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4.ユウゲショウ



「そういえば、大広間に飾られるお花はアンリくんが用意すると聞いたのだけど……」

「はい。王様が今年も頼むと言ってくださって」


 アンリがうなずくのを見て、ナタリーはぱあっと顔を輝かせた。最近では二人の間の空気はすっかり砕けて、アンリも時々敬語が外れたりしている。


「すごい! 今年の儀式のメインは花だって城の掲示板の新聞記事にも大きく載ってた!」

「え……!」


 なぜか王様の話題の時よりも動揺した様子でアンリはその場で立ち上がり、ナタリーの肩をガシッと掴み、ぐいっと顔を寄せてきた。


「ナタリーさん! その記事、しっかり読んじゃった!?」

「へ? いえ……仕事の合間に見出しだけチラッと……あとでじっくり読もうと思って……。どうして?」

「いや、読んでないならいいんです。……それなら、何も……」


 アンリはナタリーの肩から手を離し、気が抜けたようにしゃがみこんだ。さっきまでアンリの顔が近くにあることにドギマギしていたナタリーにしてみれば、急にはしごを外されたようで拍子抜けする。


「あとで読んじゃダメですよ。はがしてもらうように言わないと……」

「え! どうして!? 読みたかったのに!!!!」


 アンリがとんでもないことを言い出すのでナタリーは思わず抗議した。さっきの一瞬ではきちんとした内容すらもつかめなかったのだ。


「……知りたい?」


 しかし、ふと真剣な表情でそう問うたアンリに、ナタリーはそれ以上何も追及できなくなってしまった。なんだか、それ以上こちらに踏み入るなと言われているみたいだ。そしてそんな風にきっぱりと引かれた線を、ナタリーは乗り越えられない。


「……ううん。やっぱり、いいや」

「…………」


 どことなくほっとした顔で微笑むアンリを瞳に映してナタリーは己の臆病さを呪った。


「おめでとう」


 はにかみながら祝いの言葉を口にして、ナタリーはつい、いつもあの子にするみたいに両手を広げた。


「……っ!」


 けれどなぜか、アンリはなかなか飛び込んでこない。あの子なら『ぎゅ~すゆのー!』と言って一目散に駆けてくるのに。


(……ん?)


 『あの子』って、誰だろう。


「どうしたの? ほら、ぎゅー……」


 突然自分がしていることの大胆さに気付いて、ナタリーは慌てて腕を引っ込めようとした。しかし、それよりも一瞬早くアンリの腕が伸びて、大きな手のひらがナタリーの手首をつかんだ。


「…………ナタリー……」


 耳元で囁かれた吐息交じりのしびれるような甘い声に、ナタリーはくらくらした。アンリの腕の中は驚くほどあたたかくて、落ち着かないのに安心する。

 アンリの心臓の音がすぐ近くで聞こえるからだろうか。


「アンリ……く、ん……?」


 呼びかけてもまるで耳に入っていないかのようにアンリはしばらくの間無言でナタリーを抱きしめ続けた。そのあまりの力強さにナタリーはピクリとも動けない。

 また少し、力が籠められる。


「アンリく……。い、痛い……」

「ご、ごめん!」


 我に返ったようにアンリがバッと体を離した。形のいい耳たぶと鼻先が、少し赤く見えるのは、希望的観測すぎるだろうか。ナタリーがきちんと顔を見ようとする前に、アンリは顔を逸らしてしまった。

 ナタリーは必死で平静を装いながら、強引に話を軌道修正する。


「それにしても、王様、よっぽどアンリくんの店のお花が好きなのね。今年も終わっていないのに、来年からの分もお願いするおつもりだなんて」

「……え?」

「今年()なのでしょう?」

「……――あ、はい。そう、ですね……」


 なぜかいまいち歯切れの悪いアンリだが、ナタリーは特に気にも留めずに続ける。


「やっぱり! アンリくんがもってきてくれるお花、私も大好きだもの! やさしくて、素朴で、でも品があって……。きっと王家の方々の御心も休まるのだわ」

「ありがとう、ございます」

「いつも廊下に置かれる花瓶を見ていてもわかるの。『ああ、今日のお花はアンリくんの持ってきたやつだ』って」


 まるで自分が褒められたみたいに誇らしくて、笑顔でそう言うと、アンリは軽く瞠目し、呟く。


「…………そう言ってもらったのは、二度目です」


 ナタリーは、さっきまで熱に浮かされていたような己の心がすうっと冷えていくのがわかった。


(私はこんなに動揺してるのに、アンリくんの心にあるのは、それでも別の、人なのね……)


