第29話:石投げ
空中で不自然に揺らめき、静電気を散らす金髪。
その不気味すぎる光景を前に、広場を埋め尽くす村人たちが一瞬にして息を止める。
周囲の反応に呼応するように、リリス自身も息を呑む。
限界まで溜め込んでいた電気の塊を放出したことで、身体的な息苦しさからは解放された。
しかし、今度は見られてしまったという取り返しのつかない絶望が、彼女の呼吸を奪っていく。
「魔女だ……」
群衆のどこかで、誰かが震える声で呟いた。
そのひと言が導火線となった。
あちこちから悲鳴に似たざわめきが連鎖的に上がり、広場全体へと燃え広がる。
よそ者への敵意が瞬く間に純粋な恐怖へと塗り替えられていく。
みんな青ざめた顔で一斉に後ずさる。
ざざっ、と乱れた足音が鳴り響く。
リリスとアダムを間近で囲んでいた分厚い人垣は、波が引くようにしてその半径を大きく広げていった。
「聞いたことがある」
人垣の中から、一人の中年女性が震える声を上げた。
「帝都に、電気を操る魔女がいるって噂……」
すると、隣にいた別の女性も青ざめた顔で頷き、それに同調した。
「私、私も聞いたわ。ちょうどあの娘のように十代の後半くらいで、金色の髪をしているって。それに……『悪魔の子』と呼ばれているって」
自身のことを的確に言い当てたその情報に、リリスは妙な感心を覚える。
(……私の噂が、こんな辺境の村にまで届いているなんて)
恐怖や焦燥を通り越し、むしろ純粋な不思議さすら覚える。
どれほどの速度で、どれほどの規模で自分の悪評が伝播しているのか。
リリスの胸中には、どこか冷めきった乾いた諦観が広がる。
その時だった。
群衆の中から、小さな石が一粒飛んできた。
石はリリスには届かず、彼女とアダムの足元に落ちて転がる。
リリスはどこか冷めきった視線で、その石を見下ろす。
そしてゆっくりと顔を上げる。
石が飛んできた方へ視線を向けると、一人の青年が荒い息を吐きながら立っていた。
「魔女は、殺さないと……」
青年が、恐怖に顔を引きつらせながら呟いた。
そして足元からもう一つ石を拾い上げると、再びリリスへ向けて腕を振り被る。
今度放たれたのは、成人男性の拳ほどもある大きな石だった。
しかし、リリスはそれを避けようとはしなかった。
もはや逃れることも、抗うことも無意味だという根本的な諦めが、彼女の身体を縛り付けていた。
それでも、暴力に対する本能的な恐怖までは拭いきれない。
彼女は反射的に首を竦め、ぎゅっと強く目を閉じた。
「……」
だが、いつまで経っても衝撃は訪れなかった。
恐る恐る薄く目を開ける。
すると、リリスのすぐ目の前にアダムの広い背中が見えた。
彼は片手を高く掲げ、飛んできた大石をその掌で受け止めていた。
しかし、村人たちの狂乱はそこでは終わらなかった。
「そうだ……」
他の村人たちも次々と腰を屈めて足元の石を拾い集め始める。
「魔女だ……魔女を殺さないと、この村に災いが下るぞ!」
悲痛な叫び声とともに、一人、また一人と、四方八方から容赦なく石が投げつけられる。
リリスはどうすることもできず、身を縮めてアダムの背に隠れた。
だが、二人は円状の群衆に完全に包囲されている。
死角となる後方から飛来する石までは、アダムも防ぎきることができない。
結局、後ろから飛んできた石の一つが、リリスの背中を打ち据えた。
「あっ……!」
痛みに短い悲鳴を漏らす。
そのリリスの声に、アダムが弾かれたように振り返った。
「リリス様!」
アダムは即座に飛来する石を弾き落とすのをやめ、リリスの側へと身を翻した。
彼女の肩を抱き込み、強引にその場へ屈ませる。
そして丸くなった小さな身体を完全に覆い隠すように、自らの長身を深く被せる。
直後、盾となったアダムの広い背中に、無数の石が降り注がれる。
鈍い音を立てて弾け飛ぶ。
同時に、村人たちの口から吐き出される憎悪もまた、鋭い凶器となってリリスの耳を打つ。
「この、魔女め……!」
「災いを呼ぶ前に死ね!」
血走った目をした群衆の罵声。
重い石礫と同じように二人を容赦なく打ち据える。
アダムがうまく庇い続けているおかげで、リリスの体を直接石が傷つけることはなくなった。
しかし密着した胸や腕を通して、衝撃は間接的に感じられた。
ドアをノックするかのような小さな衝撃が、絶え間なくリリスへと伝わってくる。
「皆さん、やめてください!」
石の雨に打たれながら、アダムは広場に響き渡る大声を上げた。
「リリス様は何も悪いことなどしていない! ただ生まれつき、体に電気が流れているだけなんです!」
彼はひたすらに己の主を庇いながら、必死に叫び続けた。
「アダム……」
リリスの胸に、どうしようもないほどの申し訳なさが込み上げてくる。
アダムの身体を通して絶え間なく伝わってくる石の鈍い衝撃を感じるたび、彼への心配が胸を締め付ける。
(私のせいだ……)
うずくまったまま、心の中で力なくつぶやく。
(全部私のせいなのに……アダムまで、こんなひどい目に……)
さっきの絶望を軽々と凌駕する、強烈な自己嫌悪と自己否定。
それがアダムへの深い罪悪感とぐちゃぐちゃに混ざり合い、リリスの心を黒く塗り潰していく。
「もういいよ、アダム……」
掠れた声が、ぽつりとこぼれ落ちた。
「私が、死ねばいいから……」
「そんなこと、おっしゃらないでください!」
頭上から、アダムの大きな声が降ってきた。
彼と密着しているため、その声の振動が直接リリスの全身へとビリビリと響き渡る。
(怒った……?)
