#62 Transmission
『ただいま』
『あ、兄さんお帰り!』
『僕も今日はこっちに直帰だけど…』
『ノアもお帰り』
『お前らお疲れさん』
ルーカスの言葉にノアが不機嫌そうな顔をする。
『お前いつからそんなに偉くなったんだよ』
『は?別に、労ってやっただけだろ?』
『その言い方が既に偉そうだろ。だいたいお前、仕事してるのか?』
『してるわッ!今日なんて浮気の証拠を掴んでほしいとかくだらねぇ依頼に耐えたんだぞ!?褒めろよ!』
『…お前がコソコソと浮気現場の証拠写真を撮ってる姿とか、笑えるな』
『何でも屋は大変なんだよ。大抵の依頼はくだらねぇか、情けねぇかのどっちかだ』
ルーカスの盛大なため息にグレンとノアが笑う。
アレンも一緒に笑いつつ、一応言っておこうかとルーカスに言葉をかけた。
『依頼をしてきた本人にしてみれば深刻かもしれないんだから、そんな風に言っちゃダメだよ』
『いや、それはそうなんだけど、そういう依頼は俺じゃなくて他の奴に依頼してほしいってことだ。俺はもっと派手に体を使った仕事がしたいんだよ』
『お前、ただの喧嘩屋みたいなものだしな』
『うるせぇなッ!』
いちいち言い返してくるノアに、すぐにケンカ腰になるルーカス。
この騒々しさにもとっくの昔に慣れている。
人と話すこと。時にぶつかること。
誰かが、いつだって自分の傍にいてくれること。
…そのどれもが、人として生きていくのに必要なものだと、アレンは思う。
そこに、ノーマルもサイキックもない。
必要なのは、人としての繋がりだけ。
差別などなければ、誰かを思う気持ちの余裕が、思いやりが、ほんの少しでもあれば、世の中はきっと、もっと優しくて穏やかで温かい。
小さな一歩かもしれない。それでも、まずは自分から始めたいと思う。
この手の届く範囲から、大切な人を幸せにする。
それができれば、その輪が広がれば、いつかあなたにも届くだろうと思う。
『ほら、夕食にするからみんな席に着いて!』
食事を終え、賑やかだった声も次第に落ち着いていく。
皿の音や、他愛のないやり取り。
そのどれもが、確かにそこにある「日常」だった。
――その「当たり前の風景」を目に、グレンは静かに席を立つ。
『…』
屋根の上。
夜風が、わずかに体温を奪っていく。
見上げれば、静かな星空が広がっていた。
『…』
何をするでもなく、その場に腰を下ろす。
その手には、部屋から持ち出した、とある、物。
『…』
似ているようで、違う場所。
それでも、こうして空を見上げていると――
意識の端に、触れたままのものがある。
言葉にすれば、簡単に零れてしまいそうで。
名前を呼べば、それだけで何かが決定的になってしまいそうで。
『…』
短く息を吐く。
悔やんでいないと言えば、嘘になる。
あの時、ほんの僅かでも違う選択ができていたら…と、考えたことがないわけじゃない。けれど――
グレンは、ゆっくりと視線を上げた。
背後には、灯りがある。笑い声があって、帰る場所がある。
守るべきものが、確かにそこにある。
――だからこそ。
まだ、終わっていない。終わらせていない。
『…』
ふと、手の中に在る、とある物に目をやる。
あの日――
シヴァが姿を消したその日に、自室に入ったアレンが「こんな物が置かれていた」と
グレンに一冊の本のような物を見せに来た。
グレンがそれを手にしてみる。
分厚いその本のような物は、かなり古びてはいるが、大切に保管されていたのだろう。大きな傷や擦れは一つもない状態だった。
ただ、開かない。
何度か試みたが、開く気配すらない。
――シヴァが細工をしている。そう考えるしかなかった。
よく見てみると、本の割にタイトルも何も書かれていない。
――託されたのか。
『…取りに、来るよな?』
俺がお前の帰る場所になる――その気持ちに、ウソはない。
だからこそ、この名もなき一冊は――
シヴァにとっての目印であり、鍵であり、約束なのだと、グレンは思う。
『…』
グレンは指先で、その表紙をそっとなぞる。
『…次は、届かせる』
小さく落とした声が、夜の中へと溶けていく。
振り返らなくても分かる。
あの灯りが、自分を繋ぎ止めていることも。
それでもなお、目を逸らせないものがあることも。
グレンは、静かに空を見上げた。
届かなかったもの。
それでも、手を伸ばし続けるもの。
夜の奥で、微かな光が瞬いていた。
完
最後まで『Transmission』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
長い物語となりましたが、こうして最後まで書き切ることができたこと、
そして、この物語を最後まで見届けてくださった方がいることを、とても嬉しく思っています。
『Transmission』は、私にとってたくさんの思いを込めて書いた、とても大切な作品になりました。
これほどの長編を書いたのは初めてでしたが、頭の中に生まれた世界を、しっかりと描き切ることが
できたと思います^^
グレン、ノア、ルーカス、アレン、シヴァ――どのキャラも思い入れが強く、大切な存在です。
勝手に話し、勝手に動き、勝手に物語を紡いでくれるような、私にとって生きているキャラたちと
なりました。彼らの物語が、ほんの少しでも皆さまの心に残るものになっていたら嬉しいです。
ここまで彼らと一緒に歩いてくださって、本当にありがとうございました。
琉風




