1話 さようなら侯爵家
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
侯爵家の朝は、いつも同じ言葉から始まる。
「アリス、まだそこにいたの?」
振り向く必要はなかった。声の主が誰かなど、考えるまでもない。
姉のマレーヌだ。
「申し訳ありません、お姉様。すぐに片付けます」
手にしていた銀のトレイを持ち直し、私は深く頭を下げる。だが、マレーヌはそれを見ても満足しない。
「“申し訳ありません”じゃないのよ。貴女は侯爵家の人間でしょう?それなのに、どうしてそんなに要領が悪いの?」
——侯爵家の人間。
その言葉に、胸の奥がほんの少しだけ軋む。
本当にそう思っているのなら、私をこんな扱いはしないはずなのに。
「まあいいわ。どうせ貴女には期待していないもの」
ふっと笑って、マレーヌは踵を返す。その背中を見送りながら、私は静かに息を吐いた。
期待されていない。
それは、ある意味で救いだった。
「おい、まだ終わってないのかよ」
今度は弟のジルだ。苛立った声で、床に置かれたバケツを蹴る。
水が少し跳ねて、私のスカートを濡らした。
「すみません、すぐに拭きます」
「遅いんだよ。使用人でももう少しマシだぞ」
その言葉に、思わず手が止まる。
——使用人でも、もう少しマシ。
それはつまり、私はそれ以下だと言われているのと同じだった。
でも、何も言わない。
言ったところで、何も変わらないから。
「ジル、その子に構う必要はないわ」
食堂の奥から、母の声がした。
「どうせ役に立たない子なのだから。放っておきなさい」
そして、父もまた何も言わない。
新聞から目を上げることすらなく、ただ静かに紅茶を口にするだけだった。
——これが、私の家族。
侯爵家の次女、アリス。
それが、私の名前。
そして同時に、“ここにいてはいけない存在”の証でもある。
(……でも)
心の奥で、何かが小さく灯る。
(もう、終わりにする)
その日の夜。
誰にも気づかれないように、私は屋敷の裏門を抜けた。
手にしているのは、一通の封筒。
それは、王都でも最高峰と呼ばれる魔法学園からの——合格通知。
「……やっと」
小さく呟く。
私はずっと隠してきた。
家族に知られれば、きっと全て奪われるから。
魔力も、知識も、努力も。
全部。
だから私は、全部“なかったこと”にしてきた。
無能なふりをして、何もできないふりをして。
でも、それも今日で終わり。
「さようなら」
振り返らない。
あの家に、未練なんて一つもない。
——ここからが、本当の始まりだから。
翌日。
魔法学園の門をくぐった瞬間、世界が変わった。
「え……?」
ざわめきが広がる。
視線が、一斉にこちらに向けられる。
「なんだあの魔力……」「測定器が壊れてるのか?」「いや、あれ……本物だ」
そして、教師ですら言葉を失った。
「き、君……名前は?」
「アリス・フォン・ルヴェールです」
静かに名乗る。
その瞬間、空気が凍りついた。
「ルヴェール侯爵家の……次女……だと……?」
——そう。
誰も知らない。
あの家で“いないもの”として扱われていた少女が、
規格外の魔力を持つ存在だなんて。
私は、ゆっくりと微笑んだ。
「はい。ですが……」
少しだけ首を傾げる。
「もう、あの家とは関係ありませんので」
ここから先は——
私の物語だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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