十話 大正儀セセラギ VS 極立ぴかリ
▲大正儀セセラギ▲
「あの……」先に口を開けたのは、俺ではなく、リンだった。途端に、俺の体を電撃のような緊張が襲ってくる。キトの言った通り、コイツの姿から、視認出来ない威圧が俺の内側へ侵入してくるような錯覚を受けた。だけど、俺はこの俺を見つめる少女が、最悪の敵だと、認識をしている。強くそれを想うたびに、俺の意識がクリアになり、リンの姿が鮮明に浮かび上がった。
「何?」
「えっと、……セセギ、君ですよね?」
俺はリンに名前を教えるはずがないのに、知っていた。「そうだけど?」
「あ、やはり、大征義セセラギ、通称――セセギ、君ですよね!」
そこで、リンはぱっと笑顔になる。
「……うん」「初めまして、極立ぴかリン、通称――リンと申します。あの、アマネのお友達で……」
なるほど、アマネ経由で俺を知っているのか。一ヶ月、あんだけ親密な生活を送っていたんだ、俺の話題がアマネの口から飛び出してもおかしくない――って、ちょっと待てオラッ! てめぇ、何“アマネ”って呼び捨てしてんの? 俺は五歳で知り合って小学生低学年はアマネちゃん、高学年でアマネと呼べるようになったのに、コイツは、一ヶ月でその壁を乗り越えたのか……。
「知ってるよ、俺も、アマネからリンさんの話はよく聞かされていたから」
「アマネとは、長馴染みと聞きました」
「こっちに引っ越してきてから、ずっと一緒だからね」
「わぁ、凄いですね!」
「偶然だよ。腐れ縁みたいなものだから」ちなみに全て運命的に同じクラスだ!
リンは、一瞬海を眺めて、語り始める。
「アマネって、愉快な人ですよね」
「愉快というか、面白いというか、アホ……かな」
「アホは言い過ぎですよ。それに、物凄い行動力があって、毎日遊んでいますけど、色々なところに遊びに連れて行ってくれます」
「仲良いよね」それは認める。
「はい、アマネとは、いつも一緒です」
とびっきり笑顔を乗せて返してくる。これがキトのような人間なら、幸福感で満たされるかもしれないけど、俺には……嫌悪感に塗れた殺意しか湧かない。
「アマネは、やろうと思えば、何でも出来るから、傍から見てると、爽快な気分になるね」
「はい、とてもカッコイイです。憧れちゃいます……」
夢見るような瞳で、リンは答えた。ぞわっと、冷気が背中を通り過ぎた。冷水を頭の上から被ったみたいに、心臓がバクバクと音を立てた。
憧れる、だって?
えっと……もしかして、俺の予想以上に、この二人はヤバい方向へ惹かれあっているの、か? なので、探りの言葉を放つ。口を震わせながら……。
「あーやっぱり、女子から見てもアマネはカッコイイと思うんだ。あいつさ、中学の時、後輩の女子から凄い人気があってさ、部活の引退試合にファンクラブみたいな女子が応援に来て、驚いていたよ」
「その女の子達の気持ち、少しわかります。私みたいな小さな女の子には、アマネみたいな運動も出来て、皆に信頼される姿を、カッコイイって憧れてしまうのです……」
「ふーん、そんなにアマネがカッコイイ?」「はい、とても」「だったら、付き合っちゃえば?」
――はい。
なんて、笑顔で返されたら、俺は、俺は……。
だけど、予想を裏切り、「それはありえませんよ」とリンは答えてくれた。頭の中で天使がエアギターを披露しながら飛び回る意味不明な映像が流れたほど、俺は安堵した。
「え、二人は付き合っているんじゃいの? そんな感じだったから、てっきり」
