚している。

「あ、ごめん」慌てて私はあなたの腕から口元を離す。「痛かった?」

「ううん、全然、」あなたは首を横に振り天使みたいに笑う。「私っておいしいの?」

「おいしい、」私は微笑を作りながら、必死で炎が炸裂してしてしまわないように抑えてる。「すっごくおいしい」

「いいよ、もっとお食べ」天使は無防備にも自分の腕を龍に差し出した。

 龍はその差し出された腕に再び噛みついた。腕の内側の柔らかくて白い部分に、力をセーブしながらも、大きく口を開けて噛みついた。

「あははっ」あなたは無邪気に笑う。

 私は無邪気ではいられなくなる。

 周囲に罠を疑いながら。

 刹那に破滅に誘う甘い薬の匂いを感じながら。

「痛いっ、」あなたが本気で痛がるまで強く噛んでしまった。「痛いよ、アオちゃん!」

「あ、ごめん、」私は口元を腕から離す。「ごめん、痛かった?」

「大丈夫、」あなたは自分の腕の噛まれた後を枕元の弱いライトにかざして様子を見た。私にも、私の歯形が見えた。血は出ていない。あなたはきっと、血が出ていないことに安心して私にまた優しい笑顔を向けて言った。「少し痛かったけど、なんだか興奮しちゃった」

 私は込み上げて来る愛おしさにぎゅっとあなたのことを抱き締めた。

 あなたのことは絶対に手放したくない。

 天使の肢体に龍は強く絡みつく。

 天使を生かしたまま龍はきつく縛り付ける。

 でもこのまま。

 生かしたままって難しい。

 殺さないのって難しい。

 それはいけないことと分かっていても。

 愛しい天使を殺して血を呑み咽び泣いて喚き吼える龍の空華を。

 龍は未来に見て、契る。

 ああ、どうか。

 私はあなたを殺しませんように。

 私の爪は自然純粋にあなたの皮膚に食い込んでいる。

 業火紅蓮少女ブラフ。

 龍が空華と契り。


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