十四話 ヴァーリ・トゥードゥ
▲大正儀セセラギ▲
夏休みが終わった途端、うちの学校はテストが開始される。おかげで、夏休みの後半は宿題とテスト勉強のダブルパンチに時間を割かれた。それだけで精神的に苦痛が広がるのに、更に、俺は、全教科でアマネに負けた。初めての結果に、俺は空いた口がふさがらない。宿題の半分以上を俺に投げときながら、その時間を必死にテスト勉強に割いていたんだ。しかも、ほぼ上位で、英語なんてトップだ。アマネの遥か上から目線に、俺はのた打ち回るほど悔しかった。
俺は極立ぴかリ、通称――リンが、この世で一番嫌いだった。殺したいくらいに。俺の視界に入ることですら、狂おしく辛い。
しかし、現在、俺の眼の前に……リンが居る。
前回、あんだけふっかけたはずなのに……。
リンは頬を上気させて、大きく深呼吸を繰り返し、右手には小さな袋が握られている。俺は大変不快な気分になり、咄嗟に逃げようとしたけど、リンが、そのちっこい体から強烈な威圧を纏って一歩踏み出したことで、逃げるタイミングを失った。
「また来たの? ってか、今日ここに居るって、よくわかったね」
「腸辺さんに聞きました。月曜日は、いつもキト君やクラスの男子と、屋上でお昼休みを過ごしていると」
「……で、何?」
「約束通り、お、お弁当を、また作ってきました」
「俺は約束なんかした覚えがないんだけど。それに、いつもはアマネと一緒に食べるんじゃないの?」
「委員会があるので、アマネには、別に食べると言いました」
「アマネが可哀想だね。嘘ついて、それで親友気取ってんだ。キモイよ」
「い、委員会は本当です。私、まだ不慣れだから、早めに向いますから……」
俺がキモイと吐くと、リンは即座に瞳に薄い涙の膜を張り、このまま畳み掛けるかのように言葉の針を突き付けたら、号泣するのかな、と好奇心が芽生えてきた。だけど、俺が言葉を発するよりも早く、弁当を差し出してきた。外見は前回と全く同じだが、薄らと漂う匂いに、ゴクッと喉が鳴りそうなる。必死に我慢した。
「今回は、より一層頑張って作りました。アマネから、……セセギ君の好きな食べ物を聞いて、それを練習して……」
「アマネ……余計なこと言うなよ」
俺は盛大にため息を吐くと、態度悪く弁当を受け取った。ズッシリと重みと共に、何かが指に圧し掛かってきた。開けると、海苔が敷かれた白米が半分に敷き詰められ、もう半分にはハンバーグが一つ、アスパラのベーコン巻が三つ、紙のカップには肉ジャガがこんもりと積もっている。確かに、どれも俺の好物だった。これを、朝作るのか。感動よりも、その執念の強さにビビった。もう普通に息をするみたいに、ため息が漏れる。
「今日だけだから、食べるのは」
「は、はい! あの、このハンバーグ、自信作で……色々調べて作りました!」
「もういいよ。はい、不味かった。どいて」
俺は一口だけハンバーグを口にし、即座に蓋を閉じて、リンの両手に弁当を返した。それを、リンは震えながら受け取った。
「あの、まだ食べて大丈夫ですよ」
「だから不味いんだよ。わざわざ押しかけてくる意欲に引いて、不味さにも引いた。はぁ、キトに勘違いでもされたら困るから、逃げよう」
俺は立ち上がると、リンの横を通り抜ける。その瞬間、肝がさっと冷えた。リンを見ると、泣いていたからだ。ぐずぐずと大粒の涙を拵えて、悔しそうに口をへの字に曲げて舌を見つめていた。弁当を握る指に力がこもり、白色に変色していた。
「……泣くなよ」
その姿が、癪に触れる。思わず声が出ていた。かっと、内から燃えるような怒りが湧き上がってきた。確かに人が作った弁当を貶すのは、非道いと少しは思うよ。でもさ、別に仲良く無い……生理的に嫌いな人間から手渡された弁当を素直に美味いって言えないよ。変に期待させるより、すっぱりと一刀両断したほうが、コイツのためにもなるしさ……。
「……だ……ぐぅ……だっでぇ……」
涙声で、蚊の羽音のような嫌味を持った声で、何かを言い返してきた。
「え?」
「セ、セセギ君……に、お、おい……しいぃ……って、言ってもらい……たいの……です……」
「だからー、不味いんだよ。もしかして、俺に嫌がらせを仕掛けてきたの? この前の仕返しで?」
ブルブルと首を振った。
「だったらもう辞めよう。俺は不快で、お前も傷つくだろう。今まで身内の方々にお世辞言われていたんだ、って気づいて、死にたくなるだろ?」
リンは何も言い返さない。その背後に、まるで幽霊のようにアマネの姿が浮かび上がってくる、そんな錯覚を受けた。もちろん、屋上には俺とリン以外に人は居ない。だけど、俺には、コイツの体がレンズのように、アマネを写していた。今のアマネの隣には、コイツが居る。……もう、俺よりも精神的なところで、深い繋がりを持っているのかもしれない。
リンが存在しなければ、そのポジションを、俺が獲得していたはずなのに。なのに、なのに、……はぁ、本当に邪魔だ。殺したい。首を引き千切って、頭をもぎ取って、頭蓋骨を砕いて、脳みそをごちゃ混ぜにする。もう二度と、アマネの前に現れないように……。
奇妙な感覚だった。
まるで夢を見ているかのように、俺の視界を第三者的に眺めている俺を確認できた。その途端、俺の腕が獲物を捕らえようとする蛇のように、ゆっくりと伸びて行った。俺の眼に、真っ赤な炎のような影が瞳の奥で畝っている。その炎は一瞬で全身を毒のように廻ると、腕が空気の間を縫うように、進んでいく。
リンは、俺の姿を確認するのに、一瞬だけ遅れた。それだけあれば十分で、俺の指はリンの首を掴む。そこから、ねっとりとした熱が伝わり、ドクンドクンと一定のリズムが指を侵食してきた。リンの瞳には俺が映っている。指から伝わる音が大きくなった。リンの息苦しい唸りが加速する。
もう、自分でも、止められなかった。ここでリンが、死んだら、アマネが、俺の元へ戻るなんて思えない。だから、リンを傷付けないようにしてきたのに。
――がシャンッ!