「えー、だって私は女ですよ。友達です。確かにアマネはカッコイイですけど、それは……うーん、また違います。傍目からだと、そう見えますか? でも、そうですね、ここに引っ越して、アマネと出会ってから、毎日一緒に遊んでいます。そのように映っても、仕方ないかもしれません」
「なんだ、もし付き合っているのなら、俺は応援しようと思っていたのに。趣味は人それぞれ、と理解する広い心を持っているからさ」それは嘘だろ、と一応自分にツッコむ。
「ただ面白がっているだけですよね……」
そこでリンはセセギから眼を離すと、片膝を抱え込んで、また海を眺めた。パーカーの隙間から覗く胸が、膝で潰されてむにゃーん、と形が変わる。
「戻らないの?」
「もう少し、ここにいます。疲れました……」
「来たばかりなのに?」
俺は遠回しにあっち行け俺の視界から消えろくたばれ、と言っているんだけど、気づいてくれない。
「先ほど、皆さんに、色々と引っ張られましたので……」
そういや、キトが狂いながら写真を撮り続けている間、リンは元スマイル組の奴らに捕まり、生きた状態のタコを捌きその踊り喰いを強要されたり、子豚の一番美味しいところは肝だよ、と無理やり食べさせられたり、色々と楽しい光景が広がっていたな。腸辺に付いてきたのも、それらか振り切るためだろう。
「タコ美味しかった?」と悪意を込めて問う。予想通り、リンは頭を抱えて呻いた。
「お、思い出させないでください! 千切っても動いていた触手が、まだお腹の中で蠢いているような気がしますぅ……。もうタコは食べたくありません」
「結構楽しそうだったのに」
「私は皆さんと、あまり関わりが無いのに、構って下さるのは、嬉しいです。……しかし、私の場合、皆さんが、おかしくなってしまうのです」
「おかしいって?」
「皆さん、スイッチが壊れた玩具みたいに、延々と増長してしまうのです。ほら、ビーチバレーは相手を全員倒した者こそ真の勝者! とルールが変わり、バーベキューではどこからかイルカを捕まえて食べようとして動物愛護団体の方々と議論による争いを始めています。セセギさん、今までこのような光景を見たことありましたか?」
「いや……無いけど」
「私には、これが基本の世界です。周りの人が狂い、終わりなくおかしくなってしまう……。だから」
「だから?」
「アマネの振る舞いが嬉しかったです」
「へぇ、どうして?」
「アマネだけは、違いました。私を、普通の友達として、接してくれます」
リンはアマネの姿を思い浮かべながら喋っているのか、少し嬉しそうだった。
「でも……アマネは結構ドライな部分があるよ。思ったことを反射で出す癖があるから、それとか、嫌にならない? 今まで、チヤホヤされてきたんだろ?」
「平気です。本音で語りかけて欲しいのです。誰もが私を肯定するので、自分という存在、位置がわからなってしまうのです。褒められ、決して怒られません。その中で、アマネは、私の意見に反論し、ふざけると真剣に怒る時もありました」
ふーん、まぁ、暴れている奴らを見るに、メリットばかりじゃないんだろうな。確かにここまで狂うと、困るよな、普通は。
その時、俺はリンの言葉に引っかかりを感じた。
アマネは、おかしくならない。
ん、待てよ、そういえば、俺も変わらない、よな? うん、普段通りの思考だ。ただひたすらコイツをアマネから引き剥がすことばかり考えているから、狂えないのか?
