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牛乳を買いに出ただけなのに、ゼロビルド島でビクロイするまで帰れません  作者: 風宮亜矢


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第2話 帰還場所が、私のワンルームなんて聞いてない

私はしばらく、玄関のドアを見つめていた。


何分そうしていたのか分からない。

スマホの時計を見る余裕もなかった。


部屋の中は静かだった。

冷蔵庫の小さな機械音。

ゲーム機のファンの音。

外を走る車の音。


いつも通りの音が、ちゃんと聞こえる。


それなのに、ドアの向こうだけが怖い。


たった一枚の金属の板。

その向こうにあるはずなのは、アパートの廊下だ。

共用灯があって、隣の部屋の傘立てがあって、階段があって、そこを降りれば夜の道に出られる。


コンビニまでは歩いて三分。


牛乳を買って、お菓子をひとつ買って、帰ってくる。

本来なら、それだけのことだった。


「……確認しなきゃ」


声に出すと、少しだけ体が動いた。


私は立ち上がろうとして、膝に力が入らずにまた座り込んだ。

さっき撃たれた肩は、傷こそないのに重だるい。撃たれた瞬間の熱が、体の奥に残っている。


夢ではない。


でも、現実とも思いたくない。


「一回だけ……一回だけ確認」


私は自分に言い聞かせた。


部屋から出ようとしたら、さっきの世界に行った。

でも、それが本当にドアのせいなのか分からない。

たまたま変な夢を見て、寝ぼけてサンダルをどこかへやっただけかもしれない。


いや、そんなわけがない。


それでも、そう考えないと動けなかった。


私は玄関に近づいた。


右足だけサンダルを履く。

左足は裸足のままだ。さっき島で失くしたサンダルが、どうしても戻ってこない。


鍵は開いていた。


ドアノブに手を伸ばす。


また、あの冷たさがあった。


金属の冷たさではない。

もっと深い、体温を吸い取るような冷たさ。


私は唇を噛んだ。


「ちょっと開けるだけ。見るだけ。出ない。絶対に出ない」


そう言って、ほんの少しだけドアを押した。


隙間ができる。


普通なら、廊下の蛍光灯の光が差し込むはずだった。


でも、入ってきたのは風だった。


強い風。


草の匂い。

土の匂い。

遠くで鳴る銃声。


私はすぐにドアを閉めた。


ばたんっ!