その音で、俺は我に返った。強烈な音が足元から響いてきたからだ。慌ててリンから視線を下げると、ぐちょぐちょになった弁当の残骸があった。そして視線を上げると、俺は、リンの首を絞めている。
一瞬考えてから、指を離した。
「げほッ! げほげほッ! はぁー! はぁー! ふぅぅ……ぐっ、おぇ、……げほッ!」
リンは四つん這いになり、必死に空気を喰うかのように呼吸を繰り返していた。涙と鼻水を掃出し、狂ったかのような姿に、俺は怖くなる。ズシリと、重たい感情が、頭を揺らした。
だけど、何とか俺は自分自身を立て直す。心の中でスイッチを切るかのように、リンへの罪悪感を消し去った。すると、俺の足元で這い蹲り、必死に生きようとしている姿が、何だか滑稽に感じた。
周りの人間を狂わすというバカげた力を持っているけど、所詮は人間なんだ。化けの皮を剥ぐと、ただの力の弱い女の子だ。
「ごめん、少しやり過ぎたよ。ただ、本当に迷惑なんだ。言葉で言ってもわかんないみたいだから、つい手が出た。反省している。……それじゃあ、また首を絞められたくないなら、俺の前に出現しないでね。ウザイから」
リンは俺の言葉が聞こえているのかわからない。相変わらず下品な呼吸を繰り返していた。このまま頭を足で踏み潰したい衝動に駆られたけど、流石にそれは出来ない。殺してしまう。俺はリンを置き去りにすると、屋上を後にした。階段を下りる途中で、キトとクラスの男子に出会い、今日は食堂で食べようと言って、無理やり屋上に近づけないようにした。
食堂に向かう間、リンの姿を思い出す。そのたびに、頬が捲れて、俺は顔を抑えていた。食堂で、俺はいつも通りに本日の定食を頼むと、そこにはハンバーグが乗っていた。
いつものように、口に運ぶ。
「どうしたんだセセギ?」
「……え、何?」
「何、じゃない。突然固まったぞ」
「べ、別に……ただ、今日の飯、あまり……」
「あまり?」
ぞわっと、脈が全身を一周するかのように鳴った。俺は、それから逃げるように話を変える。
「何でもない。そ、そうだ、キト、腸辺さんは、どうなの?」
「あぁ、フラれたよ」
「そう、だったね。ごめん」
「別に謝る必要は無い。……それに、現在は、そのことについて、巨大な問題が僕に直面している」
「なんだそれ……」
「これは真面目な話だ。いいか、セセギ、君は男に興味があるか?」
……ん、デジャブ?
「もし、キト君から、セセギ、君は男に、興味があるか? って迫られたら?」
「超恐い……」一瞬でも想像していまい、冷や汗が噴き出た。
アマネとの会話に出た言葉と、そっくりだ待って、待て、待て待て待てッッ! その質問は、や、ヤベェ! おいおい、おかしいだろー、お前はJKを愛して愛し過ぎて超能力を手に入れてしまった変態だけど、生物学的には普通の恋をするんだよなぁー!