それに、リンも気づいたのか、俺の顔を見て、何か言いたげな顔をしていた。
「セセギ、さん……」
「何?」
「あ、あの」「ん?」「そ、そんなに、私の胸を、見ないでください!」
……違いました。
リンは震えながら声を荒げると、パーカーのチャックを閉じる。ってか待て、見て……たけど、別にやましい気持ちなんか込めてねーよ。
「仕方無いだろ」
「ふぇ?」
「あのさ、そんな下着みたいな水着を着といて私のこと見ないで下さい~、なんておかしいだろ。俺じゃなくても男なら誰でも見ちゃうんだよ」 byキト。
「わ、私、その……少し大きいので、サイズの合う水着がこういう派手なのしか見つからなかったのです……」
頬を赤く染め、スッポリとパーカーを被った。小動物みたいで、金槌で頭を叩きたくなった。あと、少しじゃねぇーよ。巨乳だよ。
「あ、そう。でも視られるの嫌だったら、水着を着ないほうがいいよ」
「だって普段は、あまり、皆さん私を凝視しますけど、しかし、先ほどのように見つめてくることは、無かったのです……」
「……ごめんね、俺が変態で視線が気持ち悪くて」
「あ、ち、違います。そういう意味ではなくて、その……セセギさんもです」
「何が?」
「アマネと同じく、私の近くに居ても、おかしくなりません!」
胸を凝視していたから、確信を得たのか。最低の理由なんだけど……。
いつの間にか、夕焼けが海面を照らしていた。波が揺れるたびに、宝石のように輝いている。
バーベキューはキャンプファイヤーに変わり、中央に子豚の骨とイルカの骨が祀られ、その周りでクラスメイトと動物愛護団体とその他の人間が踊り狂っていた。ビーチバレーでは、キトとタケシ以外は疲れてぶっ倒れ、最後は拳で語り合っていた。なんだこれ……。
うん、話を整理しよう。まず、リンが存在すると、世界はリンを中心に据え、周りは加速して回転するかのように狂ってしまう。だけど、俺とアマネだけはその魔力が効かない。
……いや、そこが間違っているのかもしれない。アマネは、既に狂っている、と仮定しよう。何故なら、別にレズでも無いクセに、リンを愛していた。大好きだと俺に語ってくる……。もしかしたら、リンの魔力が、アマネにも突き刺さり、そこで終わらずひと捻り加わってしまい、一段と狂っているのかもしれない。
それは……わかりやすい例えを出すと、俺だ。俺は、喉を掻き毟りたくなるほどアマネを愛している。その想いが、骨を貫き、神経に絡み付き、血液を無限に流し込むかのように、血肉となっている。もう絶対に切り離せないほどに。どんなことがあっても、アマネを許してしまうくらいに、ってか一度許した。小学生の頃、親が親戚からインコを貰い、うちで飼っていた。名前は、電撃、纏いし風、通称――ボル。俺はかなり手間暇かけて育て、可愛がっていた。だけど、ある日俺が部屋からいなくなった時、アマネは窓が空いているのにもかかわらず、鳥籠を開けてしまい、外へ逃がしてしまった、と言った。俺は血の気が引くほど怒りに震えたけど、アマネに「セセギ、ごめん、なさい」と震えながら謝られて、その怒りは消えてしまった。その姿が、いつものアマネと違い、とても儚く映って、何も言えなかった――。
自分で認めるけど、病的にアマネを愛している、だから、俺はリンに惑わされないのか?
ってことは、それと同じ程度までリンを愛していると仮定したアマネを、リンからどうやって引き剥がすのか、わからなくなった。もし、アマネが事故に会い、二度と動けないような体になったとしよう。俺はどんなに苦しくて面倒で辛くても、一生アマネの隣に居るつもりだ。人として壊れてしまっても、アマネの傍らに存在する、それだけで、十分。
だから、俺がここでリンの頭を殴り、下半身不全にした場合、アマネはきっと、リンの隣に存在しようと努力する。きっと、周りの全てを視界から消して、リンだけを瞳に閉じ込めてだ。もちろん、俺も消えてしまう。
そんなわけで、今、俺は最大のチャンスが到来したのに、動けない。
失意の元、深いため息を吐き、キトが残した串焼きを食べる。もう固くて咀嚼に時間がかかるけど、今は別の行動をしないと、思考が働かない。
「よく食べますね……」