「やっぱり……!」


心臓が暴れる。


今の一瞬、見えた。


廊下じゃなかった。

青白い空。

遠くの丘。

戦場。


私は玄関に背中をつけて座り込んだ。


「なんで……なんでなの……?」


理由なんて分かるはずがない。


異世界転生。

ゲーム世界転移。

そういう物語は知っている。読んだこともある。ゲームの中に入る話だって、珍しくない。


でも、読むのと自分がなるのは全然違う。


しかも私は、勇者でもない。

天才ゲーマーでもない。

大会で優勝したこともない。

配信者でもない。


建築なしのバトロワに最近ハマり始めた、ただの大学一年生だ。


初動で普通に負けるし、エイムも安定しないし、強い武器を拾っても焦る。動画で見たコンボは、だいたい自分だけ変な方向に飛んで終わる。


そんな私が、あんな場所に放り出されてどうするの。


「無理……」


口から漏れた声は、自分でも情けないくらい小さかった。


でも、無理なものは無理だった。


私はしばらく玄関に座り込んだまま、スマホを握っていた。


そこで、はっとした。


そうだ。

スマホ。


私は慌ててロックを解除した。

電波は立っている。Wi-Fiにも繋がっている。


「よかった……!」


まずは電話。


咲にかける。


発信画面。

呼び出し音。


……のはずだった。


でも、音がしない。


画面には発信中と表示されているのに、いつまで経っても呼び出し音が鳴らない。数秒後、ぷつん、と通話が切れた。


「え?」


もう一度かける。


同じだった。


発信中。

無音。

切断。


私は隼人にもかけた。

結果は同じ。


母にもかけた。

バイト先にもかけた。


全部、繋がらなかった。


「なんで……電波あるじゃん……」


LINEを開く。


咲とのトーク画面に、指が震えながら文字を打つ。


『助けて。変なことになってる。部屋から出られない』


送信。


ぐるぐると、送信中のマークが回る。


一秒。

二秒。

三秒。


送れない。


赤いエラー表示が出た。


私は息を呑んだ。


もう一度送る。

だめ。


隼人にも送る。


『隼人、起きてたら返事して。やばい』


送れない。


メールもだめ。

メッセージアプリもだめ。

大学の連絡用アプリも、ログイン画面から進まない。


頭の中が冷えていく。


電話ができない。

メッセージも送れない。

誰にも助けを求められない。


「じゃあ、ネットは……?」


震える指で動画サイトを開く。


普通に開いた。


おすすめ動画が並ぶ。

ゲーム実況。

料理動画。

ニュース切り抜き。

いつもと同じ、なんでもない画面。


検索もできる。


私は思いつくままに検索窓へ打ち込んだ。


『ドア 開けたら ゲーム世界』

『部屋から出ると バトロワ』

『玄関 異世界 戻る方法』

『ゲームみたいな島 撃たれる 戻る』


検索結果には、漫画や小説や掲示板の話ばかりが並んだ。


役に立たない。


「そりゃそうだよ……」


こんなこと、検索して答えが出るわけがない。


私はスマホを床に置いて、両手で顔を覆った。


泣きたい。

というか、もう少し泣いていた。


でも、泣いてもお腹は空く。


それが一番嫌だった。


極限状態なのに、体は普通に生活を要求してくる。


喉が渇いた。

肩が痛い。

足の裏が汚れている。

お腹も少し空いている。


私はよろよろと立ち上がり、キッチンへ向かった。


タッパーの唐揚げとポテトサラダを取り出す。

電子レンジに入れる。

温めボタンを押す。


ぶーん、という音が部屋に響く。


こんな状況で惣菜を温めている自分が、あまりにも普通で、少し笑えてきた。


いや、笑えない。


レンジの中で唐揚げが回っている。


私はその前に立ったまま、さっきのことを思い出した。


降下。

グライダー。

小屋。

ショットガン。

青い瓶。

足音。

撃たれた肩。


そして、戻ってきた部屋。


「帰還場所が、私のワンルームなんて聞いてない……」


そうつぶやいたら、本当に少しだけ笑ってしまった。


ゲームで負ければロビーに戻る。

それは当たり前だ。


でも、私の場合のロビーはこの部屋らしい。


六畳のワンルーム。

家賃を抑えるために選んだ、古いアパート。

ミルクウォーマーと、安いインスタントコーヒーと、バイト先の惣菜がある部屋。


ここが、私の待機場所。


冗談みたいだった。


レンジが鳴る。


私はタッパーを取り出し、ローテーブルに置いた。

割り箸を割る。

唐揚げをひとつ口に入れる。


少し硬い。

でも、おいしい。


店長の顔が浮かんだ。


明日のシフトは夕方からだったはずだ。

行けなかったら、どうなるんだろう。

連絡もできない。

無断欠勤になる。


大学は?

明日の一限は心理学概論。

出席を取る先生だ。

レポートもある。


生活が、たった一枚のドアで全部止まってしまう。


私はポテトサラダを食べながら、スマホのメモ帳を開いた。


こういうとき、咲なら整理する。

パニックになっても、まず分かっていることを書き出す。


私はスマホのメモ帳に文字を打った。


1. 部屋のドアを開けると、アパートの廊下ではなくバトロワっぽい島に出る。

2. 島では降下から始まる。

3. 武器や回復アイテムがある。

4. 撃たれると部屋に戻る。

5. 傷は残らないが痛みは少し残る。

6. 電話、LINE、メールは使えない。

7. ネットと動画サイトは使える。

8. 左のサンダルは戻ってこない。


8番目を書いたところで、急に現実味が増した。


左のサンダル。


それがいちばん怖かった。


もし全部が幻覚なら、サンダルは部屋にあるはずだ。

でも、ない。


つまり、物は向こうに持っていける。

向こうで失くしたら、こっちに戻らない。


「じゃあ、スマホ持ってったら危ないじゃん……」


もし島で落としたら?

壊れたら?

戻ってこなかったら?


連絡ができないとはいえ、ネットが使える唯一の道具だ。動画も見られる。調べ物もできる。これを失くしたら本当に終わる。


次からは、持って出ないほうがいい。


次?


私は自分で考えた言葉に固まった。


次なんて、行きたくない。


でも、部屋から出るには、あそこを通るしかない。


買い物も、大学も、バイトも。

全部、ドアの向こうだ。


いや、違う。

ドアの向こうは、今は戦場だ。


私は唐揚げを飲み込んだ。


急に喉が詰まったような気がして、マグカップに残っていた冷たいコーヒーを飲む。


牛乳のない、苦いコーヒー。


「……まず、ルールを知らないと」


怖い。

本当に怖い。


でも、何も知らないままドアの前で震えていても、状況は変わらない。


私はもう一度メモ帳を見た。


分かっていること。

分からないこと。

確認すること。


咲ならそうする。

隼人なら、たぶん「もう一回行って殴ってくる」とか言う。


私は咲ほど冷静じゃない。

隼人ほど無茶もできない。


でも、二人のことを思い出すと、少しだけ息がしやすくなった。


私は床に置いていたショルダーバッグを見た。

大学に行くとき使っている安いバッグだ。中には古いノート、ボールペン、モバイルバッテリー、ハンカチ、予備のマスク。


次に行くなら、必要最低限。

スマホは置いていく。

メモは紙にする。

靴はスニーカー。

部屋着じゃなくて、動きやすい服。


「行きたくない……」


思わず口に出た。


本音だった。


でも、行かなきゃ分からない。


私はタッパーの残りを冷蔵庫に戻し、部屋の真ん中に座った。


ゲーム画面は、まだロビーのままだった。


自分のキャラクターが、何も知らない顔で立っている。


私はコントローラーを手に取り、メニューを開いた。

今のシーズンのアイテム一覧。

武器。

回復。

機動アイテム。

リーコン系のアイテム。


もしかしたら、向こうの島は、今このゲームと同じルールで動いているのかもしれない。


だとしたら、私はまだ何も知らなすぎる。


「師匠……」


動画サイトを開き、いつもの配信者のチャンネルを表示する。


派手すぎないサムネイル。

冷静な立ち回り解説。

登録者は多すぎないけれど、コメント欄には熱心な視聴者がいる。


私はその中から、初心者向けのゼロビルド解説動画を選んだ。


再生ボタンを押す。


画面の中で、師匠が言う。


『まず大事なのは、撃ち合いに勝つことじゃありません。撃ち合う前に、勝てる状況を作ることです』


私は息を止めた。


まるで、今の私に言われているみたいだった。


ローテーブルの上には、牛乳のないコーヒー。

玄関には、片方だけのサンダル。

ドアの向こうには、戦場。


私はノートを開いた。


そして、震える手で最初の一行を書いた。


『生きて戻るために、まず見る』


その夜、私は眠れなかった。

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