彼がこんな風に声を荒らげるのを、リリスは初めて聞く。
結局、彼のことまで怒らせてしまった。
やはり自分はどうしようもない人間なのだ、と。
さらなる自己嫌悪の底へ沈み込もうとした時だった。
「リリス様は、何も悪くありません」
怒りではなく、どこまでも切実な響きを帯びた声。
「私は大丈夫です。こんな石礫くらい、私の頑丈なボディにとってはただの霰に打たれるようなものです」
「でも……」
リリスがさらに言葉を紡ごうとする。
だが、まるで彼女の心を読んだかのように「大丈夫です」とアダムが遮った。
彼は言った。
「人々から注がれる罵倒も、私には痛くも痒くもありません。ボディだけでなく、思考回路も頑丈にできていますから」
そんな会話を交わしていると、アダムの身体に加えられる衝撃は次第に激しさを増していった。
うずくまったまま、リリスは恐る恐る上目遣いで様子を窺う。
村人たちはもはや遠くから石を投げるだけでは飽き足らなくなったようだった。
一部の人々が直接近づき、盾となっているアダムの背中を踏みにじり始めていた。
ズンと骨の髄まで響くような重い衝撃が、アダムの身体を通してリリスにもはっきりと伝わってくる。
あんなにも喉が渇き、今にも力尽きそうにしていたはずなのに。
一体全体どこからこんな力がみなぎってきているのだろうと、リリスは淡々と思う。
そしてこんな状況下で、悠長なことを思ったりする自分はやはりどこかひどく壊れてしまっているに違いないと、彼女は微かに自嘲した。
憎悪という感情は、死に直結する極限の渇きすらも凌駕し、これほどまでに人を激しく突き動かすものらしい。
ならば、自分もこの理不尽な暴力を振るう人々に対して、何らかの怒りを覚えるべきではないのか。
声を荒らげて怒るべきではないのか。
しかし、彼女の中には、反抗心のようなものが微塵も湧き起こってはこなかった。
今はただ、一つの感情だけが静かに浮上するだけだった。
「ごめんなさい」
リリスはアダムに向かって呟いた。
いや、あるいは村人たちに向けての言葉だったのかもしれない。
とにかくその声はあまりにも小さく、怒号を上げている村人たちどころか、密着して覆い被さっているアダムの耳にさえ届かないのではないかと思えるほど、細々としたものだった。
「ごめんなさい……」
まるでそのまま深い眠りにでも落ちていくかのような、消え入りそうな声。
すると――
「謝らないでください、リリス様」
頭上から、アダムの答えが降ってきた。
こんな状況だというのに、彼の声は信じられないほど落ち着き払っていて、
どこまでも温かかった。
「私は、絶対的にリリス様の味方です。ですから、私に謝る必要はありません。リリス様はただ私に、何をしてほしいかをご指示くだされば、それでいいのです」
「……」
それを聞いて、リリスはふと我に返った。
夢うつつの底から唐突に引き戻されたかのように、明澄な感覚が脳裏を満たしていく。
そして、広大な宇宙の暗闇に小さな蝋燭の火がぽつりと灯るように、ひとつの思いが芽生えた。
(やはり、死にたくない)
なぜいきなりそんな考えが浮かんだのか、リリス自身にもわからなかった。
今の状況に恐怖を覚えたからでも、アダムの言葉に心を動かされたからでもない。
いや、もしかしたらその両方が影響しているのかもしれない。
……わからない。
リリスには、わからなかった。
ただ確かなのは、今この瞬間、その思いを口にしなければならないという衝動にただただ満たされているということだった。
「アダム。私、死にたくない」
すると間髪を容れず、何の躊躇いも感じさせない清々しい声が、リリスの耳に届いた。
「かしこまりました」
アダムは言った。
「私はリリス様を、絶対に死なせません」
その時だった。
「もうやめんか!」
初老の男の鋭い怒鳴り声が、狂乱する村人たちと、踏みにじられている二人の間に割って入った。