リンが久しく声をかけてきた。俺が開き直って胸をガン見するのが嫌だったのか、ずっと足元を眺めて黙っていたのに。
「腹減っているから。それに、昼間はいつも食えないから、今日は勿体無くて食べるの」
「お昼、食べないのですか?」
「食べるけど、うちの親、共働きで朝早くから仕事に出かけて、弁当作れないんだよね。俺、料理は無理だし、昼はパンしか食べないんだ。食堂もたまに使うけど、流石に毎日は金が持たない」
普段は、学内で販売している総裁パンを二、三個をクラスの男子かキトと一緒に食べている。アマネとは、コイツが来るまではちょくちょく一緒に食べていたのに、今は皆無だ。
「パンって、飽きませんか?」
「そりゃ飽きるよ。大好きだった焼きそばパンなんか、一年の時食いまくっていたからもう見たくも無い……」
「アマネさんは、作ってくれたりしないのですか?」
リンはニヤつきながら聞いてきた。
「……あいつの料理センスを見たことがあっての発言だよね、その笑顔は」
「この前、一緒にチョコレートケーキを作ろうとしました。しかし、砂糖と塩を間違えるのは当たり前、何度も失敗して、出来上がったのは……アメリカンドックでした」
「どこからソーセージが湧いたのかはともかく、よくアマネと一緒に料理して大丈夫だったね」
そこまで言うと、リンは弾けるように笑った。楽しそうに声を響かせる。
「ひ……人の悪口で、あはは、そんな言い方駄目ですぉ」
「爆笑しているのはリンさんだから。あいつの奇跡的な腕前を思い知ったのか」
「だって……絶対に砂糖と塩を間違えて……チョコレート、全部駄目にしちゃったのです。それで……な、泣きそうになって、もう材料も少ないから、ホットケーキにしましょう、って、提案したら、アメリカンドックがいい! って眼をキラキラにして……あはは、はぁ」
「アマネの料理は基本カレーで終わる。たまに披露されるんだけど、段々収集が付かなくなって、最後はルーをぶち込んで完成、したことにするから。カレーには絶対入らないような具がプカプカ浮いているのを何度見たことか……」
「アマネは、いつもは冷静なのに、ちょっとパニックになると、途端に可愛らしくなりますよね」
「そうだね、ギャップが面白いよ。で、アマネを馬鹿にして笑うリンさんは、料理出来るの?」無理とかほざいたら、お前の頭を刺身にするよ?
「母とよく一緒に料理を作っているので、一通りは出来ますよ」
「へぇ、凄いね」
「お弁当も、自分で作っています」
と、偉そうに語る顔がまたウザい。
「いいなぁ、俺にも作って欲しいよ」
この言葉は、別に意味を込めて発言してはいない。ただ、話の過程で、ポン! と頭に浮かんだから、会話を繋げる意味で、放り投げたモノだった。
だけど、
「ふぇ……わ、私が?」
リンはその言葉を聞いて、断りの返しを言わず、見る見る顔を真っ赤に染め上げて、俺から目を背けてしまった。
……あ、ちょっと待てよー。
「ごめんね、冗談だから、別に」お前の触れた飯なんか口に含むのすら嫌だから。「本気じゃないよ。気にしないで……」
だけど、リンは俺の言葉なんか聞いていないようで、ぐっと唇を噛みしめると、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
うお、これは、い、嫌な予感がする……。
「わ、わわわ、私……が、……あ、そん……その……」
「あ、ビーチバレーはタケシがまるで虎の咢が獲物の喉笛を噛み砕くかのように両肢で相手の頭を挟むように蹴り……と見せかけた飛びつき逆十字がキトの肘に決まって決着がついた。おーい!」
死闘の決着を理由に、俺はリンの前から逃げようとした。
が、
「あ、あのッ! セセギ君!」と呼び止められてしまう。
「……な、何?」
「そ、そのぉ……だ、だから……お、弁ぉぅ……」
「え?」
「わ、私が、お弁当を作りましょうか? 料理とか、好きなので……」
な、何で? まだ会って一日も経っていない相手のお弁当なんか作るか? 少年漫画でもこんな強引な展開は無いだろ!
だけど、俺は一秒考えた。そして、口を開く。
「マジで? 嘘、めちゃくちゃ嬉しいよ! お願いしていいかな?」