第33話:魔女の手を借りてでも
村長は顔を青ざめさせ、震える指でリリスを指さしている。
「あの魔女に、助けを乞うつもりですか! そのような禍々しい真似をすれば、この村にどれほどの神罰が下るか分かりませんぞ! ただでさえ呪われているというのに、これ以上悪魔の力など借りれば、我々は完全に根絶やしにされてしまう!」
村長に同調するように、まだ辛うじて生気を残していた数人の村人たちが、次々と声を上げた。
「そうだ! 電気だと?ふざけるな! あんなものは、ただパチパチと火花を散らして人を脅かすだけの代物だろうが!」
「電気ってのは雷のことでしょ!? そんな恐れ多い力を操っていいのは、天におわす神様だけなのよ!」
血走った目で叫ぶ彼らに、周囲の村人たちも怯えた顔で次々に頷き始める。
広場の空気は、再び明確な拒絶へと傾いていく。
一方、リリスはそれらの反応にかえって安堵を覚えていた。
「皆の者、どうか落ち着きなさい」
凍りつきかけた空気を破るように、ふと神父が凛とした声を響かせた。
決して声を荒らげたわけではない。
だが、その静かで慈愛に満ちた声は、不思議とざわめく広場の隅々にまで行き渡った。
「皆さんが恐れ、忌避する気持ちは私にも分かります。神の領域に属する力に人が触れること、ましてや、得体の知れない力にすがることに強い抵抗があるのは当然のことでしょう。ですが……どうか、今一度冷静になって目の前の現実を見つめてください」
神父は、広場の中央に横たわる男の亡骸と、涙すら涸れ果てて蹲るその家族へと、視線を向けた。
「我々は今、まさに死の淵に立たされています。神は我々にいつも過酷な試練をお与えになりますが、同時に、それを乗り越えるための道も必ずどこかに残してくださる。もし、この方の言うように、『電気』という力が万物を理にかなった形で解きほぐす知恵の産物であり、今、我々の命を繋ぐ唯一の希望であるならば……。それを頭ごなしに悪魔の業と決めつけ、渇きの中でただ死を待つことこそ、神から賜った命を蔑ろにする大罪にはならないでしょうか。今は、未知を恐れる心よりも、自らと愛する者の命を紡ぐことを選ぶべき時なのです」
神父の演説が終わると、広場が束の間の静寂に包まれた。
たちまち、彼の言い分に納得したのか、恐る恐る頷く人々も何人か出てくる。
やがて、声は小さいものの、神父に同調する呟きがぽつりぽつりと上がり始めた。
「そうだ……何がどうあれ、命が先だろう……」
「うん、あの娘は、つまり電気が流れる体質なだけなんでしょ?」
「魔女だって決まったわけでもないし……」
つい先程までとは裏腹に、敵対的な雰囲気はぐんとその勢いを失っていく。
だが、村長の威勢はいささかも弱まることがなかった。
彼はかぶりを強く振り、周囲を一喝する。
「それでもダメなものはダメだ!人外の力に頼るなど、天におわす神様の力以外には断じてあり得ん。それに、間もなく領主様が戻られる。今度こそ、我々のために水を持ち帰ってくださるかもしれないではないか。我々にはまだ希望が残されているのだ。いくら喉が渇き、切迫しているからといって、正気を失って魔女に頼る必要などどこにもない。魔女が浄水した水なんか飲んだら、今は生き延びられるかもしれんが……」
村長は語気を強めて言い放った。
「死んだあとに地獄へ落ちるぞ!」
すると、その言葉に突き動かされるように、村長に同調する村人たちから「そうだ!」「その通りだ!」と賛同の声が上がる。
広場にはいつしか、浄水賛成派と反対派という、明確な二つの塊ができあがっていた。
村人の間から真っ二つに割れた意見がぶつかり合う。
賛否両論の、しかしどこかやり場のないどんよりとしたざわめきが波紋のように広がっていく。
その時だった。
発作のような、甲高い笑い声が突如として上がったのは。
それは笑い声というよりも悲鳴に近い音色を孕んでいた。
広場にいる全員の視線を強制的に一点へと縫い留めるような、凄絶な響き。
リリスもまた、引かれるようにそちらへ目を向けた。
声の主は、汚水を飲んで息絶えた男の妻だった。
「死んだあと、地獄に落ちる……って?」
笑っているのか泣いているのか判別できない、歪んだ声だった。
「生きているここだって、十分地獄じゃないの……」
広場から、すっと一切の物音が消え去る。
「生きても地獄、死んでも地獄なら、別にどっちだっていいじゃない……!」
さらに深く、息が詰まるような静寂が降り積もる。
彼女は、泣きつかれ眠ってしまった幼い娘を、自分の懐に抱きしめた。
「だけど、死んでしまったら、この子を二度と見られなくなる……。それだけは絶対に嫌……! どうせ同じ地獄を歩くなら、私はせめて、この子と一緒に生きる地獄を選ぶわ。もうこれ以上、愛する人を失うのはごめんなのよ……!」
そう言い終えると同時に、女は立ち上がった。
幼い子供を抱え込んだまま、ふらりと体を起こす。
あんなにも疲れ果てた体のどこにそんな力が残っていたのかと、リリスは少し驚く。
そして、その驚きはすぐに当惑へと変わった。
立ち上がった女が、真っ直ぐにこちらへ向かって歩み寄ってきたからだ。
怯えが背筋を走る。
リリスは反射的に身を引こうとした。
だが、なぜか後ずさりすることができなかった。
逃げ出したいという強い衝動とは裏腹に、女とその腕に抱かれた娘の、死相すら漂う落ち窪んだ瞳が、見えない鎖となって、リリスの足を地面に縫い付ける。
女はリリスの前までたどり着くと、糸が切れたようにへたり込んだ。