「……先にセセギに伝えておこう。別に、僕は今、君に告白してはいないよ」
「え、え……あ、あぁ、うん、そうだよね、ちょっと、似たような話があったからさ……」
「動揺し過ぎだ。去年、アマネさんに彼氏が出来た、という噂を聞いた時、君は心臓発作で五秒ほど倒れたが、それに匹敵していたな」
「うん、あれは、そうだね、三途の川を渡りかけたよ。ってか、石を自分の身長近くまで重ねていた……。勘違いと発覚して、俺はギリ助かったんだっけ」
「それで、だ。いいか、僕は告白されたんだ」
何故か、キトはため息交じりに答えた。
「え、……よ、よかったじゃん。誰、可愛い子?」
「大須賀武」
「……今なんて」「大須賀武、通称――タケシだ。彼が、僕に告白してきたんだ」
「……告白? それは、何の?」
「もちろん、愛だよ。タケシは、ホモだったんだ」
キト曰く、タケシは先日の海で、キトに惚れたらしい。
「何故?」
「海で僕に真剣に挑む姿が、カッコ良かったと、熱烈に語ってくれたよ。タイマンで|ヴァーリ・トゥード(何でもアリ)をしよう! と積極的に懇願してきたのも、……僕の体に直に触れたかったからだと」
「あれ、腸辺は?」
「タケシが腸辺と近しいのも、僕が腸辺に近づいていたので、情報を得ようとして近づいていたんだ」
キト→腸辺→タケシ→キトという、綺麗な三角関係。
なんか、その話に物凄い既視感を覚える。男女比率の違いと、リンが俺に好意はあるだろうけど、惚れているまでは……行かないとところ以外は、似ている。
「で、お前はなんて?」
「もちろん、断ったよ。ホモではないからな……」
「……玉の輿じゃん」
「いいか、僕は自分の処女を失うわけにはいかない。それだけは、勘弁願いたい」
キトは毅然とした態度でそう宣言した。コイツはコイツで、色々と苦労しているんだなぁ、とそんなことを考えて、俺は自分の思考から逃げていた。
その後、キトはJKがこの世界をデラックスで新たなステージへと導くといつもの突拍子も無い理論を聞きながら、俺は、昼食のハンバーグを残していた。
不味いと、感じたからだ。
いつもなら、この食堂のハンバーグを何度も食べたことがある。冷凍食品ではなく、ベテランのおばちゃんが作っている。残したことなんて、一度も無いはずなのに……。
リンの作ったハンバーグのほうが圧倒的に美味かった。一口だけしか口に入れていないのに、旨味が舌の上から消えない。辛いカレーを食べた後に、少し辛いカレーを食べたら辛味を感じないように、旨味を消し去っていた。確かに、美味かった。匂いはもちろん、口の中でじゅぅっと油を滲ませながら溶けていく。市販の肉で作ったはずなのに、レストランで喰ったみたいな感激を受けた。食堂より、……うちの母よりも、美味いと認めてしまうくらいに。
それに、俺は嘘をついて、不味いと答えた。リンを、二度と俺の目の前に出現させないように。また、アマネに近づくな、と念を込めて。ボロボロと涙を流すくらいに傷ついていた。
その姿を、俺は見たくなかった。涙を流す姿が、俺は嫌いだった。女子が、号泣している姿は、俺の中で痛みのように膨れ上がり、胸が圧迫されて呼吸が出来なくなるくらいに。
だから、俺はリンの首を絞めたのか? 目の前から消し去りたいから、……殺そうと思ったのに、なんだよ、この最悪な気分は……。
アマネのためなら、俺は何でも達成するつもりだった。アマネの付近にまとわりつく人間は、例え親でも親友でも、消し去る覚悟を秘めている、はずだった。だけど、実際は、この有様だ。
リンの、気持ちがわかる。リンを、俺に例えて、俺を、アマネに例えた場合、……リンは、俺に惚れているのか? なんて、どこぞのハーレム漫画の鈍感主人公みたいな思考は辞めろ。普通、嫌いな人間のために、あんだけ手の込んだ弁当を作るかよ。俺がリンに対し、何一つ惚れるようなプロセスを踏んでいないから納得出来ないけど、まぁ惚れている、よね? これで違ったら俺恥ずかしいで済まないけど、まぁ、いいや。
で、もし俺が、リンのように俺に拒絶されるように、アマネに拒絶されたら、辛い。度合いは違うにせよ、好きな人から、あれだけ言葉の刃を突き付けられて首絞められたら、何を想うのか。
ざっくりと、腹を切られたみたいに、俺もダメージを負っていた。後悔の念が、その傷口から血のように飛び出てくる。痛い。涙が出るくらいに、痛かった。
だけど、リンは俺の近くに居る。気配、ってか周りの人間が狂うので、わかってしまう……。
何を狙っているんだ? 首絞めたのに、まだ、俺を好いているのか? 一体何を示せばリンは俺の前から消えてくれるの? それに、アマネだ。これ以上、リンをアマネと共に過ごさせたくない。アマネは、変わっている。リンに出会ってから、とんでもない速度で成長しているみたいで、俺は恐い。だから、俺はリンに対し、早急に手を打たなければならないのに……。
スイッチを切り、無心でリンの心を刻み付ける、それだけでいいのに、無理だった。スイッチを切った、これでもう何も感じないと思っていたけど、心の中に軽い蓋で気持ちを押さえつけただけ。リンの心を考えるたびに、それはすぐに持ち上がり、ドロドロとした後悔の念が全身に流れていく。
リンに刃物を刺し込んだだけ、俺にも刃が突き刺さってくる。