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放電魔女と充電ロボット  作者: 真好
第二章:浄水

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第27話:汚水






 リリスはたまらず、十歩以上も後ずさった。


 あと少しでもこの臭いを吸い込めば、そのまま吐き戻してしまいそうなほどの強烈な悪臭だった。




 アダムも即座に手を動かし、開けかけた木の蓋をバタンと元通りに閉める。


「……ひどい臭いですね。中の水が完全に腐っているようです」




 その時だった。


 村の一角から、ギーッと重たい木扉がきしむ音が静寂を破った。


 不意の音に、リリスとアダムは同時にその方向へと視線を向ける。




 音の出所は、広場から少し離れた場所に建つ小さな教会だった。


 石造りの外壁に、こぢんまりとした三角屋根が乗っている。


 その教会の正面の分厚いドアが、内側からゆっくりと押し開かれた。




 開かれた教会の扉から姿を現したのは、一人の見知らぬ中年男性だった。


 年齢は五十代ほどだろうか。


 少し髪の薄くなった頭に、聖職者の物だと分かる平たい帽子を被っている。




 男はうつむき加減で、足元の地面を見つめながらゆっくりと外へ歩み出た。


 しかし、広場に立つリリスとアダムの姿に気がついた瞬間、ハッと顔を上げる。


 そして驚いたように動きを止めた。




「どうやら、村の教会の神父様のようです」


 アダムが声を潜めて言う。




 広場に、一瞬だけ張り詰めたような沈黙が落ちた。


 少し迷うような素振りを見せた神父だったが、彼はたちまち背後の扉を閉め、二人の方へと歩いて来た。


 リリスたちの目の前で足を止めると、探るような視線を向けて口を開く。




「見ない顔ですが、旅の方ですか?」




「ええ、そうです」


 アダムが答えた。


「あてのない旅の途中でして。通りがかりに、この村へ立ち寄らせていただきました」





「旅の方……」


 神父が表情を曇らせる。


「悪いことは言いません。一刻も早く、この村から離れなさい」




「離れろとは、どういうことですか?」




 アダムが尋ねると、神父は井戸を見やり、力なく言った。


「……今、この村では疫病が広がり始めています」




「疫病……?」


 リリスがぽつりと声をこぼすと、神父は重々しくうなずいた。




「そうです。ですから、その子は私に任せて、あなた方は早くこの村から離れなさい」




「……リリス様、早く出ましょう」


 アダムは言いながら、背負った男の子をそっと下ろした。


 そのまま神父へと歩み寄り、その小さな体を引き渡す。




 リリスとアダムは神父に背を向け、道を歩き出した。


 隣を歩くアダムの足音に合わせ、一度だけ細く息を吐き出す。


 真っ直ぐ前だけを見据え、二人は乾いた風の中を進んでいく。




 突然道の奥から、数人の村人が土埃を立てて駆け込んできた。


 ひび割れた唇から荒い息を吐き、彼らは広場の中央へよろめき進んだ。


 悪臭が立ち込める井戸の縁へ、折り重なるようにしてすがりついていく。




 リリスは足を止め、井戸の方を見た。


 一人の男が蓋にすがりつき、板の隙間に爪を立てる。


 それに別の男が背後からしがみつき、顔をくしゃくしゃにして叫んだ。




「飲んじゃだめだ、離れるんだ!」




 押さえられた男のひび割れた口から、乾いた息が漏れている。




「じゃあ、どうすればいいんだ!」


 蓋の板にすがりついていた男が振り返り、自分を引き剥がそうとする男の胸倉をきつく掴む。


「もう喉が乾いて死にそうなんだよ!」




 吐き出された声は砂を噛んだように掠れている。


 掴まれた男は何も答えず、喉仏を上下させながら固く首を横に振った。




 その時だった。


 道の端に座り込んでいた三人の女がリリスたちに気づいた。


 もつれる足で土埃を立てながら、いきなり駆け寄ってくる。




 落ちくぼんだ両目を見開き、指先をまっすぐに前へと突き出してくる。


 瞬きもせずに迫るその姿に、リリスは無意識に後ずさった。


 だが女の一人が伸びてきた手を突き出し、リリスのマントの裾を力強く握りしめた。




「お水……旅のお方、水は持っていませんか?」




 ひび割れた唇から、掠れた声が絞り出される。


 隣にいた別の女も、よろめきながら身を乗り出してきた。




「ほんの一口でいいんです。奥で熱を出している子供に……っ」




 リリスは後ずさった。


「な、ない……私たちも、水なんて持っていないの」




「嘘……嘘だと言って、お願いだから!」




 女たちの顔が、絶望にぐしゃりと歪んだ。


 喉の奥から絞り出される悲鳴は間違いなく泣き叫んでいる。


 なのに、限界まで干からびた目尻からは一滴の涙もこぼれ落ちない。




 彼女たちはやがて狂乱した様子でリリスの元へと殺到した。


「隠しているんでしょう!? 一口、ほんの一口だけでいいから……!」




 泥にまみれた骨張った指が、リリスの細い両腕を乱暴なほど強く掴んだ。


「っ……!」


 リリスは鋭い痛みに顔をしかめる。




 今にも倒れそうに衰弱しきっているはずなのに、腕に食い込む指の力は異様なほど強い。


 死の恐怖に直面した生き物が、本能の底から振り絞る最後の力。


 それはほとんど暴力に近い、おぞましいほどの生への執念だった。




 恐怖に飲まれ、たまらず後ずさろうとしたその時。


 リリスの視界を遮るように、すっと長身の影が割り込んだ。


 アダムだった。




 彼はリリスの腕に食い込む女たちの手を、まるで枯れ枝でも払うかのようにあっけなく引き剥がした。


 狂乱する彼女たちの力などまるで意に介さない、静かで淀みのない動作だった。


 そのまま、自分の主を背中でかばうように女たちの前に立ち塞がる。




「信じてください」


 そして、絶望に喚く彼女たちを刺激しないよう、あくまで穏やかな、攻撃性を一切感じさせない温厚な声色で静かに告げた。


「本当に一滴の水すら持ち合わせてはいないのです。我々もあなたたちと同様、極限の渇きに苦しんでいます。この村へ来れば水が手に入るかもしれないと、僅かな希望に縋って立ち寄りました。しかし……まさかこれほど凄惨な状況に陥っているとは、思いもしなかった」