いよいよ限界が訪れたのか、震える腕から力なく子供を土の地面へと下ろす。
そして、泥にまみれた細い指で、リリスのマントの裾を握りしめる。
「どうか……」
ひび割れた唇から、掠れた声が漏れる。
「どうか、私の娘を助けてください……お願いです……」
未亡人の声が、リリスの耳に突き刺さる。
それは懇願というより、どこか懺悔に似た音色をしていた。
リリスは何も言えず、立ち尽くすことしかできなかった。
助けを乞うように周囲を見回す。
だが、神父も、村人たちも、頑なだった村長でさえ、地べたに這いつくばる未亡人の姿を前に――
ただただ沈黙するばかりだった。
広場の空気が、浄水を望む方へ傾いたことが、リリスにはわかった。
向けられる重圧に、当惑が膨れ上がっていく。
「ちょ、ちょっと待って……」
リリスは、干からびた喉から声を絞り出した。
「私抜きで、勝手に話を進めないで。……私は、やりたくない」
足元にすがる未亡人から必死に視線を逸らしながら、アダムを見つめる。
それはアダムに向けて放たれた言葉でありながら、周囲の全員に向けて発せられた拒絶でもあった。
本音が漏れる。
「やりたくないっていうか……できないよ、そんなの。浄水なんて……」
「いいえ」
すると即座に、落ち着き払った声が返ってきた。
「リリス様には、できます」
もはや暴力のようにすら思えてくる、きっぱりとした断定。
リリスは泣きながら逃げ出したい衝動をとりあえずこらえる。
自分はいったい何を恐れているのだろうかと、彼女は思う。
どこか傍観者じみた気分で、相変わらず後ずさりできないままでいると、アダムが言葉を継いだ。
「私が観測した限り、リリス様のお身体に含まれている電気のエネルギー量は、極めて桁外れな水準にあります。それほどの莫大な力をもってすれば、この井戸の水を電気分解で浄化することは十分可能です」
「でも……」
リリスは、言い訳でもするように口ごもった。
「どうすればいいか全然わからないし……そもそも自分の意思で電気を出したことなんて、今まで一度もなかったし……」
「浄水の手順につきましては、私の持つ知識で完全に補うことができます」
アダムが淡々と、しかし力強く断言する。
「それに、あの牢獄の中で、リリス様はすでに一度、ご自身の意思で膨大な量の電気エネルギーを放出されたはずです。ご本人は制御を失って勝手に漏れ出したと思われているかもしれませんが、私のバイタルサイン分析によれば、あれは間違いなくリリス様ご自身の意思による放電でした」
「でも……」
なおも怯えを拭いきれず、ひどく気が引ける。
そんな様子のリリスに、アダムは決定的な一言を突きつけた。
「リリス様。今、喉がひどく渇いているのではありませんか?」
「……っ」
図星を突かれ、リリスは黙り込んだ。
逃げ道が、いとも簡単に塞がれる。
「澄んだきれいな水が飲みたくて仕方がないはずです」
アダムが追い打ちをかける。
「今、命の危機に瀕しているのは、このレニの村人たちだけではありません。リリス様ご本人も同じ船に乗っているのです」
「……」
押し黙ってしまったリリスに、アダムが最終的な宣告を下す。
「私は、リリス様が発せられた『死にたくない』という入力に従い、生存のための最善の提案をしているに過ぎません。私に対して『助けてほしい』『きれいな水が飲みたい』『水を浄化する方法を教えてくれ』と命じるのであれば、私はその指示に全力で従うつもりです。ですが、最終的な選択権は、あくまで私のご主人であるリリス様にあります」
「………」
静かな広場に、アダムの澄んだ声が響く。
「さあ、どうなさいますか? リリス様」
それはまるで、初体験に怯えている子供に対し、その躊躇う背中をそっと押し出してくれるような、どこかほのぼのとした声だった。
広場にいる全員の視線が、リリスに注がれる。
その瞳には、もはや先程までの敵意は感じられなかった。
誰もが息を呑み、ただ彼女の次なる言葉を待つ。
リリスは、ただひたすらに、この場から逃げ出したいという衝動に駆られた。
一体自分は何から逃げようとしているのか。
自問しても答えは出ない。
ついには「逃げたい」という漠然とした衝動だけがぽつんと取り残される。
自分でも何が何だか分からなくなっていく。
だから、今はとにかくこの視線から逃れるために――
水を飲みたいからでも、村人を助けたいからでも、死にたくないからでもなく、
ただただ彼らの切実な眼差しから逃避するためだけに、リリスは口を開いた。
「……わかった」
リリスは、まるでじりじりと後ずさるかのようなぎこちない動きで、そろそろと頷いた。
「やって……みるから」
だからもう、見つめないで。
その言葉までは、喉の奥に引っかかって出てこない。
しかし、やるという一言だけで十分だったのだろう。
広場を重く満たしていた張り詰めた緊張が、一気に氷解した。
そして、人々の視線がぽつぽつとリリスから離れていく。
それに伴い、リリスの全身からも、どっと力が抜ける。
足元に縋り付いている未亡人と同じようにその場へへたり込みそうになる。
だが、そうすることはできなかった。
「ありがとう……」
未亡人が呟く。
「本当に、ありがとう……」
どこか眠たそうな彼女の表情を前にして、「当てにしないで」とも、「自信がない」とも、到底言えるはずもなく――
リリスはただただ深いため息とともに、井戸の方へ視線を向けたのだった。