 悔しい、と思った。その人がとても羨ましいと。

 自分のことを見てほしいと、そう、思ってしまった。

 今はダメだ、今、その誘いを口にしてはダメだ。そうわかっているのに、ナタリーの口は動いていた。


「ねえ、アンリくん」

「なんすか」

「記念祭の最終日の夜って、空いてる?」

「ゲホゴッ……――」


 アンリは驚いたように目を見開き、ついで思いっきりむせた。食べていたミートボールは何とか飲みこみ、ナタリーが渡したお茶(持ってきたのはアンリだが)を飲み干し、胸をどんどんと叩く。


「もし、もしよかったら、ここで一緒に花火を見たいなあ、なんて……」


 むせたきり、何の返答も帰ってこないので、ナタリーは真っ赤になった顔と震えそうな声を隠しながら重ねてそう言った。

 しかし


「すみません」


 ナタリーの方が気まずくなるくらいきっぱりと、アンリは答えた。


「……そ、そっかぁ……そう、だよねぇ……」

「ナタリーさ……」

「変なこと聞いちゃってごめんね。そりゃあ、アンリくんだもん、別の人と予定があるよね。ご、ごめんね……」


 今度は後悔と羞恥で顔を真っ赤にしながら、ナタリーは早口でそう並べ立てた。そりゃあただお弁当を一緒に食べるだけの関係でしかない女から、いきなり花火を見ないかと誘われるなんて驚いたに違いない。

 それでも決して邪険にせずに、はっきりと答えを返してくれるだけ、アンリは大変誠実な青年である。


「あ、の、ナタ……」

「ところで、このハムを揚げたおかず、すっごくおいしい! 一枚だけじゃなくて、三枚くらい重なっているんじゃない?」

「そ、そう。ハムカツって言って……だけど、じゃなくてナタ……」

「アンリくん」


 ナタリーは微笑んだ。アンリはグッと言葉に詰まったかのように押し黙る。

 アンリにこれ以上、何かを言ってほしくない。今だけは、いつものあのやさしい声を聞きたくなかった。

 誘いを断る理由はきっと、もう一人のナタリーとの約束であるに違いないから。


(……いつも、来てくれるから、笑顔でこっちを見てくれるから、勘違い、してたのだわ……)


 自分と同じ名の女性が、ひどくうらやましかった。けれど同時に、それでもお昼に会いに来てくれるアンリに、身勝手に期待したのだ。アンリが笑うたび、もう一人のナタリーは知らないであろう表情を見つけた気がして、優越感に浸っていたのだ。


(私だけに見せる特別なんて、そんなわけ、なかったんだわ……)


「ハムカツ、また作って」

「…………はい」


 アンリはまだ何か言いたそうにしていたが、ナタリーはやんわりと拒絶した。

 仕方ないと何度も自分に言い聞かせる。欲張ってはいけない。昼休憩限定でも、アンリは毎日自分に会いに来てくれるのだ。それだけで満足しているべきなのだ。

 ナタリーの中で激しい気持ちが暴れている一方で、そんな風に自分自身を冷静に俯瞰している自分もいる。


 もう二度と勘違いはするまいと、ナタリーは甘いたまごやきを口に運びながら固く決意する。

 不思議とそんなにつらくはないわ、なんて強がって、涙がにじんだ瞳を拭いもしなかったせいで、アンリが手の中に持っていたユウゲショウの花を握り締めたことには気づかなかった。



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