 しかし、死の淵に立つ女たちにその言葉は届かない。


「嘘よ……隠しているんでしょう……っ」


 血走った双眸は見開かれたまま、彼女たちは耳を貸そうとしなかった。




 その時だった。


 ざっ、ざざっ、と。


 広場の四方から、複数の足音が聞こえ始めた。




 女たちの泣き叫ぶような声と、部外者との言い争い。


 その騒ぎを聞きつけた他の村人たちが、建物の陰や井戸の周りから、亡者のような足取りでじりじりと距離を詰めてきた。




「水……?」


「あの旅人たちが、水を持っているのか……?」




 事の経緯を知らない村人たちは、会話の断片だけを拾い上げ、勝手な希望を抱いて殺到してくる。


 あっという間に、リリスとアダムの周囲を十数人の村人が取り囲んでしまった。




 逃げ場のない、分厚い人垣。


 リリスは血の気が引くのを感じた。




 四方八方から突き刺さる、落ち窪んだ瞳。


 ひび割れた唇。


 誰も彼もが極度の渇きによって理性を失いかけており、今にも飛びかかってきそうな異様な熱気に満ちている。




「アダム……っ、どうしよう……」


 リリスは恐怖に身を竦ませる。




「ここは、慎重に動かねばなりません」


 アダムはリリスを庇うように立ち塞がったまま、周囲に悟られないほどの微かな声で応じた。


「彼らはもう、言葉だけでは納得しないでしょう。我々が本当に水を持っていないことを、目で直接確かめさせるのが最善です」




 リリスは強張った顔で、こくりと頷いた。




「よく見てください!」


 アダムは群衆へ向けて、よく響く声で言い放った。


「我々も、水袋など一つも持ち合わせてはいないのです!」




 そう言って彼は、ゆっくりと両手を広げてみせた。


 彼が身につけているのは、薄手のTシャツとズボンだけ。


 体にぴったりと張り付いたその装いは、膨らんだ革の水袋などを隠し持つ余地が一切ないことを物語っている。




 リリスも倣った。


「見ての通り私も、どこにも水なんて持っていないんです」




 彼女は震える手で首元の留め具を外し、土にまみれた厚手のマントをバサリと脱ぎ捨てた。


 さらに、下に着ている簡素な服の身幅を両手で引っ張り、裏返しにする勢いで周囲に見せつける。




 隠しポケットも、腰に吊るした筒もない。


 ぺらぺらとはためく布地と、痩せ細ったリリスの身体のシルエットだけがそこにあった。




 リリスが裏返した衣服と、アダムの薄着のシルエット。


 そこから「水」という名の希望を見出せなかった村人たち。


 まるで糸が切れた操り人形のように、次々とその場に崩れ落ちた。




「ああ……ああ……」




 掠れた呻き声だけが、空虚な広場に力なく響く。


 狂乱していた女たちも、うつろな目で地面を見つめ、土を握りしめて項垂れた。




 ふとリリスの足元の方から、ひっ、ひゅっ、という奇妙な音が聞こえてくる。


 彼女が視線を落とすと、母親の影に隠れるようにして、三人の幼い子供がしゃがみ込んでいた。




 彼らは顔をくしゃくしゃに歪めて泣きじゃくっていた。


 しかし、どれほど悲痛な声を上げようとも、干からびた彼らの目尻からは一滴の涙すらこぼれ落ちてはこない。




 泣いても涙が出ない子供たち。


 その痛ましい光景に、リリスはたまらず目を逸らした。




 水がないと分かった今、もはや誰一人として二人の行く手を遮ろうとする者はいなかった。


 人々はただ道を開けるように力なく両脇へ崩れる。




「……リリス様。行きましょう」


 アダムが静かに声をかけ、リリスの背中を促した。




「待ちなされ……」


 二人が歩き出そうとしたその時。


 人の垣根の奥から、ひとりの老人が枯れ木のような体を杖で支えながら進み出てきた。




 出てきたのは、白髪の老人だった。


 深い目をしていて、その奥にはただ静かな諦観だけが宿っている。




「旅の方……あんたたちも、水を持っていないと言ったな」




「はい。我々も極限の渇きに耐えながら旅を続けている身です」


 アダムが振り返り、淡々と応じる。




 老人は深くしわの刻まれた顔をわずかに揺らし、哀れむような視線を二人に向けた。


「なら、このまま村を出たところで意味はない。あんたたちは、水に辿り着く前に乾ききって死ぬだろう」




 呪詛ではない。


 強迫でもない。


 ただ、冷酷な事実を淡々と告げる響きだった。




「それは、どういう意味でしょうか」


 アダムは首をわずかに傾け、冷静に問い返した。


「この先には、水を得られる場所がないと?」




「ああ、ない」


 老人は乾いた咳を一つこぼし、村の出口の方角を弱々しく指差した。


「この村の周囲は、見渡す限りの硬い岩山と、枯れ果てた針葉樹の森ばかりだ。村を通る湧き水以外に、地下水脈はずっと昔に枯れた。唯一の頼みの綱だった東の渓谷の川も、半月前には一滴残らず干上がって、今はただの砂利道になっちまった」




 老人は、乾いた風に吹かれるままに息をついた。




「次の水源がある隣街までは、丸三日は歩き続けなきゃならん」




「丸三日……」


 アダムは微かに眉間を寄せ、誰にともなく独りごちた。


「人間の体は、三日も水分を絶たれれば限界を迎えます。今の消耗しきった状態では、到底もたない……」




 彼は視線を上げ、目の前の老人をまっすぐに見据えた。


「……ちなみに、あなたは何者ですか?」




「わしは、この村の村長だ」


 老人は杖にすがりつくようにして体重を預けた。


「あんたたちを無闇に絶望させたくて言ったわけじゃない。ただ、何も知らずに村の外へ踏み入り、渇きに狂って野垂れ死ぬくらいなら……事前に事実を知らせておくべきだと思っただけだ」




 アダムは小さく頷き、広場の中央で異臭を放っている石組みの井戸へと視線を向けた。


「村長殿でしたか。では、伺いたいのですが、この村で水を得られる場所は、この井戸だけなのですか?」




「ああ。あれがこの村の唯一の命綱だった」




「ですが、こうなる前に手を打てたはずでは?汚染に気付いてすぐ、他の村や街から水を運び込んでおかなかったのですか?」




 村長は深く、重いため息をついた。


「できなかった」


「なぜですか?」


「他の村々も水は足りない状況だからだよ」


「他の村も……?」


「そうだ」


 村長が説明する。


「ここだけの話じゃないんだよ、旅の者。隣街の湖も、山の湧き水も、地下深くの水脈すらも……今、見渡す限りの水源が不自然に涸れ始めているんだ」




「一体、何が原因なんでしょうか」




「わしにもわからない。ただ……」


 アダムの問いに、村長がうつろな目を、リリスの方へ向けた。




「魔女の呪いではないのかと、ささやかれている」







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